++浅薄日記++


2004年12月の日記


2004年12月6日(月) 新選組! 第四十八回
☆新選組! 第四十八回
 あと2回しかないというのが信じられない。こうなったらいっそ、来年の大河ドラマは「義経」の代わりに、「新選組!(再)」として一年間放映する、というのはどうだろう。スキャンダルのあおりで受信料収入も減少しているようだし、予算削減の趣旨にも合致するのではないか。それに、斎藤も「新選組は終わらない!」と絶叫しているし(あれはもしかしたら「(番組編成)局長! 新選組! は終わらない!」という含意ではないかしらん)。
 しかしそうすると、土曜日の番組欄には、「新選組!(再)(再)」という風になるわけだ。
 
 今度も涙腺がゆるむ回だった。メッセージもあった。
 綾瀬河畔で近藤が土方に「マダやるか」(ところでこれは試衛館でのふでのことば「マダ増えるか!」ともどこかで響き合っていることは確かだろう)「これからか」と聞くと、土方は「これからだ」と応え、流山での別離のさいには「そしてまだまだ終わったわけじゃネエ」(斎藤「新選組は終わらない!」と相応する)と言う。
 また官軍に出頭するか否かの激論のとき、切腹を口にする近藤に対して土方は、「死んでいった者のためにも近藤勇には生きていてもらわなくちゃならねえんだ!」「生きろ」と叫ぶ。
 さらに近藤もみずから周平に対して「行きなさい」と脱出を勧めるが、これはその前の「命を惜しめ」というセリフから考えると、当然「生きなさい」という意味が重なり合っているわけだ。
 そして流山陣屋の検分に訪れた有馬藤太に対して、近藤は「戦は負けたが勝敗は時の運、悔いはない、はっきりと正義は我等にあり、何度生まれ変わっても戦い続けます」と言い切る。
 だからこれを以ってこれを観るに、時代の狭間に呑み込まれたり賊軍の汚名を着て死んでいった者たち、またその者たちの末裔や郷土にとって、新選組の復権と名誉回復(revision)は「まだまだ終わっていない」わけでむしろ「これから」なのだし、近藤勇が追い求めて止まなかった「誠の心」、つまり近藤自身も、たとえ歴史が過ぎ去り、はたまたドラマが終了しようとも、永遠に生き続けるのだ。
 今回の主眼は、まさにここにあったと言えよう。

あとはほぼ逐次的に列挙。
 舞台は五兵衛新田、綾瀬川のほとりから始まる。逸話に残るシーンの復元。現地はもう少し視界が開けているような気がするのだが、スタジオ撮影なのでやむを得ない。近くの湿地帯「蛭沼」でのこと、と考えよう。
 釣りをしている土方に近藤が、多摩の往時を思い出すと言うと、土方は忘れたと冷淡に答え、前回のショックなど素振りにも見せず「覚えておけ、人は変わらないとダメなんだ、オレは振り返ってるヒマなんかネエ」と啖呵を切るが、そのくせ小娘に色目を使うあたりは「変わってない……」(近藤)というギャグ。
 周平はこの地域および五兵衛新田について、視聴者に簡単なレクチュアを行なう。子母澤寛だけ読んでいると、ここと流山をひとつの場所と思ってしまうので、この場面は親切でいいだろう。また地域サービスでもある。
 すっかり数が少なくなった幹部評定。勝に江戸から追い払われた近藤は、しかしあくまで救援軍として、堂々と会津に向かいたいのだ。そのための調練に適した場として島田が提案したのが、流山である。この移転の事情については、歴史の上では各説あるようだ。ここまで、穏やかな導入。
 千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅の描写は、子母澤寛の書いたとおりの雰囲気をよく出している。心にもない天然理心流襲名披露や扁額奉納の話をして帰る近藤に、「あの人だってわかってる……」と沖田はつぶやく。同時期、府中大国魂神社の天然理心流扁額が、官軍の捜索を逃れるために外されて行方不明となっていることを考え合わせると、この科白はいっそう皮肉かつ哀れな響きを持つ。
 近藤観点ではない永倉と左之助は汁粉屋で油を売る。「新選組のあるべき姿を近藤さんに見せてやる」と力む永倉の前に、死んだと思っていた芳賀宜堂が現われて靖共隊(名称は出ないが)への加入を勧誘し、永倉はそのチャンスをつかむ。左之助の方は、まさの待つ京都へ戻ることを決するが、予告編を観ると最終回まで左之助は登場するようだ。ここで永倉と芳賀の会話を聞きながら「親亀の背中に小亀を乗せて……」と遊ぶのは、親子の情に牽かれる左之助の心理を表わすものだろう。
 一方、千駄ヶ谷には斎藤がやってくる(ここも近藤観点ではない)。刀の時代は終わったと語り合う二人を遠景に、手前にある刀架の沖田の白鞘がそれを黙って聞いている。またここで、お孝と沖田との間に命に関する深い会話が交わされるのだが、これはあるいは最終回に響いてくるのかもしれない。

