++浅薄日記++


2004年11月の日記


2004年11月3日(水) 「新選組!」第四十三回
☆「新選組!」第四十三回
 どうしようもない運命の糸を、このドラマの「神」である三谷幸喜が紡いでいる。
 平助も、また甲子太郎も、その紡がれる運命の中で、「誠の人」として死んでいくのだ。
 
 まずドラマの前半で、伊東は岩倉に、まるで道化であるかのごとくに手ひどく扱われる。というのも、薩長と岩倉はもはや自分たちの政治的思惑でしか動いていないので、いまさら正論などはかえって邪魔なだけなのだ。そのため、すでに甲子太郎の顔を見知っているにもかかわらず、岩倉はいかにも嫌味な公卿らしく、彼我の力関係というものを伊東に存分に見せつけ、思い知らせる。
 これから世に出るべく希望に満ちた者の頭を、まるで出る釘のように叩いてその意気を挫いてしまう、才能のない普通の人間が才能のある人間を潰すために用いる、世の中に有りがちな遣り口の実例が、岩倉の演技力によって過不足なく、また遠慮会釈なく、ここに描写されるわけだ。
 そして失意の伊東は、もし政治活動の一翼を担いたければ近藤の首を手土産に取って来い、と大久保一蔵に示唆される(しかも伊東の建白した大開国大強国論は、後に大久保・岩倉たち遣欧使節組によってちゃっかり盗用されるわけだ。このあたり、三谷が伊東の人物像をきちんと骨太に押さえていることがはっきりと読み取れる筋運びではないか)。
 そこで伊東は近藤の暗殺を斎藤に命ずるが、いまひとつ斎藤を信じていない加納は篠原を斎藤の介添え兼監視役につける。当然斎藤は篠原と斬り合って新選組に戻るわけだが、子母澤寛によれば谷三十郎を殺したときも、また武田観柳斎を殺したときも、たしか斎藤と篠原は一組で行動しており、この二人がここで対峙するのは、そうした知識も踏まえた上で観ると、ひときわ面白い。いずれにせよこのドラマの斎藤は、何の策も弄することなく、ストレートに新選組に帰って行くようだ。
 さて暗殺の試みが露見したと覚った甲子太郎は、みずからの手で近藤を殺さんとして、短剣を懐に、単身近藤との会見に乗りこむことを考える。騙し討ちは卑怯ではないかと問いたげな加納に対し、伊東は「国の行末から見れば(騙し討ちなど)些末なこと」と言い捨てる。ところがどうして、これこそ些末どころか「誠の心」の真価が問われる場合なのであって、こうして伊東は、第四十回で永倉に喝破されたことを繰り返し、またもや自分で自分のことを偽ってしまっているのだ。金策をしたわけでもなく、近藤に呼ばれたわけでもなく、つまり「新選組!」中の伊東甲子太郎のキャラクターとしては極めて一貫した、こうした設定なのである。
 そして場面はいよいよ近藤との会談になるわけだが、障子の開け閉て、蝋燭の火、風を心理描写の象徴として演出する。もちろん近藤の人間がはるかに大きいわけで、このドラマで近藤(というか三谷なわけだ)の中に次第に形成され確信となっているところのビジョン(つまり三谷の抱いているビジョン)が、ここのダイアローグにおいて、ふたたびはっきりと表出されることになる。
「ほんの一握りの者たちが欲得で世を動かすから許せないのだ」←これは鴨が久坂に対して言っていたことでもある。
「(伊東さんあなたは)元新選組だからではなく、それら一握りの者ではないからはじかれるのだ」
「(私の理想とするのは)出身を問わない世の中だ」
 つまり近藤が理想とするところは、身分平等、挙国一致、万機公論が実現される世の中なのであって、近藤がしばしば言及し、また自らも目指すところの「武士」とは、徳川三百年の封建体制の産物としての武士なのではなく、むしろ「モラリスト」=「誠の心の保持者」としての人間像なのである。
 これについては、すでに2004年7月6日(火)の第二十六回考察で言及したところだ。また子母澤寛によれば、甲陽鎮撫隊編成の際、弾左衛門一統を味方につけるにあたって近藤の尽力があったと書かれているが、もちろんこうしたエピソードも、三谷の知識とビジョンの中には、きちんと織り込まれているにちがいない。
 こうして近藤は捨て身で伊東を「誠の人」に戻し、回心した伊東は笑みを浮かべながら夜道を帰っていくが、そこに大石たちが襲いかかる。
「愚か者! 近藤先生の御心を無駄にするな!」
 狭い了見で争うなという伊東のここでの一喝は、まさに先の大戦における、天皇と軍部の暗喩ではないか。そして日本軍部は、まさに維新藩閥体制の核である薩長勢力を基盤にして増殖していったのだった。三谷脚本にナショナリスティックなメッセージがちりばめられている、と感じる人がいるというのは、これら随所にこうした仕掛けがほどこされているからであろう。
 だが目覚めた伊東によるこの叱責は、局長暗殺を試みた憎い敵に一矢報いていいところを見せようという思いで一杯の大石には結局通じず、避け得ない運命の導くままに、伊東は大石の槍の一刺しに倒れるのである(このストーリーでは、通説のごとく「奸賊ばら!」とは叫べないだろう)。
 これ以後は、実際家の副長、土方の出番だ。「若い奴を責めるな、お前(近藤)のためを思ってやったんだ」「ここから先は俺にまかせてもらう」「どうせ奴らとは決着をつけねばならないと思ってたんだ」
 他方、御陵衛士たちも、鎖鎧を着けるの着けないのと、通説にあるごとくの悠長な議論をする暇もなく(それに今回ようやく篠原が見分けがついただけで、いまだどれが三木三郎か私には区別がつかないのだ、それくらい没個性に描いてあるのだ)、温厚な加納もいつになく激して「罠だろうがなんだろうが、先生をこのままにはしておけん!」と立ち上がる。
 こうして油小路の惨劇の準備は整った。
 
