++浅薄日記++


2006年3月の日記


2006年3月1日(水) 日記復活
 ようやく日記を復活させようと思う。長々とでなく、一行でも。
●前原、夢に出る
 朝の夢。どこか学校の廊下、教室の出入り口のようなところ。民主党の前原が出てくる。旧知の間柄。妙に身をくねらすような仕草で手を振って、「いやあ私だってまいっちゃってるんだよ」と言う。「こうなったら、前原一派で割って出て自民党に入り、加藤など自民党左派と残った横路派とが合体して、あらためて大連立を組んだらいいんじゃない。とくに国の経済面では大きな成果が出るよ」と私が言うと、もっともだという顔をしてうなずく。
●永田メール
 ○リエモン⇔○原、永田⇔貴乃花。どことない相似。
●日本の位置
 米中の狭間の日本というのは、ちょうど漢と匈奴に挟まれた楼蘭王国だ。
No.246


2006年3月4日(土) オフィス シマザキ
☆オフィス・シマザキ
 腰痛の治療のため、オフィス シマザキに初めて行く。
 この診療院は「本山よろず屋本舗」(http://homepage2.nifty.com/motoyama/index.htm)というサイトの体験談で知って、すぐに申し込んだ。もう予約でいっぱいで、最後の空き時間に辛うじて滑り込んだ。
 ここは「スペシィフィックカイロプラクティック」という療法を実施しており、重い頭を支えている頚椎一番あるいは二番の骨をアジャストすることで背骨のゆがみを回復させ、身体の自然治癒力を取り戻させるということだ。詳しくはサイト(http://homepage3.nifty.com/333939/)を見ればわかるが、私の場合は右側がひどく歪んでいたらしい。
 診療台に左側を横にして寝かされ、姿勢を整えられ、「ふうっと楽にして下さい」と言われるタイミングで、首筋の所をぐっと押される。これが「アジャストメント」だ。ショックはあるが痛くはない。間を置いて、これを三、四回繰り返す。最後はもう、指圧をされているような心地よさになった。
 その後、小部屋でしばらく仰向けになって休憩。上半身、とくに両腕が温かくなり、最後は少しうとうとした。
 三、四日で楽になってくるはず、二週間後に再診するということで、今日の施術は終わった。
 院長は若く快活な人で来院者の絶える間もなく、二週間後にどのような効果が上がっているか、訪れるのが楽しみになった。
No.247


2006年3月6日(月) 米印急接近、夢の話
☆アメリカとインド急接近(ニュース23)
 どこまで、何がほんとうかどうか。既知で公然の事実だろう。アメリカと中国がユーラシアという盤上でオセロゲームをしているような感じだ。
 ただ新大陸勢力は、海千山千のシルクロード上ではあまり火遊びをしない方がいいと思う。

☆夢の話
 今朝の夢。インド映画を観ているらしい。それで同時に、その中の登場人物でもあるらしい。
 いかにもインドのフィルムらしい、鮮やかでにじんだ感じの画面。セットもまたそれなりに安っぽい家具など。
 舞台は現代。私は成金の経営者の息子で、親の職業や方針に反感を持ち、逆らっている。その日も父親と衝突し、サリーを着た母親(大仰な身振り)はどういうわけかわざわざ居間の外側の廊下を大回りして、ソファーに坐っている私をなだめに来る。じつに通俗な設定。
 それで私といえば、親の言いつけも聞かずに、お釈迦様の教団に通いつめているらしい。
「二千年前は、仏教なんてカルトだからね」と私は、共に映画を観ている妻に解説。
 しかもお釈迦様が教団を開いている場所は、どうやら「インダス川の河岸のどこか場末の風俗地帯」らしい。そんなところに出入りするというのが、これまた親の心配の種だ。
「今で言えばハンブルクのレーパーバーンみたいなところさ」と、これまた映画を観ながら妻に解説する。

