新選組! 雑文コーナー

その三

小野路農兵隊の紋

 

2004年6月12日(土)

☆御返事エッセイ
 ある腐女子サイトの作者の方より、当サイトに対する感想メールが来た望外の喜びで、たいへん嬉しかったので、すぐに返事を書いた。
 その返事は期せずして、また巧まずして「新選組!」に関する私の考察を述べたエッセイになったので、ここに私信に関わる部分を除去し、また必要な加筆訂正を施したものを掲載することにした。

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 メールを有難う存じます。
 こうして感想をいただけると、やはり嬉しいものです。

《「腐」女子》というのは、じつに気の利いたネーミングです。それは、自らに対して優れた reflection (自己省察)があることを示すものだからです。
 私は「新選組!」ファンサイト検索のさいにその存在を知って以降、ひたすら感心するばかりです。そこで私の思ったのは、おそらく平安時代にも、きっとこうした「腐女子」たちが日記を書き、オリジナルの小説を作り、写し読みし、感想を述べ合っていたに違いなく、そうしてその結果、ついに最高峰として「枕草子」や「源氏物語」といった芸術が出現したのではないか、というようなことなのです。
 まただからこそ、それに感動した男性のひとりである紀貫之は、女性に仮託して「土佐日記」を書いたのでしょう。

 ところで、歌舞伎の名作というものは、歴史的考証とはまったく没関係に、みな「見立て」や「本歌取り」から成り立っているわけで、したがってそうしたものとしての「教養」を共有し、その「ゆかり」や「ゆかしさ」をこそもっぱら楽しむ人たちも相当数いることには疑いありません。おそらく、多くの腐女子の方たちもまた、そちらの方の楽しみを享受する術を、十分に身につけておられるものであろうと思います。
 今度の「新選組!」は、まさにそうした楽しさを持った演劇作品であると、私は感じるのです。そして歌舞伎の中に流れる感情が時代を超えて変わらず人の心を打つと同様、われわれは今回のドラマにおいて、「ああ鴨は可哀相だ」と涙するのです。
 つまりそこには、観客の発展と成長への契機が含まれています。

 他方、新選組はやはり敗者であることも確かですので、日本の文化伝統の文脈においては、日本武尊、聖徳太子、能の各種登場人物、神田明神様、大宰府天神様、そして赤穂義士などと同様に、つねに思い出して語り鎮魂しなければならなくなります。
 歌舞伎の名作も多くは鎮魂劇ですが、そう考えると、新選組が芝居の赤穂義士の衣装を借り、しかもその色が死装束の浅葱色だったというのは、なんだかかれらが自分たちの先行きを予知していたような、恐ろしいような話ですね。

 しかし私も新選組に対してはありきたりの歴史的知識しかなかったので、なんらの思い入れなしに今度のドラマを観ることになり、かえってそれが幸いしたかと存じます。人間はだれでも、自分のアイドルが毀誉褒貶されることにはきわめて敏感です。私のサイトのもうひとつの柱である宮澤賢治とその作品に関しても、まったく同じような場合と場面が、多々あるわけです。

 とはいえ私は、三谷幸喜氏は新選組に関しては、定説異説、史料資料を徹底的に読み込んだ上で、万事飲み込んであのドラマを作っているとは思います。
 だから逆に、歴史的設定や展開に関しては変な安心感があるとともに、その一方で「ああこの人にこんな役者を使ってこんな風に動かしているのだな……」という観劇的楽しさが自分の中にあるのです。
 これはむしろ、演劇的贅沢というものではないでしょうか。
 映画と宝塚が大好きだった手塚治虫が、自分の漫画の製作にあたって、生み出したキャラクターを取り替え引き換え使うスターシステムを取り入れたのも、おそらくそんなところからでしょう。それはまた、みなもと太郎の漫画においても同様で、かれら両者の「新選組」に対して、歴史考証がどうのという非難が浴びせかけられたという話は、ついぞ聞いたことがありません。

 話題が拡散しそうなのでこれで止めますが、貴メールによって、私もまたこのようにしてあらためて振り返り分析することができました。有難いことと感謝しております。
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2004年6月13日(日)

☆新選組! 第二十三回
「歴史が動いても、蚊帳の外の厄介者で間違った愚かな」山南松平容保の科白を合わせたもの)男たちの、苦しく哀れな回となった。松平容保も近藤勇も、みなそうした存在なのだ。帝と上様がそのまま生きていればだいぶん違ったのだろうが。
 新見の副長降格をあのような形(芹澤の尻拭い)で説明し、なおかつ新見と芹澤との間の、一層大きくなっていく懸隔を強調するために使用したのは、ストーリー構成として無理がなくうまい
 捨助は近藤の京都での位置を説明するための狂言回し。ところで前回の場面を、腐女子たちが「捨助がSPに連れ去られた」と表現していたそうだが、じつに言い得て妙だ。アメリカのカートゥーンやコメディではしょっちゅう御目にかかるギャグ。
 山南と土方がアダルトエゴとチャイルドエゴ、斎藤が真の語り部として登場するのは前回と同様(沖田との会話、また土方が心情と決意を吐露する背後にも斎藤の姿がある)。ちなみに、斎藤、沖田、八木ひで、平助、島田がからむ今回のシーンが、4月12日月曜日に、私がスタジオパークで見学したさいに収録していたものだったわけだ。
 会津の武将たちが評定する場面はスピーディで短いが、画面の中で烏帽子が放射状に広がってあたかもミュージカルの群舞を観ているようで、そこにただひとり平装の近藤が疎外感を強調しつつ場違いに絡むのも、また群舞の定石だ。
 それから、御所への道すがらの松原忠司高唱の名調子は、ぜひ欲しいところだったので残念。また会津兵との睨み合いのあまりにも有名なあの場面において、相島新見と堺山南が舞台鍛えのすばらしい美声を張ったのに比して、香取近藤が相変わらずのだみ声だったのは可笑しかった。
 鴨は今回はなんとなく肩と背をすぼめたような、妙に爺むさい演出。鉄扇のシーンでも、鴨の最期の晴舞台なのだからもっと胸を張ったらいいのにと思ったが、これがやはりの最期への、なんらかの性格表現的伏線となっているのかもしれない。いずれ善人として死ぬのだろうから。
 思いついたことの羅列になってしまったが、最後に、あの雨ではせっかくのダンダラ羽織もすっかり色落ちしてしまうに違いない、それでいきおい着なくなるという展開にするのだろうかと、穿って考えてみたりした。

 

2004年6月18日(金)

