ボルボ240その9・ドライブ記録 2007年01月 - 12月

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2007年3月上旬、淡路島にて

 
2007年01月02日(火) ボルボ240、寒川神社、鶴岡八幡宮、夜の初詣
 
 夜、思い立って妻を連れ、ボルボ240オンマニ号でドライブして、相模一ノ宮寒川神社、鶴岡八幡宮へ初詣。夜9時過ぎなのに、寒川神社には、まだちらほら以上の人の数が見られる。晴れ着姿の女性もいる。鎌倉に着いたときは11時を回っていたが、ここも寒川と同様。しかも両者とも、御札授与所も一箇所だけではあるが開けていて、さかんに人々が破魔矢やお守り、御神籤を求めている。
 年年歳歳、神社仏閣参詣が隆盛になることは、驚くばかりだ。だからといって、この神社の由緒は何ですかだの、このお寺のご本尊は何ですか、またその縁起はなどと尋ねても、答えられる人は9割方いないに違いない。大概の人は、ただお参りをしてお願いをして、御神籤を引くだけだ。
 だがそれで、何が悪い。これをし相変わらず、「恐怖心につけこみ、射幸心をあおり、無知な人々から金品を巻き上げ、箱物造りと贅沢三昧に血道を上げる」悪徳宗教のありさまと非難するのだろうか。どの神様がどこにどう祀られているなどということは長袖者の知的道楽でしかなく、だからこそそれが政治イデオロギーに還元されると、かえって害悪となる。
「なにごとのおわしますかは知らねども……」と西行が詠んでいることを、あらためて思い返した方がいい。神仏のことほぐ日本は、ひとりひとりの日本人の、おのずからなる心の持ちようの中にある/立ち現われるのだ。
 


2007年01月03日(水) ボルボ240、御岩神社、法輪寺、妻沼聖天院初詣
 
 昼前から妻を連れ、ボルボ240オンマニ号で出発。常磐道に出て日立中央インターで降り、日立市入四間町にある御岩神社に参詣。去年は諸事情で行けなかった。また妻は始めて訪れる。今年は雪もなく暖かで、足元も悪くなく結構。「運転される方はお神酒はご遠慮ください」との掲示。仕方ない、もし飲酒運転で捕まれば、神社にも累が及ぶ。
 御札を戴いて出発。勝手知ったる山家の道を辿る。妻同様、ボルボ240オンマニ号にとっても初めての道だが、じつによく走る。オイルがもう6000キロ走行となり、交換時期を越えていて、正直なところ少々心配なのだが、まあもう少し頑張って貰おう。袋田〜大子〜馬頭と快調に通り過ぎ、那須湯津上にある光丸山法輪寺に参詣。ここは大きな天狗面で有名。火防守りの御札を戴く。
 そこから矢板に出て、東北道に乗ると、佐野藤岡以南で車両故障により渋滞という情報が出ており、しかも走っているうちにその渋滞距離がみるみる伸びていく。予定を少し変えて佐野藤岡ICで降り、地道を館林〜大田〜妻沼と走る。もう日暮れた妻沼聖天に立ち寄り参詣。露天商ももう店仕舞。本堂はただいま改修中。ちなみに妻はどこも気に入ったようだが、とくに御岩神社の森厳な霊気はすばらしかったそうだ。たしかにここは縄文遺跡もあるくらいで、常陸国風土記にすでに神域として登場、中世からは修験の霊場だし、いわゆるパワースポットであることは疑いない。
 そうして後は東松山〜鶴ヶ島〜圏央道〜あきる野〜八王子で夕食、16号線〜多摩ニュータウン道〜稲城〜調布〜深大寺〜東八道路〜高井戸〜井の頭通りというドライブルートで帰宅したのだった。

 


