新選組! 雑文コーナー

その四

 

2004年8月15日(日)

☆カーテンコール案
 が去り、山南も近く別れを告げる。他にも久坂佐久間象山、今後は伊東甲子太郎平助、さらにはたぶん龍馬と、つぎつぎに消えて行く。そして最後はだ。
「新選組!」の後半は、まことに辛い追悼鎮魂劇となる。
 そこでやはり演劇の常道に則って、日本なら花道、あちらならばカーテンコールを、ぜひこのドラマに関しては望みたいものだ。
 その腹案として、以下のようなものはどうだろう。

 勇の死で、最終回終了。ここまでで20分。ホワイトアウトの後、場面は転換し、広いステージ。背景には多摩や江戸や京の風景が流れる。あるいは切り絵。それとも、それほど凝らなくともいいかもしれない。
 テーマ曲が流れる中、上手から主だった人物が一人ずつ登場。まずは真面目に、得意の決めポーズを見せる。たとえば松平上総之介ならば「アッパレ!」、松原忠司なら「ィヤア〜!」みたいな感じ。それから笑顔に変わって拍手をしながら次の人物を呼び迎え、握手をして下手へ去る。これの繰り返し。
 いよいよ最後に近藤が現れると舞台奥の幕が開き、そこにはこれまで現れた人々がすべて集っており、静かに進み出て近藤を取り巻く。
 そうして近藤を中心に皆で手をつなぎ、お辞儀をして暗転、幕。

 御意見お待ちします。
だいぶん違いましたが、ともかくカーテンコールはやりましたね。(2005年2月21日追記)
 

 

2004年8月15日(日)

☆「新選組!」第三十二回
 今回は時間の経つのが早く感じられたつまり面白かったということだろう。とはいえ悲しい音楽ばかり、ドラマもまた来週の結末が分かっているだけに悲しい。
 思うに、「新選組!」は、一年では足りない二年あればじっくり伏線と説明とドラマを描ききって、玄人だけではない老若男女の視聴者にも、その味わい深さを十分に堪能させることができると思われる。

 高台寺党集結。平助はこのときまだ江戸にいるわけだ。それから、大久保大和を見破った人間、加納鷲雄を忘れないようにしておかねばならない。
 この劇の中では、伊東甲子太郎はほんとうに腹黒く描いてある。しかし伊東の出番はこのあとまだ10回以上あるらしいから、近藤に接する人間はかならず浄化されるという当ドラマのパターンにしたがって、今後、甲子太郎のイメージも、どんどん変わっていくと思う。谷原章介というあれだけの美形をそのままに終わらせるはずはなく、山南なきあとのその部分を埋めるのは、間違いなく伊東のはずだからだ。
 その伊東は、山南をはじめから呑んでかかっているようだ。つまり、三谷脚本では、山南が伊東の尊攘思想に共鳴したという設定にはしないわけだ。ということは、伊東が山南の切腹を悼んで詠んだ詩もまた取り上げないのだろう。

これは、思いもかけぬ形で使いましたね。(2005年2月21日追記)

 西本願寺移転の件で伊東に言い負かされた山南は、知識人としても居場所を奪われる(「山南は雄弁であるが詰めが甘い、沈着を装ってはいるが案外情に動かされる」)。いっそのこと、武田観柳斎くらいの道化者であればよいのだが、そんなわけにはとうてい行かない(ちなみに、観柳斎はここまでのところひどく嫌みでもおべっか遣いでもないが、どのような死に方をさせるつもりなのか、あるいはもう殺さないで済ますのか)。先日、ともにやろうと勧められたことにほのかな期待を寄せて訪ねた寺田屋の龍馬はこの間とは打って変わり、海軍操練所閉鎖の知らせに絶望しきっていて(「こんな国滅んだらええがじゃ」)、相変わらず頭でしかものの言えない山南を力づけるどころの話ではない
 水溜りに自分の顔を映し、石を蹴り込んでその顔を壊す山南。龍馬に引きずられ、清河に引きずられ、近藤たちすべての運命を変える役割を担い、その責任を感じながら、ついに無力に置いていかれる山南。かれにはもはや、壊れた自分を一度作り変えるしかないのだ。
 山南を高く買っている土方(「今は山南が頼りだ、理屈で伊東と勝負できるのは山南しかいない」)は、そんなことは百も承知で、「あんたの進むべき道は俺が知ってる」からとにかくついて来い、と山南に言うのだが、いかんせん土方はカウンセラーではないので、そんな高飛車な口調では山南を癒し導くことはできない

 人は自分と同種同等の能力を持つと、どうしても考えてしまう山南。じつはこの考え方は人に対する優しい思いやりがあるようでいて、どうして自己中心的なのだ。ところが土方は、山南とは別種の、だからこそ同等の能力を持っているのだ。そこがなかなか分からない山南は、土方が自分と同じように考え振舞わないことに納得がいかず、不本意に感じる。
 そしてそれとまったく同様の過ちを、山南明里に対しても犯しているらしい。明里が自分と同様に日本史を理解しないと怒ってかの女のいじらしい(「センセと話がしたいから……」)努力を認めず、怒ったのは虫の居所が悪かったからだと弁解して「ウチに関わりないやないの」と理の当然の反撃を食らう。そして自分がからんだ罪滅ぼしに「欲しいものは?」「いまいちばんしたいことは?」とまた的外れな質問をして、「なんでそういうむつかしいことばっかり聞くんやろ」と、これまた図星をさされる。抽象的なことではなくて、いまこの場をどう生きるかだ。明里にとってみれば、いま山南といることが生きることなのだ。

 自分の心しかわからぬ山南、しかし優しい感受性を持つ山南が、人の心に報いるためには、どうしたらよいのか。かれは心を決める。自分の役割を見つけたのだ。「近藤さん、己の信ずるところにしたがって生きてください」これは山南の遺言だ。しかしついさっき佐々木只三郎に「私は私の信ずるところにしたがって生きてきた」と言ったばかりの近藤は、なぜ山南がいまさら同じ事を言うのか分からない。
 ところが山南の脱走が発覚した朝、「脱走すればどういうことになるのか、あの人だって……」ここではじめて近藤は気づく。「あの人」もまた自分の信ずるところに従おうとしている。すなわち山南は、今生の別れを告げていたのだと。
 左之助永倉の協力を仰ぎ(同時に別れも告げて)、沖田にも告別し、山南は屯所を出る。斎藤も、もはや死を覚悟した人間を止めることはしない(「俺は人のことには関心は無い」)。
 あとは試衛館時代の仲間でケリをつけるのだ。

 山南は私に重なるところがある、と思うので、上記は自己反省も兼ねた思い入れの文章なのだ。まとまりがなくなったのはそのためで、どうか御寛恕いただきたい。

あとはいつものように蛇足:
近藤はいつも迷ってばかり。佐幕の立場にもこのところ迷いがあるようだ。金が無ければ動かぬ松平上総介のような旗本連中、気骨はあるが頑迷な佐々木只三郎のようなエリート旗本、そうした幕府を助けても、真に報国攘夷ができるのか。とはいえ龍馬と同じ道は歩めず、今回あたりで龍馬ははっきり倒幕へと傾斜するのだろう。
時勢の解説役は、今回は龍馬良順松本良順はクールでいい。いつに変わらぬ欧米のやり口を、適切に語ってくれた。
沖田人間関係の解説役。若さゆえのナイーブさで、それができる。素早い突き、下がり気味の剣先など、天然理心流ネタも、たっぷり入っていた。
捨助の新しい仇名「天狗」は、「鞍馬天狗」のパロディか?
西郷はああして本心を見せないわけだ。
鈴木砂羽の明里はじつに達者。
左之助と永倉がかろうじて救いではあったか。

第三十二回補遺(8/21再放送後記、8/23修正)
 会津侯の御前での近藤は、ほとんど倒幕の立場に近い。佐々木近藤の言い分を完全に分かってはいるが、旗本として与することはできない。将軍家に殉じるだけだ。だから「(この話は)もうやめましょう」と言わざるを得ない。
 とはいえ新選組、そして近藤も、最後は幕府に殉じてしまうのだ。旧体制のまま新時代を開くことは(佐久間象山龍馬とは別の立場で)「もうやめて」しまうわけだ。
 西郷は、それをちゃんと横で聞いている。かれだって進んだ先は近藤と似たようなものだ。西南戦争では「もうこのへんでよか」となったわけだから。このあたり、脚本の妙。

 山南が前川邸から逐電するさい、「誠」の提灯に頭を下げて敬意を表する、その向う側には出窓が見えて、世に知られたかれの運命を暗示する。象徴的演出。こうした演劇の基本作法がはっきり見えるので、「新選組!」は久々に面白いのだ。

 既成の概念や形式を破壊するとか呼号して出発した70年代小劇場が、一世代閲してギリシア劇三千年の基本スタンスに立ったというわけだ。
「見出した」とか「立ち戻った」とか、そんな失礼なことは言うまい。
 当然の過程を踏んだのですな。
 

山南はこのドラマをたしかに引っ張ったと思います。

2004年8月22日(日)

☆「新選組!」第三十三回
 山南追悼。NHKもスポットで、「もう、あの笑顔に会えない……」とか、便乗宣伝をやっていたな。山南にこれだけ人気が出ると、はたしてスタッフが予想していたかどうか。
 今回は三谷幸喜、役者、スタッフ入神の一回だろう。じつに哀れだった。共に観ていた妻も母も泣いた堺雅人、鈴木砂羽、山本耕史の三人を他の出演者が過不足なく支えて、見事な出来だった。まったく、これでなんで視聴率が伸びないのか、理解に苦しむところだ。
 観終った後で、妻が一言「〈ソクラテスの死〉ね」と。確かにそのとおりだ。このごろ、妻に一本どころか、二本も三本も取られている。

 明里がぐずぐずしなかったら山南は逃げおおせたか、と考えるのは無意味だろう。いずれにせよ山南はそれによる遅延を受け入れるわけだし、所詮は天命であるという設定だ。それに、どのみち明里はもう、身請けして助けてある(まあこのあたりも山南の独善、と悪く言えないこともないが、それをも明里は許すのだ)。
 ところで前回、明里が「富士山が見たい」と言うわけだが、この「富士山」に何か象徴的な意味があるのかないのか、どうも引っ掛かっていた。三谷幸喜がそこまで調べて/知っていて使っているのか否かは分からないが、江戸時代、富士山には富士信仰があり、それはどうやら弥勒信仰と結びついていたらしく、そうすると富士山→弥勒の世→来世(あの世)という連想が成り立つ。
 他方、もっと簡単に考えると、富士=不死で、永遠の命としては死なない、という暗喩も成り立つ。
 はたして今回、山南明里に、「必ず戻る」とか「必ず行く」とか「また会おう」とか、そうした内容のことばかり(けっしてその場しのぎの気休めというのではなく)言う。明里にもまた、「後ろの方からついて行く」という科白があり、明らかに死出の旅、しかし来世で必ず結ばれ救われるということを暗示している。
 つまり、この劇における山南(と明里)は、現象的には姿を消すが、かれらの存在意義はドラマのテーマ本流に流れ込み、また視聴者の追憶中に、つねに生き続けるのだ。これは演劇なのだから。
 ちなみに、山南が「あれは水仙です」というその水仙の花言葉は、当然「自己愛」「愛をもう一度」「報われぬ愛」などで、まさに自己の世界で完結している人間像としての山南を象徴する(「(新選組は)私の手の届かないところに行ってしまった」「私の居るべき場所はない」)。その一方で、「なにを見ても菜の花に見える」と明里が言う、その菜の花の花言葉は、「快活」「大らか」「豊かさ」で、これもまたドラマの中の明里のキャラクターにふさわしい。
 そう、かならず菜の花とともに、春は来るのだ。たとえそれが、この世のことでなくとも。三谷脚本と堺雅人の名演によって、これだけキャラクターが成長して人口にも膾炙し、永遠の命を得たということで、泉下の山南も、以て瞑すべきではなかろうか。