☆スーパー北斗目撃
 講演会があって、前日から札幌に赴いた。
 講演そのものは無事終了、夜の懇親会も済んで、さて翌日、新千歳空港駅行きの快速エアポートに乗るべく札幌駅のホームに上がって行列の後尾に付き、何気なく見回していたら、「新選組」の字が目の片隅に入ったような気がした。
 はっとして視線をそちらに移すと、いた山本土方の写真フィルムをでかでかと先頭車の前面に貼り付けた、函館行き特急「スーパー北斗」が、向うのホームに停車していた。しかも前面だけでは物足らないらしく、側面はお琴さんと並んだショットだ。
 話には聞いていたが、実物に御目にかかると、あれではいくら俳優といえども恥ずかしいのではないかと思われると同時に、北海道JRと函館は、ラストが板橋とほぼ決まっているにもかかわらず、それほどまでして「新選組!」を御当地へ引っ張って来たいのだなと、今さらながらあらためて感慨を催した。

 

2004年6月26日(土)

☆新選組! 第二十四回
***カーテンコール希望!***
 さらば新見さん。このドラマも、ちょうど半分まで来た。来週はいよいよ「鴨シリーズ」の終幕だ。このところ、毎回必ずだれかひとりは死ぬので、観ている気分に苦しいものがある。

 僕思うに(←吉田松陰風)最終回では、終わりの15分だか20分だかを使って、
カーテンコールをしてもらいたいものだ。カーテンコールは演劇の常道だし、仮面は外しました、鎮魂は済みました、もう敵も味方も恨みも心残りもありません、カタルシスは実現しましたのでどうか日常にお戻りください、というハレからケへのけじめとしても、このたびはカーテンコールを是非とも実現することを、心より望む。そう、ちょうどあの番組宣伝用の長尺ポスターのノリでいいではないか。
 腐女子の方々で、この趣旨に御賛同戴ける方はいないものか。
 (結局、回想シーンを継ぎ合わせたものをカーテンコールとしてやりましたね。隊士座談会も、そうしたもののバリエーションでしょう。2005年2月20日追記)

 しかし鴨シリーズ終了でだいぶん気が抜けてしまいそうで、これから後半戦をどう盛り上げるのかということも、併せて気にかかるところだ。

「避けては通れぬ道」は、新見錦が言い残した如く、まさに山南のためにあることばとして、今回の題名に使われているはずだ。それが証拠に、このフレーズは最初は山南が発するが、それを最後に使うのは土方だからだ。土方のこうした(近藤を救うため、すなわち自分が生きるための)画策は、まず粕谷新五郎に警告され、今回は新見に呪われる。たぶん将来は、伊東や平助からも何か予言されることだろう。ここしばらくの土方いささか狂気を孕んだ演出になっているが、今後もこうした形で行くのだろうか。なお本日入手した『ザ・テレビジョン』および『TV navi』によれば、第三十三回すなわち山南の死の回で土方の本心が明らかにされるらしいので、こちらもそのつもりで土方の姿を追っていくことにしよう。

 さて今回の序盤。近藤組が密かに芹澤排除の相談をする場面から始まる。
 ただひとりの下に純化していくことで、大勢が離れ失われていく。こうした力学を、表面上の歴史的観察者であるまっすぐな永倉と、このドラマにおける良心の語り部斎藤とが、批判的に見るわけだ。
 いまだ決心のつかぬ近藤と、つねにその守り役の源さんとが見守る向う側には、栗を焼く芹澤、お梅、沖田、それに新見がいる。前三者はあたかも擬似家族のようで、それは芹澤の求めても得られなかった、儚き団欒のひとときなのだ。栗がはぜて沖田に当たるのは、火中の栗を拾って芹澤暗殺に臨む沖田の隠喩だろう。なお今回の時代情勢の解説役は亀弥太と龍馬
 ドラマは序破急のセオリーに則って進み、新見の切腹へとなだれ込む。その中にあって、見世物小屋の史的逸話(ここで鸚鵡に芹澤の死を予告させるのはややあざといか? それとも鸚鵡が芹澤の良心を語るのか? いや……)、お梅の告解による浄化、沖田の成人イニシエーションのエピソードが次回の伏線ともなりながら、ドラマの流れに厚みをつけていく
 そして最後の龍馬の腹踊りで新見の切腹をふたたび想起しつつ(腹に描きかけの丸に一文字の線は切腹の象徴だし、描かれた顔は伝統的なデザインではあるのだろうが、あの歯をむき出した表情は明らかに相島新見のイメージで作られていると思われる)、近藤の心理を描写しながら、今回の劇は静かに閉じられるのである。
 なお蛇足を加えるならば、法度書きの高札を最前列で水戸組乾分トリオが眺め、さっと画面の下手に去るとその背後から近藤組その他の浪士たちが進み出る演出は、またまた象徴的かつミュージカル的でダイナミックだった。

 

2004年6月26日(土)

☆『多摩の風土が産んだ志士たち 新選組』紹介
 グーグルで「多摩 新選組」などと検索していて、
佐藤文明氏のサイトを知る。氏は日野名主上佐藤家の末裔で、高校生時代から近世多摩の歴史に関して研鑽を積まれ、まさに新選組と多摩近世〜近代についての著述者にふさわしい。現在はフリーの社会科学者として多数の著書があり、またサイトに記されている氏の生育の時代背景から推測するに、天性の反権威主義者/異議申し立て者でもあって、その点からもまた、多摩の風土のひとつの典型的部分を受け継いでおられると思われる。
 その佐藤氏が新選組について一般向けに書いた著書が、『多摩の風土が産んだ志士たち 新選組』(文・佐藤文明、イラスト・ふなびきかずこ【イラスト版オリジナル】FOR BEGINNERS シリーズ96、現代書館、2003年12月)で、シリーズ名からわかるように初心者向けの概説書ながら、幕末の多摩が当時の日本全体、さらには世界といかに繋がっていたか、そして近藤勇を核とする新選組がその繋がりを結節するいかに重要な存在として歴史的に働いたかということを、要を得て述べていて、頭から雲と霧が晴れるようだ。
 本文と同等の重みを持つイラストがまた可愛らしく、しかも大事なことは、イラスト担当のふなびき氏が、本文およびこの本の構成と目的を十全に理解して、資料的にも相当の注意を払いつつ、愛情を持って描いているということだ。
 佐藤氏は〈あとがき〉(172-173頁)に、「本書には歴史的に検証されていない当家の伝承が含まれていることをお断りしておく。私は地域史の語り部になろうと思う」と記し、また「地方史、地域史の復権を通して、……アジア史や世界史の中に位置づけ直す試みは可能だろう」と述べているが、本書はまさに、著者によるそうした試みのひとつだと思われるのである。
 幸いにして近世日本の資料は、薩長の手によって痩せ細るほど貧弱なものではない。
 近世多摩、日本、新選組を知る良書として、ここに御紹介したいと思う。

