願をかけたふたりの男の話

 夜遅く、ある村はずれのお堂で、ふたりの男が、あいついで願をかけました。
 ひとりの男は、
「神さま、ほかの人がみんな幸せになるまで、わたしはぜったいに幸せになりません」
と願いました。
 もうひとりの男は、
「わたしはかならず幸せになります。神さま、どうか見ていてください」
と願いました。
 ちょうどそれを、その晩、お堂に降りておられた神さまがお聞きになりました。そこで神さまは、
「よろしい、このふたりの男がこれからどうなるか、見ていてやろう」
と思いました。
 さて願をかけたうちの、はじめのほうの男は、ほかの人をみんな幸せにするために、一心につとめはげみました。難民キャンプにはいって、古着を渡しました。NPOに参加して、井戸をほりました。国連にやとわれて、地雷を取りのぞきました。国際会議で演説もしました。大学で生涯教育の講義もしました。デイケアセンターに行って、おばあさんの車椅子を押しました。少年院をおとずれて、子供たちの前で歌をうたいました。
 男は、いつも眉根をよせて、わきめもふらずに毎日はたらきました。まじめに話し、ほとんど笑いませんでした。ときにはにっこりすることもありましたが、それはそうしなければならないと考えたからで、心はかたときも安まることはありませんでした。なぜならば、男はじぶんのことは後まわし、ほかの人がみんな幸せにならないかぎり、じぶんがさきに楽しい気持になることなど、けっしてあってはならないと思っていたからです。
 では願をかけたうちの、もうひとりの男は、どうしたでしょう。
 この男は、友だちと会ってはにぎやかに元気よく話し、仲よく遊びました。映画もたくさん見ました。音楽会や芝居に足しげく通いました。サッカーや野球の見物にも行きました。外国旅行もたびたびしました。車に乗ってドライブに出かけました。女の人とたのしく食事をして、ときにはお酒を飲むこともありました。
 この男は、いつもにこにこして、明るく笑っていました。おもしろいことを言っては、人をおかしがらせました。そして、たいていのことを、楽しそうに、喜んでしました。なぜならば、この男は、かならず幸せになってその姿を神さまに見てもらうと願かけをし、そのためには、毎日をうんと幸せな気持ですごそうと思っていたからです。
 神さまは、ふたりの男の生きていくありさまを、ずっと見ておられました。
 そして、さあ、神さまが見たこととは、いったいなんだったのでしょうね。でもそれは、このお話を読んだ皆さんが、ごじぶんでお考え、ごじぶんでお答えになることです。なぜならば、この世に、答えなどは、けっしてないからなのですよ。

(終)