 それはともかく、話をドラマ本筋に戻せば、自らを時代の祭壇の犠牲に捧げて新選組を(それが実現されてもされ得なくても)再生させんとする山南の決意は、もはや固い。大津での沖田の説得にも(「みんな疲れてますよ」というのは、山南の言わんとする文脈とは微妙にずれているわけで、このあたり沖田の人生経験の浅さを際立たせて巧みだ)耳を貸さず、結局沖田「お湯入ってきます」という形で諦めさせられる。このあたりの運びも、じつにうまい。
 そうして山南は、近藤から「あなたの気持に耳を傾けることができなかった自分を恥じ入るばかり」ということばを引き出していささかの慰藉を得つつ、近藤がわざと障子を開けるのを再び閉めて(助命へのチャンスを自ら閉ざすということの表現)、命に汲々とせずに
の心を貫くという態度を示す。
 逃亡を勧める永倉原田に対しても同様に障子を閉め、それから新選組の行末を正す/糾す役割を、永倉原田に託す(「これからの新選組は御両人にかかっている」「近藤さんを見届けてやってほしい」)。だがこれはまた、そのことが実現されない結末をすでに視聴者としては知っているだけに、いっそうつらくなるという仕掛けにもなっているわけだ。ここの画面(原田永倉遠景、正面アップに山南の二等辺三角形の構図)も、なかなかうまい。
 土方島田に用事を言いつける形で密かにチャンスを作り、源さんもまた食事の給仕にかこつけて密かに逃亡を示唆する(握り飯)が、もちろん山南は応じない。

 なぜ山南は、自分の命を犠牲に差し出そうと思うのか。
 それはかれが、脱走ということ以上に、自らに責があると深く感じているからではないか(「私は罰せられるべき人間です」)。
 では、なぜかれは罰せられるべきなのか。これは私見だが、まず近藤はじめ試衛館一統をこうした幕末無間地獄へと引き込んだそもそものきっかけを作ったその咎め、それから新選組が血腥い道筋に進むのを引き戻せなかったその咎めを感じて、山南は自らを「罰せらるべき」と規定したのではないか。
 もちろんこれは山南ただひとりの思い、つまり一人相撲で、だから落とし前もまた、自分でつけねばならないと、かれは考える。とはいえ、そのさい援助を頼もうとする対象は、試衛館一統に限らず水戸派に限らず、かれらが最もいとおしくいじらしく思うナイーブな沖田なのであって(だからこそ恨みを抱かず介錯を受けられる)、それで沖田は、「私の好きな人はみんな私の刀で死んでいく」と運命をかこつ。だがじつはそれは逆で、みんなの方が沖田を好きなのだから、こればかりはどうにも仕様がないのである。

 こうしていよいよ運命も定まった山南のもとへ、明里が訪れる。ここは二段構えで、哀れさがいや増す。天真爛漫な明里の様子を見ながら近藤は、山南にもこのような一面があり、ようやく幸せが訪れかけたのに……と思うと居たたまれなくなって自室に戻り、惑乱する。元来の台本ではこの場面の直前に、山南による明里の身請けを近藤が知るというシークェンスがあったようだが、カットしても十分に問題なく、かえってそうした説明の挿入によって流れの緊張感が削がれなくてよかったかもしれない。
 それから、すでに着替えを済ませた山南がひとり刻限を待つ部屋の格子窓を、ふたたび明里が叩く。これが有名なシーン。もちろん三谷幸喜が、通説のまま、ありきたりの湿っぽい別れをさせるはずがない。それでは何のために別れを二段構えにしたのか、必然性がわからなくなってしまう。
 したがって、ここでも明里は天真爛漫のまま振舞い、菜の花を山南に示す。これが再生のメタファーであることは、すでに上に述べた。
 スローモーションで万感を込めて、山南が障子を閉める(これで三度目だが、今度ばかりは「遮断」ではない)その後に、涙のシーンが待っている。
「ウチはそれほどアホやない」(切腹することは察したが、そのことであえて山南を悲しませないために明るく元気に振舞った)「センセもすっかり信じ込んで、ああ見えて信じ易い人やな」「阿呆や」
 そう、人を信じる山南。それは
「誠」の心だ。だがそれは「阿呆」なことでもある。山南はしかし、それを貫いた人間として、このドラマの中で描かれているのである(「人の道に背いたわけではない」by 山崎烝)。三谷幸喜の人間観察の、なんと深いことだろう。その類型化の、なんと巧みなことだろう。
「私が腹を切ることで、結束はより固まる。それが、総長である私の、最後の仕事」
 ところがこの後、新選組を待つのは、またもや分裂、そしてただ転落の運命なのだ。
 だから結局、真に人の気持を汲み取っているのは、明里なのである。山南
「誠」も含めて。
 マグダラのマリアに聖別されるソクラテス、ということなのだろう。

 号泣する土方の肩を近藤が抱き寄せる場面は泣かせた。ついに自分の手で、取り返しのつかない時点まで突き進んでしまって、いざそうなったときの喪失感と索漠感は、いくら「避けては通れぬ道」とはいえ、さすがの土方にも想像がつかなかったというわけで、それを優しい土方の部分が後悔する。そうした哀しみを、山本耕史がじつにうまく出していた。あの号泣が、これまでの歩みに対する、すべての別れを告げていた。
 香取慎吾もうまくやったのだが、山本耕史が本当に泣きじゃくっているので霞んでしまう。あそこまでの顔をして泣く俳優は、初めて見た。切腹の検分の場面も含め、みな本気だったのだろう。

 さらば堺山南。

 後は、「新選組!」における甲子太郎について書いておかねばならない。というのも、次回からは油小路に向って伊東・平助ラウンドになるわけで、かれが山南の代わりとしての存在感を作れるか否かが、今後のドラマ作りの勝負になると思われるからだ。
 伊東はたぶん、新選組がこれほど苛烈な面を秘めている集団だとは考えておらず、だから簡単に乗っ取れると高を括っていたに違いない。ところが山南切腹に、いささか度肝を抜かれたわけだ。
 それにしても、あの山南を悼んだ有名な歌を、ああしたシチュエーションで使うとは思わなかった。好意的に考えれば伊東なりの善意と同情の現われということなのだろうが、もちろんあの状況における近藤土方に通用するはずもない。「あなたになにがわかるというのだ!!!」近藤に大喝されて、伊東は驚愕に顔を歪めて引き下がる
 つまり今回の伊東の演出(山南助命提案、山南弔歌)は、これから回を重ねるごとに、かれが腹黒い陰謀家から、じつは根は温かい、もしくは小心者であるのを温厚を装ってカバーする(どちらになるかは未だ私には分からない)、そのような才子肌の人物設定に、少しずつシフトして行く伏線なのではないかと思うのである。
 その過程のなかで伊東は、近藤を自分のよき影響下に置こうと、何度か努力を重ねるだろう。だがどこかで何らかの形でついにかれの神経は耐えきれなくなって、近藤と袂を別つのだろう。

蛇足:
八木源之丞山南と親しかったという説を生かしていた。
 
8/24追記:ちなみに、この八木さんの科白「山南はんを殺したらあかん!」は、視聴者の助命嘆願を代弁、土方の返答「それはあなたの言うことではない」は三谷幸喜からの返答、というじつに穿った指摘を、とあるサイトで見出した。これも一本取られたなあ。その他にも、山南三度の障子開け閉て+土方の障子開け閉てにも注目するなど、このサイトの視点は鋭いです。
そのサイト「無頼庵」のホームは、↓下記のとおり。
http://home01.isao.net/buraian/genkan.htm
山南尾形河合に遺言する場面では、尾形は文学師範となるから当然、河合に金の出入りをきっちりしろと言うのは、後の河合の悲劇を暗示するためのもの。
武田観柳斎の背丈に関する楽屋落ちギャグは、かれがいつも事件の局外でもったいぶっているだけに可笑しいが、それが今回の悲劇をさらに際立たせる。
島田は道化役として、あの偉丈夫がおろおろと実直に子供の使いをやるという設定で、これもドラマ全体の哀れさを引き立てる
●今回の斎藤は、ふたたび新選組の観察者、良心の語り部として登場しているようだ。
●岩木升屋のシーンは、山南の刀が折れるところも含めてサービス。

 来週は、この山南切腹の余波で龍馬が訣別し、また平助の心も離れはじめる、ということになりそうだ。つねさんは京へ上るのだろうか。
 

日付が前後しました

2004年8月17日(火)

☆五兵衛新田探訪
 台風の影響で、蒸して気持の悪い午前中。午後になってやや気分が持ち直したので、買物がてら、妻とともに新選組探訪に出発。
 今日は、敗軍の近藤勇たちが集結した、綾瀬の五兵衛新田を訪ねるのが目的。

 首都高速道路6号線の小菅出口で降りて北上し、常磐線綾瀬駅の方へ向うと、現在は首都高の高架が覆い被さる綾瀬川の河岸から程ないところに、かつての五兵衛新田の地はある。いまでは小さい家並が建て込んでしまっているが、幕末当時はさぞ平坦な、見晴らしのよい明るい地であったことと思われる。
 目的地の近くまで行くと、ここにも
誠の旗がひるがえり、新選組ゆかりの地であることを主張している。
 近くの閑静な一角にある蛭沼公園(ものすごい名前で、新田開発以前のこのあたりが、どんな地であったかを物語っているようだ)の脇に車を止め、綾瀬川に沿って歩いて少し南下すると、近藤はじめ甲陽鎮撫隊残党がわずか19日のあいだ屯所とした、豪農金子家の屋敷がある。
 ここはいまでも大変な豪邸で、恐るべき門構え。廻りの土地は細分したと思われるが、周辺には金子の姓を持つ家も多いし、現在でも当地の大一族、大地主、お大尽様であることには疑いない。
 綾瀬川を渡る新五兵衛橋へ通じる道を挟んだ南側には「金五自工」と看板を出した自動車修理工場があり、そこも裏へ回るとやっぱり金子姓で、これも大したお屋敷だ。それにそもそも「金五」とは、ここ五兵衛新田開拓の祖である金子五兵衛の苗字と名から、それぞれ一字ずつ取って名付けたものなのだろう。また、下に触れる稲荷神社に建てられている巨大な慰霊碑は、「支那事変と大東亜戦」における当地出身の戦没者を追悼するものであり、裏側の戦死者名を見るとここにも何人もの金子姓の人がいて、地域有力者一族といえども、少なからぬ犠牲を払っていることが窺われた。
 ちなみにそのすぐ近くにある鰻屋には「綾瀬新選組研究会」の大きな看板が出ており、きっと地元の有志が毎晩集まっては一杯やりながら、地域振興について語り合うのだろうと思われる。
 それからさらにその南に、五兵衛新田鎮守の氏神となった稲荷神社と、金子家菩提寺である稲荷山観音寺とがあり、金子五兵衛の墓である五輪塔がある(たぶんそうだろうと思しき磨り減った五輪塔にお参りした)。この観音寺にも近藤たちとともに幕軍残党が分宿したわけで、もちろん当時は、金子屋敷と合わせてこの一帯に広大な敷地が広がっていたからこそ可能となったものだろう。
 いうならばこれは、イギリスにおけるジェントリーのメナー、またフランスのブルターニュなどにあるジャンティヨムのマンスィオンに相当するもので、それにつけても、こうした豪農層がジェントリー階級に成長せず、十分な政治的発言力と権力とを持つまでに成熟しなかったことが、日本国政治経済を健全に発展させなかったという点で、返す返すも悔やまれる。やっぱり、イギリスのように七つの海に植民地を持たないと、所詮は叶わぬ夢なのか。
 ついでながら、金子邸の隣(要するに旧敷地)にも綾瀬駅の北にも、「シャンブル」という名のついたマンションが建っていて、恐らくは豪邸の持ち主たる金子様が地主兼大家であるのだが、この「シャンブル」が "Shanbulu" とベタなローマ字綴りであることには驚愕した(しかも日本式でもヘボン式でも、ローマ字ならば "l"は "r" だし、英語でもフランス語でも、それぞれ "chambers" 、 "chambres" だ)。