◆『多摩の風土が産んだ志士たち 新選組』(文・佐藤文明、イラスト・ふなびきかずこ【イラスト版オリジナル】FOR BEGINNERS シリーズ96、現代書館、2003年12月)
◆佐藤文明氏サイト新選組コーナー
http://www2s.biglobe.ne.jp/~bumsat/sinsengumi.htm

とうとう鴨が去りました、名残惜しいことです

2004年6月27日(日)

☆新選組! 第二十五回
 もし生きていれば夫人となったお梅とともに図画と撃剣のうまい寺子屋の師匠、さらには玉造の名士として自由民権教育にも携わったかもしれない男、芹澤鴨へのオマージュの回
 だから歴史上は切腹するはずの野口健司のことを、このドラマでは殺さずに、いわば芹澤の望み/魂を乗り移らせた形で(「道場を開き、子供たちに剣術を教えて暮らせ!」 by 平助逃れさせるのだ。ちなみに、この場面で平助も大人になるわけだが(近藤とまるで同じ態度を取る)それを表現する勘太郎の演技は、その美声とともに見事だった。
 とはいえ、今回のドラマの焦点は、もっぱら山南にあるといってもいいだろう。人を殺せぬ山南は、野口もあらかじめ助命しているし、平山も助け、平間も助けようとする。そのためまず左之助に足許を見られる(「戦じゃ、ためらった方の負けなんだぜ、先生!」)が、それがストーリーの上で後々まで響いていくことになるだろう。
 つまり、そうした山南の弱さを示すために、平山、平間の場面が設定されているわけなのだが、玉造村まで訪問してきた身としては、芹澤の従者たる平間を、最後にもう少し格好よく使って欲しかったような気もするのだ。つまり玉造側から見た解釈としては、平間は従者として主人の一部始終を郷里に報告する義務があり、しかしその前にせめて一太刀というわけで、それでこそ白刃を下げて「どこへ行った! どこへ行った!」と叫び回る(子母澤寛による)意味も、はっきりと出てくることになる。このシーンをぜひとも見てみたかったなあ。
 しかし上にも書いたように、こうした形で野口を助けることができるのなら、いっそ山南も生かして逃してほしいと、山南ファンとしては切に思う。
 お梅は当然だが最後は鴨に魂を救われて(「俺の墓に入りゃいいじゃねえか」─たとえ事実がどうであろうともそう言われただけでもはやいい─)カタルシスが来る。
 これは妻の指摘を受けて気づいたのだが、沖田はオイディプス/ハムレット(藤原竜也はシェークスピア役者だ)として言わずもがな沖田芹澤に成り変って八木為三郎と竹とんぼをするシーンは、その象徴のひとつだ)。要するに近藤も沖田も、「若き獅子たち」という意味で、芹澤を越えていかざるを得ない子ライオンなのだ。
 それから、斎藤は今回は判りやすかった。
 あと細かいことを言えば、芹澤の追悼式のさいには未だ「精忠浪士組」の旗が
誠の旗とともに上がっていたが、新選組改名言い渡しのときにはもはや消えていたあたりに注目。
 それにしても、芹澤筆頭局長、お梅さん、それに加えて平山さん、平間さん、野口君とも一挙にお別れとは淋しい。
 番組終了後、まず妻とともに玉造で買った焼酎「ゆかりの地」の杯を挙げて、芹澤さんを惜しみ、別れを告げた。おっと、平山さんを忘れていたな。どうか安らかにお鎮まりください。

 

2004年7月5日(月)

☆最後に死ぬのは……?
 非常に遅ればせながら、みなもと太郎『冗談新選組』(2003年12月、イースト・プレス)を読んだ。みなもと太郎は知る人ぞ知る日本最高のギャグ漫画家のひとりで、ある部分では鳥山明もはるかに及ばぬ先駆であり、以後の日本のギャグ漫画表現のひとつの原型を作ったとも言える(じつはそのみなもと太郎のさらに先駆者に故・杉浦茂がいるのだが、この議論は今はさておく)。
 ちなみに私の好きなみなもと作品は、ユゴーの翻案『レ・ミゼラブル』と、いささかマニアックながら、学研学年誌連載の「とんでも先生」だ。どの作品も、スマートで、スピーディで、皮肉なナンセンスに満ちており、それでいてそこに表現されている世界への愛情に溢れている
 その一方でこの作家は、歴史文芸ものの翻案に対してもきわめて優れた才能を発揮していて、近年では、20年以上描き続けている近世日本史の超大作『風雲児たち』で著名だ。
 そしてそのみなもと太郎が、いまを去ること32年前、若き日にものした時代物傑作が「冗談新選組」であり、これが少年時代の三谷幸喜に多大な影響を与えたことは劇作家自身が認めていて、このたび復刊された上記『冗談新選組』の中でもとくに原作者と対談しており、最後にサインをねだっているほど(「ビリー・ワイルダー以来」とのことだ)であるから、三谷幸喜がみなもと太郎の熱烈なファンであることには疑いない。

 さてこの『冗談新選組』収録の対談を読んで気がついたことがあったので、書いておく。既発表のものであり、部分引用元さえ明確にしておけば、いわゆるネタバレの謗りは受けないだろう。
 それは他でもない、こんな部分だ。

三谷 これはご存知ですか? 近藤勇が処刑された時に、もう一人、新選組隊士が一緒に処刑されてるんです。
みなもと ああ、それは知らない。
三谷 でも、それが誰かはわかってないんですよ。名前が残ってない。なぜ、一緒に処刑されたかにすごく興味があって。その人物は今回は架空の人物で作ってるんですけど。
みなもと じゃあ、わざとはじめから出しておくわけね、一緒に処刑されるために。
三谷 ええ。なぜ記録に残ってないのかという謎をね。

(上記『冗談新選組』収録「対談 三谷幸喜×みなもと太郎」101-102頁)

 捨助以外の何者でもないではないか。これは子母澤寛『新選組物語』収録「近藤勇の屍を掘る」によれば「江戸の掏摸」とされている人物のことかとも思われるが、いずれにせよ、どうもこの三谷の言葉から察するに、捨助は実在の松本捨助の運命とは違って、板橋で処刑されてしまうらしいのだ。
 