2007年01月06日(土) ボルボ240、だるま市往復
 
 高崎にある少林山達磨寺のだるま市に行ってきた。江戸時代から続く由緒あるまつりで、夜通し行なわれる賑やかなもの。
 日中の大雨も夕刻には止んだが、寺の境内の足元は悪いだろうし、高崎までの路面が凍結していはしないかなどと心配しながら、妻を連れて午後9時過ぎに出発。ボルボ240オンマニ号で関越道を快調に飛ばし、11時過ぎには到着。高崎とはいっても、もう安中市の手前。
 雨は止んでいたが、やはり例年より人出が少ないような気もする。お参りを済ませ、ミニミニだるまを求めて目を入れてもらう。ここは黄檗宗なのだが、元は観音堂から始まったらしく、またお札は北辰鎮護なので妙見さんにも関わりがあるという、いかにも日本的シンクレティズムがむしろ面白く好ましい。またブルーノ・タウトが滞在したことでも知られる。
 帰り道は寺のある山をぐるっと回って降りていく。ここに並ぶ露店の数も、どうも例年よりは少ない気がする。広島風お好み焼きの店がやたらに多いのが目に付いた。
 駐車場に戻り、ボルボ240を駆って帰路につき、翌日午前2時に帰宅した。
  


2007年02月28日(水) ボルボ240、熱海往復
 
 
午後、妻を乗せて、ボルボ240で熱海まで軽いドライブ。東名〜小田原厚木道路〜西湘バイパス〜真鶴道路というコース。ボルボ240オンマニ号はきわめて快調で、ATミッションの切り替わりも、すっかりよくなった。快晴だが強風で、波飛沫がかかる。
 途中、真鶴岬に寄り、小休止。海、波しぶき、初島の光景、それに夕日を眺め、潮騒と松籟と鳶の鳴き声を聴き、潮の匂いをかぎ、深呼吸をして、五官を徹底的に働かす。一朝一夕で行くものではないと重々承知の上で、それでもホリスティックなデトックスと心得る。
 熱海海岸の駐車場(もう山桜が咲いている)に車を止め、レストラン「スコット」に行く。ここは有名な古い洋食屋で、ずっと昔から知っている。旧い店の方を妻に見せたかったのだが、あいにく水曜定休ということで、新しい「本店」の方で食べる。割合年配層の客が何組か入っている。私は海老フライ、妻はカニクリームコロッケと、古典的メニューを注文する。味はまあ、可もなく不可もなく、つまりまさに洋食の味ということだ。
 店を出て、熱海銀座を少し歩く。オフシーズンということもあるだろうが、ほとんどの店は7時だというのにシャッターを下ろして、歩く人もまばら。ただ、私の印象だが、熱海は衰退したといっても、綺麗で洒落た店やビストロなどもぽつりぽつりとはあるし、ホテルや旅館の代替わりとリニューアルも少しずつは進んでいるようだし、どだい高度経済成長のビルとコンクリートの群がおかしかったのであって、失われた10年も過ぎ、いまや不景気が一巡して、これから熱海は立て直し、しみじみした風情を取り戻せばいいのではないかと、むしろ感じたところだった。梅の花が夜目にもあでやかに見えた。
 さて帰りは西湘バイパスから先は一般道をのんびりとドライブし、潮水に当たったボルボ240オンマニ号を洗車してから帰宅したのだった。
  


2007年03月06日(火)〜08日(木) ボルボ240、淡路島旅行
 
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 旅程
 03月06日:東京発。初台〜首都高〜中央道〜名神〜山陽道〜神戸淡路鳴門自動車道(明石海峡大橋)〜洲本IC。洲本泊。
 03月07日:洲本〜由良〜先山千光寺〜おのころ島神社〜都美人酒造〜高田屋顕彰館〜伊弉諾神宮〜津名〜岩屋〜明石〜大阪。大阪泊。
 03月08日:大阪〜奈良〜木津〜伊賀上野〜東名阪道〜伊勢湾岸道。長島スパーランド入浴。東京へ戻る。


