旅の記録・淡路島墓参 |
前 言 淡路島は、私きぬのみちの祖先墳墓の地に当たる。長い間墓参りをしようと思いつつ果たさずにいたが、このたび宿願を遂げたもの。ちょうど季節逆行で大寒気団が居座るまさにそのタイミングにあたり、寒くて震えた。妻には初めての淡路行となった。 3月6日、きわめて早起きをして、朝6時には出発。初台から首都高速4号線に乗り、中央高速で一路西を目指す。駒ケ岳SAで食事休憩の後、ふたたびアクセルを踏む。名神高速〜山陽道と走り、淡河というところから分岐南下して六甲山を縦断し、長いトンネルを抜けると空が急に広くなり、道はついに明石海峡横断自動車道となる。もちろん初めての道。 |
左の写真は、私きぬのみちの「田舎」のあった、とある浜辺の集落。阪神淡路大震災の被害を受け、現在では敷地を残すのみとなっている。 | |
私の田舎の浜の現状。3年前の台風の際の高潮で堤防にも水が打ちつけ、砂はすっかりなくなって、とうとう矢板を打ち込んでコンクリートの護岸をすることになりました。子供の頃はここで泳ぐこともできました。海草や貝殻が打ち上げられ、魚が釣れて、海亀まで卵を産み付けに来ました。夜になると、砂の中にもぐって寝ていた団子虫が起きてきて、餌を取り合って喧嘩したりしたものでした。 | ご覧の通り、無残に堤防が破壊されています。この堤防が作られたときのことも覚えています。トロッコのレールが敷かれたものでした。見ると砂は戻ってきているようですが、もはや二度と子供の頃の姿に回復することはありません。淡路島と大阪湾そのものの環境が変ってしまったのです。祖霊は何を思っているでしょうか。 |
3月7日、ホテルをチェックアウトして、まずは妻に古い漁村を見せようと、由良という漁師町に向かう。淡路は海人族の国だから、自動車の行き違いもできないような狭い通りに家が軒を連ねる風景がいまだに残る。ただし行ってみると、漁港の外側にさらに橋がかかって古い町をバイパスするようになっていて様変わりだった。まあ花博以前の記憶しか無いのだから仕方がない。
潮風の吹き付ける海岸をどんどん北上して、多賀にある淡路国一宮、伊弉諾神宮に着く。ここは国生みを終えたイザナギの神が隠棲した「幽宮」だ。ところで「多賀」という地名は近江彦根の近くにもあり、当然「多賀大社」があって、ここもまた「幽宮」としてイザナギ・イザナミ両大神を祀っている。「多賀」という地名、また「近江=淡海」と「淡路」との関わりに、何かの鍵がありそうだ。 |
風格ある拝殿と本殿。淡路もなかなかのものではないか、とあらためて思いました。 伊弉諾神宮の旧大鳥居は、阪神・淡路大震災で二つに折れて倒壊したと記憶しています。ここは大エネルギーを放出した「野島断層」の場であり、まさにこの地を地震の脈動が撥ね打ち通り抜けたのです。いやむしろそうではなくて、バブルで奢りすぎた人間文明に対するわれらの祖神イザナギの止むに止まれぬ思いが、幽宮(かくりのみや)という長い封印を破って噴出したということだったのでしょう。私はそう思います。 |
横の門。ずいぶん立派で大きなものに見えるでしょう。ところが実は、存外に小さいのです。人がいれば、もっとよくわかります。 このパースペクティブは、宏壮な感じと慎ましやかな感じとが同居しているという、不思議な感じです。初詣のころに訪れてみたい気がします。 淡路というところはどこでもそうで、自然にしても、いわば日本の地形のミニチュア版のようなところがあります。そうした言い方が悪ければ、つまり淡路は日本の雛形だと言ってもいいでしょう。まさに日本発祥の地にふさわしく、これをフラクタル的に拡大すれば、すなわち日本になります。他方、日本は世界のフラクタル的雛形だといわれる場合もありますので、そうすると淡路は、結局世界の雛形だということになるのです。まことに国生みの神である伊弉諾命にふさわしいではありませんか。 |
参拝の後は、東海岸、津名(淡路市)に出る。ここからフェリーに乗り、対岸の泉佐野に出ようというつもりだった。 ところが何ということか、フェリーは2月で運行休止となっていて、ターミナルは閉鎖され荒れ果てている。仕方がないので方針を変更して、そのまま東海岸を北上し、岩屋から旧国道フェリーで明石に出ることとする。 岩屋のあたりも、今では明石大橋のすさまじい橋脚の下になって、昔の記憶は何の役にも立たない。国道フェリーも民営化されたらしく(後で調べたら第三セクター化)、「たこフェリー」と称して、船体にも赤い蛸の絵が描いてある。昔は車検証を出すなどうるさかったものだが、今では車に乗ったまま料金を払うだけでOK。これは民営化の利点だろう。利用者も減ってはいないようで、明石から到着する下船客を見ていたら、ケンタッキーの箱をお土産に持ってきていた人がいた。たぶん神戸などに買い物に出るために利用するのだろう。乗れば30分だし、怖い思いをして橋を渡るよりは昔ながらに乗り慣れた船で、と考えているのかもしれない。また運賃も安いのだろう。 こうして淡路島に別れを告げ、明石に上陸。夕暮れが迫る中、国道と高速を利用して大阪に入り、道頓堀近くのホテルにチェックイン。夜は法善寺横丁で美味しいお好み焼きを食べた。 3月8日、なんば付近を観光。グランド花月には、開場前からもう行列ができていた。後はサープラス・ショップの「MASH」を冷やかして、大阪を発つ。阪神高速〜第二阪奈道路と通り、24号線を北上して木津のところから163号線に入り、山道を越えて伊賀上野に出る。そこからは東名阪国道〜伊勢湾岸道と道を取り、長島スパーランドで降りて入浴。すっかりこれが、西から帰るさいの吉例となった。 |