そこで、桂小五郎はじめ薩長とも絡んだりして京で混乱を引き起こすべく設定された、このトリックスター捨助の死に方についてさらに考えてみた結果、私は以下の二説を仮定として得たのである。
 すなわち:

 一.ディケンズ『二都物語』のラストのように、捨助は勇の身代わりとして犠牲になる
 二.板橋はいわばゴルゴタで、勇はイエス、捨助はバラバの役どころを演ずる

 一の身代わり説については、佐久間象山のつけた仇名を思い返してみるとよい。すると、勇の「鬼瓦」に対して、捨助は「般若」(じっさい中村獅童はそんな顔をしているのだが)であって、両者の印象はじつは似たようなものとして作ってあるわけで、身代わりの妥当性は十分にあると考えられる。ちなみに般若は嫉妬する鬼女で、近藤勇に追いつき追い越したい捨助の性格には、まさにふさわしいのだ。また鬼瓦も般若もいずれにせよ僻邪の役回りで、御一新の悪業を一身に引き寄せて自分は身を捨てるというわけだ。
 二のゴルゴタ説については、あらためて語ることもないだろう。NHKムック『新選組! 後編』インタビューによれば、三谷幸喜は近藤勇最期のシーンにとっておきの科白を用意してあるらしいから、この説も十分に可能性がある。またこの場合においても、イエスもバラバも御一新の悪業の責めを一身に背負って犠牲になるという点では、鬼とまったく同様なのだ。

 とはいえ、意表を突くならば、当然『二都物語』だろう。三谷幸喜も好きだったドラマ「天下御免」の最後で、源内さんが気球でフランスへと飛んで行ってしまうように、近藤も名前と姿を変えて、どこかで活躍している、という風にはできないものか
 山南はとうとう救ってもらえなかったようなので、近藤さんだけはぜひそうしてもらいたいとも思う。
捨助の死に様は、三谷幸喜の述べていたとおり、板橋で、すでに御存知のとおりでしたね。バラバとまでもいかなかったけれども、まあ勇を見捨てなかったですね。そのあたりからも、このドラマにおける近藤=イエス説はそれなりに妥当性を持っていると、今でも私としては考えています。(2005年2月20日追記)

 

2004年7月6日(火)

☆新選組! 第二十六回
 ふたたび手紙(ところで、なんで島原で書かねばならないのか?)によるナラタージュ形式の回。
 今回は内山アワーなわけだ。
 このドラマでは、内山彦次郎は灯油買占めの悪人説の方で描かれたが、それはなぜかといえば、この物語の中での内山、頑迷固陋で身分意識と地域意識に凝り固まった旧態依然の態度を取る幕臣としての内山は、まさにそれであるがゆえに、近藤の決心を固めさせるための触媒としての役割を与えられているからだ。
 
すなわち今回の近藤は、佐久間象山にヒントを与えられ、諸侯会議で発言するなかで次第に自覚を高め、内山との対決の中で、ついに自らのスタンスを明確に掴む。それはつまり「あなたのような方がいるかぎり、幕府に明日はない!」という科白からもわかるように、このドラマの近藤は、挙国一致佐幕派、万機公論組の立場を取るということなのだ。
 その意味からすれば、この近藤の境涯は、龍馬にきわめて近い龍馬、亀、北添らと近藤が仲良く語り合う姿は後のことを考えれば痛々しいが、まさにそれを示しているものと考えられる。ちなみに龍馬がアイヌ服を纏って蝦夷地開拓への憧れを語るのは、後に函館でハリストス教会ニコライ司教の弟子になった龍馬の従兄弟山本数馬(澤辺琢磨)、そして龍馬の甥で自由民権家の坂本直寛(北光社を作って北見開拓に携わり、浦臼に入植する)のことを考えれば納得がいくし、当然榎本武揚土方のことを暗示する
 かくのごとく多摩と土佐は、「自由民権」をキーワードに、北海道においてすら結びつく可能性を持っていた。あるいはもっと穿って考えれば、捨助が身代わりに立って命が助かった近藤が(2004年7月5日の考察を参照せよ)、もしかしたら蝦夷地へ逃れて開拓入植するかもしれないではないか。
 こうした近藤の信念闡明は、つねへの手紙に内山暗殺一件を書いた最後に、大意「私の行動は武士道にもとっていないか否か悩む……」と付け加えてから迷い、結局このくだりを破り捨てるシーンで表わされる。つまり、古い武士や武士道など、もはやかれにとってはどうでもいいのだ。近藤は新しい時代の武士(というか共和的モラルを持つ人間)として生きること
に確信を得、悩みを反古とともに破り捨てて、「なにごともなく過ごしております」と手紙を書き終えるのである。
これが私がこれから先の考察でしばしば言うところの「誠」ですね。(2005年2月21日追記)

蛇足:
香取近藤は、ドラマの後半からきわめていい顔付きになり総髪もたいへん似合ってきた。この総髪は史実でもあるが、ドラマ的には当然、鴨のイメージを襲った、鴨に成り変ったということだ。源さんはこのドラマの中では従者役だから、に合わせるのも仕方ない。
土方は目の覚めるほどハンサムだった。これは思いきりハンサムに作っておかねば、後の山南ラウンドを乗りきれないからだろう。これからしばらくは、山本土方の力量が、すべての芝居を作っていくことになるからだ。
内山の部屋に犬の遠吠えが聞こえてくるのは、夜遅くまで多忙であったという史実に合わせた演出で、知る人はにやりとするだろう。
武田観柳斎「その儀は無用〜ゥ!」は、しばらく腐女子のネタになるだろう。
●今回は、不精髭も剃ったオダギリ斎藤が、サービスショットも含め大活躍。これも腐女子担当。
近藤が土方の手をつかみ、土方が沖田の手をつかむショットは、もちろん三谷幸喜から腐女子へのサービスだろう。
斎藤始が斎藤一を苛めたわけだ。(2005年2月21日追記)

●最後に、今回の演技賞は獅童と勘太郎の歌舞伎組であることは、言を俟たないだろう。汁粉屋から馬の口取りに至るまでの獅童捨助の表情の変化、また八木ひでの気を惹こうとしてプロフィールを見せる勘太郎平助の様式的な首の動かし方あたりは注目だ。

 

2004年7月13日(火)

