エッセイ・NHKスペシャル「新シルクロード 第二集」を観て思ったこと

 

 2005年NHKスペシャル「新シルクロード 第二集」。欧日探検隊にすっかり壁画を剥ぎ取られてしまった、中国新疆ウイグル自治区トルファンに残る石窟寺院、ベゼクリク千仏洞の内陣を、世界各国に分散している資料を基に、電子的に3DCG復元していくストーリーだ。

 番組の中で、今世紀初頭のシルクロード・トルファン探検を回顧し、「この素晴らしい文化遺産を、迷信深い地元民に仏画の目を潰されたり、掻き取られて農民の肥料にされたりするままに放置しておくのは犯罪だ、だから救済のため壁画を持って行く」と述べているドイツ探検家ル・コックの手記を引用するあたり、ずいぶん時代も変わったように思う。これが昔なら、植民地化の憂き目を見た発展途上国の政治的立場に配慮して、「帝国主義者の略奪であった」という断罪で片づけられ、そうしてお仕舞いだっただろう。
 しかし思えば近々では、メトロポリタン美術館が、バーミヤーンの大仏を、そのバックストラクチャーごとまるまる買い取ろうとタリバーンに申し出たという報道もあった。
 もし成功していたら、後世の人はそれも「資本主義者の略奪行為」と呼ぶのだろうか。

 文化遺産保護の問題についてはここではこれ以上触れないが、ある意味、現代の我々は、3DCGで、寺院建立当時のままの状態を目の当たりにできるという点では、あるいは往時のル・コックよりも恵まれているかもしれない。現地の整備が進み、旅行によって訪れることによる臨場感と、その場で意のままになるバーチャル臨場感とを、ともに味わうことができるようになったわけだから。じつにこのことに関しては、電子技術の発展に感謝しなければならない。ネットで経済・文化・情報の交流と理解が進んで平和の気運が高まればそれに越したことは無いわけだから、元来、戦争のために開発された技術をわれわれはこうして平和目的に転用して、そちらの方で圧倒してしまおうではないか。

 それはともかくとして、復元された3DCGによる石窟内陣を観て思ったことがあった。
 これは河谷の段丘崖に穿たれた石窟だから、入口は一方向しかない。扉を開けて入り、閉じれば、その中はもう、墨を流したようなまったくの暗闇だ。しかも石室のようなものだから温度湿度も一定で、まさにアイソレーションタンク同様だろう。
 だからそこでは時間と空間の定位がぼやけ、それに依って立つところの自我は融解する。いいかえればそこは、生まれる前、あるいは死後の世界、すなわち「あの世」が現出するための、最高の舞台装置となる。つまりそれは、信濃の善光寺をはじめとした各地の寺院にある「胎内巡り」と同様だ。たとえは悪いが、死と再生の体験を通して精神の変革を意図したテーマパークなのだ。
 その漆黒空間を何の手がかりもなくさまよい進むにつれて、灯明のわずかな炎に照らされ揺らめいて、ところどころほのかに、そして突然に眼前に涌き上がり浮かび上がってくる、極彩色の仏国土。
 他にさしたる楽しみもなく、待ち焦がれた「年に一度の御開帳」かなにかのときに、お香(あえて薬物と呼ぼうか)の煙でも吸いながら拝観したら、いったい古代人の心理状態は、どのようなものになっただろうか。

 電灯やランプ以前のかつての寺院拝観とは、あるいはそうした「体験」であったかも知れない。
 観光旅行とは、まるで違うのだ。