伊弉諾神宮駐車場にて。
偶然止っていたランドローバーディフェンダーとともに。
 


2007年03月21日(水) ボルボ240、三浦半島・房総半島ドライブ
 
 3月20日は私の勤務する大学の卒業式が横浜であった。妻とホテルにチェックインして、妻は横浜町歩きに出て、私は夕刻の卒業記念パーティまで出席した。
 3月21日春分の日は、ドライブに出ようという心積もりをしていた。チェックアウトの後、ボルボ240でまず横須賀まで行く。快晴、ようやく空気も暖かさを増す。三笠公園でトンビの鳴き声を聞いた後、市内を歩いて、横須賀海軍カレーを食べさせる店に行く。チキンを注文したのにビーフを持ってきたのには驚いたが、もちろんすぐに換えてくれた。人手が足りないのか。しかも換えた後のチキンカレーにもビーフのかけらが入っていたことから、ルーは共通で基本的にはビーフカレー、チキンは後から放り込んでいるものと推測する。味そのものは悪くなく、名物にして町おこしを狙っているのだから、残念ながらこのあたりをしっかり改善しなければならないだろう。これがクレーマーだったら、いったいどうなったことか。
 横須賀の町を出発して、オートバックスでボッシュのオイルフィルターとWAKO'sのガソリン清浄剤F1を購入する。105000キロを過ぎて、そろそろオイル交換を考えている。前回の交換からは、まだ3000キロくらいの走行でしかないが、5000キロずつで交換ということを目安にしているので、できれば分かりよい距離数に合わせておきたいのだ。もうエンジン内部も汚れてはいないだろうし、ガソリン清浄剤もオイル交換ごとに1本投入でいいだろう。あとの問題は、すでに20000キロを走行したプラグの交換のタイミングをどうするかだ。
 さらに走って、観音崎を散歩する。干潮のときで、岩礁からなる磯に出ることができる。小指の先ほどの小さな巻貝、水の残った場所に張付いている小さなイソギンチャク、赤や黄色や緑の海草、波の音、日の光、潮の匂い……。五官を満遍なく働かせて、心身のエネルギーを回復させた。また灯台の上からは、東京湾遥かにみなとみらいのランドマークタワー、ベイブリッジ、アクアラインの風の塔と高架橋、さらに房総半島の鋸山まで、鮮明に一望できた。大小の船も行きかい、その眺めは退屈しない。
 どうせなら海の一日を、と考え、久里浜から金谷までのフェリーに乗ることにする。久里浜港に着くと、ちょうど出港直前で、すぐにチケットを買って乗り込む。金谷までは40分ほど。タグボートを従えた大きな貨物船、また珍しい潜水艦の艦影など、船長が手馴れたサービスでアナウンスしてくれる。日本武尊と弟橘媛の話を観音崎でしていたので、妻はそれを思い出したらしく、「ヤマトタケルに勝った!」などと意味不明のことを口走って喜ぶ。
 金谷からは内房を一般道で一路北上、多少渋滞に苦しんだものの、途中で夕食も取って、ほぼ順調に東京まで戻ったのだった。ボルボ240オンマニ号は快調、加速も効くし、ASBとストラットタワーバーのお蔭でロールもせずに、進路変更もきわめて楽だ。
 