 なんの象徴なのだろうか。
No.248


2006年3月7日(火) 『明日の神』
☆『明日の神』読みかける
 ニール・ドナルド・ウォルシュの邦訳最新巻『明日の神』を読みかける。例によって面白い。ニールと神とが、いかにもアメリカ人らしいへらず口の叩き合いをしている、という感じなのだ。もう少しよく言えば、ユーモアとウィットに富んだディベートをしているということかもしれない。さらには、アメリカのTVの定番、シチュエーション・コメディでもある。あるいは、舞台劇にもできそうだ。会話の応酬の妙なのだ。
 しかしアメリカも、勿体無い話だと、いつも思う。映画、カートゥーン、WWE、そして『神との対話』、こうしたもので世界中の尊敬や信頼や好感をいくらでも勝ち得ることができるのに、フリッツ・ヘルメットとピクセルカモのBDUでのさばっているとは。
 
No.249


2006年3月9日(木) 中学で模擬授業
☆中学で模擬授業
 本務校の附属中学で3年生相手に模擬授業をする。このごろは、大学教師にも、こんな仕事があるのだ。しかしむしろ、面白いと思って勇躍出かけた。
 生徒の雰囲気は、制服を着ていることを除けば、大学生と変わりない。もっとも、いやに小さいのもいるが。
 驚いたのは、教室の中に教頭に担任までついているのに、大学生同様、つっぷして居眠りをする生徒がいることだ。中学でもはやこの体たらくなのだから、大学生が堂々と居眠りをするのは当然だ。担任の先生がもう少しぴしっとしつけてくれていれば、とも思った。とくに私の勤める学校は、道義だの徳育だのをスローガンに掲げたこともあるところなのだから(それで芳しからぬ評判を山ほど立てたこともあるが)、せめてそうしたところは凛といきたいものだ。最後はこちらが指示して、ちゃんと号令をかけさせた。
 授業の内容は大学の80パーセント、といったところか。50分だし、仕方ない。質問や問いかけに対する反応は、大学生よりも明らかに素直でよかった。終わった後に質問にも来たし、ビビッドだ。
 だいたい、小学生のときは「はい、はい」と盛んに手を上げていた人間が、大学生になると下を向いて黙っているようになる、というのは奇怪な話だ。「そんなことつきあってられるか」というティーンエイジャー的自意識の成長過程を割り引いたとしても、そこを伸ばすのが教師の役割で、現実はスポイルされ続けて大学に入ってくるということなのではないか。
No.250


2006年3月11日(土) 米中軍事交流
☆米中軍事交流(昼のNHKニュース)
 アメリカと中国は等価の帝国だ。
 中国は再び中華からヘレニズム世界へとなろうとしているのだろうか。
No.251


2006年3月11日(土) 甲府講演行(1)
☆甲府講演行(1)
 翌日の講演会の打合せを山梨のリルケ氏とするため、午後からレガシーで甲府へ向う。ボルボはここしばらく乗っていない。さすがに少しハンドル回りにガタが来ているのと、ブレーキランプ接触不良がどうしても直らないのと、それにエアコンが壊れているという三重苦だ。
 リルケ氏の大学の駐車場に車を留め、研究室で打ち合わせ。OHP用図版を作成。このごろは猫も杓子もパワーポイントだが、じつは私は使えないのだ。
 打合せ終了後、甲府の駅前にあるビジネスホテルにチェックイン。素泊まり3500円には驚愕だが、タオルも歯ブラシもテレビも揃っていて快適。近くの店でリルケ氏とともに南瓜ほうとうで一杯やった後、ホテルに戻り就寝。
No.252


2006年3月12日(日) 甲府講演行(2)
☆甲府講演行(2)
 駅前でモーニングコーヒーを飲み、リルケ氏とタクシーで山梨県立文学館へ。山梨県山岳連盟・日本山岳文化学会・日本ヒマラヤ協会共催の「山の文化 in Yamanashi」において、リルケ氏と共に講演する。われわれは「中国四川省甘孜蔵族自治州における文化研究」と題して、四川チベット地区の調査成果を元に話す。一人20分と、学会発表並みのタイトな時間。
 昼食は、山梨県立文学館の外にある「スーリヤ」というインドカレーの店で、バイキングランチ。こんなところにまでインド人が入り込み、ナン付きの豆入りカレーをそこそこ食わせる時代になったのだと感慨を催す。
 午後もいくつかの発表を聞いて、閉会の後は甲府駅ビル「エクラン」で懇親会。後、リルケ氏夫人が迎えに来て、酔っ払ったわれわれともう一人友人の方を乗せ、清里にある素晴らしくいいセンスの蕎麦の店「草五庵」へ。御主人の親切なおもてなしと美味な料理を満喫。
 夜はリルケ氏シャレーに泊めてもらう。
 
