日野農兵隊と甲陽鎮撫隊

 

 

 江戸防衛と反撃の要、甲府を押さえるために満を持して出陣した甲陽鎮撫隊でしたが、すでに甲府城は新政府軍の手に落ち、勝沼柏尾山の戦に破れて甲州街道を敗走します。
 行軍途中のわずかな休息のひととき、どこかの峠の見晴らし所で、甲陽鎮撫隊の兵士が憩っています。背後には冬枯れの奥多摩や都留の奥山、その遠方にははるかに富士山も望めます。
 かれは洋服のような綿入れを身に纏い、撃剣の胴を着け、白鉢巻を巻いています。
 かたわらには、春日盛こと佐藤彦五郎の率いる日野農兵春日隊の兵士が、何事かを話しかけています。筒ッポダンブクロといわれる軍服を着て革ベルトを締め、火薬入れのパウチを装着しています。小野路農兵隊の紋が入っているのは、武州農兵隊同士の密接な関わりを物語っています。
 頭には農兵の特徴である韮山笠を被り、手には横浜直輸入の新式ミニェー銃を携えています。全般に農兵隊の方が先進的に見えるのは、江川代官以来の近代化と、寄場名主下佐藤家の財力とによるものでしょう。

(参考文献:佐藤c〔あきら、「日」の下に「立」〕『聞きがき新選組』、佐藤文明『多摩の風土が産んだ志士たち 新選組』、木村幸比古『新選組全史』)

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