 ところでこの金子邸門前の足立区教育委員会建立の立札によれば、この地に滞在した近藤勇は新政府軍が迫ったのを知って、あえて流山に移動することで綾瀬一帯を戦火から救ったということになっているが、これは流山を戦火から救うために降伏したというその地の近藤説話とある意味で同工異曲であって、いずれにせよ近藤勇は、こうして地域守護神としての伝説化の道を歩んでいくことになるのだろう。
 そしてそれは、ごく自然なことなのだ。

 さて近藤勇率いる旧幕軍残党は、ここから江戸川を渡って松戸に出て北上し、流山へと向ったわけだが、当方は亀有から松戸〜鎌ヶ谷〜白井と道を取り、早くも梨もぎ観光と出荷とに忙しい北総台地の梨園農家を沿線の両側に眺めながらドライブして、今日のもうひとつの目的地、千葉ニュータウンのジョイフル本田で日用品を買い込んだ。そして最後は湾岸からお台場に出て、Decks の香港小吃城で食事をして帰宅したのだった。
 

 

2004年9月1日(水)

☆会津小旅行
 8/29、30と、妻を連れて会津へ行った。近藤勇の墓と白虎隊とを尋ねようという心積もり。妻は会津は初めて。
 台風16号来襲で西日本は大変だったようだが、こちらは曇りでときどき薄日がさすほど。
 東北道〜磐越道ルートを取り、磐梯熱海ICから母成グリーンラインへ向う。新選組古戦場、母成峠を少しでも体験したかったわけだ。ここは峠とはいえ平坦で、守るには兵が分散してなかなか困難だと大鳥圭介が述べているそうだが、たしかに車窓からみた風景は雄大でそんな感じだった。
 会津盆地に入り、喜多方へ。夕食にラーメンを食べようとの心積もりだった。駅近くのビジネスホテルにチェックインして、会津塗りの工房をちょっと訪ねて主人の自慢話をひとしきり拝聴した後、さてと思ってラーメン店を探したら、まだ7時前だというのに、ラーメン店どころか、ほとんどすべての店がすでに閉めており、通りは街灯を除いて真っ暗。レストランすらない。日曜日だからとはいえ、あまりといえばあまり。
「新選組!」の放映時間も迫っており、仕方なくここだけ開いていた大きなスーパーで簡単な惣菜を買い込み、ホテルへ戻る。
 ささやかな食事をしながら「新選組!」を観て、早めに就寝。たまに通る自動車の音以外はまったくなく、静かな夜。
 翌日は晴天。朝からじりじりと暑い。喜多方は会津塗り、蔵と蔵屋敷、醸造元で有名なので、午前中じっくり散策する。町を流れる田付川は阿賀野川水系で、水量は豊かで清冽。越後からの水運で物資が入ってきたものだろう。またここは飯豊連峰の南麓扇状地に当たっており、そのため軟質伏流水が豊富なので酒がうまいのだ。いまも会津には銘酒が多く、その醸造元のひとつである大和川酒造を見学した。山田錦の栽培から瓶詰めまで自社一貫製作であり、財力は豊かなようだ。車なので試飲はできず、嘗めただけだが、素直ないい味だ。明治〜大正〜昭和とつぎつぎに蔵を建て増しし、昭和蔵は現在ではコンサートホールに転用しているという。地方の贅沢さのひとつだ。
 こうした地方都市の知られざる経済力/隠れたるお大尽たちの名残をとどめる商店はほかにもあって、味噌醤油醸造元の若喜商店などは創業1755年、蔵は昔は十、今でも八棟あって、かつては敷地内にトロッコが走っていたそうだ。明治に入ってからは煉瓦職人を越後から家族ぐるみ呼び寄せて煉瓦を焼かせたという。また蔵座敷は全部柿の木作りで、どこから材木を集めたものやら、いまでは見当もつかないという。
 じつは喜多方の出雲神社には「自由民権発祥の地」という石碑があって、もしかしてこうした地方ブルジョワが関わっていたのかもしれないと、調べてみたくも思った。

 喜多方に別れを告げて西行し、山都町へ向う。ここは蕎麦の名所。喜多方から30分も走ると、そこはもう山里。稲が実り、蕎麦の花が咲いている。山都町のさらに奥に一の木という集落があり、ここの「やま仙」という蕎麦屋に入る。農家がそのまま蕎麦屋になっていて、客はわれわれのみ。蕎麦ももちろんうまいが、山菜の煮付と蕎麦つゆの味付けが、およそ東北の山村のイメージとは遠く離れてゆかしくて、むしろそちらの方が印象的だった。

 冬季閉鎖の狭い国道を通ってふたたび喜多方へ降りて、会津若松へ向う。ここはあまりにも有名なので詳細は省略。飯盛山の白虎隊記念館、天寧寺の近藤勇墓所、そして鶴ヶ城を見学してタイムアップ。帰りは会津田島に出て夕食、そこから台風余波の風雨をついて川治〜鬼怒川〜今市〜小山〜国道4号線というルートで帰宅したのだった。

 あとは感じたことだけ書いておく。
 白虎隊記念館は、いわば明治の「ひめゆり」記念館にあたるものだと思った。隊士の肖像画が並んでこちらを見下ろし、かれらの事績および会津の名誉回復の願いに満ち満ちている。こうまでして、なお会津が鎮魂されていないのだとしたら、やはりかれらを靖国神社に祭るしかないのではないだろうか。この国では、勝者が敗者を鎮魂しなければだめなのだ。
 近藤勇の墓は、ずいぶん山の上にある。ここにも墓参者ノートあり。また会津では、どうやら近藤の首はこの地に運ばれ納められたことになっているようだ。
 土産物屋には、白虎隊グッズはもちろんだが、新選組グッズもまた多い。鶴ヶ城では案内係のおじさんは新選組の羽織姿、またお城では「会と誠」(これは「愛と誠」のパロディか)という展示もしている。会津地域振興をやっている「会津支援隊」のキャラクターもダンダラ羽織を着ているし、新選組と相当にタイアップしようというところがあるようだ。

会津支援隊
http://www.aiaiaizu.com

 終わりに、ここへ来て、あらためて decent ということばについて、やはり「守節殉義」というのがいちばん近いのではないか、と考えたしだいである。大江健三郎がどういうニュアンスと文脈でこのことばを使ったかはもう忘れたが、結局は「誠」ということなのではないか。
 

 

2004年9月1日(水)

☆「新選組!」第三十四回
 山南を失った悲しみから一転し、桂を含む多摩試衛館オールスターキャストの腹を抱えるドタバタ劇によって、淋しさを忘れさせてやろうという意図の回。いうなれば今回は、葬式の後に親族一同が集って悲喜劇が繰り広げられる「お斎」という見立てなのだ。
 こうした作劇は、三谷幸喜の最も得意とするところだろう。久々に「演劇」として観られるので嬉しい。

 さて「お斎」で追悼する見立てと仮定すると、やはりドラマの背景には、山南の姿がずっと明滅していることがわかる。
 それはかれがかつて龍馬に言った、「人と人との繋がり」というテーマだ。
 まず山南龍馬に「託す」という二文字の手紙を遺すが、寺田屋でくすぶっていた龍馬は、これに対して「人と人との繋がり」を「託された」ものと受けとめて、薩長連合(桂−坂本−西郷の「繋がり」だ)実現に対する熱意を蘇らせる。
 また山南明里という女性との「繋がり」を得たという事実は、京都に来てはや二年、心休まる「繋がり」を得たい、得てもいいのだ、というそれぞれの決心を後押しする(「それって罪でしょうか?」 by 源さん)。そこで永倉は小常を迎え(これは次週の松原事件のそれとない伏線かもしれない)、左之助はおまさに求婚し、ついでといってはなんだが、捨助のおりょうに対する気持も描かれる。
 そして最大のものは、今回の劇の本筋となっている、近藤による深雪太夫の身請けである。しかもその結果、深雪とつねにも一種の繋がり(とりあえずの合意)すら生まれる。
 こう考えてくると、結局「新選組!」では、新選組と幕末の動向のすべての種をまいたのは、誰あろう山南ということになるのである。
 だからやはり今回は、抱腹絶倒のコメディでありながらも、歴然として山南に対するオマージュなのである。

 ドラマそのものは、平助による山南の追憶という場面から始まり、近藤の身請け話にまつわるドタバタ→カタストロフ→将来への波乱の芽を含む一定の平衡状態という、起承転結の常道によって進行し、そこに薩長連合のサイドストーリーがからむ。つまり、オールスターで薩長連合という構成にするためには、どうしても舞台は寺田屋でなければならないというわけだ。
 山南は千葉道場を離れるさいに、「ようやく居場所を見つけた、一から出直しです」と試衛館の門人となるが、壬生でふたたび「居場所がなくなった、一から出直しだ」ということになる。つまりかれは典型的な「つねに居場所を探す」人間なのだ。
*そのかれがついに主体性を発揮したのが自決という行動なのだが、このあたりの心理学的・社会学的分析は手に余るので触れない。
 だがこのことは平助にもある程度当てはまるので、伊東道場から試衛館の寄子になり、沖田になりすまし、これからまた甲子太郎と同心することになるのだが、そうした点で平助山南にシンパシーを持っていることは疑いないし、山南の死が将来の平助の離反になんらかの伏線となることもまた確かだろう。ただし今回の平助はみつつねを京都に連れてきて(これがかれが伊東一統よりさらに遅れて帰着した理由付けだろう)大混乱の原因を作った責任者として狼狽しきっており、いまだ居場所探しでふらついたり、近藤たちに反感を持ったりする暇はないだろう。
 身請けの儀式の場所として新選組に縁浅からぬ寺田屋を選んだ近藤源さんが去った後、別室に控えたみつとつねを見た沖田の驚愕から、ドタバタ劇の幕は上がる「落ちつけ平助」と自分が焦る沖田
 みつが隊士に大演説をぶつ光景に辟易しながら障子を閉める沖田の姿は、もっと重大な心理機制から障子を閉ざした山南のパロディ。
 伏見へ行くとはしゃぐ二人の女性に「面白いんでないの?」と焚きつけ、そこはかとない意趣返しをする永倉と左之助
「駕篭賃が高い」と言い抜けようとする沖田。そこに義理堅くかつての脱走用立て金を返しに現われる斎藤沖田「余計なことを……」「オレのせいだ……」と羽織のひもをまさぐり落ち込む斎藤。この責任感表出も久しぶりだ。
 密度の濃い展開。楽しき多摩時代のフラッシュバックでもある。