No.253


2006年3月13日(月) 甲府講演行(3)
☆甲府講演行(3)
 リルケ氏シャレーのある八ヶ岳山麓は、快晴だがさすがに寒い。
 朝食後、リルケ氏の運転で出発。白白と雪をかぶった輝くばかりの甲斐駒を眺めながらドライブ、サントリー白州蒸留所の見学に行く。ウイスキーに対する認識を大いにあらためる。いまさら阿呆かと言われるだろうが、麦芽とかもろみとか酵母とかは所詮「触媒」なのだな。それでウイスキーを決めるのは「樽」、つまり木なのだな。
 われわれはいうなれば、「木の生命」を分かち与えられて飲んでいるのだ。だから、あだやおろそかに、あるいは体を痛めるようなやり方で飲んだりしてはいけないのだ。
 昼食は小淵沢の鰻の店「井筒屋」でひつまぶし。美味。後、甲府のリルケ氏大学の駐車場まで送ってもらい、レガシーに乗り換えて、リルケ氏夫妻と別れる。
 あえて地道を通り、中央高速に乗らずに行こうと思ったのは、勝沼柏尾の甲陽鎮撫隊戦跡を見たかったため。大善寺を過ぎ、もう山が目の前に迫った所で川を渡ると、そこに近藤勇の石像が小ぢんまりと立っている。眼下には甲府盆地が見下ろせる。ここの里山一帯で戦い、追い上げられ、敗走したのだ。
 笹子トンネルを抜けて大月あたりまで来ると、驚いたことに空は灰色に垂れ込め、小雪がちらつきはじめる。レガシーなので意に介さず、旧街道に道を取って高度を上げ、犬目宿から上野原に出る。雪はますます繁く、本降りになる。
 だがこちらは棡原から檜原へ出るべく、さらに北上し、高度を上げる。先日タイヤを交換しているからレガシーは快調、雪で濡れた路面をものともせず走る。
 トンネルを抜けて県境を越え、檜原村に出れば雪は無くなると思ったら予想は大外れで、山は一面銀化粧。冬枯れの木々の枝に粉雪がまぶしたように凍り付き、息を呑むような美しい世界。「全山花の山」とよく言うが、まさに「全山、雪の花の山」だ。ピンクでなく、白い花が満開といった、この世のものならぬ風情。
 これが五日市の町まで続き、それを過ぎてようやく雲が切れ、雪が止む。こんな景色を見られたことに対して感謝する。
 後は一瀉千里、八王子まで出て、そこから高速に乗って家に帰ったのだった。
No.254


2006年3月14日(火) 杉村会見、WBC判定、ホリエモン起訴
☆杉村太蔵結婚記者会見
 お前は皇太子様か。「温かく見守ってくれ」とは何事だ。身のほどを知れ。
 それに「プライベートなこと」なら、なぜいけしゃあしゃあと記者会見などする。
 まあ自民党のピエロの役どころなわけだ。

☆WBC判定
 所詮は興行、金儲け。だから参加に反対していたナベツネは、さすが見切っていたのだ。
 まあ王ジャパンも、さっさと帰国でもしてしまえばいいのに。

☆ホリエモン起訴
 拘置所で『史記』と『白い巨塔』を読んだとか。打たれた杭になったつもりで、自分を不遇だと見立てたいわけだ。
 自己憐憫とナルシズム。

 ところで、株式分割というのは、素人考えで言えば「講」の手法でしょう。「講」といえば、九州にはかの「ネズミ講」で知られたカリスマ詐欺師がいた。そして教祖○原は、元々その詐欺師のところに出入りしていた、とも聞いたことがある。
 「講」(金集め、人集め)、カリスマ的詐欺師の才能、そして九州。
 どうしてもそんな系譜で見たくもなる。
No.255


