kenji
sphere
─ 賢治圏 ─
sphere n. リーダーズ英和辞典より |
賢治がよく使う、「気圏」 ── “atmosphere” ということばは、これに由来します。
ここはいわば、賢治に関わる領域です。
宮澤賢治に inspire されたさまざまな 《 きぬのみち products 》 を、ここに掲載していきます。
作品は、文章と絵とを色分けしてあります。
エッセイ・賢治はホームレス? | 北海道の某女子大学の学生たちが出していたミニコミ誌に寄稿したものの改稿です。当時、賢治生誕百年で、その盛り上がりときたら大変でした。「賢治の学校」というのもありましたね。他方、賢治を安易に縄文やエコロジーに結びつけようとする動きもあり、私はそれに反発を覚えて、これを書きました。 |
短篇・あるオマージュ─マハーパリニルヴァーナ・スートラより─ | これは、もちろん賢治の晩年にその題材を取ったものです。しかしそのモチーフは、仏陀の入滅を描く『大涅槃経』、そしてじつはもうひとつ、隠れモチーフがあるのです。さてそれは何でしょうか。もしあなたが賢治ファンならば、きっとわかるはず(と思います)。1996年ないし97年に書きました。CSSを使っています。 |
短篇・願をかけたふたりの男の話 | 2002年に書きました。明らかに賢治のイメージがありますが、ずっと皮肉な感じに描写してあります。当時私の中にも、さまざまな感情がないまぜに渦巻いていたのでしょう。なお挿絵はペインターで作成、その後縮小しました。 |
?ポランの広場? | 2004年11月日記の文章を手直ししました。信じられないような実話です。 |
エッセイ・賢治は菩薩か | 2003年から2004年にかけて書いた日記の文中から抜粋して編集し、推敲しました。 |
銀河鉄道の夜 | 言わずと知れた賢治の未完の名作から。賢治作品に対しては、千人が千のイメージを持っていて、なにをどんな風に描いても、ぜったいに「違う!」と叱られるに決まっているのです。この絵もまた、そうした運命を持つのでしょう。 Art School Dabbler で描きました。 |
グスコーブドリ | 水彩画を取り込み。四半世紀前に原稿用紙の裏に描いたものが見つからないので、記憶を頼りに新バージョンを描きました。岩手山は中学生の頃訪れた印象のままに、町並みと大学は元バージョンではもっとビル風だったのですが、ここではヨーロッパ式にしてしまいました。クーボー大博士の飛行船も忘れずあります。 |
〔雲影滑れる山のこなた〕 | その短い生涯の晩年、東北砕石工場の技師となった賢治は、石灰岩抹肥料の売り込み営業活動に奔走します。そんな中で訪れた、小岩井農場での春の情景。昔からお気に入りの逍遥の地でしたが、当時の気持とは雲泥の違いがあります。ボールペン画を取り込み、ペインターと Adobe PhotoDeluxe で仕上げ。 |
パミール先生の散歩 | シルクロードに憧れた賢治は、「パミール先生の散歩」という、すてきな詩を書いています。クチャのオアシスを舞台に、ハチミツみたいな黄金色の夕日や、チベットのタルチョ(経幡)らしいものがなびく風景や、風のさやぎに盛り上がるように波打つ地面が描かれます。しかし詩の成立をたどると、実はこれは、賢治の故郷花巻の田園風景を幻想的に描いたものであることがわかるのです。ペインターと Adobe PhotoDeluxe で作成。 |
雁の童子 | 賢治の「西域三部作」のひとつ、「雁の童子」のクライマックスの場面です。育ての親の須利耶圭とともに沙車廃寺の発掘現場に来た雁の童子は、壁画に描かれた天童子が過去世の自分であることを打ち明けて天に帰ります。この絵では、発掘しているのは青木晃のつもり、須利耶さまはカルザイのイメージで描きました。壁画のモデルは、もちろんスタイン発掘のミーラーン廃寺のものです。ペインターで作成。 |
サハリンスケッチ(3部) | 2003年3月、サハリン調査に行きました。目的の一つは、賢治の足跡をたどることでした。しかし賢治が樺太を訪れたのは夏、季節は正反対です。それでも賢治が最初に上陸したコルサコフ(大泊)を歩き、ユジノ・サハリンスク(豊原)では、賢治が植物採集をしたというススヤ(鈴谷)高原も、はるかに望むことができました(ほんとうは、その麓に飾られていたT34戦車も見たかった(^^ゞ)。調査中はなかなかじっくりスケッチする時間もなく、目に印象を焼き付けておいて、ホテルに戻ってから描きました。 |