 流山。粕壁からの官軍の行軍も、戦闘シーンも一切なしに、いつの間にか四百の兵で包囲されている。近藤の台詞「ずいぶん早かったな」これは楽屋落ちではないだろう。
 有馬藤太と内藤隼人との対決は、相対した両者の間隔がしだいに狭まり、最後の睨み合いでついに土方が眼ばたきして気圧される。
 検分の場面での捨助登場(「呼ばれなくとも現われ」「ギョフンと言わせる」)には、近藤・土方ならずとも「ハラハラ」させられた。
 有馬藤太役の古田新太は、最初は野蛮極まる強面として現われ、それが近藤の人間に触れるにしたがって刻一刻顔付きと表情がやわらいでいく、うまい演技を見せた。また大久保大和は有馬と顔を合わせずに背中合わせで第三者たる近藤の意見を代弁するが、その間、カメラは大久保と有馬を中心に置いて、周囲の隊士たちをぐるりと360度なめて撮る。そうして最後に大久保が「……と近藤は思って居るのではないでしょうか」と語り収めながら、はじめて有馬の方へ向き直る。つまりこれは、私が近藤だ、だがここにいる/いないみんなもそうだぞ、みんなが近藤なのだぞ……と深読みできる演出だ。
 土方と近藤の別れのシーンは、芝居ばかりではなく本気が入っていたように思える。とくに土方が「新選組を作ってあんたを悩ませてばかり、よけいな重荷を背負わせてばかり」と訴える科白は、「新選組! を作ってあんたを悩ませてばかり、よけいな重荷を背負わせてばかり」と山本耕史が香取慎吾に謝っている、と考えると感慨も新たになる。テレビガイド類に散見するところによれば、山本が香取とのコンビネーション形成に費やした労苦はたいへんなものだったようで、三谷幸喜はそのあたりの楽屋落ちも含めて、二人への総決算としてこの科白をこしらえたのではなかったろうか。
 上手近藤、下手土方のコルクのシーンは、第一回へのオマージュとしてかぶさる。
 
 そして最後の演出だ。もう少し酒が入っていたら、泣いていただろう。
 近藤と対面する加納(一兵卒とは可哀相だ)。加納は、甲子太郎が勇を暗殺せんものと懐剣を忍ばせたときにも、また鳥羽街道で篠原とともに近藤を待ち伏せたときも、つねに「卑怯」であることを嫌ってためらってきた。その加納は、たとえ恨みがあるとはいえ、かつての同士/上司である近藤をこういう場で名指しすることに「卑怯なのではないか、どう行動すればいいのか、おれの誠は」と逡巡する。
 その顔を見つめるうちに、勇の表情はしだいに悲哀と慈愛と諦念の混合した「いいんだよ……」とでもいうような優しいものに変わり、同時に画面は白く光を帯び、バックには女性コーラスで静かにテーマ曲が流れ、あたかも宗教的シーンのように昇華される。
 要するにここは、いわばゲッセマネの園におけるイエスの捕縛の場面にも相当するものなのだ。
 即ち……。
 土佐と水戸のパリサイ人たちがにんまりとほくそ笑むなか、ユダにならずにすんだ加納が頭を下げる。それを見守る有馬は、「まことにこの人こそ義人であった」と述べた百人隊長か、それとも総督ピラトの役どころかもしれない。
 そして近藤はといえば、イエスというよりも、先に加納を許してみずから正体を明かすところからして、むしろ大慈大悲の阿弥陀仏に擬せられるともいえよう。
 それはまた、鬼瓦と称せられ、鴨を殺して以後鬼となった近藤が、ようやくここで鬼である必要がなくなったことを示すし、さらに少々敷衍して、近藤のことを鬼よりもさらに凄まじく「怒りによって迷いを正す」存在としての不動明王と考えれば(不動明王は天皇家および将軍家のために国家鎮護を祈祷する修法、安鎮法の本尊であるから、尊皇佐幕の近藤が不動明王となっても何の不思議もない)、ここでかれが不動明王の本体としての盧遮那仏に戻るのも当然だ(大日如来は系譜的には阿弥陀仏の発展形ともいえる)。
 そうしてこの近藤の微笑とともに、第四十八回の幕は閉じられるのである。
No.190


