ボルボ740修理歴 2003年7月〜2004年7月

 

日記よりの抜粋です。


2003年7月3日(木) エアコンダウン
 アーシング以来快調だったボルボがダウンした。
 学校へ出勤の途中、エアコンブロワーが突如奇声を発しはじめた。これまでにもしばしば奇音を出してはいたのだが、それとも違う、もっと異様な音である。ともかくいつものように、いったんスイッチを切り、最弱の位置(1)のレベルでスイッチを再投入すると、ブワーンと一挙に最強レベルで風が吹き出した。しかもスイッチ切(0)の位置に戻しても止まらない。エンジンを切れば止まるだろうと思って、路側に停車し、エンジンを切っても止まらない。
 これではバッテリーが上がってしまう。ともかく走らせるしかない。走りながらいろいろ考え、もう一度停車して、オート・ボルタの社長に電話する。「リレーとか配線が融けてしまったかもしれない、ともかく学校に着いたらバッテリーのマイナス端子の線を外してくれ、そうすればたいがい止まる。それで帰りに寄ってください」とのこと。仕方なく再発進する。
 学校へ行く途中、ボルボのユーズドを扱っている店があるのを覚えていたので、そこに寄って聞いてみると、親切に工場にまで電話して整備担当に問い合わせてくれたが、それでも前代未聞のケースだとのこと。やむを得ず学校まで走らせる。風はますます勢いよく吹出口から飛びだし、もはや冷房も効かない状態。窓を開け走る。
 学校の駐車場に着いて車を止めるが、やはりブロワーは回り続けている。カーゴスペースの床下からスパナを出し、ボンネットを開けてバッテリーのマイナス端子を緩めて外す(アーシングをしたその場所だ)と、嘘のように鎮まった。
 そうして業務を終え、ただちに駐車場にとって返す。再び端子を接続し(とたんにブロワーが回りはじめる)、オート・ボルタへ一直線。社長は待っていてくれて、すでに問い合わせも済んだらしく、「やはりリレー部分だろう、それを調べるためにはダッシュボードをばらさねばならず、工賃が高くつくんですよね」と脅される。ともかくブロワモーターは新品ではなく中古でいいから間に合わせてください、なるべく勉強してくださいと頼み込んで、土曜日の調査結果待ちとなる。帰りは社長が最寄駅まで送ってくれて、電車での帰宅となってしまった。
 もともとあのブロワーが奇態な音を立てるようになったのは、一昨年八月の夜、よせばいいのに夜のドライブで靖国神社の近くへ行き、鳥居が目の前に現われた瞬間からで、「英霊の訴える声か?」と背筋がぞっとしたことを覚えている。今、大学のゼミで「戦争の記憶」を探るテーマで、吉田満の『戦艦大和ノ最期』を読んでおり、ちょうど前日に1953年の映画化作品のDVDを学生に見せたばかりだったので、またもやそうした関係絡みか─? と、ぞっとしない。
 いずれにせよ、あまり戦争を知らない者が、あえて無理に戦争を知ろうとはしない方がいいようだ。─などという気もする。


2003年7月14日(月) ボルボ直る
 日曜日、ボルボ直る。よくはわからないが、やはり電気系の異常だったらしい。エアコンのブロワモーター交換、これは社長のお蔭で中古を手に入れてもらえた。現在のところ静かに回っている。


……と思ったのも束の間、こんどは冷房そのものが効かなくなったのでした。


2003年10月5日(日) エアコンとバッテリー死ぬ
 夏前からエアコンが死んでいて、まだ原因究明をしていない。夏の間、どうにもガレージに入れる気にすらならなくて、もっぱら父親のレガシー250Tに乗っていたのだった。社長のアドバイスにしたがって、バッテリーのマイナス端子を外しておけばよかったものを、それすらさぼっていた。いよいよ涼しくなってきたので、そろそろ乗ろうか、と思ったら、案の定(当然だ)、バッテリーが上がっていた。
 しかしこうなるとむしろ、おかしなやる気が出る。まず20号線笹塚近くのエネオスのスタンドに行って、「例の強力な、あの
赤いバッテリーでボルボに合うやつはないか」と尋ねると、ないという。しかし親切に、「環8高井戸にオートバックスがありますよ」と教えてくれたので、そこまで行って、オートバックス特約輸入の、アメリカ製の灰色ボディで強力そうなやつを手に入れた(エクサイドという製品)。明日はこれをつなぐつもりだ。前のは社長がつけてくれたものだった。
 どうも自分でやらないと、いまいち大事にしない、これはきわめて悪い癖だ。お金もかかるのに、こうして自業自得という絶体絶命の境地にまでたどりつくまで、ぜったいに身に染みないのだ。
 これでまだ、エアコンの点検修理が残っている。嗚呼。