 残るは平助のドラマ。まずとにかく、勘太郎が歌舞伎役者の本領(大首絵のままの顔)を存分に発揮して、目の覚めるような芝居を見せたことは特記しておかねばならないだろう。また演出の方も、勘太郎の思うように、敢えて古典的でいいから演じさせたに違いない。
 今回のサブストーリーは、つまりは平助成長の物語であって、伊東一統からも、また試衛館一統からもつねに子供扱いされてきた平助、沖田とともに「上の者をはらはらさせる子供」であった平助がついに大人となったとき、それは同時にかれの最後でもあったという悲劇の物語なのだ。
 まずは伊東にも物数扱いされず、斎藤からも「お前を守れと土方さんに言われてきた」とあっさり秘密を明かされ(ということは庇護される対象でありこそすれ、ともに事を謀る仲間の扱いはされていない)、あげくは手もなくひねられ縛られる。
 次には伊東によって近藤の許に何も知らないまま「子供の使い」をやらされ、それに憤ると加納に「伊東先生はこれから永久に敵となる新選組に最後の別れをさせてくださったのだ」とまたもや恩に着せた子供扱いを受ける。
 そして最後は油小路でも永倉からは「お前を斬れない」の一点張りで訳も教えてもらえず、左之助からも「いいから早く逃げろ!」と相手にもされない。
 オレはそんなに子供扱いなのか、オレの「誠」はどのように表わし、どのように通せばいいのか……?
 それで平助は、猛然と戦いの場に舞い戻る。
 これをわかっているのは同じく子供扱いの沖田だけで、だから沖田は近藤に向って「(平助は)あなたたちが思ってるほど子供じゃないんだ!」ともどかしげに叫ぶのだ。
 やがて駆けつけた近藤に抱かれ、虫の息の平助は「これでよかったのですね先生……」とつぶやく。「お前は真の/誠の武士だ」自分の判断で自分のモラルを通したことを誉められた平助は、近藤の腕の中で息を引き取る。
「また一人、逝ってしまった……」源さんの悲痛なうめきの中、劇の幕は閉じられるのである。

 こうして油小路の変も、いつものように巧みにエピソードを綴り合わせて、飽かせず見せた。
 このドラマに腹を立てたりクレームをつける維新素人史家の人たちは、なまじにアカデミズムの研究手法にに固執しようとするゆえに、逆にそれにとらわれてしまって「狭い視野」という陥穽にはまってしまい、その結果、このドラマの紡いでいる「大きな物語」が見えなくなっているのではないか。
 通説を踏み外し、時代考証を無視して滅茶苦茶なようでいて、むしろ実は、人の織り成す歴史の本質というものを最も正確かつ鋭く突いているのが、他ならぬこの三谷「新選組!」脚本なのかもしれない、と私は一年近く観続けてきて、とみに思うのである。
 他方では、三谷幸喜は劇作家としてのスタンスをぜったいに踏み外さないようにはしているものの、一筋縄ではいかないさまざまなメッセージを、「新選組!」中に相当に織り込み発していることは、これもまた、火を見るより明らかだろう。
 
蛇足:
●谷原章介扮する伊藤甲子太郎は、美形でじつによかった。
●捨助はまた土方と仲違いしたようだ。
●お孝は沖田とも仲がいいようだ。
●周平はチョイ役だが今回も画面の中で光る演技。
●源さん、甲子太郎については悲しみませんでしたね。
No.178


2004年11月6日(土) ブッシュ再選、近藤勇の夢
☆ブッシュ再選
 遅ればせながら、ブッシュ再選について。
 もう今日、アメリカ大統領をアメリカ人の手だけで選ぶというのは時代に合わないなと思った。なぜなら、世界の人々の運命を実質として決定しているのは、他でもない、合衆国大統領だからだ。
 そもそも国連などという組織を事新たに立ち上げてあったって、もはやまともに機能はしていない。あんな、各国の発言権を平等に認めようなどというものは、どだい幻想でしかない。それどころか、アメリカ大統領が「有志の国々は手を上げろー」と呼号すれば、みんな「はい、はい、はい」と我先に集まってくるではないか。
 だとすれば、もうおためごかしはいっそのこと止めて、アメリカ大統領が「今日からアメリカは有志連合とともに世界連邦に移行する、そして私が世界連邦大統領である、これから連邦に加入したい国々は遠慮なくどうぞ」と宣言すればいい。そうすれば、たぶん日本を筆頭に、「はい、はい、はい」と諸国が集まってくることだろう。そしてわれわれはドルと英語を世界通貨・世界言語として使い、アメリカ人と同等の権利を行使して、かくして世界は平和になる、というわけだ。これがほんとうの「帝国」、ヘレニズムの再来だ。
 それで付け加えるならば、わが日本はすでに有志連合の一員として派兵をしているわけだから、古代ペルシア戦争のさいの例を持ち出すまでもなく、参戦したならば参政権を主張できるのであって、したがってアメリカ大統領選挙にも投票する権利を持ち得るというのは、これはもう、理の当然ではないか。
 
☆近藤勇の夢
 今朝、目の覚める直前、夢を見た。
 自分のもと勤めていた学校の講堂で、講演会が開かれるらしい。入場券を取ってくれた人のてまえ、付き合いでやむを得ず参加している。題目も、演者も知らず。
 着席して手許の資料に目を落とすと、演者の著書の題名がずらりと並んでいる。見ると、『人生の送り方』だの『ほんとうの幕末史』だのといったたぐいのものばかり、それも本屋の名前から察するに、どれも自費出版に近い。どうやら幕末好きで人生成功本書きの御仁と見極めをつける。
 しばらくざわついていた会場の壇上に、ようやく演者が入ってくる。上背のある、なかなか堂々たる押し出しの、胸を張った紳士。明るめの灰色のダブルのスーツを身に纏い、銀髪をやや長めのオールバックに撫で付けている。
 悠揚迫らず、落ち着いて話し出す。「遅くなり大変失礼致しました。私が、近藤勇でございます。あるいは御存知ない方も大勢居られるかも知れませんが……」
 えっ、と思って、まじまじと紳士の顔を見つめる。するとたしかに、あの口の大きな顔なのだ。
 その間にも、近藤勇は委細構わず話を続ける。「まず私の書きました本について御説明申し上げます。この『○○』はなんとかのこうでしてこういうことを書いたものであります、またこの『△△』はこれこれこうしたときのこうした……」
 
 ああ、近藤勇は、こういう風になったのだなあ、と思ったあたりで場面が変わり始め、目が覚める。
 
 起きてからすぐに妻に話しながら、夢を反芻する。
 ばりっとしたスーツに身を包み、人生成功哲学の本を引っ提げて、日本全国を講演して歩き、話の冒頭に著書をずらりと並べ上げてまず聴衆の度肝を抜き、もっともらしい内輪話や経験譚で、自分のペースに引きずり込む。
 そして、最後はきっと自己啓発セミナーの宣伝をしたり、出口で著書を売りつけたりするのだろう。
 