☆新選組! 第二十七回
 近藤が性格を変化させていく回。池田屋をひとつのピークに、かれの変化を明確に完成させてしまおうという狙いだろう。
 それを後押ししてしまうのが山南だというのが皮肉で辛い。
 どうやらこのドラマの中の山南は、自分の見果てぬ夢(「世に出る」)を近藤に託して実現しようとしているのであって、そのあたりが「あなたが世に出る日も近いことでしょう」と近藤を持ち上げ励まし、そして近藤がみなの期待を背負っているということを「くれぐれもお忘れになりませぬよう」とさりげなく、実はしっかり警告するという科白に表われていて、したがってかれの奉仕ももしかすると純粋に近藤のためではないのかもしれないのだが、はたしてそのことを山南自身が気づいているのか否かについては、まだ劇中では明確にならない
 これが結局、山南自身を追い込んでいくことになるわけだが、他方かれは近藤をそうしたたいへんな道に誘い込んだということを自覚してもいて、だからこそ追いつめられてもその責はきっちりと取る、ということなのだろう。

 ところで、この「純粋性」こそが、あるいは「新選組!」における、土方と山南の分かれ目なのかもしれないという気もする。
 それはどういうことかといえば、まず土方はなにはなくても近藤のことを思い、近藤のために「純粋に」策士になり、また鬼にもなる
 それに対して山南は近藤と「ともに」近藤を踏み台にとまでは言いたくない)世に出るために、つまり幾分かは自分のためにも策つまり政治性を弄するわけであって、それが今回の谷昌武養子話を勧める場面などにも表現されている。そこからすれば、土方が自分を捨てた過激な行動に出る一方、山南は自分を守るためにもやや穏健な姿勢を見せる、という設定になるのも肯ける話だ。

 池田屋事件を二回で終わらせるのは妥当だ。なぜなら、このドラマは別に「血風録」ではないのだから。その点からすれば、古高に対する拷問場面も、沖田の姿を介して象徴的に表現したというのは、大河の縛りもあるとはいえ当然だ。要するにここでは、土方の心理さえ描写できればいいわけだ。そしてここにもまた、まるである種の諦念に達したかのような微笑を浮かべ、独楽(これも何らかの象徴だろう)を回しながら沖田に拷問法の酷さを匂わせる(「ここでは言えない……」)新選組のセルフ斎藤一の姿がある。

 こうしたメインストリームに、今回は平助の成長物語が絡む。おまさに付文をした左之助に対してもそうだが、近藤はもはや父親代わりとして振舞う。自分はどうやっても沖田を越えられないと歎き訴える平助に、近藤「お前はお前にしかないものをこれから探していけばいい、俺も一緒に探してやる」と慰め励ます。これは温かい父親のことばだ。もちろんこのことが、後に平助が御陵衛士に走る道を開くことにつながる伏線だというのは、火を見るより明らかだ。そして中村勘九郎の息子、勘太郎が平助役を演じているからこそ、この場面が感動を呼ぶのである。
 さまざまな面でゴッドファーザーにならねばならぬ近藤の回だった。

蛇足:
土方のやや短くした髪型は、斜め下から見上げたショットでは、もうほとんど洋装断髪のヘアスタイルを髣髴させてよく似合う。カメラ目線は愛嬌。
亀活躍。谷三十郎は槍を取ってはあれほどの意気地なしではないと思うが、まあ権威主義のピエロといった役回りか。
武田観柳斎「私が! ○○しました!」も決め科白にするのだろうか。

 

2004年7月14日(火)

☆近藤勇イラストにまつわるエッセイ
 今回、イラストに新たに
「アルカディアの近藤勇」を加えたので、これで新選組イラストも4点となり、やや充実してきた。まだ土方、芹澤などのアイデアもあり。

 ところでイラストの題名である「アルカディアの近藤勇」とは、いささか奇妙かつ唐突な表題のようだが、じつは最初から、これ以外思いつかなかった。というよりも、むしろ題名とほとんど同時に絵のビジョンが浮かんだようなものなのである。
 じっさい、江戸時代の武相多摩の山麓平地や丘陵は、たぶんもっと北の入間や狭山や高麗、そして毛呂山のあたりに至るまで、言ってみれば一種の別天地、桃源郷、つまりアルカディアのような田園地帯だったに違いないのだ。そしてたとえ幕末になってから地域の治安が悪化してきたとはいえ、その果樹の緑多き農村の光景には、いささかも変わりはなかったと思われるのである。
 とくに、調布から多摩川を渡った対岸の稲城から鶴川を通って町田へと至る鶴川街道は私の通勤ルートでもあるのだが、三沢川の開析した小流域河谷沿いに、春は梅花、夏は濃緑、秋は梨や柿の実というふうに果樹の姿が四季おりおり美しく、また街道沿いには諸処に社寺や豪農の屋敷が点在し、ここを通って小野路の小島家へと青年近藤が往復したのだと思うと、愛車ボルボのハンドルを握って運転しながらも、ひとしおの感慨がある。
 そうした近藤勇出稽古の情景を、これまた子母澤寛が例の名調子で印象深く描き出していて、そこでその文章を、今回はイラストの中に入れ込んでみた。バランスも字体も色合いも、なかなかよいものになったと思っている。
 いまではこの鶴川街道の西側丘陵には多摩ニュータウンの住宅群が聳え立ち、その影響で、かつて悪名高かった産廃処理の小工場がこの周辺からしだいに姿を消しつつあるのだが、環境汚染の代表のような産廃問題が、もっと大きな環境破壊かもしれないニュータウン造成と整備によって解決されるというのは、奇妙な功罪ではある。
 それにしても、本来人の住まないところを強引に切り開き造成したのだから、まったくこのニュータウン計画は凄いものだったのだと、通勤の往復のたびに感じるところだ。
 そして私もまた、その一角にある巨大なホームセンター/フードセンターには、日頃よりお世話になっているのである。なんといっても夜9時まで開けているので、学校帰りに立ち寄るには、空いてもいるし、じつに便利なのだ。
 もちろん近藤さんは、百六十年後にこんなことになるとは、想像だにしなかったことだろう。

「御用あらためで !」(by 左之助)

2004年7月19日(月)

☆新選組! 第二十八回
 私の意見としては、池田屋事件はこの程度にあっさりしておいた方がよかったと思う。血腥さを表現するための役回りとして目撃者を配置するという演劇手法は穏健で適切だし、またそれをもっぱら浅野薫だけにまかせたというのも、後の制札事件のさいのかれの怯懦を想起すると、きわめて妥当だ。
 全体の流れとしても、妙な言いかただが、それほど「ドラマチック」な仕立てにしていなかったのがむしろよかったように思う。たとえば、祇園宵山のお囃子と交互に進行させる、というような陳腐な手法だ。
 だからといって序破急がないかといえば、もちろんそんなことはなくてきちんと押さえてあり、それは捨助(トリックスターとしての命を救う)が「すっげえ!」と連呼する場面でスピーディに頂点に達していることで十分だ。
 そして終局は宮部鼎蔵と近藤との会話。時流に抗して、いやある意味では真の時流に棹さして
「誠」の筋を通す近藤に「愚かなり、近藤勇!」と言いながらもその最後の一瞬、さしもの宮部鼎蔵も惚れてしまい自ら斬られるという、そうした脚本の意図およびそれを生かした演出だったと考える。