2003年10月8日(水) バッテリー交換
 足掛け二日、延べ二時間の作業で、ボルボのバッテリー交換を済ませる。アマチュアとして、ぶっつけ本番で、この時間は、長いのか短いのか。ただはっきり言えることは、リハーサルをしなかったが故に、これだけ苦労したということだ。どのレンチを使う、どういう道具をそろえておく、寸法は、留め金具の形状は、現状回復の手順は、などなど、その準備が8割できていれば、きっとあと2割の労力で、時間も手間もうんと少なくてできたはずだ。またそれが当然の常識だ。こちらが非常識の素人生兵法をやったということは、これまた重々承知で、にもかかわらず、学ぶことなく、またあらためて思い知ったというわけだ。
 中央線の路線切り替えのトラブルでもそうだったが、なんでもリハーサルが極めて重要なのだ。品川駅はそれがうまく行ったので、スムーズに開業できたらしいではないか。アメリカ軍だって、実戦さながらの訓練を積んでいるから、世界無敵なのだ。イラク戦後統治だって、日本やドイツの経験があるから、自信満々で臨んだわけだ。それでもあれだけ悲惨な失敗を今もしているのだから、たかがバッテリー交換で大げさといわれるかもしれないが、プロジェクトをひとつこなす、というのは、なまなかなものではないのですね。


この後、詳細は忘れましたが、エアコンをとにかく修理しました。
けっこう大枚をはたきました。冷えは悪いながら、ともかく動きます。
修理してからは、どうやらうまく動きはじめました。


2004年3月4日(木) オイル交換およびリッツスーパーヒューズ装着
 稲城まで出て、そこのタイヤ館に寄る。ボルボのオイルが大分使い古しになっているので、交換しようと思ったのだ。外車だけに、適合するものがあるか、恐る恐る聞いたら、調べてくれて、あるという。Elfのヨーロッパ車仕様、エスプリというオイル4リットル、ついでにボッシュのエレメントも交換してもらうことにして、店内を見ていると、ふとパンフレットに目が止まる。なんだか、画期的なヒューズだというのだ。電流を整え、ノイズを減らし、伝導効率を良くして、エンジンは静かになってしかも燃費もよくなるという。
 どうせヒューズは消耗品のうちだし、それほど高い買い物でもない。ついでにそれもできるかと聞くと、できるという。とりあえず3本ほど換えて効果を見ましょう、というので、それもやってもらった。
リッツスーパーヒューズという製品だ。
 石神井のタイヤ館もよかったが、
稲城のタイヤ館も使えそうだ。親切で、気が利いて、てきぱきやる。職人的訓練が行き届いている感じ。なにより、スーパーオートバックスみたいに、バイト女の子の官僚的カウンターサービスがないのがシンプルでいいし、かえってコストダウンでもあるだろう。やはり親会社がブリジストンだから安定雇用で安心して働けるのだろうか、とも思った。
 すっかり終わって、店を出る。たしかにエンジン振動が静かになり、トルクが太く、回転がスムースに上がるようになって、オートマチックミッションの切り替わりのショックも小さくなったように感じる。
 これで燃費も改善されていたらいいのだが。


2004年5月29日(土)定期点検
 定期点検に出していたボルボが上がってきたので、オート・ボルタの社長のところへ取りに行く。エンジンオイルが汚れ、かつ少なかったとのことで、バルボリンのオイルに交換。どうやら、前に交換した時に、元々少なく入れていたらしい。これについては、なかなか専門のディーラーやガレージでなければわからない事情もあるようで、やむを得ない。
 社長に聞いたところ、オイルフィルター分も含めて、5.5リッターなのだそうだ。
 ただこれはあくまで私の印象なのだが、バルボリンのオイルは元来アメ車用なのか、どうもエンジンの吹け上がりが重いのだ。Elfのオイルに変えて、アクセルワークが軽くスムースになったと喜んでいたということも、正直なところ、じつはある。
 まあ少しなじませるしかないだろう。