2004年12月8日(水) 日米開戦の日、「ステラ」ゲット
☆日米開戦の日
 ともすれば忘れてしまいそうになる。
☆「ステラ」ゲット
「新選組!」最終回案内の載っている「ステラ」を、昼食の買い込みがてら、学校近くのコンビニで手に入れようと思っていたら、妻から携帯にいちはやくメールが入っており、「ステラ」ゲットとあった。烈婦なり、節女なり、と内田百閧ホりに誉めてやりたくなった。
No.191


2004年12月9日(木) ジョン・レノン、お台場
☆ジョン・レノン
 妻が「ジョン・レノンの命日だ」と言う。「昨日だろう」と答えたら、「時差があるから、向こうの8日はこちらの……」と理屈をこねる。ほんにその通りだろう。
 久しぶりに、"War is over, if you want it, war is over, now..." などと口ずさんでみた。

☆お台場
 夜、妻とお台場へ食事に行く。
 DECKS にある「台場小香港」の「陳麻婆豆腐」の店であの辛い辛い本場の味を食べた後、イルミネーションを見る。青い発光ダイオードを使うようになって、彩りがほんとうに綺麗になった。だがあの青い明かりを見るたびに、例の発明料で騒いだ先生の顔がちらついて、とんだ艶消しだ。
 12月だというのに、まだ屋形船が出ている。夏の風物詩だとばかり思っていたが、最近は冷暖房完備なのか。
 正面には東京タワーとレインボー・ブリッジ。妻が「(ここから見渡せる)町全体がイルミネーションみたいなものだ」と感想を述べる。たしかにトウキョウ・シティの借景だ。
 歳末の夜だというのに、どうも閑散。忘年会には、まだ早いのか。昔は「花モク」などということばもあったと思い出す。
 帰りに車窓から見た、六本木も、原宿も、なんだか淋しかった。六本木なんか不夜城だったのに。
No.192


2004年12月12日(日) スマステーション
☆スマステーション
 11日午後11時半より放映のテレビ朝日「スマステーション」を、「もちろん」観る。
「新選組!」最終回の(悲劇的終局なのだからこんな言い方はおかしいが)前夜祭ともいうべき感じ。試衛館一同(土方、山南は中継参加)+島田、山崎出演の同窓会ノリ。ここまで持ち上げてもらって、NHKも少しは胸に手を当てて考えた方がいいのではないか。三谷幸喜はいつものごとく韜晦気味、そして脚本家として当然ながら、役者とテレビ朝日に花を持たせていた。
 クランクアップ後、京都を訪れた香取慎吾が、三条河原に立って、橋の上から大勢見下ろす観衆を背後に、「近藤の首が晒されたときもきっとこんな風にして見られていたのだろうな」と何度も繰り返していたのが、強く印象に残る。常に衆目から逃れることのできない宿命を持つ、アイドルならではの観点と感慨だろう。
 しかし未だに近藤に憑かれている、といった感じ。いちど御払いをしておいてもらった方がいいのではないか、とすら思った。
 日曜日は最終回特別延長バージョン、そして月曜日はいずれも香取出演の「笑っていいとも」と「スマ×スマ」で後夜祭と、近藤も新選組も、そして何よりNHKが、以って瞑すべきか。
No.193