カムパネルラ | ケンタウル祭の夜、ザネリたちと一緒のグループに混じり、ポケットに手を入れながらぼやっと突っ立ってジョバンニを見ているカムパネルラです。 なんとなく誘われて来ちゃった……からって、べつにカムパネルラが悪いんじゃないんですね。カムパネルラはジョバンニを疎外したりするつもりなんかぜんぜんないけれど、それ以前にみんなの友達なわけですから。 ボールペン画を取り込み、Adobe PhotoDeluxe で加工。インテリ階級の親に、フランス風の好みの服を着せられている子、そんなイメージで描きました。 |
ジョバンニ | まだお父さんがラッコの密猟で拿捕されず、モリーオの下町でブイブイいわせていた頃のジョバンニです。こんなままだったら、ザネリなんか目じゃなかったのにね。 ところで、ジョバンニがほっそり腺病質の弱々しい子だというのは明らかにテキストの読み誤まりで、ジョージ・チャキリスあたりが似合いだ、というのが私の意見です。 ボールペン画、ペインターで彩色、 Adobe PhotoDeluxe で調整。 |
銀河鉄道車内 | ボールペン画の下書を、ペインターでほとんど原型をとどめぬほどに修正し、それから色づけして、スクリーン効果と照明効果を当てました。思いもよらぬ出来上がりに、我ながらイーハトーブ風になったものと驚いています。 空気の読めぬミッション系女学校風のかおる子の闖入に、すっかり機嫌を損ねたジョバンニは、そっぽを向いて窓の外に目をやります。カムパネルラというのは、そのあたりは別にどうでもいい人間ですので、まあ適当にやっています。 後ろの座席には鳥捕りのオッサンがいて、車掌と世間話の最中です。「あの切符にゃ驚いたね」などと話しているのでしょう。 そしてカムパネルラの背中合わせの席には、網棚に例の本を乗せた、黒コート、黒帽子姿の賢治がいて、話の結末をつけようと待っているのです。 |
ジョバンニ2 | これも例によって、イタリア地区下町住民風のジョバンニです。母のための牛乳を受け取って、家路へ急ぐ姿です。 この場面、ケンタウル祭に行く前か後か、たしか賢治自身も繋がりを決めかねていたところだと覚えています。わたしのイメージとしては、ここでちょうどザネリ一行と出くわして、「ラッコの上着が来るよ!」と浴びせかけられるのですが。 ボールペン画、ペインター彩色、Adobe PhotoDeluxe で加工。 |
ケンタウル祭の夜 | ケンタウル祭の夜、モリーオの町の裏道で、ザネリ一行に出くわすジョバンニ。 ザネリは町の小金持ちの子で、まあまあ育ちは良いけれども、少々人を見下す意地の悪い所がある、といった感じです。革ジャンを着せようかとも思ったのですが、そうするとあまりに決まりすぎるので、スタジャンにしました。 ボールペン画、ペインターで彩色、Adobe PhotoDeluxe で加工。 |
精神歌 | 後に花巻農学校精神歌となる歌からの発想です。「険しき旅」と口ずさむたび、当時の賢治の「何とか自分に言い聞かせたい」心持ちが偲ばれて、涙がこぼれます。イメージとしては、北海道修学旅行に引率した花巻農学校の生徒たちとともに、札幌駅前通りを闊歩していく姿です。 鉛筆素描をスキャナーで取り込み、ペインターXで着色、Adobe Photoshop Elements4.0で加工。2009年10月11日製作。 |
莫逆・賢治と嘉内 | 朗誦しているのは、『アザリア』草稿でしょうか、それとも『法華経』でしょうか……。 後に訣別する宮澤賢治と保阪嘉内ですが、盛岡高等農林時代は、自他ともに許す、莫逆の親友でした。 鉛筆素描をスキャナーで取り込み、ペインターXで彩色、Adobe Photoshop Elements 4 で加工。2009年10月18日製作。 |
斎藤宗次郎 | 斎藤宗次郎は花巻の人。内村鑑三の高弟で、クリスチャンの人格者でした。賢治やその父とも親しく往来したそうです。 また、「求康堂」書店の主として、毎日花巻駅に到着する新聞を受け取り、配達をしました。そのチョッキ姿は、羅須地人協会時代の賢治にも影響を与えたと言います。 鉛筆素描をスキャナーで取り込み、ペインターXで修正、Adobe PhotoDeluxe4.0で調整。2010年10月17日製作。 |