 それ以外は全般に、紀実に則った経過を追う。だから亀弥太は、それまでの登場の経緯があるだけに、ひとしお気の毒だ。後の高台寺党ならば薩摩藩に助けてもらえるのだが、いまだ時勢はそこまで至っていないのだ。
 ここで近藤が亀を逃がすかと思ったが、さすがにそこまで甘い台本にはせずに、は血気にはやって「近藤ゥ〜!」と叫びつつ、がっきとばかりに切り結ぶ。ところが近藤は亀をまるで見忘れたかのごとく歯牙にもかけずに突き放して、首魁の宮部に向っていく。そしては、結局沖田に斬られて手傷を負うのである。龍馬が最後に言うように、軽挙の亀は馬鹿だが、もはや情を捨てたような近藤もまた哀しいところだ
 なおが斬られるさいにバックで鳴った効果音は、たぶん帆船の時鐘の音と思われ、これはかれが海軍伝習所の嘱望された練習生だったことを象徴した、名脇役望月亀弥太への三谷幸喜からの弔鐘だったのだろう。

 北添が「なんだなんだ」と階段を降りてくる有名な場面がないのは残念だが、これは三谷幸喜が『NHKウィークリー ステラ』7/23号(平成16年7月23日、財団法人NHKサービスセンター発行)8頁所載のインタビューで述べているごとく、その通説を採らなかったのだから仕方ない。近藤が鋭い気合をかけないことにも、したがって同様の演出上の主張があるはずだが、あるいは香取慎吾には気合が出せなかったか?
 平助永倉の負傷の場面はいずれも紀実どおりで、見ていて違和感のない自然な仕上がりだ。沖田の喀血のさいに、剣先で切られて散る紫陽花の萼片が血のしぶきと重なり、それがいわば飛蚊となって沖田の眼前を舞うことで沖田の乱れ動揺する心理を表わすというここの演出は、やや美しすぎてくどいところか。
「待たせたな!」と言って土方が不逞浪士をひとり斬ってこちらへ進むと、背後に倒れ込むその浪士をさらに後詰の原田が鑓で「ぶすっ」とやるのには、不謹慎ながら思わず失笑。左之助は、いつもとどめ役だ。他方、斎藤は凄まじく、源さんは実直。
 池田屋の表の剣戟を見物する群集が、そちらへ斬り合いが及ぶと「わっ」と波のように引く演出も常套ながらなかなかよいし、また凱旋する新選組の隊列を格子戸のすきからそっと覗く婦人たちの描写も、激しい活劇のフィナーレとして定番でふさわしい。

 総長山南が、「留守」を預かるというのは、もし屯所をひとつの「城」と考えるならば、いわば「城代家老」の地位ということになるのだから、「いくさ」の制度やしきたりから見ても十分に説明がつくのだろう。つまり、こうした設定をしておいて、それを今後のドラマの展開につなげようというわけだ。

 さて感想の終わりに、今回の解説役である龍馬が、の悲運を聞いて怒り悲しみ、ばたんと畳に寝転んだときに埃が立ったのは、きっと腐女子の方面から厳しい突っ込みが入ることだろうと思った。妻もしっかりチェックをしていたし。

 

2004年7月25日(日)

☆「函館の土方歳三」
函館の土方歳三」を描く。
 舞台は冬の函館。津軽海峡は荒れ、垂れ込めた灰色の空の色は海に映り、ときに吹雪が混じる。五稜郭を陥落させ、やっと取ることのできた短い休息の時間を使って、函館の町に半舷上陸した土方だったが、そろそろ次の作戦である江差攻めの軍議の開催の時間が迫っている。沖の開陽丸は港の波浪のうねりの中、不吉に揺れている。
 土方は、前を合わせたフロックコートの中にナポレオンばりに手を入れて温め、片方の手で取り出した懐中時計の刻限を確かめた後、感慨深げに銀色の海を見やるのである。

 例によって会議中のボールペン描きをスキャナーで取り込み、ペインターと Adobe PhotoDeluxe で加工したものである。
 なお背後の開陽丸は、どこかのサイトが江差の博物館で撮ってきた当時の写真をダウンロードして一部を切り取り、 Adobe PhotoDeluxe で相当に加工した。
 ちなみに土方は、この時点では未だ陸軍奉行並になってはいないが、絵の構成上、この肩書を使用した。この肩書の英訳に関しては、
http://www.geocities.jp/irisio/bakumatu/entrance.htm
「天下大変・大鳥圭介と伝習隊」サイトを参考にした。ここには陸軍奉行の英訳があって、陸軍奉行並は訳語なしという記載になっているが、もしも徳川将軍が大将(マーシャルあるいはジェネラル)だとすれば、陸軍奉行=Lieutenant General (中将)なので、陸軍奉行なら Major General (少将)にでも宛てようかと考えたわけである。

さようなら佐久間象山先生、それに久坂玄瑞も

2004年7月25日(日)

☆新選組! 第二十九回
「誠の心」同士のぶつかり合い。久坂は長州人だから仕方ないが、幕府に対する(関ヶ原以来の)私怨が入る分だけ、長州側に不純の不利があるかもしれないはそのあたりを憂い、かれのために哀しむのだ。そして双方に答えを与えてくれるべき佐久間象山(ずいぶん温かい「志士たちの父親」として描いたものだ)は横死する。
 同じく
を以て日本に仕えているはずなのに、「あの者たちは、なにがしたかったのか…?」と孝明帝は首をかしげ、それに対して真木和泉は、「いずれ、どちらが正しかったかわかる」と答えて自刃する
 とはいえ、現在に至る歴史を考えるさい、薩長佐幕のといくら問うても、なにが正しかったのかなど、わかるはずもない。私は個人的にはフランス派で小栗上野介に肩入れしたい方だが、もしナポレオン三世が阿呆でなかったなら、そしてビスマルクが巧妙でなかったなら、日本は昔のベトナムのようになっていたかもしれないし、それにきっと日本は植民地解放革命闘争などという愚にもつかない意地張り行動は起こさないに決まっているから、そうだとしたらいまごろ私たちはみなフランス語ペラペラで、世が世ならソルボンヌを卒業して国連あたりで活躍しているか、それとも函館あたりでフランス人のご主人様の使用人をしているか、そのどちらかなわけだ。
 その点では、孝明帝の問いこそが、永遠に「正しい」のだ。