2007年05月11日(金)〜12日(土) ボルボ240、小諸の旅


信州小諸、中棚荘駐車場にて

 大学祭休講を利用して、5月11日、12日と、妻を連れて小諸に行ってきた。島崎藤村のゆかりを辿る旅である。両日とも天気に恵まれ、快適だった。
 11日午後出発。中央道を取り、諏訪SAで軽食と給油。長野道〜上信越道と走って、小諸で降りる。東京から4時間。
 藤村の恩師木村熊二が開いた鉱泉旅館、中棚荘に泊まる。
 12日、水明楼、懐古園、小諸義塾記念館を見学。
 小諸ICで事故のため、東部湯の丸ICから入り、上信越道をそのまま北上。信濃ICでいったん降りて、一般道を通って上越まで出る。上越IC新都心のジャスコ内にある小嶋屋で、へぎそばの昼食。
 それから日本海を眺めながらドライブ。柏崎からは七日町〜小千谷と山を横切り、17号線に出て、スキー場を眺めながら三国峠を越え、まだ夕暮れの光の残る中を、渋川〜前橋〜高崎とひた走る。交通量も少なく、非常に快適。給油すると、リッター11キロ強まで行っている。ボルボ240オンマニ号は加速も効くし、実にトルクフルだ。
 もうすっかり暮れた高崎近くで夕食を取り、それからまた17号線を南下。熊谷から道を東松山に取り、鶴ヶ島から圏央道に入って、あきる野で降り、八王子から中央道で高井戸、そして自宅へと帰り着いたのだった。
  


2007日06月17日(日) ボルボ240、高幡不動参詣
 
 今日も晴れて暑い。妻を連れ、高幡不動参詣。ボルボ240オンマニ号交通安全祈願の御祓いを受けに行く。
 中央高速は順調に飛ばせたが、下の道を高幡不動に近づくほどに大混雑。見ると、あじさい祭りの開催中で、駐車場も満車で交通整理が出ているほど。われわれは交通安全祈願ということで、もちろん境内に入れてもらえる。またそうでなければお話にならない。あじさい境内各所に青く美しく咲き、散策を楽しむ参詣者は引きも切らず、それを当て込んだ露店もまさに書き入れ時だ。
 ちょうど午後1時からのご祈祷に間に合って、御札とステッカーをつつがなく戴く。これで一安心と言ったら、燃費グッズ・くるまグッズ批判の理系の人たちには笑われるだろう。ステッカーは今度はリアウィンドウに貼ろうと思う。
 古い御札を納めた後、ご本尊にお参りして、門前で「高幡まんじゅう」を買って出発。途中で昼食を取り、中央道で戻る。早めだったので帰宅渋滞にもかからず、快適だった。ボルボ240はエアコンもよく冷えて快調。
 


2007年06月24日(日) ボルボ240、圏央道ドライブ
 
 日付が変わったくらいから、軽いドライブに乗り出す。23日に開業したばかりの圏央道の新開通区間、八王子ジャンクション〜あきる野インターまでを走ってみようと思った。
 首都高初台ランプから入る。ここも1ヵ月半ほど工事閉鎖になっていた。何をどう工事したものやらわからない。こんな時間なのに、永福ランプの先で路面補修工事の渋滞。大して痛んでいないのに、こうして定期補修で維持するとともに、雇用も創出しているのだろう。
 その後は快調に飛ばして、八王子インターの先、いよいよ山が迫ってくるあたりで、八王子ジャンクションの流出路に入り、急坂を登っていく。昼間だったら、それこそジェットコースター並みの景観とスリルだろうが、夜なのでそこまでのこともなく、ただしスピードを出し過ぎないように慎重にカーブを切る。新区間最初の事故などという汚名を着たくない。
 急激に高度が上がったあと、そのまま下がることなく、まさに山の中腹に開けられた「八王子城下トンネル」に突入する。何台か他の車も走っている。それを抜けるとほどなく、八王子西インターにさしかかる。山の中で真っ暗。まだ山の神が「お前たちは何者だ」といぶかしんでいるような空気が漂う。このあたりは「夕焼け小焼けの碑」の場所、恩方や陣場高原にも近いあたりで、かつてはハイキングルートだったところだ。後で圏央道HPを見たら、ここには工業団地があって、それでICを作ったのだろう。
 名前もおどろおどろしいトンネルを通って、ついにあきるのICに出る。ここからは勝手知ったる道で、交通量もほとんどなく、鶴ヶ島ジャンクションまで快適にクルーズ。うまくこのルートを使えば、青梅や鶴ヶ島のカインズホームなどにも、非常に早く渋滞知らずで行けるのではないだろうか。関越の練馬まで出るのは大変だし、首都高5号線を使うとなると、結局最も渋滞する都心区間を使うことになる。
 鶴ヶ島ジャンクションから関越道に入る。この時間の関越道のこの区間は、交通量も極端に少なく、道も3車線で広く、勾配もなくて、高速巡航能力を最も試せるところだ。
 ボルボ240オンマニ号は振動も無く、エンジン音も静粛。アクセルを踏むとスムースに加速する。
ぬぬわキロ、ぬふわキロ、ぬあわキロ……。緩やかな上り坂のところではっと気がついたら、メーターはぬうわキロを指していて、驚いて減速する。上り勾配でだ。風切り音がややきつくなるだけで、エンジンパワーには完全に余力を残しているということがはっきりと判る。コーナーのハンドリングにも、なんの不安定感もない。車線変更でロールすることもない。素晴らしい車に仕上がったものだ。
 もうこうなれば、ぬふわキロなどは余裕の範囲。つまりそれだけ安全許容度が高まったということで、安心して100キロ巡航することができる。
 練馬からは環八を南下する。このときも、ちょっとアクセルを踏み込むだけで、ぐんと加速しながら車線変更ができて驚く。スポーティカー並みの操縦性だ。
 「贅沢な外車」という気分を味わいながら帰宅した。
 