 しかしそれって、典型的な香具師/詐欺師の手口ではないか。むかし友人がいちど引っ掛かりかけたので知っているのだ。
 妻が笑って、「まるであの〈足裏診断〉で世を騒がせた人みたいじゃない。それにしても、つねさんやたまさんは、お祖父さんいい年をしてもうやめて、とさぞ困っていることでしょうね」と言う。

 しかし、もし近藤が生きていたら、きっといかにもやりそうな話だと思いませんか?
No.179


2004年11月8日(月) 「新選組!」第四十四回
☆「新選組!」第四十四回
 来週の鳥羽伏見(源さんの死)というひとつのクライマックスに向けて、静かな回。
「日本なんて変えんでもよかったんや」(お龍)
「坂本さんのいちばん恐れていた所へ日本は向っている」(勇)
 これが今回の主眼ともなるメッセージ。
 それ以外は、おおむね筋書きというか通説どおりに、坦坦と進行する。
 
 今回くらいで、香取慎吾はほぼ近藤勇になりきったようだ。ここに至るまで、一年かかったわけだ。糸井重里も指摘しているが、役者の変化と成長が見られる、類いまれなドラマ。
 
 ドラマは二日分を一回で。
 まずは王政復古から。「そんなものはお見通しだ」という慶喜のことを「それもどうか分からん」と疑い、薩摩に対する怒りを募らせる容保。すでに中枢において権威が崩壊しつつあるという兆候を、ここで早くも描写しておく。
 王政復古に関する情勢解説役は、近藤と加納のふたりが担う。加納「徳川家が大名でなくなるのです」「薩摩は喧嘩を仕掛けている」「戦がしたいのです」
 ここに沖田とお孝が闖入し、機転の利くお孝と子供扱いの沖田のスラップスティックによるサイドストーリーが、メインストーリーを縫うように進行して、最後の近藤狙撃のシーンへと収斂する。平助も退場したいま、病臥する沖田はふたたび可憐さを取り戻して、試衛館一統から子供扱いされる存在へと戻っている(土方「新選組のことより自分の体のことを心配しろ」)。
 浅葱羽織の近藤局長と筒ッポダンブクロの長州との出会いにより、世がひっくり返らんとする京の状況を描写、源さんは「一寸先は闇とはよく言ったものですな」と述懐すると、土方は「源さんも老けたな、愚痴が多くなった」と笑うが、これは次週の源さんの運命を暗示する。だが、その一方で土方もまた死を覚悟し、隊士たちに落ち延びるための仕度金を分配する(「たまにはオレも仏の副長と呼ばれたい」)。
 二条城で近藤は、戦争を避けたい広沢と小森から、こもごも掻き口説かれる。
 広沢「会津藩を救ってくれ」「戦になれば矢面に立たされるのは我等だ」「力を藉してくれ」
 小森「おぬしだけが頼り」「すべては会津藩のため」「殿を思う心はそなたと変わりはせんのじゃ」
 同じく戦は避けたい近藤、しかし封建武士として目先のことしか見ていない会津の重臣たちとは、その理由は違うのだ。それは将軍の御前における近藤と佐々木との論争のなかで、いっそう明確になる。佐々木「勝てば済む」近藤「上様を逆賊になさるおつもりか」
 近藤は容保に語る。「ここは御辛抱くださいませ、正義は我等にござります。最後は必ず天は我等に味方する」
 ところがそうは行かないのだ、この鎮魂的ドラマの中を除いては。
 慶喜は「血の気の多い者を集め」て、大坂城へ入ることに決定し、近藤に二条城を守ることを命じる。
 慶喜「戦わねばならぬときは力を藉してくれるか」「勝てるか」
 近藤「戦で負けたことはございませぬ」
 慶喜「そのことばが聞きたかった」
 誠の人として、近藤は結局巻き込まれる。ところが、もはやこの時点での新選組は「新遊撃隊御雇」となり、ふたたび見廻組よりも格下の、浪士組と大して変わらぬ扱いに落ちてしまい、せっかくの直参旗本の身分的根拠は消滅しているのであって、そのあたりを近藤のボディガードを勤める島田は(どうせ元の身分になるならば誇り高さを残す)「新選組のままでいたい」「オレ、他にいる場所がないんで」と近藤に訴える。「私もだ」とつぶやく近藤。
 御一新ともなれば、町道場の主として生きられるかどうかも怪しいのだ。
 一方、もっとも過激と見ていた近藤が意外にも開戦慎重派の筆頭であるということを知って意表をつかれた薩摩は、御陵衛士の残党に近藤暗殺を焚きつける。
 
 こうしてクライマックスのお膳立てを整えておいて、あとは新選組内部の描写が淡々と進行する。
 左之助とまさの別れのシーンは通説をうまくアレンジしたもので(実際は第二子のときの話)、心温まるスラップスティック。まだ見ぬ子供の名を「茂」とつけるのは、左之助によれば、浪士組入洛のきっかけを作ってくれた前将軍家茂への好意の現われ。だがそこからは、まさも指摘するように、好意こそあれ敬意や尊厳といった旧体制の価値観は、すでに新選組左之助からも失われているということが示され、この場面もまた、移り変わる時代というものを象徴する。
 近藤別宅で療養する沖田(鴨居に掛けてあるかれの羽織の紐をさりげなく背中に回してあるのは、最も人口に膾炙しているイメージへのオマージュだろう)への人参持参ギャグは斎藤から(「(名称も効能も)知らないもの持ってこないでください」)。しかし律儀で純粋な ─これも「誠」─ 斎藤は、高直な生薬を、分配金の中から大枚をはたいて沖田のために購入したことは間違いないのである。その斎藤に対して尊敬と羨望の気持ちを表出する沖田は、あたかも沖田に対して同様の心持を打ち明けた平助を思わせ、純真な青年に戻った沖田を待つ、避け得ぬ運命を暗示する。
 その斎藤は、帰り際、お孝に戸締りと逃げ道の仕度のことをアドバイスして姿を消す。
 
 二条城へ馳せ参じた近藤率いる新選組を待っていたのは、権高く封建的な水戸藩による侮蔑の叱責だ。「(今日の事態を招くにあたって大きな責任のある新選組など)我等にとっては獅子身中の虫だ!」
 もちろんこれを一喝してやり込める近藤、一睨みで震えあがらせて扇をとり落とさせる隊士たち、そしてその扇を拾って渡してやりながら「よろしければ、命の遣り取りの仕方、お教えしますぜ」と侮辱し返す土方。だが、もし世が世なら、いくら直参身分といえども、御三家のひとつ水戸家の家中に対して、こんな大きな態度に出られるはずもない。つまり、じつはもはや新選組からしても権威はこうして下克上的にひっくり返っていて、時代の流れは抗うべくもないのだということが、この場面で表わされているのである。
 永井の命により伏見へ向う新選組。「結成以来、最も大きな仕事」と檄を飛ばす土方。だがそれを任されたまさにその瞬間に、かれらの拠り所とする権威は消滅してしまっているという事実が、この場面においてもまた、観る者に哀しくもはっきりと伝わってくるのである。誠の心は行き場を失い迷走し、名声を上げるチャンスも遠ざかる。
 