 閑話休題。後は列挙。今回は比較的淡々と時間を追った。捨助は相変わらずトリックスター。しかしそれがため、桂は結局近藤に、それほど悪感情を抱かずに済んでいる。
 新選組はつねに後追い係。時流に追いつけないことを象徴する演出だ。歴史の現場に立ち合うときには、その事件はもはや終わっている。そこでのかれらの仕事は、つねに後始末だ。そして近藤も土方も、旧幕府軍の後始末という最大の汚れ仕事を、自分の身を犠牲にして引き受けたのだ。
「これから俺たちの時代になるぜ」と言う土方の思いどおりに、はたして行くか否か。時代に追いつくために、新選組は、今後恐るべき犠牲を払うのではないか。予告編からもわかるように、これから土方はしばらく悪人を演じなければならない、そのつけは必ず廻ってくることを覚悟しつつ。
 ふだんあまり省みられることのない、禁門の変での京の町の被害というものを、画面で描写したのはよかった。ただし左之介は無断離隊の「士道不覚悟」で処罰されねばいいが。
 寺田屋は、ストーリー進行上今回紹介しておかねばならなかったのだろうが、おみつさんとお登勢さんとをオーバーラップさせるのはなくもがなとも思う。それとも今後、なにか二人が出会ったり、さらには沖田が関わりを持ってきたりするのだろうか。
 宇梶剛史の西郷は意外にはまり役。昔、「龍馬におまかせ!」のときの小倉久寛もなかなかよかったと思ったが。
 山南の不出陣は、あいかわらず「留守居役」という理由によるのだろうか。来週あたり明確になりそうだ。ともかく今回の山南はひでとともに情勢解説役、おまさは被害の惨状を一目で判らせるための役回り。すべてを失い、やはり無一物の左之助と、これから真心のみで通い合うわけだ。

 

2004年8月2日(月)

☆新選組! 第三十回
 永倉が異議を申し立てる。建白書その他、やたらと紙をやぶく回。山本土方は、かなり無理して悪人を張っているような感じがする。演じていてもきついかもしれない。
 近藤は抜け駆けして先に松平容保侯を手の内に入れておくのは、誠心誠意の行動のように見えて、実はアンフェアきわまりない。つまりむしろ、土方の方がナイーブなのだ。山南は正論居士のようで、しかし組織内におけるこうした政治手法(上書提出)は、往々にしてまったくの無力でしかない。あまつさえまっすぐな永倉が、ほんとうに間抜けな貧乏籤を引くように見えてしまう。
 要するに、こうした不愉快な人事力学とシチュエーションは、どの時代にもどんな組織にも必ず存在するわけで、身につまされ観ている人もさぞかし多いことだったろう。そのあたりを、ここまで露骨な形で分かりやすく一般化して見せてやろうというのが、おそらく今回の三谷脚本の主眼だったのではないか。
 今回のような斎藤の役まわりの正統性は、もう少し回が進んでから、より明確になるのかもしれない。
 話は土方に戻るが、三味線を弾き、発句を作る姿を今回初めて描写したわけだが、これは当然、かれが純然たる冷血漢ではないことを示す設定で、やはりその一面のみに徹してドラマを構成することはしない、というか、できないようだ。しかもかれの最も気に入りの発句をここでは未だ明かさないというのは、もしかしたら例の山南を詠んだといわれる句を、山南ラウンドの最後に持って来ようという伏線なのかもしれない。
 また脇役たちは、いつものようにそれぞれ達者にメインストーリーを支え、なくてはならぬ背景を織り成していた。武田観柳斎いつも秀逸ひでが前川邸を訪ねてくるさいに敷石のセットが撓んだのは御愛嬌。

 さて『新選組!』が、なぜ大河ドラマの中では評判が悪いのか、今回を観てつらつら考え、あらためて分かったような気がした。
 つまり『新選組!』は、いわゆる「大河風」にはドラマチックではないのである。大時代的だったり、仰々しかったり、場面があちらからこちらへと、舞台が地方から地方へと切り替わったり、そういったことがいっさいない。主人公たちの数はあくまで限られ、しかもかれらは常連で、ゲストがそのつど絡むだけだ。言い換えれば、今日は毛利、明日は上杉というような、目を奪う状況の移動ということがないわけなのである。
 これを以ってこれを観れば、要するに『新選組!』は、またもや非常に内容と含蓄の濃い、玄人受けするシチュエーション舞台劇となってしまっているのである。
 だから、もしも『新選組!』が「大河」ではなくて、「一年間続くテレビドラマ」だとしたら、これほど理に叶った設定のものはないだろう。

2ちゃんねるの「組!」関連のどれかのスレッドに「三谷幸喜が大河の枠を使って何かやってると思えばそれほど腹も立たぬ」と大意書かれてあったと伝聞した。ねらーの警句は本質を穿つ。(2005年2月21、25日追記)

 

2004年8月11日(水)

☆新選組! 第三十一回
 今回敷石を撓めたのは山南
 京と江戸との場面転換はそれほど混乱もなくスムースに観られた。ただしほとんど顔のアップばかりだったのは伊勢田演出の特徴だったろうか。