2007年08月11日(土)〜12日(日) ボルボ240、弥彦と只見の旅
 
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会津只見考古館にて
会津只見考古館にて

 お盆前の夜、思い立ってドライブに出かけた。夜じゅう走って、次の日戻ってくればいいやくらいのつもりだった。
 
 川越街道(254号線)で川越〜藤岡、高崎に出て17号線を前橋〜沼田、そこからはさすがに深夜の三国峠越えは避けて月夜野ICから関越道に入り、国境のトンネルを抜けて塩沢石打ICで降りてふたたび17号線をひたすら北上、長岡バイパスのあたりで空が白んで一気に夜明け。
 弥彦神社参詣、ドライブウェイで山頂。
 ドライブウェイを下り、いくつもの海水浴場を眺めながら海岸を走って(402号線)、新潟市内に入り、「朱鷺メッセ」の「ホテル日航」で休憩。
 新潟中央ICから磐越自動車道に入り、安田ICで降りて、290号線づたいに五泉〜村松、栃尾〜守門・入広瀬から252号線。六十里越。
 全国最高気温37℃にもかかわらず、ボルボ240オンマニ号のエンジンは快調、軽いタペット音もむしろ4気筒らしく、クラシカルで心地よく聞こえる。エアコンもつけ放しにも関わらず、水温計も一定したまま微動だにしない。
 県境を越え福島県に入り、田子倉ダム〜只見。289号線に入り、大蔵。「会津只見考古館」見学。
 289号線を南下し、南郷〜田島、そこから121号線に入って県境を越え、栃木県に入る。三依というところで名物のチタケという茸の入った蕎麦を食べ、後は一路東京を目指す。
 杉並木の間を通って今市〜例弊使街道〜鹿沼、293号線で都賀〜葛生〜田沼、県道で佐野〜館林、そして122号線で蓮田、ここはバイパスが開通してすっかりスムースに通れるようになった。
 最後は川口から都内に入り、帰宅したのが夜9時半。ちょうど24時間の小旅行。
 渋滞もなく、ボルボ240オンマニ号はまったくよく走ってくれた。この話をしたら、きっとオート・ボルタの社長は仰天することだろう。
  


