シュメールの歩兵
A Young Sumer Noble Officer

 
人間なんて、歴史の始まりから戦争ばかりやっていたのだな、と、つくづく思います。

 ウル、ウルク、ラガシュ、ニッブール、シュルッパク……などという不思議な魅力を持つ響きの名で知られる、古代メソポタミア、シュメールの都市国家群は、前3千年紀という昔に、すでにこのような歩兵隊による集団戦を行なっていました。市民兵か職業軍人かはわかりませんが、その姿は、「ウルのスタンダード(旗章)」と呼ばれる象嵌モザイク絵や、建物壁の浮き彫りなどに残っています。
 顎紐付きのヘルメット(指揮官はたぶん青銅製、一般兵士は皮革製)をかぶり、羊毛のシャギーのような腰蓑の上には青銅か皮革の丸鋲を打って補強したマント(なめし皮? フェルト? 毛織?)を羽織って、やはり青銅か皮革の丸鋲を打って強度を高めた長方形の楯をかざす防御列と、両手で槍を突き出す攻撃列による方陣を組んで突進します。つまり、アッシリアにおいて確立され、ローマにおいて完成される、あの無敵の歩兵軍団の原型が、すでにこの時期にできあがっているのです。
 この絵の兵士は、年若い貴族の指揮官見習い、とでもいったあたりを想定しました。ですので、ヘルメットは青銅製、手には青銅の剣を捧げ持っています。
 昔、中学生の頃、TIME『人類の歴史』(のような題だったシリーズ)ではじめてシュメールについて知ったとき、その横顔の表現(目だけ正面描写)や、固いポーズの像をみて、「まるでエジプトみたいだな、エジプトの亜流なのかな」と思ったものでしたが、読み進むうちに、亜流どころか、勝るとも劣らぬその文明のとりこにたちまちなってしまったことを覚えています。
 きぬのみちはそれ以来、一貫して、エジプトよりはメソポタミア(西アジア、ただしイスラム以前)贔屓です。エジプト発掘(とそれを発掘する先生)で有名な某大学で学んでも、それは変わることはありませんでした……。
※ペインターで作成。なお後ろのジッグラトはインチキですので、なにぶんご海容願います。