 ドラマは伏見へ。太夫を迎えた源さんが振り向くと、そこには船に酔ったみつと、それを介抱するつねの姿がある。カートゥーンさながらの演出。
 ここから舞台は池田屋の密室劇へと移り太夫の身請け、事態糊塗の企て、桂と龍馬の三つの場面が、ときには同時に進行し、ときには絡み合いながら、カタストロフへと突き進む。
 太夫の好物の大福を手に、お上り二人組の前で立ちすくむ。その大福を口の回りを真っ白にして詰めこむ源さん。一方みつ(および捨助)と鉢合わせしてを狼狽させるが、そのみつの秘密を告げて江戸の仇を長崎で返し、してやったりとほくそ笑む
 こうしてついに事態は露見するが、お登勢の機転で、太夫を身請けするのは源さんということになって(「この年になって初めて恋をしました、これって罪ですか?」)一件落着かと思いきや、そこに駆けつけた歳三が飛び込んで、事態は再び混沌へ。あげくは源さん歳三が取っ組み合って、殴られた歳三が鼻血を出した(捨助、寺田屋番頭についで三人目?)ところで事態はクライマックスに至り、ついに
「それまで! もういい、みんな、それなりにありがと〜う!!!」
という大音声でカタルシスがくる。ここが序破急ので、息もつかせぬスピーディな展開。今回は笑いの涙なのだ。

 あとは静かな終局へ。深雪太夫とつねとが対話する一方では、風呂へ追いやられた(沖田と同じ)勇は龍馬と出会って友人として最後の会話を交わし、湯に濡れた手で顔を叩いて、水面をじっと睨みつける。事態は根本では解決されず、なお近藤の悩みは残るのだ。

 そして劇の終わりに観客は、山南テーマをもう一度想起する
「人と人との繋がり」。たしかに多くの人が繋がった。つね深雪太夫ですら一定の繋がりを得た。
 けれども、龍馬と勇だけは「切れて」しまうのである。薩長連合と佐幕とがここではっきりと分岐し、二人の立場はもはや交わることはない(こんど会うときは、敵同士じゃ」)。
 だが龍馬と勇との繋がり、それはつまり内戦のない日本の姿の象徴だが、それこそが、山南の最も望んだ、「託した」繋がりであったかも知れないのである。

 ということで、今回の劇もギリシア演劇や能の常道に従って、喜劇は幕間、本筋はやっぱり「悲劇」だったのである。

蛇足:
山南は剣道シーンも含めサービスショット。
お登勢は鉄火女としていい役。筋としてはを許さないが、キャラクターはしだいに気に入るというあたりをよく出していた。
●「みんな、それなりにありがと〜う!!!」という近藤のことば(源さんの「それって罪ですか?」と双璧をなす途方もない現代セリフ)は、穿って考えると、すべての種を播いた山南に対しても言っているのだろうか?
身請けの世話役である京屋に別れを告げて近藤と源さんが頭を下げ、顔を上げたらみつとつねの二人に変わっているというのは定石ながらスピーディで面白かった。
●来週は松原忠司エピソードをやるらしい。これから先は、ずいぶん忙しくちりばめていくことになりそうだ。
●ということは、本願寺引越しのさいの、八木さんに対する土方五両謝礼エピソードも入れるのだろうか。

◆今回は久々に演劇を語れて嬉しいのだが、しかしこれは、断じて「大河ドラマ」ではないなあ。橋田壽賀子の「おんな太閤記」でもこんなではなかった。というのも、今回の史実は深雪太夫の身請け話のみで、あとは歴史的人物を借りているだけで、じっさいは誰が誰でもかまわないのだから。まあその理由は、上に書いたとおりなのだが。
 

9月中、旅行と調査のため、しばらく日本を離れます。
次回以降の感想は、ちょっと不定期になります。

2004年9月12日(日)

☆「新選組!」第三十五回
 再放送を観ての感想。旅行と調査との合間なので気忙しく、短いものとなった。
 西本願寺への屯所移転という大きな動きが背景なのだが、ドラマそのものは今回もまた静かな interlude といった趣きで、さまざまなサイドストーリーを巧みに組み合わせて構成してあった。
 ドラマは引っかき回し役の捨助、変装の桂、長州藩士仙波、そして斎藤はじめ新選組隊士の絡みから始まる。捨助が自暴自棄に刀を振り回してすっぽ抜けた刀が斎藤の間近の壁に突き刺さったのを、かれが勘違いして「できる……」とつぶやくのは御愛嬌というか、ほとんど悪ふざけの域。
 悪ふざけといえば、引越し挨拶に配る手拭をめぐる一幕は、もはや新選組好事家に対して三谷幸喜が挑戦しているのではないかと思われるほどの確信犯的コントであり、あの手拭は今後、あらたな新選組土産グッズとして売り出せば商品価値を持ちそうな気がする
 この冒頭の乱闘で松原忠司が長州藩士を斬るが、いまわの際に妻への金子を託されて、その家を訪ねる。これは松原の有名な心中エピソードを換骨奪胎して組み入れたものだろうが、なかなか巧みな設定だ。ただこれはこれ以上には発展しないようにも思われるのだが、もちろんまだわからない。
近藤土方の間柄にはちょっと妬ける」というお幸の科白は、腐女子へのサービスだろう。「山南が皆の心に火をつけた」と永倉が言うが、なかなか山南もまっすぐで迷惑な男だったわけだ。
 源さんティーンエイジャー特有のコンプレックスを示す周平に、年長者らしく上手に元気をつける左之助も含め、お決まりだが心温まる光景。結局周平はものにはならないのだが。
 こうした楽しい話に、ひでの沖田に対する悲恋の話が交錯する沖田は必ず「散る花」とイメージ的に関連付けられるが、花は散りながらもかならず種子を留めずにはおかないだろう。ひで総司が結ばれたか否か、それは最後の場面での二人の目配せを含めて、慎み深く観る者の想像にまかせられ、そうしてやはりストーリー全体に温かい余韻を残すのだ。
 旧五百円紙幣のオッサン岩倉具視(いかにも悪人公卿面)と西郷とが会っているところへ捨助が現れる。ところがから託された密書はたきはお登勢に折られており捨助が届けたのはただの白はたき。とはいえこれが、どうやら「日本を白紙に返す大掃除」つまり倒幕の含意となって西郷に響くらしい。これは龍馬の「日本を大洗濯」をも思わせて、面白い設定だ。
 いよいよ引越しの別れも済み、八木家で近藤が感慨にふけるところに、将来の語り部たる少年為三郎が「先生のこと忘れへんから」と言って帳面を見せる。浪士組が来てよりこのかたのことが、すべて書き留めてあるのだ。走馬灯のように過去のさまざまな場面がフラッシュバックし、これでドラマは完全に新たなシリーズに入ります、という区切りをはっきりと告げる。
 そして最後に箒がまともに立っているという趣向で、少なくとも新選組は、壬生八木家には受け入れられつつ、次なる展開にむけて、今回の幕を静かに下ろすのである。

●最後に蛇足ながら、引越しの礼として土方が八木源之丞に五両差し出して源之丞が「二年間の家賃としてはずいぶん安いなあ」と笑ってお祝いの菰樽をお返しし、後で沖田が笑いながら「土方さんが顔から火が出ると言ってましたよ」と伝える子母澤寛の記す有名な逸話が採用されなかったのは残念だった。
 

 

2004年9月12日(日)

☆「新選組!」第三十六回
 これも短く気忙しい中での感想。
 まずは予告編から。松原エピソードはほとんどそのままの形で生かされそうだ。
 今回も比較的静かな進行。直参旗本を振りかざす佐々木只三郎が、火事場采配をきっかけに近藤をあらためて見直すという枠組の中に、いくつもの挿話と伏線とをはさむ構成。
 ドラマは、またしても天狗こと捨助から始まる。沖田率いる新選組一番組に追われ、進退極まったところに佐々木の見廻組が横車を押す。両者が揉めている最中に逃亡を図る捨助屋根の上で嵐寛寿郎を気取ったはいいが、沖田に頬かむりを切られて正体がばれる。ここのパロディ、頬かむりの仕方がアラカンとは逆のところも面白い。
 今日は伊東が諸処でいいところを見せる近藤の人物評価も公平に行ない、会津容保公に情勢分析を披瀝し、隊士たちには洋式軍学を講ずる。これが古式兵法しかできずに次第に窓際に追いやられる武田観柳斎の破滅の運命を導く伏線になっているのだ。英語の手習いなどもしていたという高台寺党の事績を、ドラマの中でもこうしてうまく生かしていた。
 伊東についてなにかを打ち明けたい平助や、古地図を破いて慌てる左之助などの行動は、後の伏線としてとりあえず押さえておかねばならないだろう。
 ちなみに、浅野は相変わらず傍観的批評家、また周平を苛める人斬り大石なかなか酷薄そうに演じていた。このあたり、ハイスクールドラマ的情景描写。
 寺田屋でくすぶっていた龍馬も、ついに何かをつかんだようで行動を開始する。
 一方、おりょうに振られた捨助は捨て鉢となり、座敷で大の字になって荒れるが、これが思わぬ失火を引き起こし、この火事場騒ぎが、後半のドラマのすべてを支配し動かしていく
 松原お初を救うため、斎藤の「これ以上関わるな」という忠告にも従わず、火の手の回った天神横丁に駆けつける。ここで斎藤がアドバイスするというのは、子母澤寛『新選組物語』中の「壬生心中」で、明治になってこの秘話を八木為三郎に語るのが斎藤一である、という設定に従ったものだろう。また河合がその傍らにいるというのも、後のことを考えると痛々しいものがある。
 
火事の知らせに新選組は直ちに出陣するが、ここでまたもや横槍を入れるのが見廻組。ばらばらな行動をすると統制が取れず混乱を招くから軍議に加われ、と道理を説く近藤を頭から見下して言うことを聞かぬ佐々木から一本取って黙らせるのは、やはりというか、「先陣を切ったのは新選組、遅れを取った見廻組はその下知に従って当然」と、武士の仕来りに則ったことばを当意即妙に使った参謀甲子太郎だ。
 他方、龍馬は薩摩屋敷を訪ねて西郷を説得する。この場面、「ビジネス」という外来語をうまく使いながら龍馬と薩長連合成立との関連を観客に呑みこませていく。さすがにこれを説明しておかないと、明治維新にまでドラマを持っていけないからだ。また現代の「国益」というものをも考えさせられる、うまい設定だ。
 ちなみに、ここで龍馬が見抜いている薩摩の食糧不足は、容保の命を受けた近藤の督促に対して西郷が煮え切らない態度を見せる原因でもある。このあたりのことについて私は詳しくないが、きっと巧みに史実を組み入れてあるのだろう。
 そして対岸の火事を眺めながら、龍馬は「どうせ日本は大火事になる、それならど真ん中で火の粉をかぶりたい」と述懐し西郷の心を動かす。
 最後は陣幕の中で、鮮やかな統制と胸のすく采配を見せる近藤(このところ、香取慎吾はほんとうに勇の顔になってきた)を、しだいに見直していく佐々木「ひょっとしてほんとうに御公儀の役に立つのは、あなたたちかもしれない」
 だが直参旗本から発せられたこのことばは、近藤をいっそう誇らしく奮い立たせてしまうだろうし、また旗本のプライドにかけても佐々木も踏ん張るだろう。その結果、佐々木は鳥羽伏見で討死し、近藤もまた悲運に見舞われるわけだ。
 そうした含みも持たせたこの科白で、山崎による鎮火の知らせとともに、今回の幕も静かに閉じられるのである。

蛇足:
●八木家の下男房吉役、星ルイス(2005年師走追記:この人も2005年には故人となった)さんは、セントさんが亡くなったせいか、ほんとうに悲しそうな顔に見えて気の毒だ。
 

 

2004年9月27日(月)