2004年12月12日(日) 新選組! 第四十九回(最終回)
☆新選組! 第四十九回(最終回)
 とうとう終わってしまった。信じられない……。
 今年一年はまったく、「新選組!」を心の支えにしてやってきたようなものなので、来週からどのようにして過ごせばいいものやら、見当もつかない。一年間にわたって、じつにいいドラマ、心の糧となるような、また知的刺激も相当に受けることのできた、そんなドラマを見せてもらったという感じだ。

「近藤勇、よく戦いました!」(ふで)
 このカタルシスに尽きているだろう。

 近藤の処刑は、むしろ明るいゴルゴタへのパレード。最後に不屈の左之助に「尽忠報国の士、天晴れなりィ!」(これは鴨へのオマージュ)「新選組は不滅だぁ!」(だれでも長嶋を思い出す)と叫ばせ、人間としての意気地を取り戻した(「官軍に一泡吹かせてやるんです、それが残された者の務め」)尾形はそれを聞いて高笑いをしながら去っていく。
 近藤は鬼瓦として、つまりまさに僻邪として、勝と西郷の言うように、すべての怒りと恨みと憎しみと罪業とを一身に引き受けて死なねばならない。それだからこそ、みなが近藤を見捨てる(見捨てない捨助は死ぬ)。有馬藤太も力が及ばない。ついには松平容保までが見捨てる。けれども、イエスだって、ユダにもペテロに見捨てられたではないか。しかし、見捨てた者たちは、じつは見捨てたわけではない。いや見捨てることなどできはしない。イエスが地に落ちた一粒の麦であったように、近藤もまたみなの胸に、忘れ難い、そして日々大きくなる思いを残すのだ。かれが自らの身を種子として播いた「誠の心」はみなの心に宿り、芽を吹き、それぞれの形で成長していくだろう。「評価など、百年、二百年後の人が決めればいいことだ」と土方為次郎は言い、小島鹿之助も「かならず近藤さんの後に続く者が、この多摩に出てくる」と自由民権運動を予言する。そして歳三もまた勝のことばに従い、近藤の背負いきれなかった残りの分を引き受けて、函館まで戦い続けるのだ。
 だから近藤の死は悲しいが明るい。それは地に落ちた麦の再生でもあるからだ。鬼瓦の役目を終えた近藤は、純真で美しい顔に戻って死んでいく。

蛇足:
●ありとあらゆる人に別れを告げさせる。桂が「われわれだって寄せ集めで新選組と同じ、いや新政府の方が結束がない」と眉根を寄せるのは、当然、後の西南戦争のことを言っている。
●斎藤に容保が「近藤の首を持ち帰れ、せめて会津の地で供養する」と命じるところは、土方たちが建てたとされる、あの山の中の墓に実際に近藤の首が埋められている、という伝承をうまく生かして余韻と希望を残していた。また斎藤は一時の悩みなど吹っ切れたように官軍兵士を切り捨てるが(「誠」の戦いだからだ)、このときのオダギリは、懐紙で刀を拭って撒き捨てるあたり時代劇の定番アクションを引用し、またそれが目の覚めるほど格好良かったではないか。
●可哀相なお孝は蟻のように小さな命だったかもしれないが、大切な命だったのだ。それに沖田が気づいたときには、お孝はもういない。蟻のように血の海から助け出すことはできなかったのだ。
●「涼州詞」で弟を送り出す土方為次郎。
●左之助は不滅だ。そしていつもお供えを取っていく。
●風車は阿比留のときと同様に死のメタファーか。また地蔵の首がみな欠けているのは、当然近藤の斬首を暗示する。
●「取っておき」(三谷)の台詞は「トシ……」だったわけだ。

●カーテンコールをやってくれてよかった。「大脱走」のエンディングを、もっと派手にした感じだった。
●そのカーテンコールのエンディングの暗転にただちに声が被さって「京都でいったい、なにが俺たちを待ってるんだろうな」と歳三が言っている場面に切り替わる。それは、浪士組に加入することを決めた試衛館一統が集まって空を見上げる、五年前のシーンなのだ。
……そう、今回へ繋がる運命が待っているのだが、しかし近藤は怯まない。剣を抜き放って運命の鼻先に突きつけ、そしてもういちど、「ここから」はじめるのだ。