2006年3月16日(木) Winny、高血圧
☆Winny
 開発者(東大大学院助手? 2ちゃんねらーの47氏ともいう)がテレビに出て偉ぶって(この世代のITバカ人間たちはどうしてこうも偉そうに居丈高にとんがって振舞うのか、きっと社会的自信がないのだ)御託を垂れるには、「著作権違反を蔓延させる意図などない」そうだが、現実的にはこの男、金銭的知的所有権というものにルサンチマンを抱き、それを無効化・無力化させんがために行動を起こした、知的共有主義の確信犯ではないか。
 しかし一方では、どんなファイルでも流れ出すということは、人類のエスタブリッシュメントやエグゼクティブがこれまでひた隠しにしてきた機密や陰謀までがオープンに流出してしまうという可能性を開くわけだから、既得支配権と権力の独占を溶解させ、民主的世界平和への道を開く革命的きっかけともなると考えれば面白い。NSEとかエシュロンとかも。ケムトレイルもいいな。
 ついでにロズウェル事件もだ。

☆高血圧
 ちょっとカッと腹を立てたら、上が158とはひどい。首と肩が熱くて苦しくなった。
 鎮静剤を処方してもらって休むことにした。家内にレイキショートヒーリング、自分も浄心呼吸法。
No.256


2006年3月17日(金) 雑感
 朝、大風。夕方、鍼。夜、月。
 血圧、上が129に下がる。120代など、何ヶ月、あるいは何年ぶり。痩せたからか。ただし下は90でやや高め。
 ソメイヨシノではない桜は、もう上野公園あたりでは咲いている。
 嵐で一気に春になるのか。
No.257


2006年3月19日(日) オフィス シマザキ2、日野宿本陣
 今日は恐ろしいばかりの強風。3月の今ごろ、こんなに低気圧が猛発達するようなことは、昔はなかったと思う。地球環境の変動か、それともアメリカの気候操作か。

☆オフィス シマザキ2
 オフィス シマザキで、2回目のアジャストメントを受ける。左右の脚の長さの違いが、前回の半分くらいに減っていたそうだ。今日は右首の横を3回、強めにぐっと押される。その後横になって1時間ほど休むのだが、次に治療を受けている人と先生との会話を聞くともなく聞いていると、私と同じように押されたタイミングのときに、最初に私が受けたときのように「うはあっ」というような声を漏らす。やはり初診のときはみんなそうなるのだと思いながら、いつのまにかまどろんでしまっていて、自分のいびきで目を覚ました。
 また、「もうちょっと胸が張れるようになるといいです」と言われたが、昔、小児喘息だったのでそのときの猫背が今も残っているのかもしれない。さらには、胸が張って開く、とはつまり、「ハートのチャクラが開く」ということでもありそうだ。これは感情の開放、私の抱えるテーマでもあるかもしれない。

☆日野宿本陣見学
 オフィス シマザキへ行く途中、「新選組のふるさと歴史館 日野宿本陣」を見学。たぶん市役所を定年になったとおぼしき嘱託の方が、親切に説明してくれる。建物、間取り、ともに見事。解説の中で、有山家に移築されている「上段の間」(大名の休息場)を取り戻したがっているように聞こえたのは愛嬌。この「上段の間」は、「夜明け前」の馬篭宿本陣の描写の中にも出てくるので、その実像に触れることができて興味深かった。
 また、土方歳三記念館の前も通った。時間がなかったので前を通りすぎただけだが、誠の羽織を着た女性が一人、門の前に並べた土産物類をしきりに整理していたのが、まるで昨年見学した壬生の八木邸を思わせて、印象に残った。
No.258


2006年3月20日(月) 卒業式
☆卒業式
 みなとみらいの「パシフィコ横浜」で、本務校の卒業式。卒業生代表による答辞は、自分の歩んだ道を切実に語って、近頃出色の出来。じつはそこには学部批判のトーンが流れていたのだが、そのことにはたしてだれが、そして何人が気付いたか。
 夜はインターコンチネンタルホテルに会場を移して、謝恩パーティ。夜景が見事。女子学生の中には、お色直しをして繰り込んできた人もいた。それでも、バブルの頃に較べると、ほんとうに地味になったものだ。
No.259