☆「新選組!」第三十八回
 チベット調査から帰って妻に聞くと、第三十七回でもう松原さんは死んでしまったというではないか。それも通説や史話とないまぜ、虚実皮膜の間をついてうまく作り上げたストーリーだったらしいではないか。残念。
 というわけで、第三十七回はビデオを観てからあらためて感想を書くこととして、第三十八回にいく。
 
 ここまで「新選組!」を観続けてきて、どうも段々に思うのだが、もう三谷幸喜にとっては、史実とか考証とかは、どうでもいいのではないか。というよりも三谷幸喜は、演劇批評家や放送評論家、それに史劇好きの従来の大河ファンやうるさ型視聴者に対して、これでもかこれでもかという風に、次から次へと挑戦状を叩きつけて来ているような、そんな気がしてならない。「私は今回はこの歴史素材を使ってこんな解釈をしました、それで今度はこんな趣向をしましたが、それでよろしゅうございますか、文句おありならどうぞ」といった感じだ。だからこそ一回一回は、ドラマトゥルギーをきっちり押さえた上で作り上げているわけなのだ。
 だれも悪者にせずに(土方、武田を含めてだ。番組の性質上できないとも思うが)、ただ運命の神の天秤次第で翻弄される人々の姿を描き出すのは三谷幸喜の得意とするところだろうが、それはまたギリシャ悲劇以来の常道でもある。
 そして今回もまた、そうした虚実皮膜の間をつく「舞台」に仕上がっていた。

 ドラマは、大枠として近藤と伊東の長州下りで全体を包み、そこでその間に起きた河合耆三郎の悲劇を物語り、しかもそれを河合の回想によるナラタージュ手法で仕上げるという、複雑な入れ子のような構成で、これもけっこう三谷の挑戦状だろう。しかもストーリーそのものはストレートな悲話なのに嫋嫋たる余韻もあり、なおかつ過去のさまざまな名作からの引用にも満ちているようだ。それはまた、河合役大倉孝二の名演にも依るところが大きいだろう。
 過去の人斬りの記憶に魘される斎藤一。今度も従来同様に、河合の介錯をまかされるのではないかという不安に押しつぶされている姿だ。
 また、広島へ行くなと近藤に言う土方。これはふたたび副長としての苛酷な決定を下さねばならぬ仕儀に立ち至るかもしれない、というかれの不安を表現するものだ。かくして劇中の不安な気分が、次第に高められていく
 一方、処刑の当日に河合の教誨師役として西村兼文を持ってきたのもうまい。つまりかれは同時代の記述者・語り部として、歴史の上に名を留めているからだ。そして物語は、西村に対して河合が事情を語り遺すという形で展開して行く。
 西欧軍事学の本を買いたい武田。この本の代金貸借にまつわるトラブルが、結局公金費消の罪科となって河合の命を奪うのだが、これを入手したがっているライバルの一人が土方であるというのは、かれの柔軟性と後の洋装への転換を暗示する。他方、もう一人のライバルは、武田が敵愾心を燃やす対象である開明派伊東甲子太郎の、その腹心の加納道之介であって、せっかく河合の命を救うために本屋に返本して代金を取り返そうとした武田は、加納がこの本を入手したがっているということを聞き出したことで本を返すことをやめ、ついに河合を見殺しにするのである。
 これらはみな、人間の気持の揺らぎ、避けることのできない運命の天秤の偶然の揺れなのであって、そのあたりのドラマの流れを追うのは、観劇の醍醐味だ。
 だれもが事情を知っており、だれもが河合を救いたくとも救えない。救えるのは近藤勇ただひとりなのだが、そのかれは広島で長州との実りのない談判に忙殺され、やはり運命に翻弄されている。「近藤君には気の毒だが、そろそろ別の道を歩むときかもしれない」と伊東はつぶやき、また土方は主のいない座敷の床の間に飾られた
誠の旗を睨みながら重責に耐えかね「かっちゃん……」とうめく。ほんとうの「誠」とは何か? どうやって人間は「誠」を生きるか? あの旗は、いまのわれわれに投げかけられた課題でもあるのだ。
 沖田だけが河合の助命に冷たいが、それはかれ自身が残り少ない命を(たとえ医師孝庵の助言に逆らってまでも)
「誠」に生きようと懸命であるからで、その姿勢からすれば、河合の失策は、自らを大切にしなかった当然の報いであるとしか思えない。河合に止めをさすのが沖田であるというのもまた宜なるかなだ。とはいえ沖田自身とて、養生をすることと新選組組長として京の町のため力を尽くすことと、そのどちらが「誠」であるかには、当然迷いがあるはずだ。沖田のシーンは、そのあたりまでをも考えさせる。
 両手に小判を握った平助が駆け込んで来る夢を見る河合。しかし実際に来たのは、死装束の載った三宝を捧げ持った島田である。このあたりもドラマの常道
 こうして西村にすべてを語り終え、思い残すことのないはずの河合が、いよいよ悟りきったように「人生とは……」と感懐を述べかけたその瞬間、故郷から金を齎す飛脚の鈴の音の幻聴に、ふたたび命への執着をさっと漲らせるここの演技と演出は、人間の業というものをよく表現していて哀切だ。すすり泣きながらうつ伏す裃姿の河合に上からスポットライトが当たり、対面の語り部西村は、歴史の闇の中に融け込んでいく。
 いざ切腹の場面。「飛脚は、まだですか」という河合の科白は、子母澤寛『新選組物語』そのままだが、一方では『仮名手本忠臣蔵』で大星由良之介を待ちわびる塩谷判官を思い起こさせもする。谷三十郎が介錯を仕損ずるのも『新選組物語』の「隊士絶命記」中にある話だが、その際が介錯をしたのは田内知という隊士、止めを刺すのは斎藤一と、「新選組!」ではこの二つの話をひとつにまとめてある。ちなみに子母澤寛によれば、河合の介錯をしたのは沼尻小文吾という隊士で、こちらもやはり斬り損なっているという。
 やがて切腹も終わり、やはりふたたび近藤不在の間に隊士を処分せざるを得なかった土方は、回廊の柱に頭をぶつけて自らを責める。ここは、かつての近藤を思い起こさせるところだ。
 最後の場面、河合の遺品の片づけをする西村の耳に、また階の上で佇む土方と源さんの耳に、こんどは幻聴ではない鈴の音が、はっきりと聞こえてくる
 そうして、飛脚が中庭に駆け込んでくる(実際はありえないことだろうが)その後ろ姿がホワイトアウトしつつ、今回も静かに鎮魂劇の幕は閉じられるのである。

蛇足:
●実際の寺田屋騒動を話の枕に、そして龍馬を板付に使うとは思わなかった。しかもそこに、おりょうに振られた腹癒せに龍馬を売ろうとする捨助が一枚噛んでいたとは面白い。
平助はきりりとした雰囲気をしだいに出しはじめている。
河合を救うための金を作ろうとする左之助、斎藤、平助の賭場での一幕も、昔の時代劇からのよくある引用で、中盤のいいスパイスとなっている。
 

 

2004年10月03日(日)

☆「新選組!」第三十九回
 今回は、壁を乗り越えられずに自己憐憫に浸り、そのくせ人に流されやすいダメ男、周平のドラマだった。この手の人物像は、私も含め、そのあたりにいくらでもいるだろう。
 死を見つめている沖田は、そのためこうした人生態度がとうてい許せず、それで極めて辛く当たる
 それに対して平助は、周平を殴りつける沖田を羽交い締めにしながら、「あなたとは違って、いくら頑張っても上達しない人だっているんだ!!」と涕泣し、源さん「これからじゃないか」と思いやり深く周平を抱きかかえる。これらはいわば、天才に対する凡人の心の叫びといえよう。
 きっとこれはまさに、演劇部とか運動部で数限りなく繰り返されてきた場面、ある種の面映い青年時代の一シーンなのだ。周平という人物は、たぶんこうしたキャラクターとして登場させるにはうってつけの役どころだったのだろう。
 さてこの周平のその後というのは歴史の上ではどうやら判然とはしていないようだが、このドラマの中ではしばしば源さんに救われていることから、おそらく鳥羽伏見の戦いの中で、源さんとともに死ぬのではないだろうか。

これは御存知のとおり、そうではありませんでしたね。(2005年2月21日補記)
 ドラマそのものは、いくつもの筋が絡み合って緊迫した構成。まず河合の介錯に失敗してから軽んぜられるようになった谷兄弟が脱走し、斎藤と島田に斬られる(このあたり、子母澤寛などをうまく取り入れている)。その斎藤は暗殺者として心をさいなまれニポポのような神像を彫ることで精神を安定させているが、それを左之助への祝いとするのは、何かの伏線になるかもしれない。一方、斎藤島田について来た監察方の浅野はあまりの凄惨さに恐怖してこれも脱走を企て、周平を動揺させて仲間に引き込もうとする周平はもちろん拒否するものの、養父近藤に一抹の不安感(自分が評価されていないのではないか)を抱き源さんに相談をかけるが、源さんは折悪しく左之助婚礼祝いの寿司作りにかまけて相手にならない。訪ねて行ったお幸もまた、妹に再会する仕度に忙しいが、それでも近藤が周平をけっして低く評価しているのではないということを知って周平はひとまず安心する周平は、人から評価されたり愛されているという確信が持てない男なのだ。
 いよいよ妹に会うため出かけようと外に出て、手引きの山崎を待つお幸の耳に、浅野と周平の話し声が聞こえてくる浅野にうまく利用されて脱走せざるを得なくなる周平の危機を伝えようと屯所に走るお幸。しかしこれでかの女は決定的に身体を痛めるのだ。倒れるお幸を抱きとめるのは斎藤。かれは万事を呑みこんで影のように走る。
 死を意識し、鬼神のように不逞浪士を切り捲る沖田とそれに従う「人斬り」大石が、脱走の二人を発見して追う一方、斎藤の知らせを受けて急遽左之助の祝いの場から抜けた源さんと平助が、いまや道に転び倒れて大石に斬られる寸前の周平を救う。そして周平を見捨てた浅野を黙って去らせるのは、やはり神像など彫って仏心に捉えられかけている斎藤なのである。
 ちなみに、「浅野は死んだ」と言う斎藤に、大石がすかさず「屍骸は?」と突っ込み、それに対して斎藤は「鴨川に落ちた」と軽くいなすが、これもまた、子母澤寛の記すところ(浅野は沖田に斬られ、死体は川に蹴り込まれた)などをうまく使っている。
 そうして結局周平は、源さん平助の嘆願で助命され、谷周平として挽回を図ることとなるのである。
 その間にも歴史は動き、ラスト・タイクーン慶喜が登場、捨助は見廻組佐々木只三郎のもとへ出向き((新選組を含め)俺をないがしろにしたヤツらをギョフンと言わせたい」─とんでもないキーパーソンになったものだ─)、龍馬とおりょうの幸せも長くは続きそうもない。
 また甲子太郎と加納は密かに岩倉を訪れるが、そこにはすでに山崎の目が光っていて、ドラマはこれから高台寺党分離へと突き進み、ますます緊迫の度を加えていきそうである。

蛇足:
●今日はみな山南走り
●幹部の中ではもはや沖田だけダンダラ羽織(それもちょっと着崩して)着用。残された命を精一杯生きようとする沖田の、新選組に対する誠実さ、
「誠」のあらわれという演出だろう。
山崎大活躍。
祝いの寿司を作る源さんと平助の場面、沖田と土方の会話の背後で、しっかりと演じていたとくに寿司の具を入れる平助が、箸についた寿司の飯粒をちょっと取って味見/つまみ食いする芝居。
「オレはいつも中心だけど」酒盛りの喧騒中から左之助のアドリブをちゃんと拾っていた
永倉近藤源さんもいなくなった後、さぞ土方にからんだことだろう。
 