 ドラマははじまる。新選組は、そして「新選組!」は、不滅なのだ。
No.194


2004年12月13日(月) スマスマ
☆SMAP×SMAP
「局長!」(三谷幸喜作)。
 以前、ある対談の中で香取慎吾が三谷幸喜に持ちかけ、快諾を得ていた企画の実現で、「新選組!」本編が終わった直後に、そのままの雰囲気でコントをやるというもの。
 番組の中では、土方と沖田を連れた近藤がコンビニに「御用改めである!」と叫んで乱入し、さまざまな商品をめぐって、コンビニ店員のクサナギと頓珍漢で大真面目なやりとりを繰り広げる。とくに食玩を見ていた子供に近藤が絡む一幕は、周平との別れ、また板橋脇本陣の幼女との交流のシーンのパロディで、抱腹絶倒。笑いと涙の中で癒される。
 タイトルバックも衣装も口調も、さらには土方、沖田、そしてコンビニ外に控える尾関や左之助はじめ隊士たちに至るまで本編そっくりで、三谷本人による自作のパスティーシュとなっている。
 要するにこれは、葬式の後の精進落としといった性質のもので、「これで日常に復帰して下さいね」ということなのである。

 さあ、後夜祭も済んだことだし、リハビリは終えて、これからは懐かしく近藤さんたちを思い出そうではありませんか。総集編もあることだし。
No.195


2004年12月15日(水) 学生と忘年会、「新選組!」コーナー名称変更
☆学生と忘年会
 だいぶん今年も押し詰まってきた気がする。今日は寒かった。と言って、コートの襟を掻き合わせたりするほどのことでもないのが、やはり温暖化の影響かと危惧を持ったりもする。
 夕方、ゼミ学生有志とささやかな忘年の飲み会。小田急線はダイヤ改正で「快速急行」というものができて、おそろしく便利になった。下北沢から新百合ヶ丘まで止まらないのだから速い。しかも途中駅の利用客が乗らないので空いている。これみな複々線化の恩恵だが、沿線住民は日照確保と騒音防止の観点から地下化を主張して、いまも異議申し立てを続けているはずだ。取りあえずは、踏切が消滅したことによって交通渋滞と事故の危険性が減少し、また地域の分断も解消されたのだろうから、そのメリットを生かし伸ばしていくことも一方では必要だろう。

☆「新選組!」コーナー名称変更
 5月に立ち上げた「期間限定:新選組! コーナー」の名称を、ドラマ終了に合わせて、「2004年大河ドラマ「新選組!」メモリアル・コーナー」に変更した。
 当初は日記の抜粋でしかなく、また表題にも掲げたように番組終了とともに撤退するつもりをしていたのだが、しだいに考察を書くのが面白くなって分量も増え、あらためて初期のものを見直すと、知識の薄さや読みの浅さが丸見えで、冷や汗が出る。量も少ないし、尖がっているし。
 また観続けていくうちに、このドラマは、何回か観直さないと味わいがわかってこないし、また観るたびにその味そのものが変わっていくということを、つくづく思い知らされた。おそらくこれが「視聴率は上がらないが猛烈に深く面白い」三谷マジックの真髄なのだろう。
 だから総集編版ではなく完全版を是非観直したいと思っていたら、大多数のコアなファンはみな同じ思いだったと見えて、その要望が通じたのか、なんと完全版DVDの発売が決定されたではないか。
 これで感想を全然書いていない始めの頃の回についても補うことができるし、短い感想を補足したり、また誤解や勘違いしている個所を修正することもできる。
 どうせならそうして、少しは納得のいくところまで完全度を上げておこうと考え、大げさだが「メモリアル・コーナー」という形で、まずは表題だけでもお色直しをしたというわけである。
 なお今後、補足や補充をしたさいには、考察の発展や深化の度合がわかるように、その旨を日付入りで注記していくことにするつもりだ。
 