2006年3月21日(火) 夢2題、WBC日本優勝
☆夢2題
 その1:2日ほど前の朝に見た夢。場所はエジプトのポートサイドかアレクサンドリア。宮殿か博物館の広い前庭の芝生の上(緑が鮮やか)で、チャーチルが演説している。ドイツに敗色濃いアメリカに対して、援軍を決定したのだ。演説終了後、ローズヴェルト(車椅子には乗っていない)が感謝の握手を求め、チャーチルの肩を抱きながら「これから白金の行き付けの店に行かないか」と誘う。首脳たち「そうだ。白金行こう。白金。白金」と言いながら、連れ立って行ってしまう。

 その2:今朝の夢。新年度に入り、最初の授業に行かねばならない。ところが教室がわからない。何号室がどこにあるかもわからない。仕方なく一つ一つを探して行く。ある教室に学生が集まっているのでそこのドアを開けたら、若い助教授がもういて、「探していれば行き当たりますよ」と素っ気無く言う。次の教室に入り、「ここの科目はなんだ」と学生に聞くと、下を向いて「……地理関係です」と小声で答える。まんざら関係なくもないので、ではここかな、とも思う。もう授業時間が始まって15分も経過しているので、内心気が気でない。
 目が覚めてから妻に話すと、「前にも同じ夢(教室に行きつけない)を見たね」と言われる。

☆WBC日本優勝
 自国に有利に運ぼうとしたアメリカは自分からこけ、喜びのあまり兵役免除などという褒美をぶら下げた韓国は早まりすぎた。一度死んで、欲も失うものも無かった日本に、結局勝利は転がりこんだ。
 買った負けたは時の運、いくさに勝ち負けはつきもの。相撲だって元来は結果占いの神事であって、力士の勝負スコアが重要なのではない。それが証拠に、倒した力士は倒された側に手を差しのべて助け起こすではないか。
 所詮は興行、パンとサーカスで、国の威信とかそんなことではないだろう。
No.260


2006年3月23日(木) ことば二題
☆街で会ったことば二題
 妻とともに髪を切りに行った後、思い立って、オート・ボルタへ。車のことについて、ちょっと考えている。
 夜はかんじゃーやーで、ピキ氏の指導する大学院生のハワイ留学壮行会。

 じつは昨夜もかんじゃーやーに一寸寄ったのだが、行く道々、新宿東口地下道を歩いているとき、スーツの上着の替わりにどてらか綿入れを着た(ネクタイもズボンもちゃんとしている)不思議な格好のホームレスと擦れ違いざま、ホームレスが発したことば「発展性のない街だなあ!」
 そうして今日、美容室を出たすぐの歩道で擦れ違った少々頭のおかしな若い男が、通りすぎた直後に大声で発したことば「大丈夫だよ!」
 記憶に残ったので記しておく。
No.261


2006年3月24日(金) ボルボ740、池袋三越
☆ボルボ740、オート・ボルタへ
 ボルボ740を、とりあえずオート・ボルタに預ける。前にも書いたが、ブレーキランプ接触不良、エアコンは壊れて、ハンドルにがたつきが出るという三重苦で、さすがに運転する気にならず、年末から放っておいた。バッテリーが当然上がり、朝山さんの助けを借りた。「しばらくレガシーだけにして、うちで預かっておきましょう」と言ってくれたので有難くお願いした。
 購入当初からさまざまな思いを乗せて走った車だった。メンテナンスにもモディファイにもそれなりの金額を投入し、外車について学んだことも多かった。取り回しは極めて良く、スウェーデン鋼は頑丈で、真冬に滋賀と東京を往復もしたが、なんの泣き言も言わずに走った。
 今日は朝山さんを運転席に乗せ、機嫌よく通りの角を曲がって行った。心の中で「ありがとう」と感謝した。
 じつは車について考えていることがあるのだが、それは追々に記していく。