 日付は変わって、別宅を訪れた土方は(ここでも人参ギャグあり)、お孝に沖田の安全を託す。一方、二条城では、永井が近藤に、江戸でも薩摩が暗躍をしていることを伝える。近藤「なんとしても戦に持ち込みたいようですね」そして近藤は永井に「新遊撃隊の名、お返ししたい」と申し出る。
 二条城を出た近藤は、龍馬の仇と狙うお龍の襲撃をかわしてお多福で説得し、甲子太郎に続いて、見事に回心させる。このあたりじつにありそうな場面で、なおかつ香取近藤はそうとう本気の演技、このドラマの近藤のカリスマ的大きさを、十分に出していたように思う。そうして、ここで語られるのが、今回感想の冒頭に掲げたメッセージ的科白なのである。戊辰戦争と西南戦争という内戦を経て、対等な国際ビジネスではなく軍事対決への道を歩んだ近代日本は、まさに龍馬にとって、そして近藤にとって、さらには日本国にとって、もっとも避けたかった姿であっただろうということを、三谷幸喜はおそらくここで訴えかけているのである。

 さて最後にドラマは、沖田とお孝のサイドストーリーと、近藤襲撃のメインストーリーとを、御陵衛士たちによって収斂させる。近藤別宅に踏み込む御陵衛士をお孝が撃退する逸話は子母澤寛が語っているし、阿部十郎の回想によればその目的は沖田だったというので(伊東成郎『新選組は京都で何をしていたか』KTC中央出版、2003.10、269頁)、まさにそれを取り入れている。ここでお孝が沖田を抜け穴に突き落とし、沖田が「病人なんだから……」と抗弁するシーンは、これまで強がってきた沖田が、お孝に心を開いた結果、すでに純真さを取り戻している(斎藤に対する表白を想起されたい)ことを表わしていて、可笑しいとともに痛々しい。あるいは三谷脚本では、かの有名な「沖田氏縁者」に、このお孝を宛てるのかもしれない。
 そうして「オレたちはこれからも新選組だ」と島田を喜ばせる馬上の近藤が狙撃され、肩口から血を溢れさせて前のめりに倒れかかるシーンで、今回の幕は閉じられるのである。
 
蛇足(今回は逐次的に書いたので、あまり蛇足はありません):
●香取慎吾は熱演。とくに狙撃されてから倒れかかるまで、演出とカメラも含め、手振りといい顔の変化といい、なかなかよかった。狙撃後の乱闘や逃走や、また奉行所へ走り込む場面など、なくてもむしろその方がよかったかも知れない(観たくはあったが)。
●大石、今回はなかなかいい面魂だった。ちなみに、大石役根本慎太郎のサイトは、糸井重里のサイト(名前こそ出していないが、そうだとみて間違いないだろう)に紹介されたとたんに、アクセス数が跳ね上がったらしい。
No.180


2004年11月11日(木) アラファト死去、中国潜水艦
☆アラファト死去
 月並だが、ひとつの時代の終わり。
 大義とテロルとが等価になった世の中を作り出したのは、たぶんにこの人の影響だ。
 イラク昏迷、パレスチナは恐らくこれから激動、イランは核開発、コートジボワール内戦、中国各地で暴動と、今ごろになって世界大戦の危機が大いに高まってきたように思う。やっぱり世界は2012年で終わりなのか?

☆中国潜水艦
 トム・クランシーの世界。海自は、ずっとあの原潜の頭を押さえ込んでいるわけでしょう。しかも米688級がいつでも撃てる準備をして追尾していることも確実だ。それを中国はわかっていながら、探知することもできない。それらすべてのリスクを犯して、虚虚実実のゲームをやっているのだが、ほとんど火遊びの域だ。
 世界戦争は御免だ。
No.181