2007年08月20日(月)〜22日(水) ボルボ240、天河大弁才天参詣・奈良・伊賀の旅
 
 例によって、渋滞せず、しかも涼しい夜の出発。
 到着時刻を見計らいながら、まず諏訪まで20号線を走る。諏訪南インターから中央道に乗り、土岐ジャンクションから東海環状道〜伊勢湾岸道(このあたりからそろそろ夜明け)、四日市東から東名阪道、亀山から25号線と変わって針インターで降りる。
 369号線笠置街道を南下し、榛原から370号線に入ってさらに南下、万葉集に有名な宇陀阿騎野を過ぎて、三茶屋(みっちゃや)という読みにくい地名のところから県道28号線でバイパスして津風呂湖ダムの北を通り、ふたたび370号線に合流して、美しい吉野川の流れを眺めながら吉野を過ぎ、下市口から左折して309号線に入ると、いよいよ奥山の風景となり、長いトンネルを抜けて、ついに天川村に入る。山里は天の川(十津川に合流し、さらに熊野川となって新宮に注ぐ)の開析谷沿いに開けて意外に明るく、早くも夏の日射しが降り注ぐ。
 帰りはちょっと寄り道して、洞川温泉の古い町並みを見学。いまでも大峰修験登山の講が組まれるらしく、いかにも先達らしい装束の人も見かけたし、街道筋に面した「御宿」風の開放的な風情は魅力的だった。一方では最近の行楽にも対応しているらしく、なかなか小洒落た店もいくつかある。大きなお寺、龍泉寺には、講中登山記念の石碑が、所狭しと並んでいる。洞川温泉はちょうど、木曽御嶽山修験の足場としての木曽福島と同様の位置関係を占めているわけだ。
 ところで、このあたりの名物は「陀羅尼助」という万能丸薬で、。木曽御嶽山修験の万能薬「百草丸」「奇応丸」まさに対応するもので、そのあたりの文化的関連もまた興味深い。
 洞川温泉から県道21号線を引き返して天川村に戻り、309号線を再び取って北上して、上記の丹生川上神社に寄る。吉野へ行こうかとも思ったが、そうすると時間が中途半端になると思ってあきらめ、飛鳥を回りながら奈良へ向かうことに決めた。下市口から169号線に入り、途中のドライブイン「レストラン吉野」でなかなか美味い食事をして、飛鳥まではあっという間だ。このあたり、関東の距離感覚とはだいぶん違う。
 なるべく「山の辺の道」に近い方、という妻の希望に従って、奈良盆地の東に寄り、橘寺、岡寺、飛鳥寺などの傍らを通り過ぎる。ちょうどこの日、高松塚古墳を完全に解体し終えていたのだった。雷丘、天香久山を眺め、大神神社に参拝。
 これから後は169号線を北上し、奈良に向かう。この日の泊まりは、猿沢の池のほとりのホテル。奈良町へ出るにも、また奈良公園へ出るにも、また三条通や東向い通りの商店街へ出るにも、絶好のロケーションだ。
 次の日は三条通に出て、前日定休日だった「笹川文林堂」で、ここにしかない万葉模様のはがきと便箋とを買う。これも30年前、学生時代からの恒例だ。手元にある、というだけで心が豊かになる。
 そうしていよいよ奈良を出発、転害門のところを通って北上し、いったん24号線に入って木津川を渡ったところで右折して163号線、伊賀街道に入る。そのまま関西本線とともに山里を抜けて、伊賀上野に着く。ここは忍者と芭蕉のふるさとです。いつも通り過ぎるばかりだったので、昼食がてらお城を見学しようと考えた。郷土資料館を見て、その向いの蕎麦屋で昼食をした後、城跡に上る。
 ここから先は、ボルボ240オンマニ号の独壇場。中瀬ICから名阪国道に入り、南在家ICからは旧25号線、1号線に合流して関、道の駅で一休みして亀山ICから東名阪道に乗る。四日市Jctから伊勢湾岸道に入って豊田Jctから東名、豊川ICで再び降りて362号線姫街道を走り、奥浜名湖の北を通って、浜松をバイパス。気賀というところから姫街道は県道261号線となり、三方原町で県道65号線浜松環状線に入って、天竜川をかささぎ大橋で渡り、県道44号線二俣東街道を南下して、1号線磐田バイパスに合流する。
 あとは渋滞に苦しみながらひたすら1号線を走る。ここで少々時間を読み違えた。夕食のことを考えて静岡市街に入り、軽く回転寿司をしたためる。清水〜興津〜由比と走り、そこからは県道396号線〜県道380号線と、ほんとうの旧東海道松並木をたどる。夜になり、こちらの方が交通量も少なく、トラックもまったく走らず、ずっと早い。しかも古い家並みを抜けていくのを楽しめる。ボルボ240オンマニ号は水を得た魚のごとく、飛ぶように走る。
 沼津から先は、箱根越えは避けて、勝手知ったる246号線に入る。御殿場から138号線、須走から東富士五湖道路、富士吉田から中央道に入り、あとは高井戸ICまでまっすぐ。


