| 2004年5月16日(日) ☆新選組! 第十九回
今回もまた、鴨デーだった。
純真な沖田や近藤の中に、なりたくてもなれなかった自分の姿を見つつ、照れ屋で人の反対にしかつねに出られないまま、心の深いところには悲しみを持ちながら自滅へと走っていくpicaroといった典型的役どころが、当然ながら鴨に対して振り当てられているわけで、それを佐藤浩市が巧みに演じているということだ。
とくに今回の白眉は、通夜の席に乱入した久坂玄瑞に、「水戸の尊皇は年季が違うんだよ、お前らなんかニセモンじゃねえか、自分たちがやりたいことをするために天子様に自分らの意見を押しつけているだけだろう」と啖呵を切って追い返すシーンだ。
もちろんこれも自嘲と背中合わせであることは、最後に一人で酒を飲んでいるところに入ってきた近藤との会話の場面で、きちんと平仄がつけられているわけではあるのだが。
日本人は勝手なもので、狸親爺の家康は嫌いで、関ヶ原で負けた島津侯や毛利侯にはなんとなく同情するくせに、幕末以後はこんどは江戸っ子を中心に、薩長芋侍(とその末裔である中央官僚)に対しては釈然としないまま、現代に至る。
これらすべては、梅原猛も指摘する如く、明治以後の日本が、恨みを呑んで敗れた敵を鎮魂するというそれまでの文化伝統に反して、勝者側ばかりを同志殉難者として靖国招魂社に祭ったことに始まるのだが、いずれにせよ、薩長出身者を除いては、今回の鴨のセリフに、溜飲の下がる思いをした人も多かったのではないか。
吉田松陰の愛弟子で弁舌文才ともに一流の久坂玄瑞が、ここまでぐうの音も出ないほど決めつけられる本を書くとは、三谷幸喜はひょっとして負けた側の人間か? そしてもし今回の皇太子の一件も鑑みて急遽セリフを変えていたとしたら……。
それ以外には、沖田が必要以上の心の傷を鴨に負わされたり(「どうかしてる…」)、左之助が疎外感を抱いたり(「オレをなぐさめに来たんじゃねえのかよ」)と、このあたりにも将来の伏線を張ってある。
細かいところでは、提灯を持って通夜の案内をする、画面奥の勘太郎平助の一瞬の芝居は、さすが歌舞伎の技量だ。
史実といわれるものを巧みに換骨奪胎しながら、今回も一場のドラマを作り上げてあった。
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