 

2004年10月11日(月)

☆「新選組!」第四十回
「新選組!」も、ついに余すところ10回を切った。クランクアップもしたそうだし、あとはもう一瀉千里にクライマックスだ。平助甲子太郎も、あとわずかしか登場しない。各地の新選組フェスタも残り一月くらいで、これからは秋の深まりとともに淋しくなる。
 さてもうお幸も死に(お孝は実の妹ではないのか?
)、ドラマは御陵衛士の分裂を描く。つまり、甲子太郎と平助のドラマだということだ。
 この大河中の甲子太郎の人物像についてはさまざまな意見があるようで、こんな扱い方は不当だと烈火のごとく怒っているサイトも存在する。以前にも書いたが、新選組というのは賢治と同じく個人的思い入れの激しい対象だから、そうしたことが尖鋭に現れるのも当然だ。

 私としては、このドラマでは、甲子太郎は非常にストレートに表わされていると思う。何がかというと、それは、真摯であるが策士であるという性格設定だ。この二つの性質は、相容れないものではない。ただ頭があまりに回りすぎるため、その真摯さが、愚直な近藤の
「誠」とは違ってきてしまうということだ。それが今回甲子太郎にいっぱい食わされて同士に加えられかけた永倉の、「(あなたは)己も信じていない!」という喝破に表わされているわけだ。
 ありとあらゆる事態に対応しようとすれば、そういう人間は、その時点その時点の自分の決断や自身の存在すら疑って対応せざるを得なくなる。「策士は策に溺る」というわけだ。だが
「誠」近藤はそんなことは関知するつもりもなく、不利なカードを引くことすら百も承知で、あえて甲子太郎に「言いくるめられる」土方はもちろん我慢できないので、高台寺月真院に斎藤を送り込むが、それは他方では、渦に巻き込まれてしまった平助の身を慮ってのことでもある。ちなみに、分離の口論の場面での山本土方と谷原甲子太郎の目での演技の仕合いは、定石に嵌まったいい演出だった。
 要するにここしばらく、「新選組!」は、ごくごくまっとうに、というよりもこれまでのいかなるドラマにもなかったくらいに克明かつ正直に、人間群像を描き出しているのだ。幕末のほんのわずかな時間に盛衰した新選組を、土方の、近藤の、沖田の、吉村の、つまり従来のような個人のドラマではなく、そうした群像そのものを描き出すための最高の題材として捉えたところに、三谷幸喜の慧眼があるといえよう。

 劇そのものの主眼と重点は、終盤のクライマックス、沖田と平助がお互いに心情を述べ合うダイアローグにもっぱらある。
 前回、周平を叱咤する沖田に向って「あなたは天才で常人とは違う、そのことをあなたはわからない」という意味のことを言った平助は、今回もまたそのコンプレックスを、天才沖田にしきりとぶつけ、打ち明ける。「私は伊東先生について来いとは言われていない永倉さんや斎藤さんのことは策を弄してまで呼ぼうとした、それに較べて私は物の数に入っていないのだ」
 それに対して沖田は「甘いな、子供だな」と一蹴し、「伊東平助のことを信じているから言葉に出しすらしないのだろう、近藤先生と私の間柄はそうだ、平助おまえは、いちいち言葉にしてもらわなければわからないのか!」と極めつける。
 ところがこれは、私が思うに沖田の希望的に過ぎる人間像の読み間違いで、甲子太郎こそ「言葉でしかものごとを解釈しない人間」なのだから、そう考えればやはり甲子太郎は、平助のことなど歯牙にもかけていないのだ。以心伝心で「信じている」のではなく、言葉で説明する必要すらないと「高を括っている」のだ。ここの沖田の台詞で、近藤と甲子太郎の違いがはっきり際立つことになる。
 とはいえまたもや一本取られた形となった平助沖田「私はあなたに勝ったと言えるその日をめざして来たが、あなたにはいつだって敵わない、あなたはいつも先にいる、うらやましい」とかこつ。劇中にはその仇名は一度も出てこなかったが、これは平助が「魁先生」と呼ばれたことを想起させる。かれは真っ先に、というより沖田よりも先に行きたかったという風に、このドラマでは解釈しているということだ。
 ところがこれは沖田にとっては、死ぬことまで自分が先に行くということを言われたような気がすることになる。そこで沖田は、「うらやましいのはこっちだ」と、自分が労咳であることを打ち明ける。「来年、再来年のおまえがうらやましい、だから私のことをうらやむのはやめてくれ」と。
 そこで二人は
誠の旗を背景に、「せめて相打ちに」と手を重ねる見えているようで見えていない運命、見えていないようで見えている運命を、お互いに生きるのだ。
 そうして最後は、「辛かったら戻って来い」という近藤の言葉で劇は締めくくられる。ところがそれは、加納と土方の話し合いで、じつは叶わぬこととなっている、という悲劇の余韻もまた残すのである。

蛇足:
●画面のこちらにいると思しき捨助を睨む近藤の目線。
捨助がそれぞれの肩に置いた手を同時に外しながら「カエレ!」と叫ぶ土方近藤の様式的演技。
●「カエレ!」と対応する甲子太郎の「プリーズ、ゴウ、ホウム」。平助のホームはどちらなのだろう。
●「なぜオレを誘わない」という左之助。かれなりに鬱屈するものがあるのだ。
もう一ひねりありましたね。(2005年2月21日補記)
 

 

2004年10月19日(火)

☆「新選組!」第四十一回
 自分の心の弱さが、どうしようもなく運命を引き寄せ動かしてしまう「そいつが自ら播いた種だ」by 土方)、そんな男、武田観柳斎のドラマ。
 このドラマでは一貫して、武田はおべっか遣いの敵役ではけっしてない。三谷ドラマではおそらく真の悪人というものは存在せず、善に見える行為も悪に見える行為も、すべては人間の業の積み重なりのひとつでしかなく、目隠しをした運命の神の天秤しだいでその評価が定められるわけで、演劇とはまさにそうした人間像に対する感情移入と解放の営為なのだから、むしろそれでなくてはならないわけで、したがって武田もまたそうした業深い人間のひとりとして、いや絶好のキャラクターとして三谷幸喜に選ばれ、描かれることになるのだ。
 武田は武田なりに努力を重ねて上り詰めてきたのに、他の皆はそうした武田の所業を憎み、かれの格下げという、武田からすれば理不尽な処断をする。しかし武田とてプライドがあり、「一切を返上」して部屋に戻る。
 そこに、新選組が幕臣の地位を受けたことに納得できずに反発する四人が訪ねてくる。どうやら武田観柳斎はとうの昔に蚊帳の外に置かれていて、土方加納が交わした、これ以上新選組と御陵衛士との間に人員交流を持たないという取り決めを知らされておらず、いまだ自分が両者の間を取り持てると考えているようだ。そのため武田はこの四人に、近藤に書置きをした上で伊東の許へ駆け込めとアドバイスするのだが、あまりにタイミングが悪すぎる。もちろんこの試みがうまく行くはずもなく、武田加納に一蹴されて引き下がり、置き去りにされた四人は会津藩邸に走り、そこで自ら切腹する運命に追い込まれてしまうのだ。
 通説では伊東一派の間者として脱退という挙に出たと目されているかれら四人だが、三谷脚本ではもはやそうした時代考証的背景はまったく無視して、かれらのことは武田のちぐはぐな政治的行動による純然たる被害者として扱い、これまた武田の運命を狭めていくストーリー上の伏線として使うわけだ(だからもちろん、新選組による謀殺という説は採らない)。
 だが致し方ない今回は武田のドラマなのだから。それに脚本があまりに巧みに結び合わさってできているので、観ている方は、よくまあこんな風に作るな、とただひたすら感心するばかりだ。
 また、たまたま近藤は、幕臣になったことをしおに、粛清のためにしかはたらかない内部的法度はもう止めたいと考えており、この四人についても「戻ってくれば水に流す」つもりだったのに、戻るどころか藩邸での自決という大騒ぎになったのは、これまた武田の無責任のせいであって、さすがの近藤にも「なぜどうして……」という怒りと悲しみが湧きあがる。土方はじめ他の隊士たちについては、いわずもがなだ。
 ついに脱走する武田伊東のところでけんもほろろに扱われ、薩摩の西郷のもとでは「会津藩の機密を盗み出せば仲間にする」と条件をつけられる。小賢しい奴としてどこでも相手にされずに、ついに土方沖田に捕らえられて近藤の前に引き出される武田
「あなたのせいで何人の隊士が死んだと思っている」
「私だけのせいではない」
「ならばなぜ逃げた? 私はあなたを高く買っていたのに、あなたは心が弱く、ウソを吐き周りを振りまわす」

 限られた才能の中で懸命に這い上がろうとする観柳斎の姿に、どこか多摩以来の自分を重ね合わせていた近藤だが、観柳斎もまた持っているはず
「誠」は、かれの「心の弱さ」という影に覆い隠されてしまって、近藤にすら、もはや見えなくなりつつあるのだ。一方、土方と沖田にはそんなことは最初から見えるはずもなく、とくに沖田は、山南や河合に申し訳を立てるためにも、武田を斬るべきと思いつめる。
「説教はたくさんだ、切腹を早く申しつけてくれ」と言い放つ武田。しかし近藤は、それでもなおもう一度観柳斎に対して、
「誠」を見せるためのチャンスを与える。
「生きることも償いだ、そう易々と死なせはせん」
「生きて
の武士となれ」「一隊士として扱う」「もう一度這い上がって来い、武田観柳斎!」
 これで武田は回心し、生まれ変わるのだ。カタルシスは起こり、運命の秤はふたたびかれに傾くかに見える。三谷幸喜は、このまま武田の命を助けるのか……? しかし沖田は納得していない。

 というわけで、ここから先はサスペンス仕立てとなる。「大部屋はイヤだ、恨みを持つ隊士に何をされるかわからない」という観柳斎の台詞に対し、「(まだそんな弱いことを言っているのか、)甘えるな!」と土方は大喝するし、観客もまた同様にそう見るのだが、じつはこれは、夜半こっそりと抜け出すための手立てでもあるのだ。
 そうして夜闇に紛れて出て行く武田の姿を見て、先の薩摩屋敷での西郷との遣り取りを思い起こしながら観客は、「ああ、あれだけの近藤の温情にも関わらず、観柳斎はやっぱり裏切るのだな、そういう弱い奴として所詮描かれてしまうのだな、さきほど武田とともにわれわれも体験したカタルシスは、結局空しく終わるのだな」いささか失望めいたものを感じる
 それを証明するかのように、武田の後をつける沖田。剣が一閃し、ぱらりと破れた武田の風呂敷包みから落ちたのは、はたして西郷に渡すため盗み出した会津の機密書類……と思いきや、どんでん返しが来る武田の指し示す向こうには、ほの暗い石塔。武田は河合の墓に参りに来ていたのだ。自分との間に交わした貸借の約束の秘密を、たとえ命を奪われることになってもけっして明かさなかった河合(それは商人の一分でもあり、また同時に憧れの武士ともなった河合の武士としての
「誠」の貫き方でもあったろう)に対して、武田はやはり「誠」の心で応え、詫びていたのだ。そして薩摩屋敷への内通の疑いについても武田は誘いがあったことを認めた上で、「私はそこまでクズではない」と否定する。
 ここでもまた人間の実相を見てしまった沖田が刀を納め、力なく戻って行った後で、もうひとつのどんでん返しが待っている。河合の墓を拝む武田の背中を、大石の剣が襲うのである。
 知らせを受けた沖田が駆け込むと、の部屋には武田の遺骸が横たわり、その顔に白布をかけながら近藤がつぶやく。「ここまでにしよう……」
 こうして結局はカタルシスがあるのだが、いずれにせよ、初めに述べたように、武田もまた、善人としていい死に方をさせてもらったと言えるだろう。
 そして最後は、翌日の晴天の光のもとお孝が登場して、今回の劇は明るい余韻を持って終わるのである。

 この大筋に、大政奉還・王政復古への龍馬の空しい動きがからんで、ドラマが進行する。伊東龍馬と会って大開国大強国の持論(このあたり、三谷が伊東をけっして軽視した描き方をしていないことは明白だろう)を説くとともに平助を龍馬の護衛につけ、また佐々木只三郎は捨助に命令して龍馬の居所を探らせる。他方、西郷と大久保は、いまや倒幕の障害となりつつある龍馬の切り捨てに動く……。これら三つの動きが来週はひとつに収束し、しかもそこに勇が介入して、また途方もない三谷流「龍馬暗殺」ドラマが展開されることになるのだろう。

蛇足:
●幕臣に列せられた近藤と土方がのっけから抱き合うのは、腐女子へのサービス。
●お孝の背後に控える周平の、ちんとした座り方とその目配り
 

 

2004年10月24日(日)

☆「新選組!」第四十二回
「龍馬暗殺」。

[うまく作った!]