2004年7月16日(金) ひさびさトラブル発生!
 急ブレーキの拍子に電動アンテナのラッチが外れて動かなくなったりとか、そんな小トラブルはあったものの、最近はリッツスーパーヒューズのお蔭か、大した故障もなく走っていたボルボ(定期点検も最少価格で済んだ)だが、突如玉切れ警告灯が点くようになった。それもブレーキペダルを踏むたびに点灯するのだから重大だ。
 後ろの車に反射させてチェックしてみたら、右側ブレーキランプがどうやらふらふらと点いたり点かなかったりしているようだ。
 まず疑うのはバルブ切れだから、仕事帰りにホームセンターで新しい玉を買い、駐車場で取り付けにかかる。
 ところがバルブを装着するバルブホルダーという部品が固くて外れない。反対側の方はすんなり取り外しできるのだが、そちらは無事な方。しかもおかしくなっている右側というのはすなわち左手でないと扱いにくいわけで、ますます困窮する。
 必死になっているとようやく外れたが、同時にホルダーのすぐ横にとまっている配線まで外れてしまう。反対側を参考にしてよく見ると、本来配線の先端の挿し込み金具には防護の覆いがついているはずなのに、こちらにはついていない。そのためぐらぐらになって抜けやすいのだ。
 しかもバルブを確かめると、フィラメントは切れていない。そのため、もしかすると原因は電球ではなくて、この配線の接触不良かもしれないと考え、そこでホームセンター店内に戻って同じ部品を探してみる。するとカー用品売り場にちゃんとあった。スリーブという小さなビニール製のものだ。たしかに「袖」の形とはいえる。工具部品用語をひとつ勉強した。
 これを購入して駐車場にとって返し、金具に被せて端子に装着し、さてバルブホルダーをもう一度枠にはめ込もうとしたところから悪戦苦闘が始まった。枠はプラスチック製なのだがその整形が悪く、切り欠き口にホルダーの突出部分がうまく合わさらないのだ。最初に外しにくかったのもそのためで、スリーブがなかったのも、案外そうしたことと関わりがあったのかもしれない。
 荷台に寝転び(ボルボエステートの荷台はそれくらい広く平らなのだ)、マイナスドライバーの先で枠のプラスチックを削りながら何度も切り欠き口の形を調整して、ようやく嵌まったところまでで、もう2時間弱が経過していた。駐車しに来た人をつかまえてブレーキランプをチェックしてもらい、両方とも点くということでやっと一安心。ワイシャツはもう汗びっしょり。
 ホームセンターを出て走り始め、1キロも行かないうちに、また警告灯が点灯する。これはもう素人の手には負えないとあきらめ、行き付けの
稲城のタイヤ館に駆け込むことにする。リッツスーパーヒューズをいくつかつけてもらうついでにこちらの方も確かめてもらおうという目論見。
 目論見は当たり、快くやってくれる。その結果わかったことは、バルブの接触端子が磨り減っていて、それでホルダーの端子との間に接触不良を起こしていたということだった。
 素人思案であれこれ苦労したことが、ほとんど役に立たなかった。やっぱり生兵法はよくない。とはいえ、これで原因がわかったわけだから、今度同様な事例が発生した場合には対処が迅速になる。それにスリーブも装着してより安心になった。さらにホルダーの装着も前よりは楽になるだろう(二度としたくないが)。
 タイヤ館の担当者に、今後もボルボの面倒を見てくれるかと恐る恐る尋ねたら、「外車はなかなか見ることがないので勉強になるし、喜んでやります」と言ってくれる。
 なんでも吸収しようとするこの積極的な姿勢は、はるか以前のスーパーオートバックスでの不親切な対応とは雲泥の差だ。
稲城のタイヤ館に感謝します。
 そうして最後に、スーパーヒューズ装着の件では帰宅後妻に睨まれ、また2時間もあれこれ力を込めたので腕がだるくなった、というおまけがついた、今度の騒動だった。
 
後日談:おおむねスムースに走っているが、ごくたまに玉切れ警告灯が点く。ここのところ連日30度を越す真夏日なので、それで接触部か、配線か、なにかが音を上げるのかもしれない。
 だいたい、北欧生まれの車が走れるような天気ではないだろう
>_<