☆池袋三越
 妻の用事に付合い、池袋三越へ。こちらは時計の竜頭がさっぱり動かないので、時計売り場に見てもらいに行く。白衣を着たいかにも職人といった店員さんがいて、一目見るなり「ああ○○か」と銘柄を言って、「これは竜頭がねじになっているのです」と教えてくれる。「引っ張るのかと思ってました」と言うと「いいえ、これは水が入らないようにねじになっているのです」と答える。魔法のように調整して、すぐに出来上がり。もちろん無料。とはいえ、後で自分でいじれるかどうかは、相変わらず不安。
 催物場では、富山県物産展をやっている。鱒の鮨と焼き鯖鮨を買う。いろいろおまけしてくれたので驚く。妻は福引で饂飩を当てた。はずれ籤は富山の薬売りの紙風船なので、かなり得をした気分になった。
No.262


2006年3月25日(土) 鶴川街道
☆鶴川街道
 新設大学院の入試監督をするために登校。通勤ルートである稲城から鶴川にかけての鶴川街道沿線は、遅かった梅が終わりかけて、桜がすでに五分咲きくらい、その他にも果樹の花々が一斉に開いて、あの一年で最も美しい酔うような風景を、早くも見せつつある。
 帰り道にふと誘われて、ふだん通らない山ぎわの方に入り込んでみると、予想を上回る桃源郷風情。隠れ田あり、梅林あり、庭先に縁側のあるような純然たる農家も残り、ヤギまでもが飼われている。三沢川を挟んだ向こうの丘陵には指呼の間に多摩ニュータウンを望むような場所に、幕末や天然理心流を髣髴させるこうしたアルカディアが、いまなおある。
 このスローライフの時代に、もうこれ以上環境に負荷をかけないような形で続いていってほしいものだ。
No.263


2006年3月26日(日) みなとみらいの万葉倶楽部
☆みなとみらいの万葉倶楽部
 昼は新宿ライオンで、大学のクラス会の幹事会。乾杯の音頭取りを引き受ける。簡潔に要を得て何かを言わねばならないので、それを考えよう。入学後最初のコンパの思い出話でやろうかと思っている。
 夜は妻とともに、みなとみらいの万葉倶楽部にはじめて行ってみる。横浜町田インター横の万葉の湯に比して、昨年6月に完成したばかりなので、やはり新しく綺麗で規模も大きい。風呂とサウナの種類もずっと多いし、ゲームコーナーもある。ゆっくり浸かって軽食を取る。面白いのは屋上の露天足湯の設備。みなとみらいの大観覧車を見上げながら、足だけ出して浸かっているとほかほかしてくる。
 うまいロケーションに建てたものだと思う。昼間はみなとみらいで遊んでおいて、夕方温泉に来て夕御飯を食べて帰れば、一日のレクリエーションには十分なるだろう。われわれはもう夜遅く来たから空いていたが、これが昼から夕方にかけてだったら、おそらく芋の子を洗うという表現がぴったり、あるいは子供も多くて阿鼻叫喚の巷だったのではないだろうか。
 それで面白い連想が浮かんで、ちょうど池袋三越の富山物産展に「立山の地獄/浄土信仰」のコーナーがあったのを思い出し、妻に「これこそ「地獄」なのではないか、坊さんはあんな地獄図絵の掛け軸など見せずに、参詣者をここに連れてきて説明すればいいのではないか」と冗談を言った。
 考えてみれば、温泉は天国/極楽だが、ところによっては「地獄」もある。「地獄」を極楽に造り替えるのは、たいてい弘法大師などの高僧だ。
 少なくとも、今夜の万葉倶楽部は、私と妻にとって極楽であった。
 感謝します。南無阿弥陀仏。
No.264


2006年3月30日(木) 今日も大風
☆今日も大風
 まだ満開に至らない桜まで吹き千切ろうかという大風が、今日も荒れ狂った。空には雪の雲が流れて飛んできているのも見える。春一番の後に、また木枯らしが吹いたようなものだ。
 北日本で低気圧が猛烈に発達し、そこに寒気が流れ込む、こうしたパターンが、もう何回続いていることだろうか。以前はこんな異常気象は無かったと思うのだが。ただし人の記憶はいい加減だから。
No.265




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