エッセイ・賢治はホームレス?


 
宮澤賢治生誕百年にさいしては、あちらこちらでイベントが行われた。映画も二本、舞台も一つかかった。CDやCD−ROMも数種類出た。それだけではない。教育問題に、環境問題に、賢治はいまや、唯一の処方箋を持つ神様のように引っ張りだこだ。
 そこで、古くからの賢治ファンとしては(きぬのみちは「十字屋版読者」です)、こんな風潮に、あえて異を唱えよう。
 まず映画。役者はそれぞれ熱演なのだが、結局表現された賢治像は、総花的なものにしかなり得ていない。しかし考えてみればそれも当然で、もし「ある賢治」を強調すれば、すぐに「他の賢治」信奉者から轟々たる非難を浴びてしまうからだ。
 それはまた、他のメディアでもまったく同様だ。インタラクティヴにしたり、アニメにしたり、版画を刻んだり、あるコミック作家などは、キャラクターを猫にさえした。ところが、万人に迎えられたものは、ただのひとつもない。だが、賢治とその作品は、万人に迎えられている。ということは、賢治の世界は、一人ひとりのイマジネーションのなかにしか成立しないのだ。それはきわめて個人的な体験なのである。賢治について、文章で、あるいは賢治の残した現物で論ずることはできる。だが、オーディオビジュアルでは、だれもそれを、他人の満足のいくようには表現できないということだ。
 次に、教育の分野。たしかに賢治は、すぐれた教育を行なった。詩の朗読、劇の上演、それに実地学習。しかしそれは、けっして賢治の独創ではなかったし、またそれは、当時の社会のなかでこそ意義を持ったのだ。だからそれを金科玉条のようにして、安易に現代教育「回復」の特効薬としてたてまつることはできない。そういう人たちは、賢治を実践しているのではなく、「自分たちの理解したい賢治」、つまり「自分のやりたいこと」を実践しているだけだ。
 人間性の回復は、これもまた、個人のものだ。賢治のよりどころの一つであった仏教も、「自らをともしびとせよ」と言っている。
 最後に、環境問題。近頃では、賢治はまるでポスト・モダンの先駆者で、現代を先取りしたエコロジストの教祖扱いだ。なかには、最近脚光を浴びている「縄文時代はエコロジカルな生活をしていた」という考え方と結び付けて(賢治は東北人だし、一方縄文文化は東北が中心だった)、賢治のなかに縄文的な要素を見ようというむきさえある。
 だが、考えてほしい。賢治の時代、三内丸山遺跡は、まだ発見されていなかった(その場所は、昔のおかしなものが出る、ということで知られていただけだった)。それに賢治は、まずなによりも科学者だったのだ。かれは「ほんとうと嘘の考えを分けてしまえば、もう信仰と科学は同じものとなる」と言っている。賢治の時代はあくまでモダニスム全盛期で、かれはけっして、今のポスト・モダンのように科学をネガティヴにとらえたのではない。それどころか賢治は、社会科学で農民を、農業科学で地域を救おうと考えたのである(それでかれが挫折したかしないかは別問題だ)。
 つまり、賢治は当時の典型的なハイカラ・モダニストのひとりなのに、メディアも、教育も、みんな結局のところ、自分の見たい賢治しか見ていないし、また見ようともしないのだ。
 終わりに、縄文文化についてひとこと。縄文文化がエコロジカルだって? 冗談じゃない。現代人が自分のイデオロギーのために古代人を利用するのはやめてほしい。そんなことだから、勘違いイベントばっかりが横行するのだ。
 あれだけの文化を持った縄文人は、賢治同様、もっとレイショナルだったにきまっている。つまり僕が言いたいのは、縄文文化は、ホームレスの酒盛りなんぞではないということだ。