F1グランプリが開かれたので、私はサーキットへ出かけていって、プロストと話をした。
プロストはすでにマシンに搭乗してダミー・グリッドにつき、その周りをアジップのマークのついた黄色いシャツを着たフェラーリのピット・クルーたちが、せわしげに動き回っていた。
コック・ピットの中のプロストは、ヘルメットをかぶり、ステアリングに両手をかけて、じっと精神を集中しているように見えた。コース上では人々が忙しく立ち働き、どこからか鼻を刺すガソリンの臭いもたちこめてきたが、プロストの乗るフェラーリのあるその一角だけは、かえって静まり返っているようだった。
私はプロストに言った。
「あなたは、人生そのものをよく知っているように見えますよ」
プロストは、首をちょっと動かして、ヘルメットの中から深い眼で私を見上げて言った。
「そんなことはない、私はただ、F1のことを知っているだけさ」
「だから、それこそが、とりもなおさず、人生のことを知っているということではありませんか」
と私は言って、さらに続けた。
「実際、F1こそが、私を救ってくれたともいえるのですよ。あの天安門での厄災と崩壊を体験したあと、半分頭がおかしくなり、なにもかもが信じられなくなっていた私は、だれもが寝静まった夜遅く、たった一人、冷房の効いた居間で、音を小さくしたテレビを茫然と眺めるのが常でした。しかしそんな時、テレビの画面には、いつもあなたとセナがいたのです。それにマンセルやナカジマや、F1に携わるすべての人々がいたのです。そして、私にとっては、二週間に一遍の、深夜わずか二時間のそのテレビの画面の中だけが真実であり、そこには人生のすべてがあり、人生そのものがあったのです。そうして私は、そのようにして、二週間に一度ずつF1を観続け、その中で、しだいに自分の心が癒され、現実と自分自身とがふたたび重なりあっていくのを感じられるようになったのです。そして遂に私は、現実の社会に復帰することができました。つまり、こうしたことどもを一言でいえば、私は、F1によって救われたということなのです」
するとプロストは、ヘルメットの中の眼を微かに笑わせて言った。
「それはどうだろう。私に言わせれば、あなたは、F1の中に、唯一信じられるものを見たわけだ。ということはつまり、あなたもまた、いやあなたこそが、人生について何かを知った、あるいは知っているということではないのかな」
私は答えようとしたが、プロストはすでに前に向きなおり、間近に迫ったフォーメイション・ラップに備えて、再び精神集中に入ってしまったらしかった。
そこで私は、
「ボン・クーラージュ、ムッシュー・プロスト」
とだけ言って、プロストの乗りこんだフェラーリ642の、赤い、重たげな車体から離れると、ゆっくりとピット・ロードから観客席の方へ歩いて行った。
スタンドの歓声は高まり、コース上に出ていた人々もガレージに下がって、いよいよフォーメイション・ラップがスタートするらしかった。
1991.6.19.
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