2004年11月13日(土) 酉の市探訪
☆酉の市
 三の酉まである年は火事が多いという。また天変地異が多いともいう。
 酉の市は江戸に限られる風習ともいうが、今年はたしかに天変地異が多すぎると言ってもいいくらいの年になっている。
 13日は二の酉の前夜。東京に住んでいながら、酉の市に行ったことはほとんど無い。小学生の頃に、友人の母親に連れられて新宿花園神社へ一回、それからやはり小学校の頃、母に連れられて渋谷宮益坂の御嶽神社へ一回、それだけだ。40年前の新宿は暗く、人ばかり多くてごちゃごちゃしていた印象、宮益坂の酉の市はひどく明るくて華やいだ印象だけが残っている。
 それで夜になってから、妻を引き連れ、酉の市探訪にでかけた。
 まず新宿に出て、マイシティで夕食をと思ったが、どこも満員で列を成していてあきらめる。花園神社の方へ歩いて行くと、前夜祭ということで、もう靖国通りの歩道には夜店が並び、勤め帰りの人や若者が、焼きそばだの串焼きだのを頬張っている。
 近くの韓国居酒屋「コパン、コパン」で腹ごしらえをして、花園神社境内に入る。前夜だというのにもう人の波で溢れている。大きな熊手を捧げ持った会社員(きっと新入社員が会社から命ぜられて来るのだろう)もいるし、購入を祝う手締めの音も聞こえてくる。境内には無数の提灯が上がり、熊手を売る見世は電球で隈なく照らされて、大小色とりどりの熊手が輝いている。別世界のようで、また境内がこれほど広いということも初めて知った。
 もう大晦日か正月のような賑わいだ。酉の市は、稲穂飾りからもわかるようにその起源は新嘗祭などとも関係があったようだし、やはり一種の新年祭のようなものなのだろう。
 本殿でお参りをして、社務所で稲穂のついたちいさな熊手を買って境内を出る。
 次は地下鉄に乗って、浅草まで出て、そちらの酉の市を見るつもり。
 日比谷線入谷駅で降りると、時間は午後10時を過ぎてあたりはもう暗く、人もまばら。ほんとうに酉の市があるのかと不安に思いながら前の人について行く。下町の人らしく親切で、「こちらだよ」と道を示してくれる。
 しだいに歩いて行くうちに、夜店の灯りが見え始めて、ほっとする。
 こちら鷲神社では、前夜祭などということもなく、午前0時を期して始まるので、まだ静かだったのだ。それでもすでに沿道の露店はいくつも営業を始めており、人もしだいに集まってきている。「こうして、空いているうちにさりげなく来るのが通なのだ」などと、根拠の無い自慢を妻にする。 
 鷲神社の境内に足を一歩踏み入れて、その輝きに目を見張る。明かりの鮮やかさ、熊手の華やかさ、見世の多さ、まるで別天地に来たようだ。花園神社も見事だったが、こちらは規模といい質といい量といいまた一際で、下町ならではなのだろう。あるいは、これが日本のクリスマスのようなものだったのかもしれない。
 それぞれの見世で売っている熊手が、みな趣向が違って数奇を凝らしいてるのにも感心した。江戸時代や明治時代の熊手を復元して展示しているコーナーも興味深く見たが、現在は遥かに派手になっている。縁起のいいものをすべて満載しているといった感じだ。これでは、今から百年くらい経った「○○何年」あたりのころには、いったいどういう熊手になっていることだろうと考えた。
 熊手には、すでにもう買い手がついているものもあって、それには買い手の名前が大きく貼り出してある。企業の他には石原軍団の名もあったし、歌舞伎の役者や噺家の名もあった。それぞれにひいきの見世があるようだ。面白かったのは、ある歌手は花園神社でもこの鷲神社でも熊手を買っていたことで、考えてみると新宿にはコマ劇場があるし、またこちらには浅草公会堂があるというわけで、両方の神社と地元にともに御挨拶をするということなのだろう。
 本殿にお参りをする。鷲神社の御本体は妙見様で、いまも講中があり、拝殿では日月のついたそろいの半被を着て御祈祷を受けていた。こうした信仰の起源と変遷は複雑だ。いまも「妙見大菩薩」と大書されていて、明治時代の神仏分離が有名無実であったことを如実に示している。いずれタリバーン的原理主義は空しく終わるのだ。
 ここで頒けてもらえる熊手は「かっこめ」と呼ばれ、花園神社のものとは形も違う。社務所では、午前0時の酉の市開始に向けて、いままさに巫女さんたちが大車輪で袋詰めをしている最中で、まだ買うことはできないが、それでもいの一番に買おうとして、その巫女さんたちの前で待っている人たちもいる。
 山の手の人間にとっては終電車も近くなったし、また午前0時からの混雑をも恐れて、縁起ものの菓子である「切山椒」を買って境内を出る。
 そうして、無事最終電車に乗ることもなく帰宅したのだった。
No.182


2004年11月16日(火) 「新選組!」第四十五回
☆「源さんの死」
 涙滂沱。山南のときよりも泣かされた。
 ドラマは、先週の近藤襲撃の直後から始まる。馬を走らせ、奉行所の廊下を「大した傷ではない」と顔色ひとつ変えずに歩いて行くシーンは、今回の方に組み入れた。
「敵討ちだ」と逸る幹部の面々。永倉は当然だが、とくに斎藤。それを止める源さん。「私の腕では治し切れない、腕が挙がらなくなるかも」と言う山崎に「治せなかったらてめえ切腹だ!」と本気の土方(というか山本耕史)。
「大坂城には松本良順先生が居られます」ということで、近藤は沖田を同道することになる。これで近藤は第一線を外れてしまう。自分を最大限に生かさねばならない、まさにその時に限って何もできない、置いてきぼりの近藤。このドラマでは、いつもそうなのだ。
 源さんと周平、出立する近藤に目通り。これが最後の別れとなる伏線だ。「頼んだぞ、近藤周平!」と呼びかける近藤。もちろん周平の身は源さんが預かっているわけだが、ここで再び近藤が期待をかけたことで、これは周平が源さんの運命に何か決定的な影響を及ぼすなということを、観客に伏線として呑み込ませておく。
 大坂城にて。松本良順はいつもクールだ。「(たとえ肩が治ったとしても)剣の時代は終わっているかもしれません」憮然とする近藤。
 永井尚志が駆け込み、江戸薩摩屋敷焼き討ちという凶事を伝える。「とうとう薩摩の誘いに乗ってしまった」時代の流れは誠の心だけでは御しきれなくなりつつある。
 鎧武者で騒然の大坂城、その一室にお孝がいる。なぜ一介の賤の女が将軍居城に出入りできるのか……? という疑問に呼応するように、虚勢を張った鎧侍が入ってきてお孝を追い出そうとする。そこに「その人はなあすです」と、西洋医学者の良順が助け舟。「どこが……?」と怪訝がる侍。確かにお孝の様子はどこから見てもまるでナースには見えない楽屋落ち。しかし良順先生は相変わらず冷静に「なあす、病人の世話をする女性です、さあ出て行ってください」と侍を追い出し、沖田の容態を診る。部屋が広すぎて淋しいと訴える沖田に、良順は「もうすぐ戦、今にここは(負傷兵で)一杯になります」と応える。ここでのギャグは、こうした決死の緊迫した状況をより強調するために、嵐の前の静けさとしてわざとゆったり作った一幕なのだ。
 虚勢を張った封建徳川のバカ侍は、別のところにもいる。軍議の場で、御香宮を先に押さえて陣を張らねば不利になると交々解説する永倉と土方は、「どうも新選組は血気に逸っていかん、薩長は(わが軍に気圧されて)攻めて来ん!」と一蹴され、顔を見合わせる。
 他方、大坂城からは佐々木率いる新遊撃隊が出陣する。これが恐らく、近藤と佐々木との最後の別れとなるだろう。城の門を出て行く白鉢巻白襷のその隊列は、遠景からのショットで捉えているので、明らかに葬列のメタファーに見える。

