ボルボ740最終記録 2005年5月〜2006年3月

 

 
日記よりの抜粋その他です。
  


2005年5月27日(金)  ボルボ戻る
 車検に出していたボルボが、オート・ボルタから戻ってきた。さまざまな不具合の修理など。留め金の舌部分が壊れていたエアクリーナーボックスの蓋は、ビニールテープの代わりに、スチールの頑丈なクランプで留めてくれた。これは裏技に属するのではないか。東京ガレージさんに感謝しなければならない。エアフィルターはもちろん
K&Nが入っている。


2005年6月25日(土)  ボルボほぼ順調
 今日は地区懇談会といって、学生の父母と面談する仕事で登校。
 土曜日はただでさえ交通量が増えるのに、首都高速は永福〜高井戸間で5台の玉突き事故。渋滞に巻き込まれ、おかげで打ち合わせの集合時間に5分遅刻。とはいえ、あの5台に乗っていた人たちは、折角楽しみに繰り出したウィークエンドを台無しにしたわけだから、怒る対象ではなく、気の毒だと思わねばならない。
 ボルボは車検から戻って以来、ほぼ順調。ラジオのアンテナマストはワイヤーを交換して、元通り伸び縮みするようになった。ブレーキランプの接触不良は、渋滞の中で発進停止を繰り返すと、とたんに再発する。まあもう、持病のようなものと考えるしかない。心配だったのは燃費で、車検帰り当初はリッター7キロ行くか行かずという状態で、これではどうなることか、下手にエアフィルター交換などしない方がよかったかと気を揉んだが、先日福島往復をして以来、リッター8キロ強に復帰したので一安心した。コンピュータがアクセルワークをよい方に学習してくれたのだろう。だがそれも、今日の渋滞などに巻き込まれると、またもやどうなるかわからない。再び酷暑の季節も迎えて、エアコンもフル回転だし。バッテリーがそろそろ参りかけているような兆候がなきにしもあらずというのも、気になるところだ。


●順調と思ったのも束の間、とうとう夏前にエアコンが壊れました。ガスが無くなったのか、温風しか吹き出さなくなりました。エアコン修理はあれこれ調べていくと結局高くつくし、ええいもう、夏は乗るのを止めて涼しくなるまで待とう、と思いました。しかしそれ以後も相変わらずブレーキランプの点灯不良、さらにはハンドリング不安定などのトラブルが続出し、正直言って乗るのが辛くなってきて、父親のレガシー250Tをもっぱら使うようになっていました。
 そして結局のところ、秋に少々乗っただけでその後は一冬使わないままになり、最終的には手放す決断を固めたのでした。
注記:上記のさまざまなトラブルは、ハンドリングに付いてはブッシュ類交換、タイロッドエンド修理などでおそらく十分に治るし、エアコンはガス補充、そしてブレーキランプの問題も、もう一度リヤグリルを交換すればいいだけで、オート・ボルタ“パーフェクトC”整備をかければ、すべて解決される範囲のものです。ただ私がもう対応に疲れた、ということです。この点、どうか誤解のありませぬよう。車自体は、まだまだピンピンしています。740はスクエアないいクルマで、安全性も高く、最近(2006)、とみに人気が高まりつつあるようですよ!


2006年3月24日(金)  ボルボ740、オート・ボルタへ
 ボルボ740を、とりあえずオート・ボルタに預ける。最終的には手放すという算段をつける。前にも書いたが、ブレーキランプ接触不良、エアコンは壊れて、ハンドルにがたつきが出るという三重苦で、さすがに運転する気にならず、年末から放っておいた。バッテリーが当然上がっており、社長の助けを借りた。携帯チャージャーを繋ぐと、一発で始動。社長の腕+良いバッテリーのお蔭だろう。
 購入当初から、さまざまな思いを乗せて走った車だった。メンテナンスにもモディファイにもそれなりの金額を投入し、外車について学んだことも多かった。取り回しも視界も極めて良く、スウェーデン鋼は頑丈で、真冬に滋賀と東京を往復もしたが、なんの泣き言も言わずに走った。総走行距離11万キロ超。
 今日は社長を運転席に乗せ、機嫌よく通りの角を曲がって行った。心の中で「ありがとう」と感謝した。


わが90年式ボルボ740ターボ・エステートの最終形態です。
グリルがブラックの格子式に変わっています。
最初のページと較べて、引き締まった渋いスタイルになったところに御注目ください。
ずいぶん手を入れました。良い方に乗っていただけることを願っています。
お問い合わせは、
オート・ボルタまで。

Photo : (C)AUTO-VOLTA


●こうして、5年乗った90年式ボルボ740ターボエステートに別れを告げました。
●ボルボ740のページをお読みいただいて、どうもありがとうございました。

 
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