吉野路黒滝道の駅にて


2007年09月04日(火)〜05日(水) ボルボ240、庄内の旅
 
09月04日
●首都高速4号線永福ランプ〜中央道高井戸〜八王子Jct〜圏央道〜鶴ヶ島Jct〜関越道〜赤城SA(昼食)〜長岡Jct〜北陸道〜新潟亀田〜日本海東北道〜中条終点。
●国道113号線〜345号線〜村上〜笹川流れ(小休止)〜7号線〜温海温泉(寄り道、小休止)〜鶴岡〜酒田着。
●酒田泊 町散策。
 
09月05日
●酒田見学 山居倉庫、本間家旧本邸、本間家お店、旧鐙屋。
●酒田発、7号線〜遊佐町青塚、旧青山本邸見学。
●7号線〜吹浦〜345線〜八幡町、城輪柵跡見学。庄内平野の稔りと鳥海山の眺め美し。
●345線〜47号線〜清川、清河八郎記念館見学。
●47号線〜新庄〜13号線(尾花沢新庄道路)〜大石田、最上川河岸見学〜村山〜山形北バイパス〜天童〜山形バイパス〜上山バイパス〜南陽高畠〜米沢南陽道路〜121号線。このあたりで日暮れ。
●121号線〜大峠道路〜大峠トンネル(難所)〜日中トンネル〜福島県道333号線〜熱塩〜121号線〜喜多方〜会津若松。
 いつもならば、このまま脊梁ルートを取って南下し、会津田島から今市に抜けるルートを取るのだが、台風9号来襲の中、最も降雨が予想されるのでこのルートは避け、49号線〜294号線と、ほんの少しだけ猪苗代湖の南をショートカットして白河に出る道を選んだ。とはいえ、やはり猪苗代湖に別れて山中に分け入るあたりから、本格的豪雨に苦しむこととなった。しかし幸いにして、前が見えなくなって恐怖感を覚えるようなことはなかった。ワイパー速度を強にして、十分に乗り切れた。オンマニ号の前をずっとトラックが走っていてくれたのも、なにか山伏の「先達さん」のような感じで、普段の迷惑がる心持ちとはまったく逆に、むしろありがたく心強かった。対向車もけっこう走ってきて、「向こうから来ているのだから、この先の道は大丈夫だな」と、これも情報を齎してくれる嬉しい存在だった。人間の心理というものだ。
●山から降りると、雨もすっかり小止みとなった。294号線〜白河〜4号線。ここからはもう、ほとんど降雨なく、小康状態が続く。落ち着いたところで夕食をとり、後は一路南下する。宇都宮からはバイパスを取らず、旧日光街道を走ってトラック艦隊を避け、無事に東京着。
 