 上手い! お見事! としか言いようのない出来。
 龍馬暗殺にまつわる諸説を、ここまで巧みに取り入れて縒り合わせ、しかもどこにも破綻がないというのは見はじめだ。もしかすると、この龍馬暗殺のシーンとストーリーが、もともと三谷幸喜の脳裏にあって、じつは「新選組!」のドラマはそれに合わせて繋げられていっているのではないか、と思われるほどだ。のみならず、第一回で龍馬と近藤を引き合わせてあるという構成も、ここであらためて引き立って平仄がついてしまう
 思えば三谷幸喜は「龍馬の妻とその夫と愛人」や「龍馬におまかせ!」からわかるように、龍馬に関しては豊富な知識と明確なイメージおよびビジョンを有しているはずだし、いわば今回は、三谷幸喜の龍馬ドラマの完成形、最終バージョンといったものなのではないだろうか。

 ドラマは大政奉還という激動を背景に、目立たぬカラス二羽、大石と周平の試合という小さな波と、それが引き金となる沖田の病臥/戦線離脱の欠かせないエピソードを絡ませながら、大政奉還の発案者である龍馬の死を描く。不吉なカラスとその鳴声がBGMだ。お孝のときだけそれが鳩になるのも、またうまい。糸井重里なら、必ずここに着目することだろう。
 頭が良すぎて高転びに転ぶ慶喜将軍(「幕府など、もうイラン!」)を戴いた容保佐々木近藤の困惑。大政奉還で自分たちの基盤がただの幻影、砂上の楼閣となってしまうのだ。背後でこのアイデアを出した龍馬に、佐々木は直参旗本として、激しく怒る。「私は御公儀に命を捧げた者、その御公儀を無くした男を許すことはできない」これは佐々木様
「誠」だ。その「誠」を貫くべく、また土佐と戦になって御公儀に迷惑をかけぬように、佐々木は見廻組ではなく、徳川家臣としての個人的御奉公として、腹心とともに龍馬殺害に乗り出し、そのため龍馬の居所を探るべく捨助を動かす。捨助はもちろん、まだ龍馬に対して腹いせをし尽くしていないわけだ(と、ここで視聴者に思わせておく)
 これでまずはうまく「見廻組実行説」とその曖昧さとを、ともに取り入れたことになる。
 一方、倒幕の目論見をまんまと外された形になった岩倉西郷大久保もまた、邪魔者の龍馬を消そうと考える。そのための道具として選ぶのが、佐々木只三郎なのだ。
 こうして「吉之助黒幕説」もまた、上手に取り込まれる。しかも実行役をあくまで見廻組に集約しておくとは、まったく巧みな筋運びではないか。
 それとは別に、永井の許へ時局を訊ねに行った近藤は、逆に永井によって龍馬を守ることを命ぜられる。天皇親政による新政権のもとで徳川家およびその家臣の運命を保証できるのは、むしろ佐々木が仇敵と見る龍馬だけなのだ。
 甲子太郎から贈られた鎖帷子龍馬に渡しながら質問する形で、「船中八策」の解説役を務める平助。ちなみに大政奉還の解説役は、「お多福」での永倉左之助まさなのだが、永倉はここでも「こういうとき必ず解説してくれる人がいたのに」と山南を回想する
 いきなり闖入する捨助。ところがあえなく佐々木の回し者であることを白状する。「斬りますか?」と聞く、用心棒役平助(これははじめは斎藤、このごろは沖田の台詞だ)。
「人は信じることから始める」という龍馬。この「信じる」が今回のキーワードともなっているが、それは同時に、龍馬にすべてを「託した」山南を、遠く思い出させもするのだ。考えれば捨助は、もともと土方に信用されずに騙されて多摩に残された心の傷があるのだが、ここではじめて捨助は龍馬に信じられたことで癒され、回心のきっかけをつかむわけだ。
 佐々木の許に戻り、「龍馬はすでに長州へ向った」と報告する捨助だが、同時に薩摩からの密書が届く。
「(私じゃなく)そっちを信じるんですね。わかりましたよ!」捨て台詞を吐いて去ろうとする捨助の背後を、佐々木の刀が襲う。しかし龍馬から与えられた鎖帷子が、捨助の命を救うのだ。
 どうも今回の龍馬は、すべての展開を読んでいるように描かれている感じだ。
 試合、周平の勝利、沖田の喀血による暗転、孝庵の宣告と舞台が目まぐるしく変転する間に、佐々木は向いの二階に潜み、甲子太郎は龍馬を訪ねていっぱし勤皇倒幕派を気取る。
「岩倉卿の許へ伺う」と得意げに語る甲子太郎に、龍馬平助をつける。ところが甲子太郎はまったく平助を評価していない、つまりかれの熱心さやひたむきさを「信じて」いないのだ。そうして不承不承に、斎藤龍馬の許に残して去っていく。
 残された斎藤に、龍馬「(お前がいると)場が固うなってイカン」と追い返す。(新選組の人斬りとして有名な斎藤よ、お前は)今まで何人殺した」「以蔵に似ている」次々に殺人者としての心理の図星を指される斎藤は、ついに(殺人の呵責に堪えかねた)その先はどうなる」と問うが、「その先は以蔵も知らん。首を切られて死んだから」と言われ、顔をこわばらせて引き下がる。龍馬はこれで、斎藤の回心すら後押しする役目を果たすようだ。これは実は、もう一人の新選組の「人斬り」で、今回のサブ主人公ともなっている大石鍬次郎の運命も暗示することは確かだろう。
 沖田の病状を案ずる近藤の許を、龍馬の危急を知らせるため捨助が訪れる「よく来てくれた捨助」という近藤に、「はじめてかっちゃんに褒められた(信じてもらえていたんだ)心が解ける捨助。ここで「手柄を見廻組にひとりじめさせるわけにはいかないからな」と力む実際家土方(「考えていることが違うだろう」by 勇)に対して、捨助「そうじゃない、龍馬を助けてくれ」と言い、近藤もまた、永井に命じられていることもあるが、それだけではなく自分の判断からも「いま坂本さんを死なせるわけにはいかん」と応える。あっけにとられて「おまえら、どうかしてる」と言う土方。ここで従来「近藤&土方vs.捨助」であった図式が、一瞬にして「近藤&捨助vs.土方」と変化する妙味、多摩同士ならではの捨て難い場面が楽しめる。
 そうして土方は、龍馬の警護を秘密裏に永倉と左之助に命じる(「ワカンナイケド、ワカッタ!」by サノ)一方、自ら乗り出そうとする近藤を必死に押し止める。「近藤勇が坂本龍馬を助けるなんて、いくらなんでもそれはマズイだろう」という土方のこのセリフは、三谷幸喜からの視聴者への、「さすがに大河でそこまではしませんよ」という、楽屋落ちメッセージでもあるわけだ。
 以降は、「ホタエナ」という龍馬の言葉が無いのを除けば、ほぼ通説に則った展開。白刃を受けて倒れ伏す龍馬と中岡の許に、一足違いで間に合わなかった永倉と左之助がやってくる。惨劇の跡を見て左之助は、(遅かった、)コナクソ!」と叫ぶ。
 これで「龍馬暗殺新選組左之助説」が生かされるわけだが、この有名な言葉をこうした逆転の発想で使うとは、なんと巧みな構成であることか。このあたりの三谷幸喜のドラマトゥルギーには、もはや兜を脱がざるを得ない。
 地球儀を見ながら息絶える龍馬の演出(そして流れ星)は通俗だが、その最後の耳に残った「コナクソ」という言葉、これを聞いた龍馬が、果たして「自分の眼鏡違いで、天命の然らしむるところ、捨助が自分を新選組(ないしそれ経由で見廻組)に売った」と思って死んだか、それとも「やはり捨助を信じて間違いではなく、捨助の知らせを受けた近藤が助けを寄越してくれた」と思って死んだか結局不明なままで終わり、さすがに三谷脚本は楽天的なままではなく、「信じる」ということに対しても、無念の思いに歪む近藤の顔とともに、いささか苦い味を残して劇の幕を閉じるのである。

蛇足:
●どこにでもいる山崎。吉弥さんは、少し痩せたか?(by 妻)
焼イカは何の象徴か?
●軍鶏を買いに出る近江屋若い衆峯吉の上手い演技。
「おう」と平助を見下す、意外と粗野な甲子太郎
●勇を翻弄するお孝(「(襖を)閉めて行って下さい……」)。優香はなかなかいいではないか。
●板倉槐堂が籠に乗って登場するところでは、一瞬近藤が山崎から聞いて駆けつけたのかと騙される。この人と岩倉の区別がつかなくて、二役かと思った。
平助の演技と発声、滑舌冴えわたる。捨助との歌舞伎対決は秀逸。

付記:
 前日土曜日夜、妻が録画してくれていた、午後の「NHKスタジオパーク」三谷幸喜出演部分を観る。
 ビビる大木の菜っ葉隊姿、49話打ち上げ直後のスタジオシーンなど、なかなか見所があった。鴨が死んだときもいやだったし、山南が死んだときもいやだったが、もうあと何話もないと思うと、なにか万感胸に迫るものがあって、気が重くなる。ほんとうに、六月くらいは楽しくて、日野へ行ったり、調布へ行ったり、流山探訪をしたりしていたものなのに。
 三谷幸喜は番組の中で「あと二年くらい欲しかった」と言っていたが、それはまさにその通りで、ディレクターズ・カットによる、外伝や切り捨てられたエピソードの復活も含めて、是非そうしてもらいたいものだと思う。
 すなわち:近藤も土方も死んだ後、舞台はふたたび多摩へと戻り、以後は石坂昌孝などの自由民権ドラマを描く。こうすれば板垣退助も登場できるし、富沢家や佐藤家、小島家、それに土方家の苦労も描けるではないか。そして武相困民党を登場させ、北村透谷あたりで終わらせる。つまりこれによって、「獅子の時代」へのオマージュともなるのである。
 そんなことを妄想した。
 

さらば平助、甲子太郎

2004年11月2日(火)

☆「新選組!」第四十三回
※2004年12月15日補足
 どうしようもない運命の糸を、このドラマの「神」である三谷幸喜が紡いでいる
 平助も、また甲子太郎も、その紡がれる運命の中で、
「誠の人」として死んでいくのだ。