 緊迫感が高まったところで、小幕間劇。登場人物は、西郷大久保の二悪人と、それを操る古狸岩倉。「(戦はうまく勝てるのか、)徳川をあないにイジメんでも……」と岩倉はいまさら弱気を装う。とんでもない、古いものを打ち破って新しい時代を固めなければ、と思わずそれに釣られる両人。それができない場合はどうするのだ、と嵩にかかる岩倉に「最後は(われわれが)腹を切ればいい」と西郷が応えると、岩倉はすかさず「ワシを引きずり込むな!」と返す。しかしここで岩倉に逃げられることは、革命の大義名分を失うことだ。そこで西郷は「岩倉卿にも一理ある、なんとかして諸藩を味方につけないと……」と(岩倉の意図を承知の上で)譲歩するが、それは岩倉にとっても思う壺だ。「そのためにいろいろ考えたのだが……」と「菊の御紋章グッズ」をさまざま取り出す岩倉。それを見ていた大久保の脳裏に、錦の御旗の先例が閃く。「よく気がついた」と誉める西郷。その二人の目の前に、かねて用意の錦旗をいそいそと取り出す岩倉。「自分の部屋にでも飾ろうと思うてな。使うて!」
 後の明治の元勲二人を自在に動かす最大の黒幕。古狸の面目躍如の場面ではないか。思えば西郷大久保は非業の死を遂げているが、岩倉は最後まで生き残り、畳の上で死んでいる。お札の顔にまでなった人だ。タレーランやフーシェよりも、ある意味凄いかもしれない。

 幕間劇終了後、舞台はふたたび緊迫の奉行所へ。
 古色蒼然の幕軍。「出陣!」の号令に、「いつの時代のことだ……」とぼやく土方。ところがこれこそ新旧の時代交代を象徴する。御香宮を奪われ、案の定不利になる新選組。広庭の土嚢の横に役立たずの大筒が一門置いてあるのも通説どおり。旗手尾関が負傷するが、「なんのこれしき!」と踏ん張って旗を持ち上げる。それに引きかえ、同じく負傷する周平はしだいに怯んで、その気持ちが行動のすくみとなって現われてくる。
「この戦、オレたちの負けだ」「刀の時代は終わったのかもしれない」と土方はつぶやき情勢を見に奉行所へ戻ると、幕軍は退却の準備。愛想を尽かした土方「あとは勝手にやらせてもらいます」「好きにせい!」
 戻ると、永倉、原田、斎藤など隊士たちが斬り込みの仕度。無謀な突撃ではなくて、一矢報いようという仕立て。吶喊して突っ込むかれらに、ふたたび周平は遅れを取る。やがて戻って自慢話をする隊士たち(斎藤も珍しく撃ち抜かれた羽織の袖を見せる)の後から、薩摩の旗指物が追ってくる。一瞬どきりとするが、これは永倉の分捕り物。怪力島田が永倉を塀越しに引っ張りあげる有名な逸話は、ここで照英がグッさんの襟首を引っつかんでぶら下げ、グッさんが目を回しかけるという、ややコミカルな演出で再現される。ここはいまだ、不利な中にも楽しき突撃場面。
 しかしこれから舞台は悲劇のクライマックスに向っていく。
 淀藩の寝返りによって淀川堤千両松に布陣せざるを得ない新選組。負傷し落ち込む周平をそれとなく励ます鍬次郎。「みんなと突撃できない」「私には向いていない」と言う周平に、源さんが述懐する。「試衛館の門人として一生を終わると思っていた」「「江戸の片隅で平穏な人生を全うする」はずが、「それが今では薩摩と向かい合っている」だから「自分の人生こうあるべきだと思わない方がいい、まずは飛び込んでみることだ」と。
 そこにいよいよ錦旗が出現する。太鼓を叩いて突撃してくる薩摩兵。
「ウルセーんだよ、ドンドコドコドコと!」と怒鳴る左之助。これは子母澤寛『新選組異聞』および『新選組物語』に引く、旧松山藩内藤素行談話中にある、若党時代の左之助が褌一丁と頬かむり姿でオランダ式小太鼓を叩きながら練り歩いたという逸話を思い起こすと、いっそう面白い。
 翻る錦旗に動揺する新選組。「御所を守っていたオレたちがなぜ逆賊なんだ」「あれは薩長の謀略だ」四の五の言っているうちに斉射を浴びせられて周平が取り残される。迫る薩軍の銃口。
 そこに源さんが飛び出すのだ。真正面から立ち向かった源さんに対する薩摩の射撃は、映画「マトリックス」そのままに衝撃波の痕を引いて源さんをかすめ、最後の銃弾は、源さんの構えた刀の刃に当たって跳ね反れる。天然理心流免許皆伝の腕にふさわしい、達人としての描写。
「周平、走れ〜!」
 だが振り向いた源さんの背中を、次の斉射が撃ち抜く。ここはまさに、弁慶の立ち往生だ。
 とはいえ弁慶ではなく崩折れた源さんを救うために飛び出した左之助は槍の一擲で、また島田は丸太の一投げで薩兵を怯ませ、源さんを連れ戻す。「源さん!」土方が抱きかかえるが、山崎は首を振り、目を伏せる。「副長! 魂が抜けて行かぬように抱きしめて! おばばから聞いたんだ!」島田の叫びは悲痛だ。その島田の肩に永倉は手を置き、左之助、大石、周平は泣く。「近藤……先生」源さんの最期だ。冒頭にも書いたが、涙滂沱。 このシーンの最後、人としての怒りをおそらくこのドラマで初めて発した斎藤が、喚きながら薩摩兵に斬り込む。このあたり、一瞬の連続したできごとを、当事者たちの感情時間に合わせてこまぎれに、ゆっくり描写しているわけだ。
 鬼神のごとく荒れ狂う斎藤の剣の下に、たちまち倒れ伏して行く薩摩兵。錦旗は打ち捨てられ、逃げ惑う薩兵の足で踏まれる。まさにただの「道具」でしかない、という表現。

