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札幌でのはじめてのピアノフォルテ演奏会を聴いて

     
 
札幌でのはじめてのピアノフォルテ演奏会を聴いて 1991年6月21日記す

  1991年6月17日夜、札幌のザ・ルーテル・ホールで、小川京子による、北海道で初のハ
 ンマーフリューゲル演奏会が開かれた。
  ザ・ルーテル・ホールは、感じの良い小さなホールで、ピアノフォルテのような楽器に
 は、ちょうど良い大きさであると思われた。当夜使用された楽器は、小川ともう一人、ス
 テージで解説をした婦人の説明によれば、アントン・ヴァルターの1800年頃の製品をモデ
 ルにして、カワイ楽器が複製したもので、650万円で、月産一、二台ほど市販されるそう
 である。当夜は、カワイ楽器の担当者も来ており、演奏終了後に聴衆にステージに登らせ
 て試弾までさせたところなどを見ると、あるいはこの楽器の宣伝と売り込みも兼ねていた
 のかも知れない。現に、ワードプロセッサーで印字した当夜のプログラムは、この製品の
 販売用パンフレットの裏に簡易印刷したものだった。
  当夜の演奏は、小川のコンディションが、あるいはあまり良くなかったのかも知れない
 が、けっして十全なものとはいえなかった。ミスタッチも、かなり耳についた。小川の夫
 君は海老沢敏氏ということであり、そういうことならば、モーツァルトやその時代、さら
 に当時の楽器や音楽技法に対する理解も当然深いはずであるが、当夜の演奏に限れば、必
 ずしもそうした面が十分に現われているとは言えなかったのは残念である。
  具体的には、たとえば、とくに高音部において、音がきしってしまう。そのため、ヴァ
 ルターのレプリカでありながら、しばしばシュタインのそれのように聞こえるときがある。
 これはあるいは、カワイの製品自体が未完成であるためかとも思い、あとでみずから試し
 てみたが、かなり強く鍵を叩いても特にきしるというようなことはなく、結局はやはり、
 タッチが強すぎるためであると思われた。ピアノフォルテは、バドゥラ・シュコダがすで
 に指摘しているごとく、現代ピアノよりもはるかに少ない力で弾かねばならず、それは当
 夜、小川がいみじくも述べたように、「トラックと乗用車の違い」ということである。小
 川の言によれば、現代ピアノの演奏もまだ捨て難いそうであるが、当夜の演奏では、そう
 した面が逆に出てしまったのかも知れず、つまり、ピアノフォルテを現代ピアノのように
 弾いてしまった、言い替えるならば、「乗用車をトラックのように運転してしまった」き
 らいがあったようにも感じられたのである。
  またダンパー・レバーの使用に関しても、ピアノフォルテの場合は、音を濁らせる欠点
 が、現代ピアノに較べてより顕著に出るということが、すでに指摘されているところであ
 るが、当夜の演奏においても、その傾向を、やはりはっきりと聴き取ることができた。
  要するに、これらのことからいえるのは、ピアノフォルテは、現代ピアノとは全く違う
 
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札幌でのはじめてのピアノフォルテ演奏会を聴いて 1991年6月21日記す

 楽器だということであり、それは決して現代ピアノの代用にはならず、したがって、現代
 ピアノの技法をそのまま使用して演奏しても、博物館的な、いわゆる「古楽器」的興味は
 呼び起こすかも知れないが、しかし決してその特色を十分に発揮することはできないとい
 うことなのである。
  また実際、もしもピアノフォルテで現代ピアノのように弾いたとすれば、その楽器の特
 性からして、表現力・音量ともに、現代ピアノに到底対抗できるはずがないのである。そ
 のあたりの聴衆の戸惑いが、隣席の二人の婦人の交わしていた、「あまりいい音じゃない
 わね」「そんなことないんだけど……」という会話にも現われていたような気がするので
 ある。
  いずれにせよ、ピアノフォルテは、当夜の演奏を聴いた後も依然としてきわめて魅力的
 な楽器であるが、その演奏には相当な造詣が必要とされるということを、あらためて認識
 させられた一夜であった。
  なお曲目についていえば、ソナタK.331は、マルコム・ビルソンの演奏を感じさせ
 る部分が多かったことを指摘しておく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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