No.196


2004年12月18日(土) ☆高松宮妃薨去、☆新札すり替え
☆高松宮妃薨去
「新選組!」再放送終了(つまり完全終了)の日に、徳川慶喜の孫の方が亡くなられたのも、なにかの縁か。
 高松宮妃が江戸風の口調で紹介されていた高松宮のことば「おまわりさんに守られているようではいけない、国民に守られる皇室でなければいけない」印象に残る。
 ああ、アメリカの第五列首相と売国奴財務相が支配するこの国に、心有る人はもういないのだろうか。
「国家なぞ要らない」という考え方そのものには共鳴するが、こんな風に国を滅ぼすことばかりを夢見ている団塊連中の思い通りの「インタナショナル」なぞ金輪際御免だ。共産主義インタナショナルも御免だが。要は、民を塗炭の苦しみに追い込む奴ばらには、幕末並みに天誅を加えても可也ということだ。
 発泡酒たった一缶で、今夜は過激になっております。

☆新札すり替え
 国家の根幹を成す中央銀行がこれなのだから、日本国はもう、骨の髄まで腐った。
No.197


2004年12月19日(日) 羽子板市
☆羽子板市
 浅草寺境内の羽子板市に母を連れて行く。
 仲見世は、ほんとうに夢のような色の明かり。
 もう最終日の夕方だったので、黒山の人だかり、というほどではない。それでも「手締め」の音は聞けた。
 来年は大河「義経」なので、それにちなんでか、羽子板も勧進帳ものが多めにディスプレイされている。
 私は、青い色が他になく綺麗だったので、小さい「富樫」を求めた。
 寒くなってきたと母が言うので、六区近くの蕎麦屋「浅草十和田」で食事をして、地下鉄で戻る。
No.199


2004年12月20日(月) 「新選組!」総集編DVD発売、「遍路」ブームに思う
☆「新選組!」総集編DVD発売!
 とまとさんの「新選組! のおと」サイトの情報により、「新選組!」総集編DVD発売を知る。座談会未公開特典映像もあるそうで、これも買わずばなるまい。NHKを儲けさせるのも癪だが、しかたない。だいたい「冬ソナ」よりも軽視したというのが、そもそも怪しからんかぎりなのだ。

☆「遍路」ブームに思う
 四国もさることながら、世界遺産登録で、紀伊・熊野も巡礼の道として脚光を浴びている。
 僕思うに、遍路巡礼とは、達成感を味わう自己啓発の旅でも、また百名山めぐりの類でも、けっしてない。
 
 死ぬためにいくのだ。
No.198


2004年12月27日(月) 「新選組! スペシャル、スマトラ沖地震、正月の準備
☆「新選組! スペシャル」
 当日は忘年会が入ったので観られず、ビデオに撮る。本編同様に、一週に一部ずつ、楽しみに観ようかと思う。年を越すけれども。第一部の感想は「新選組! 雑文コーナー」にアップしてある。

☆スマトラ沖地震
 必ず地球地殻全体の動きの一環。来年も天変地異の連続か。

☆正月の準備
 いよいよ正月の準備にかかる。羽子板を飾り、ドアに正月飾りを吊り、文鳥の籠にも小さな飾りをつける。文鳥は迷惑そうだが。
 今年の雑煮は、九州風。父方の祖父母が九州の出。小さい頃食べた味が、今ごろ懐かしい。
 数の子も漬けなければ。
No.200


2004年12月29日(水) 年越し仕度、インド洋大津波
☆年越し仕度
 数の子漬ける。今年はうまく行くかどうか。餅も切る。妻も着々と準備中。あとは田作りを浅草で買うくらいか。

☆インド洋大津波
 『エリュトゥラー海案内記』の全域がやられたわけだ。犠牲者は10万以上に達するのではないか。今世紀初頭の大災害として歴史に残るだろう。それと同時に恐るべきは、犠牲者とほぼ同数と見積もられている、疫病感染者の発生だ。インド洋全域はあまりに広く、人口も多い。だから伝染性の疫病は全世界に広がる危険がある。
 こうしたことが、往々にして世界戦争の発端となるのだが、われわれひとりひとりはどうすることもできないではないか。
 たとえば、あのよくやっている宣伝のように、電話一本かけるだけで、ミネラルウォーターのボトル一本になる、などといったシステムを構築すれば、ずいぶん助かるだろうに。
No.201




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