メーテルリンクの思い出の世界の夢の話

これは、夢の話だ。だから、場面は突然変わる。またそれでおかしくない。

 まず、舞台はヨーロッパの運河─すごい激流。
「水が角に当たるから、流れがひどくなるのさ」
 脱出した捕虜、三人程。川に沿ってさかのぼる。水が岸を越えてあふれて流れてくる。
 雪が積もった土手をさかのぼる。
「気をつけろ、すべる」
 雪までがどさっと滑ってきて止まる。
 水はなくなり、凍っている。
 山の裏に回ると、洞穴がある。
「以前、俺が隠れていた場所だ」
 しかし、よく見ると違うようだ。
 そこは小さな洞穴で、四周に板を張り、ようやく寝られるほどの小さな部屋になっている。壁には日本語の落書きがある。仏様の絵、標語、経典の文句、知人の連絡先など。どうやら、日本人捕虜の隠れ住んでいた所のようだ。

 場面は変わる。夏の後半のキャンプで山にいることになっているのだ。山奥に登ると洞穴がある。つまりさっきの洞穴だ。だがそれは洞穴ではなくなり、そこを出ると部屋となっている。仏間もある、ふつうの日本間だ。たぶん民家の二階だろうか。

 一人のおじいさんがいる。推測するに、つまりあの洞穴の主だ。ということは─死人か? この人の家族もいる。
 私は、いろいろ質問をする。
「あの知人の人たちに、あなたのことを連絡しましょうか」
「いや、まあ、しないほうがいいでしょう」
 老人はあいまいに答える。ますます怪しいと思った私は、さらに踏み込む。
「あなたは死んだ人ですか、生きた人ですか」
 老人はほほえむだけだ。私は一歩引く。
「では、あの敷居を出て、帰るときに答えてもらいましょう」
 私は、家族(たぶん老人の妻、娘もいる)と話をする。洋装で、品のいい人だ。
 私の友人が(そういえば、私たちは脱走した捕虜だったのか?)古い蓄音機をいじり、勝手にレコードをかける。私は本気半分、お世辞半分に言う。
「これは、大変いい音です。いまは、機械はうんとよくなったけれど、こんないい音はしません」
 老人の妻は、うれしそうな顔をする。
 私は、だんだんおかしいと思いはじめる。私一人が正気なのに違いない。この家族は、ぜったいに存在しないはずだ。だが、友人を含めた何人かの、その場にいるみんなは、その人たちが自明のものとしていたように疑わないのだ。
 いよいよ帰ることになる。家族が私たちを送って出る。さて私は、さきほどの問いをする。
「さあ答えてください。あなたは生きた人ですか、死んだ人ですか。だけど、答えた瞬間に骸骨に変わったりするのは困りますよ」
 老人は、ほほえみながら口ごもる。どう答えていいのかわからないのか、それとも答えることができないのか。それでは、こういう問いかけに変えて答えてもらおうと考える。
「いいにくいなら、こういう言い方でもいいです。つまり─あなたは、思い出の中に生きている人ですか」
 これではまるでメーテルリンクだが、しかたない。
 しかし老人は、はじめてはっきりうなずく。
「そうです」
 やはりそうなのだ。そういうことなのだ。思い出の人に会っているのだ。もしかしたら、私の父方の祖父なのかもしれない。

 急に観光客があふれる。この民家を、いまでは観光に使っているのだ。観光客たちは、私たちのこうした様子や問答に気付かず、めちゃくちゃに入り込み、傍若無人に踏み荒らす。つまり見えていないのだ。
 いつのまにか、外には車がいっぱい駐車していて、私の車が出られなくなっている。どうやら私も車で見学に来ていて、これから帰ることになっているのだ。民家の方から、キーを持った女性が駆けてくる。隣の白いRV車がふさいでいるのだ。女性が言う。
「これは、私のボーイフレンドのです」
 そう言うと、女性はまた家へ取って返す。
 そこで、私は思う─彼女たちも、このおじいさんたちを見ているのだろうか……?