 舞台は終局へ。
 先帝の信頼が最も篤かったのは自分ではないか、なぜその自分が朝敵になる、正義は無いのかと怒る容保。形勢は日に非で、諸藩は雪崩を打って新政府側について行く。もう辛抱はしていられない。
 近藤「私は心を決めました。会津藩をけっして賊軍にはいたしませぬ」これが近藤の「誠」だ。
 慶喜の前で戦略を述べる近藤。「錦旗、あのようなものはまやかしでございます」「ひとたび戦いとなったからには、私が力を以て薩長を打ち破る」「戦に勝って御旗を奪い取り、われわれが官軍となるしかない」
 しかしこれでは、かつて二条城において御前で近藤が「上様を逆賊になさるおつもりか!」とやり込めた佐々木の所論とまったく同様なことになってしまう。それを思い起こさせるように、慶喜も「余は徳川を逆賊にできん」と応える。だが事実上、徳川はもはや逆賊になってしまっているのだ。
 ことほどさように、このドラマにおける近藤の決断と行動は、つねに一拍遅れてしまうのだ。それはなぜか。私が思うに、このドラマの近藤は、人に「誠」を立てるからなのだ。もう少し言えば、人の起こした「行動」に対して/応じて「誠」を立てるからなのだ。だから近藤が決断したときには、もう遅い。人の行動は千変万化だ。世の中の流れは、近藤を置いて行ってしまう。だからもしも近藤が、「時代」や「真実」に「誠」を立てていたら……? 封建武士に愛想を尽かし、四民平等の世を夢見た近藤の姿が、そこには仄見える。だがさすがの三谷幸喜も、大河でそこまでの冒険をすることまでは踏み込まず、そうした可能性の萌芽を十分に匂わせておきながらも、やはり近藤勇は幕府に、というよりも薩長の「不義」に対抗する立場(それはもはや古い価値観として定義され切り捨てられている)に、己の「誠」を立てて斃れていくのである。
 それを証明するように、将軍慶喜は東帰を決意する。「近藤に幕府の命運を預けることはできぬ」「余は尊氏になりとうない」
 さすがに憮然とする容保兄弟。「好きにしていただこう」しかし最高司令官の命令とあらば、如何ともし難い。天保山には開陽丸が待っているのである。
 そしてドラマの終局、大坂城で反撃策を練る近藤の許に、源さんが現われる。
「上様が先頭に立ってくださる」と語る近藤に、源さんが忠言する。
「局長は昔から人が良すぎる」「局長は人を信じすぎる」「結局傷つくのはご自分」「一人で何もかも背負おうとなさらぬよう」
 だがそれこそが近藤の「誠」なので、それで近藤はいつも辛い顔をする。だから源さんは「江戸にいた頃の先生の明るいお顔が好きでございました」「できれば、皆とともに江戸へ帰りとうございました」と泣く。
 このあたりで、近藤はしだいに真相に気づく。源さんは最後の別れに来てくれたのだと。ここの香取慎吾の表情の微妙な変化は哀切だ。近藤は源さんに謝る。「済まなかった、ここまで付き合わせてしまって…」そのことばに涙を流す源さんに「馬鹿、死んだ奴が泣いてどうする!」とこちらも泣き笑いになるのだ。
 そして、平伏して姿を消す源さんを微苦笑で見送った近藤がうつむいて苦衷に顔を歪めるところで、今回の悲劇も幕を閉じるのである。

○今回蛇足はなし。
 その代わり、今回感じたことを書いておくと、この大河の構成について、「多摩で半年使ったのは長すぎた」という意見が、とくに前半まで終わったあたりで見られたこともあったものだが、どうもそうではなくて(またそういう意見が近頃姿を消しているというのは、やはり私と同様に感じているのかもしれないが)、やはりこの構成が正しいのだ。
 というのも、このドラマは明らかに「序破急」のリズムで作られていて、おそらく「多摩(江戸)」が「序」、「殿内〜鴨〜山南〜平助/甲子太郎」が「破」、そしてこの「鳥羽伏見」からがもう一挙に「急」となって、一瀉千里に「勝沼〜流山〜板橋」へとなだれ込んで行くわけだろう。だからたとえば今回の源さんの戦死にまつわるさまざまなエピソードの中で、われわれ視聴者は、いまこそ懐かしく、あの多摩の時代を思い出すわけではないか。いつもゆっくりお茶を汲んでいた源さんの姿が、半年そこかしこにあったからこそ、その源さんの急激な死がいっそう哀切に感じられるのだ。
 他方では、この「新選組!」は、けっして切った張ったを描くドラマではないということが挙げられる。これはいうなればハイスクール群像劇、もしくは映画「大脱走」のようなものなのだ。だからむしろ日常性が大切で、それゆえクライマックスがより際立つのである。
 いずれにせよ、上記のような理由で、序の部分、つまり多摩/江戸をじっくり描き込んだのは、やはり正しかったのだと私は考えるのである。
No.183


2004年11月17日(水) ☆炭火焼肉「ポランの広場」?
☆炭火焼肉「ポランの広場」?
 妻が風邪気味だというので、少し夜遅くなってもいたが、元気をつけに肉でも食べようと繰り出す。
 車で第一京浜の蒲田のあたりを走っていたら、妻が「炭火焼肉ポランの広場」という看板が見えたと言う。あまりのことに、熱に浮かされたのではないかと耳を疑ったが、本当だと言う。
 聞き捨てならないので、道を少し戻り、注意しながら走って行くと、なるほど、そのあり得ない店名を記した黄色い看板が出ている。その指示に従って、狭い横道を入ると、たしかにあった。
 ちょっと瀟洒な洋館建てで、イーハトーブ風だと言って言えないこともない。屋根と軒には電飾がついて、中に店主らしき人も見える。山小屋風の屋内からは黄色っぽい明かりが洩れ、ドアを開けて一歩入れば、定めし賢治グッズが所狭しと置かれ、賢治歌曲が流れている、いかにもそんな感じなのではないかと思われた。
 あいにくもう閉店間際だったので、外から一瞬眺めただけだったが、ともかくそのようなものがこの世に間違いなく存在することは、確かにわかった。
 それにしても、菜食主義者でもあった賢治が作り出した「ポランの広場」に「炭火焼肉」をくっつけるとは、およそ信じ難い取り合わせだとしか言いようがない。よほどの賢治好きの店主か、いやそれにしても……。
 妻と食事をしているうちに、ひとつの仮設を得た。
 すなわち:洋館であることに鑑み、かつては本当に賢治マニアの主人がいて、ランチとディナー限定の趣味みたいな洋食屋を開いていたのだが、そのうち商売が左前になって別の経営者に店の権利を売り渡した。新しいその経営者は手っ取り早く元を取り返すために、焼肉用の設備ばかりを据え付けて、店の構えも内装も、はては名称までそのままにしておき、ただ名前の上に「炭火焼肉」とだけくっつけたのだ。これなら大いにあり得るし、妙ちきりんな店名の説明もつくというものだ。

 上記の仮設はもちろんただの妄想に過ぎませんが、肝心の店だけは、確かにあります。お疑いの方は、第一京浜を蒲田の先、環八交差点の南、川崎方面へ向って左側、びっくりドンキーの手前くらいを注意して御覧になってください。黄色い看板が、確かに出ています。
 
