ギリシア貴族、暗黒時代、紀元前9〜8世紀頃

Peloponnesian Greek Noble, Dark Age,
circa 9 - 8th Century B.C.

 

 ギリシア神話の英雄の時代、つまりミケーネ文明の末期、トロヤ戦争終結後ほどなくして、ギリシア世界にはドーリア人が南下侵入します。これはポリス時代のギリシア史家にはいわゆる「ヘラクレスの子孫の帰還」として知られる出来事で、これをもってギリシアはしばらく「暗黒時代」と呼ばれる時期に入ります。
 この動きは、当時の地中海世界全域に大変動を引き起こした「海の民」の侵入と軌を一にするもので、ギリシア地域の人口は激減し、治安は乱れて交通は途絶し、人々は山や丘の上に「集住」をして防衛します。文化は衰退し、陶器にも単純な幾何学紋しか描かれなくなります。
 この動乱をもたらしたドーリア人はギリシア語西方方言群に属しますが、どうやら中央ヨーロッパ由来の、後にケルト人(ガリア人)として見なされることになる印欧語族と文化的に深い関わりを持っていたようで、それは発掘される武器や武具から推測できます。
 こうした暗黒時代がやっと落ち着きを取り戻してくるのが紀元前9世紀から8世紀頃で、それ以前の時代の記憶は、神話やホメーロスの叙事詩などに変形されて留められることになりました。
 左の絵はその頃のドーリア人貴族を想定したもので、「海の民」や中央ヨーロッパの文化的特徴を、いまだ色濃く共有しています。かれの青銅製の胴鎧と脛当てには、同時代のケルト人の胴鎧と同様に、エンボス(円形突起)が打出されています。この胴鎧が、200年後には、あの美しいベル・クィラス(鐘型胴鎧)に姿を変えます。
 かれが手に持つ剣は、ハルシュタット青銅剣の系譜を継ぐ、西欧ラ・テーヌ期の鉄製長剣で、柄はいわゆるアンテナ(触角)型をしており、それはしばしば人形状にもなります。これがしだいに小型化して柄の形状がシンプルになると、ポリス時代のギリシア重装歩兵短剣へと発展していきます。
 かれの兜はじっさいの発掘品に基くもので、すでに前立て金具が装着されています。兜の形はアッシリア歩兵のそれを思わせますが、やはり中欧との関連があるかもしれません。そしてこのスタイルが後に発展して、コリント式やカルキディケ式の重装歩兵兜になるのです。

ボールペン画を取り込み、ペインターで彩色、Adobe PhotoDeluxe で調整。