 土方と山南の葛藤。自分の尺度でしか相手を見られない(それは自分にもある程度わかっていてかれの引け目となる)、というよりも相手は皆自分と同等同様だとかれなりに好意的に捉える、そうした山南の限界がしだいにあらわになる。沖田ですら土方のことをナイーブに理解し、また源さんは苦労人として土方の苦悩を洞察できるのに(「心中お察しいたします」)、インテリ山南にはそれができないのだ。そうかといって近藤山南には遠慮があって、平助沖田に対するようにはフォローをしてくれない。
 そのあたりを、山南はかつての同門の龍馬に鋭く突かれる。「お前んのような秀才が新選組にいて何になる」「抜けない刀は木刀と同じだ」刀を遣う腕は持っていても斬れない山南。新選組は山南の考え/理想とは別の力学で、かれにはあまりに粗野に見える姿で動き始めている/いく。自分の居場所は他にあるのではないか……?。しかしこの龍馬の示唆が、山南の悲劇を招来するのだ。
 それはまた、白首となった明里との会話にもあらわれる。「悲惨な(身の上)話なのになぜ明るいのか」とインテリ特有の愚かな質問を発する山南に、「賢かったらこうはいかない、とっくに首を括っている」と答える明里賢い秀才の山南は、人生学校新選組では生きられないのだ。
 じつは市井の苦労人である土方は、そんな山南のことは、とうからお見通しだ。土方は、山南沖田に語ったように「近藤のため」だけには、けっして生きていない。かれがしばしばいう「新選組のため」「時代に乗る」とは、むしろ御一新後の市民社会の実現を夢見ているのだ。武士でもなく町人でもなく百姓でもない、ネーションステートのネーション、ピープル、つまり国民、人民だ。かれがいち早く断髪洋装にするところもそれを語って余りある。厳しい陣中諸法度も、あらゆる階層の人間を統一的にコントロールせねばならない近代軍隊の軍法会議では、そして近代市民法治社会では、むしろ当然のことと受けとめることも可能なのだ。
 だから土方の心中を代弁すると、下のようになるだろう。
「山南さんよ、なぜ分かってくれない……。あんたがやりたいことが実現できる、その舞台を俺は下ごしらえしてやってるんじゃないか……」
 それがわからずに勝手な理想論的善意で(たとえ「なだめる」ためとはいえ結果的には裏で)動くから犠牲者が出る。
「奴(葛山)を殺したのは俺とお前だ」

 今回のドラマから私が汲み取った三谷脚本の意図は、大略以上のようなものだった。
 三谷幸喜は、山南にも土方にもなったことがあったのだろう。

蛇足:
明里役の鈴木砂羽は芸達者。通説とは正反対のこうした人物像(山だし、無教養、賢明)に仕立てたのは、山南を際立たせるためにはじつに的確で、三谷脚本のいいところだ。
松本良順初登場。実物によく似せてある。声がいい(by妻)。
伊東甲子太郎は結局このドラマの中では腹黒平助は複雑。
「婦女子には見せられん」という龍馬のセリフは、「みなさんの感想や考察を見てますよ」という、三谷幸喜からの腐女子へのサービスだろう。
左之助島田ひで、それぞれに面白い。他にも盛り沢山で、出ていないのはくらいのもの。
●最後に、山南が背中を見せて座っている場面で、子母澤寛が書いているところの例の有名な、ほつれた着物の袂からボロ綿を引っ張り出しているシーンが観られるか、と一瞬期待したのだが、ダメだった。あのシーン、いつかは絵に描きたいと思っているのだが……。

 

2004年8月13日(金)

☆第三十一回感想補遺
 第三十一回の感想に関して掲示板に書き込みがあり、どうやらそこで分析した山南像について物議を醸しているらしい。とくにかれが発案した建白書提出について、「勝手な理想論的善意」としたところが、(たぶん)山南ファンには面白くなかったのだろうと推察する(ところで私も試衛館に登場以来の堺山南ファンです)。
 そのあたりのことも含めて、補遺として書き加えておきたい。

 上のことからも分かるように、「新選組!」は観る人にさまざまなことを考えさせる点で、劇として深いものを持っている。
 まず私の感想は、「新選組!」のドラマの中での土方の役どころについてのもの、つまり、あくまで三谷幸喜の作り上げているところの土方像についての推測と考察であることに御留意いただきたい。それはまた、山南についてもまったく同じことなのだ。
 おそらく、こうした山南、土方といった人物類型はどこの組織にも必ずあるし、またそうした体験を、主体としても客体としても味わっている人も多いことだろうと。現に私にも、山南の立場と苦衷は、およそひとごととは思われないところがあるのだ。
 そう考えると、建白書提出をドラマの中で山南が建議したことになっているのは、作劇法としてはまことに正当で、かれ以外にはその役どころを任せられないのである(ちなみに「勝手な理想論的善意」というのは、もちろん土方側に立ってかれの心理を代弁したらこうなるということにすぎない)。
 とはいえ、いったんこうした恐怖政治の力学がはたらき始めると、現実には、抑止力はほとんど有効たり得ない。それはロベスピエールに対するダントン、ナチ・ドイツのヒトラーに対するハンフシュテンゲルもしくはヘスのような例を考えても分かるので、結局はカタストロフにまで行きつくしかないのだ。
 だから三谷幸喜の脚本はなかなか深いところを持っていると思うし、それはかれの教養および人生経験とに裏打ちされていると思うのだ。
 劇中の土方が、身内だけに頼る独裁政治の手法を執っているというのは、まさにそうした人物類型を、過不足なくあらわすためのものだ。
 ただしここに、もうひとつ別の土方像が残っている。それが「水の北、山の南の春の月」の土方だ。脚本家としては、その要素も入れた上で、なおかつ性格設定にひとひねり加えねばならない。さらにこれは演劇なのだから、絶望の中に托す希望というもの、つまりカタルシスも、かならず加味するはずだ。そのあたりが、三十三回(腐女子サイト情報によれば土方は号泣する)であらわになるのではないかと、ごく演劇的に私は考えるのだ。
 したがって、山南についても、当然もうひとひねりあることは、とうてい疑い得ない。突き進む新選組の中で、インテリの弱点を際立たせた山南。しかしかれには一方で、優しい洞察力も、誠の覚悟もある。たぶん、明里との語らいの中で、その要素が見えてくるだろう。その山南の側面を引き出す明里は、いわばマグダラのマリアにあたるだろう。

 そしてここから先は、そうした三谷が自分の人生経験に基いて作り上げたと思しき劇中の土方・山南像に沿ってふくらんだ私の希望的妄想だが、おそらく土方は、山南のことを、すでに新選組の向うに、かなたに置いている(かれが山南を新選組の指揮系統に入れないのは、だから当然なのだ)。
 土方は、そして土方の作り上げた新選組は、新しい時代に向けて真っ先駆けて突撃し、その累々たる死屍のかなたに、山南がその善意と理想と才能とを発揮できる世界が立ちあがる。山南よ、だからそれまで待ってくれ。お前は、俺たちのしかばねが作った道の上を歩め……。
 じつはこうした覚悟は、60年安保のさいに、学生たちが東大生(守成を担う人材)に先んじて皇居前広場に突っ込んでいったときのものだと私は聞いた記憶があって、それをここで思い起こしたのだ。
 海援隊、奇兵隊、赤報隊、そしてさまざまな士族の乱に身を捧げたうちの、少なくとも一部の人たちにも、そんなところはあったのではないだろうか。
 そして三谷幸喜は、あるいはそのあたりまで見据えているのではないか。

 私は、今回の山南と土方の振付けの仕方に、そうしたところを感じたのだ。そしてまた、多少の希望とカタルシスも忘れず実現してくれることも、同時に期待しているのである。

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