カロリング朝親衛兵

Frankish Carolingian Royal Court Guard,
circa Second Half of 9th Century

 

 

 西ローマ帝国を滅亡に追いやったゲルマン人の一派であるフランク族は、5世紀末のメロヴィング朝クローヴィス大王(本邦の雄略天皇すなわち倭王武と奇しくも同時代人)のときに西ヨーロッパに覇を唱え、やがて8世紀末のカロリング朝カール大帝のときには、ついにドイツ、フランス、イタリア、オーストリアの範囲に及ぶ大西欧を統一して、西ローマ帝国を再興しました。

 カール大帝はローマ・カトリックを基盤とした行政統治を行ない、そのためにも古典古代の文化文芸の復興に努め、そうした動きは「カロリング・ルネッサンス」と呼ばれています。

 その代表的な産物が、各地の修道院で製作された多数の写本で、その中にはヘレニズム風の技法を復活させた人物や情景が、目もあやに描かれています。

 そうした人物像の一例が、上に描いたような宮廷の親衛兵で、王(皇帝)の両脇に侍して、一人は槍を持ち、一人は王がいつでも抜けるように柄を上にして剣を捧げ持っています。要するに、日本でいうところの、大名の露払いと太刀持役です。

 かれら親衛兵は、後の中世スペインの歩兵のそれを思わせる独特の兜を被り、またフランク王国は西ローマ帝国ともなったことから、ローマ時代と同じデザインの鎧(マッスル・クィラス)と草摺(プテルゲース)をつけています。しかしその材質は恐らくもはや青銅ではなく皮革で、プテルゲースともども青く染色されています。また鎧の下に長袖の上衣を着込み、キュロットを穿いているところは、いかにも寒冷化した時代を思わせます。またかれの剣はゲルマン風の長剣で、柄頭は「ソンブレロ風」と呼ばれる形をしています。

 それにしても、ポリス時代の古代ギリシアの麻鎧に源を発するプテルゲース(原義は「翼」。肩と下腹部を防御するために鎧に装着される短冊状の部品。靡いたり揺れたりすると鳥の翼のように見えるのでこう呼ばれた)が、1000年以上も生き存えたことには、あらためて驚かされます。

 原画はボールペンでわずか1、2分で描いた手すさびですが、なかなか味があるのでスキャナーで取り込み、ペインターと Adobe PhotoDeluxe で加工しました。原画の生き生きした粗描感を殺さないような彩色を考えました。

 なお全体のイメージとしては、9世紀後半、カール二世皇帝時代の写本《ザンクト・エンメラムの聖書》挿絵に負っているつもりです。