 まずドラマの前半で、伊東岩倉に、まるで道化であるかのごとくに手ひどく扱われる。というのも、薩長と岩倉はもはや自分たちの政治的思惑でしか動いていないので、いまさら正論などはかえって邪魔なだけなのだ。そのため、すでに甲子太郎の顔を見知っているにもかかわらず、岩倉はいかにも嫌味な公卿らしく、彼我の力関係というものを伊東に存分に見せつけ、思い知らせる
 これから世に出るべく希望に満ちた者の頭を、まるで出る杭のように叩いてその意気を挫いてしまう、才能のない普通の人間が才能のある人間を潰すために用いる、世の中に有りがちな遣り口の実例が、岩倉役中村有志の演技力によって過不足なく、また遠慮会釈なく、ここに描写されるわけだ。
 そして失意の伊東は、もし政治活動の一翼を担いたければ近藤の首を手土産に取って来い、と大久保一蔵に示唆される(しかも伊東の建白した大開国大強国論は、後に大久保・岩倉たち遣欧使節組によってちゃっかり盗用されるわけだ。このあたり、三谷が伊東の人物像をきちんと骨太に押さえていることがはっきりと読み取れる筋運びではないか)。
 そこで伊東近藤の暗殺を斎藤に命ずるが、いまひとつ斎藤を信じていない加納篠原斎藤の介添え兼監視役につける。当然斎藤は篠原と斬り合って新選組に戻るわけだが、子母澤寛によれば谷三十郎を殺したときも、また武田観柳斎を殺したときも、たしか斎藤と篠原は一組で行動しておりこの二人がここで対峙するのは、そうした知識も踏まえた上で観ると、ひときわ面白い。いずれにせよこのドラマの斎藤は、何の策も弄することなく、ストレートに新選組に帰って行くようだ(これで、このドラマにおいては「一杯食わせてまんまと逃げ出した斎藤の通報で、近藤が伊東の騙し討ちを画策する」という通説を使わないということがわかる)。
 さて暗殺の試みが露見したと覚った甲子太郎は、みずからの手で近藤を殺さんとして、短剣を懐に、単身近藤との会見に乗りこむことを考える(これで通説とは正反対の設定になるわけで、しかしそれによって甲子太郎の性格がより際立つことは、下に記した通り)。騙し討ちは卑怯ではないかと咎めたげな加納に対し、伊東「国の行末から見れば(騙し討ちなど)些末なこと」と言い捨てる。
 ところがどうして、これこそ些末どころか
「誠の心」の真価が問われる場合なのであって、こうして伊東は、第四十回で永倉に喝破されたことを繰り返し、またもや自分で自分のことを偽ってしまっているのだ。金策をしたわけでもなく、近藤に呼ばれたわけでもなく、つまり「新選組!」中の伊東甲子太郎のキャラクターとしては極めて一貫した、こうした設定なのである。
 そして場面はいよいよ近藤との会談になるわけだが、障子の開け閉て、蝋燭の火、風を心理描写の象徴として演出する。もちろん近藤の人間がはるかに大きいわけで、このドラマで近藤(というか三谷なわけだ)の中に次第に形成され確信となっているところのビジョン(つまり三谷の抱いているビジョン)が、ここのダイアローグにおいて、ふたたびはっきりと表出されることになる。
「ほんの一握りの者たちが欲得で世を動かすから許せないのだ」←これは久坂に対して言っていたことでもある。
「(伊東さんあなたは)元新選組だからではなく、それら一握りの者ではないからはじかれるのだ」
「(私の理想とするのは)出身を問わない世の中だ」
 つまり近藤が理想とするところは、身分平等、挙国一致、万機公論が実現される世の中なのであって、近藤がしばしば言及し、また自らも目指すところの「武士」とは、徳川三百年の封建体制の産物としての武士なのではなく、むしろ「モラリスト」=「誠の心の保持者」としての人間像なのである。
 これについては、すでに
2004年7月6日(火)の第二十六回考察で言及したところだ。また子母澤寛によれば、甲陽鎮撫隊編成の際、弾左衛門一統を味方につけるにあたって近藤の尽力があったと書かれているが、もちろんこうしたエピソードも、三谷の知識とビジョンの中には、きちんと織り込まれているにちがいない。
 こうして近藤は捨て身で伊東を
「誠の人」に戻し回心した伊東は笑みを浮かべながら夜道を帰っていくが、そこに大石たちが襲いかかる。
「愚か者! 近藤先生の御心を無駄にするな!」
 狭い了見で争うなという伊東のここでの一喝は、まさに先の大戦における、天皇と軍部の暗喩ではないか。そして日本軍部は、まさに維新藩閥体制の核である薩長勢力を基盤にして増殖していったのだった。三谷脚本にナショナリスティックなメッセージがちりばめられている、と感じる人がいるというのは、これら随所にこうした仕掛けがほどこされているからであろう。
 だが目覚めた伊東によるこの叱責は、局長暗殺を試みた憎い敵に一矢報いていいところを見せようという思いで一杯の大石には結局通じず避け得ない運命の導くままに、伊東は大石の槍の一刺しに倒れるのである(このストーリーでは、通説のごとく「奸賊ばら!」とは叫べないだろう)。
 これ以後は、実際家の副長、土方の出番だ。「若い奴を責めるな、お前(近藤)のためを思ってやったんだ」「ここから先は俺にまかせてもらう」「どうせ奴らとは決着をつけねばならないと思ってたんだ」
 他方、御陵衛士たちも、鎖鎧を着けるの着けないのと、通説にあるごとくの悠長な議論をする暇もなく(それに今回ようやく篠原が見分けがついただけで、いまだどれが三木三郎か私には区別がつかないのだ、それくらい没個性に描いてあるのだ)、温厚な加納もいつになく激して「罠だろうがなんだろうが、先生をこのままにはしておけん!」と立ち上がる。
 こうして油小路の惨劇の準備は整った

 残るは平助のドラマ。まずとにかく、勘太郎が歌舞伎役者の本領(大首絵のままの顔)を存分に発揮して、目の覚めるような芝居を見せたことは特記しておかねばならないだろう。また演出の方も、勘太郎の思うように、敢えて古典的でいいから演じさせたに違いない。
 今回のサブストーリーは、つまりは平助成長の物語であって、伊東一統からも、また試衛館一統からもつねに子供扱いされてきた平助沖田とともに「上の者をはらはらさせる子供」であった平助がついに大人となったとき、それは同時にかれの最後でもあったという悲劇の物語なのだ。
 まずは伊東にも物数扱いされず、斎藤からも「お前を守れと土方さんに言われてきた」とあっさり秘密を明かされ(ということは庇護される対象でありこそすれ、ともに事を謀る仲間の扱いはされていない)、あげくは手もなくひねられ縛られる。
 次には伊東によって近藤の許に何も知らないまま「子供の使い」をやらされ、それに憤ると加納に「伊東先生はこれから永久に敵となる新選組に最後の別れをさせてくださったのだ」とまたもや恩に着せた子供扱いを受ける。
 そして最後は油小路でも永倉からは「お前を斬れない」の一点張りで訳も教えてもらえず左之助からも「いいから早く逃げろ!」と相手にもされない
 オレはそんなに子供扱いなのか、オレの
「誠」はどのように表わし、どのように通せばいいのか……?
 それで平助は、猛然と戦いの場に舞い戻る
 これをわかっているのは同じく子供扱いの沖田だけで、だから沖田近藤に向って「(平助は)あなたたちが思ってるほど子供じゃないんだ!」ともどかしげに叫ぶのだ。
 やがて駆けつけた近藤に抱かれ、虫の息の平助は「これでよかったのですね先生……」とつぶやく。「お前は真の/
誠の武士だ」自分の判断で自分のモラルを通したことを誉められた平助は、近藤の腕の中で息を引き取る
「また一人、逝ってしまった……」源さんの悲痛なうめきの中、劇の幕は閉じられるのである。

 こうして油小路の変も、いつものように巧みにエピソードを綴り合わせて、飽かせず見せた。
 このドラマに腹を立てたりクレームをつける維新素人史家の人たちは、なまじにアカデミズムの研究手法に固執しようとするゆえに、逆にそれにとらわれてしまって「狭い視野」という陥穽にはまってしまい、その結果、このドラマの紡いでいる「大きな物語」が見えなくなっているのではないか。
 通説を踏み外し、時代考証を無視して滅茶苦茶なようでいて、むしろ実は、人の織り成す歴史の本質というものを最も正確かつ鋭く突いているのが、他ならぬこの三谷「新選組!」脚本なのかもしれない、と私は一年近く観続けてきて、とみに思うのである。
 他方では、三谷幸喜は劇作家としてのスタンスをぜったいに踏み外さないようにはしているものの、一筋縄ではいかないさまざまなメッセージを、「新選組!」中に相当に織り込み発していることは、これもまた、火を見るより明らかだろう。

蛇足:
●谷原章介扮する伊藤甲子太郎は、美形でじつによかった。
●捨助はまた土方と仲違いしたようだ。
●お孝は沖田とも仲がいいようだ。
●周平はチョイ役だが今回も画面の中で光る演技。
●源さん、甲子太郎については悲しみませんでしたね。
 

 

2004年11月6日(土)

☆近藤勇の夢
 今朝、目の覚める直前、夢を見た。
 自分のもと勤めていた学校の講堂で、講演会が開かれるらしい。入場券を取ってくれた人のてまえ、付き合いでやむを得ず参加している。題目も、演者も知らず。
 着席して手許の資料に目を落とすと、演者の著書の題名がずらりと並んでいる。見ると、『人生の送り方』だの『ほんとうの幕末史』だのといったたぐいのものばかり、それも本屋の名前から察するに、どれも自費出版に近い。どうやら幕末好きで人生成功本書きの御仁と見極めをつける。
 しばらくざわついていた会場の壇上に、ようやく演者が入ってくる。上背のある、なかなか堂々たる押し出しの、胸を張った紳士。明るめの灰色のダブルのスーツを身に纏い、銀髪をやや長めのオールバックに撫で付けている。
 悠揚迫らず、落ち着いて話し出す。「遅くなり大変失礼致しました。私が、
近 藤 勇 でございます。あるいは御存知ない方も大勢居られるかも知れませんが……」
 えっ、と思って、まじまじと紳士の顔を見つめる。するとたしかに、あの口の大きな顔なのだ。
 その間にも、近藤勇は委細構わず話を続ける。「まず私の書きました本について御説明申し上げます。この『○○』はなんとかのこうでしてこういうことを書いたものであります、またこの『△△』はこれこれこうしたときのこうした……」

 ああ、近藤勇は、こういう風になったのだなあ、と思ったあたりで場面が変わり始め、目が覚める。

 起きてからすぐに妻に話しながら、夢を反芻する。
 ばりっとしたスーツに身を包み、人生成功哲学の本を引っ提げて、日本全国を講演して歩き、話の冒頭に著書をずらりと並べ上げてまず聴衆の度肝を抜き、もっともらしい内輪話や経験譚で、自分のペースに引きずり込む。
 そして、最後はきっと自己啓発セミナーの宣伝をしたり、出口で著書を売りつけたりするのだろう。

 しかしそれって、典型的な香具師/詐欺師の手口ではないか。むかし友人がいちど引っ掛かりかけたので知っているのだ。
 妻が笑って、「まるであの〈足裏診断〉で世を騒がせた人みたいじゃない。それにしても、つねさんやたまさんは、お祖父さんいい年をしてもうやめて、とさぞ困っていることでしょうね」と言う。

 しかし、もし近藤が生きていたら、きっといかにもやりそうな話だと思いませんか?
 

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