 ボルボ240オンマニ号は、オイル交換・ケミカル投入を経て、相変わらず快調。台風の影響による吹き降りの雨の中でも、びくともせずに走る。ハンドリングも確実な手ごたえを伝えてくれる。エアコンもよく冷え、ずっと入れ放しでも、燃費はリッター10キロから9キロを維持する。LLC添加剤も功を奏しているのではないだろうか。
 大体、時速
やわキロ位で4速(OD)に入り、あとは軽くアクセルペダルを踏んだまま、やわキロ〜60キロ巡航あたりが、最も快適に走るようだ。高速道ではなく、むしろこうした軽い変化を繰り返す一般道(速度も、起伏も、カーブも)の走行に、オンマニ号はいちばん慣れたようだ。だがそのためか、このままの調子で深夜の都心に戻ってタクシーと競ったりすると、とたんにギクシャクしてしまう。のんびり交通量の少ない地方道とは、スロットルの開け方がどだい違うのだから、それはもちろん仕方のないことだろう。しかし、翌日都内を走るときは、もうすっかり都会風に大丈夫になるというのも、また妙で面白いものだ。きっと人間も車も、そのつもりに切り替えるのだろう。


城輪柵(旧出羽国府址)にて、鳥海山を望む
 


2007年09月06日(木) ボルボ240、3台遭遇
 
 今日は台風襲来のはしり。学校へ行く用事があり、鉄道の遅れなど万一のことを考えて、ボルボ240オンマニ号を使用することに決める。時折吹き付ける風雨にもまったく安心なのは、前日で証明済み。
 道中、不思議なことにボルボ240を3台も目撃する。1台目はバックミラーを見たらオンマニ号とそっくりの顔で後ろにいた。赤い240で、ただしグリルは黒。カーブのときに判ったが、ワゴンではなくセダンだった。赤いセダンなど滅多とないし、中古で買う人もまずいないだろう。おそらく購入以来、ずっと乗り続けているものと踏んだ。
 2台目は同じくバックミラーで確認、白い240。ボーンホワイトの240はないわけではないが珍しいだろう。ぴかぴかだったので、たぶんオールペン車だと推測する。マニアック。
 そして3台目は家の近くの交差点を横切った。夜目なので確かではないが、濃い青のようだった。
 
 1日に3台もの240と遭遇するなど、それだけでも椿事なのに、加えてわざわざ台風の日にオンボロ車で出てくるなよ、という感じだが、考えてみたら自分だって同じことで、他に車はないし、仕方ない。それに信頼できるという点においては、他のボルボ240でも同様だろう。
 


2007年12月25日(火)〜27日(木) ボルボ240、伊豆山往復


伊豆山温泉、中田屋前駐車場にて

 年末の骨休め旅行として、妻と熱海・伊豆山温泉で2泊。往復にボルボ240オンマニ号を使用。
 行きは東名〜小田原厚木道路〜小田原。箱根湯本に足を伸ばし、名代の蕎麦屋「初花」で昼食。それから国道135号線で真鶴経由で伊豆山着。
 帰りは小田原まで国道135号線、小田原で昼食と土産買物の後、国道1号をたどり、平塚から国道129号線に入って北上、海老名〜相模大野〜町田と道を取り、後は尾根幹線道路を通って稲城〜調布〜東八道路〜甲州街道〜井の頭通と帰宅した。


部屋の窓から見下ろす。堂々としたスタイル。


2007年12月30日(日) ボルボ240、買い物ドライブ
 
 午後一番に妻と出かける。
 まず渋谷の東急本店の駐車場に止める。地下食料品フロアは、なかなかの賑わい。ふだん見かけないような人々が出張っている。やはり年末は……といった意気込みだろう。
 それから、ドライブがてら北総ニュータウンのイオンまで足を伸ばす。数年前とは今昔の観のある発展ぶりだ。すべてのレジカウンターに長蛇の行列ができている。ようやく年の瀬らしい混雑に出会った気がした。行きは首都高湾岸線、帰りは国道14号経由。
 12月30日夜までで、
総距離115364km走行。31日にも恐らく使用するので、もう少し距離は伸びるだろう。

 これにてこのページを閉じ、新年より新しいページに移行する。


12月26日早朝、伊豆の海に昇る朝日
 

 


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