 
No.184


2004年11月18日(木) ボージョレ・ヌーボー
 今年は味が良いな。
 妻がグラス一杯、後は自分で。
 これが「今日のいいこと」。
No.185


2004年11月21日(日) 新選組! 第四十六回
☆「新選組!」第四十六回
 今回はオールスター登場で、ある意味では、京と江戸のシリーズのお別れ回であるかもしれない。というのは、かりに今後生きているとしても、今回を限りに出なくなる主要キャラクターが、かなりいると思われるからだ。試みに列挙すれば、八木家の人々、とくにひではわざわざ男装を復活させている。他にはまさ。山南も編成表上の名として出てくるし、お孝は良順先生のナースのまま消えて行きそうだ。近藤周斎も回想の形で登場し、臨終が描かれる。またそれ以外の江戸の人物といえども、ふでもつねもたまも、甲陽鎮撫隊以降のドラマにおいては、殆ど出演の機会はないだろう。松平容保も同様だ。
 だから考えてみれば、今回あたりから、すでにカーテンコールをやっているようなものでもあるともいえるだろう。
 A.T.で佐々木様、早くも撃たれる。
 第一幕では、京都の別れをこもごも描く。戦は惨敗、新選組も局長の篭る大坂城へ撤退する。その中で、土方はじめ幹部連は京都へと戻る。これは当然、京都時代のそれぞれのドラマの平仄をつけるためだ。土方は山崎を斥候役に、斎藤を護衛に引き連れる。
 その頃、大坂城では、瀕死の佐々木が近藤に手を取られ、「徳川家のことはお主に託した」と言いつつ息を引き取る。またもや近藤は、古い時代の店仕舞い役を「託され」てしまうわけだ。ちなみに、どうやら次回においては、勝海舟(今回、容保に新選組のことを評して「タダの時代遅れの剣術屋」と言い放っていた)にそれを押しつけられそうだ。
 一方京都の屯所では、土方が敗戦処理のため機密書類を焼却中。その書類は、山南の言いつけで尾形が克明に記し続けたものなのだ。「残しといてもだれが喜ぶ」と言いながら書類を一通、懐に忍ばせる土方。それを斎藤がちゃんと見ている。
 本願寺寺侍、西村兼文登場。「新選組の行末、見届けさしてもらいます」と土方に餞別を差し出す。推測するに、燃え残りの書類の束はこの人が手に入れ、それらも資料にして後に新選組について記述したという余韻を持たせたものだろう。このドラマでは「私はだれの味方でもない」と言っているが、歴史的には新政府よりの心情の持ち主だったはずだ。まあいずれにせよ、クールなキャラクターのこの人も、いわば The last bow だ。
 薩摩兵が充満して脱出のタイミングを失った土方たちに、八木為三郎が助け船を出す。源之丞は激励し、雅夫人は弁当を渡し、房吉を案内につけて裏路地から送り出す。見送る源之丞に、為三郎が問う。「あの人たち、何か悪いことしたん?」源之丞「な〜んも、してへん」たとえ稗史であっても、だれかがそのことを語らねばならぬということだ。この感動的なシーンをもって、このドラマでは八木家に告別。
 舞台は変わって、左之助とまさの別れを描く。いつもどおりのコミカルな遣り取りの後、左之助は、もし自分がお尋ね者になったら「海を渡って清国へ行く、山賊になる」と答えるが、この科白もまた、そうした伝説を残す「死に損ね」左之助に対する三谷幸喜からの、オマージュとしての告別の辞なのだろう。
 おそのは最も悲惨。永倉が立ち寄ると、薩摩兵に家は略奪されており、おそのは永倉の腕の中で「宇八郎様……」といって事切れる。次回以降、永倉と芳賀宜道の靖共隊エピソードが出るかどうかは分からないが、こうしてそのことも想起させつつ、悲しい別れを描く。
 慣れ親しんだ登場人物が、こうして、せわしなく舞台から去って行く。

 第二幕では、大坂城内と土方たちの逃避行とを、交互に描く。
 大坂城では、将軍がすでに東帰したことを永井から告げられて(「もはや我等に勝ち目はない」)近藤は愕然とする。一方、行軍する薩摩の兵士から身を隠しつつ小休止する土方に、「(懐に隠して)何を持ってきた……」と問う斎藤。「何でも見ているんだな」(このドラマにおける新選組の語り部なのだから当然だ。第二十二回の感想参照)と苦笑しながら土方が取り出したのは、二年前の新選組全盛期の編成表だ。山南の名も、甲子太郎の名も見える。自嘲しながらその紙をやぶこうとする土方に、「取っておけ。新選組は、あんたが作ったんだ」と斎藤は言う。これは三谷幸喜が土方ならぬ「山本耕史」に対して言ったものと、観ていた私には感じられたところだ。
 脱出のための獣道を見つけてきたと報告する山崎に、薩摩兵が「チェスト!」と斬りつける。応急手当はしたものの、案内役を失い途方に暮れる土方と斎藤の許に、あまりに都合よく捨助が現われ(「呼ばれもしねえのに現われるのが捨助さまよ!」)、寺田屋に導く(「腐れ縁でも縁だからな」とこれで土方と和解)。最初に響いてくる「逝んどくりやす!」というお登勢の科白は、最初は一瞬、新選組に対して発せられたのかとどきりとするが、すぐにそうではなくて薩摩の巡察隊に言われたものと分かる。かつての新選組対薩長の図式の、まるで逆のシーン。こういう出番を用意して、これでお登勢(そこから想起される龍馬)にも敬意を表しつつ、別れを告げたわけだ。
 場面は戻って大坂城。前回の予言通り負傷者で満員になった部屋の中で、松本良順の「ナース」として甲斐甲斐しく立ち働くお孝と、治療が後回しにされている沖田と近藤。良順は近藤を呼んで、船で江戸へ戻ろうと誘う。仲間がいる、とためらう近藤に対して、鳥羽伏見では激戦で、はたして何人残れたか……と良順が首をかしげるまさにそこに尾形が駆け寄り、幹部たちの帰還を告げる。この場面、本庄宿にて部屋割りに途方に暮れる近藤の許に仲間が笑いながら集まってきた、あの温かくも懐かしいシーンを思い起こさせた。
 こうして二つのストーリーは収斂し、大坂城での相談に移る。「江戸へ帰る」という近藤にただひとり不服な土方。捨助が部屋に戻ってきて近藤に礼を言われ、虚勢を張って「あばよ!」と寅さんばりに手を振るのだが、江戸への帰還の話を聞いて「ソウナノ?」と突然頼りなげな表情に変わり、沖田の「もういいでしょう、帰りましょうよ」という言葉に渡りに船と「カエル!」とニコニコ顔で坐りなおす、ここはほとんど渥美清の演技のパロディだ。またこの「カエル!」は、近藤と土方が第四十回で叫んだ「カエレ!」に対応していることは明らかだろう。
 土方は怒り顔で席を立ち、「オレは帰らない、ここに残る」「オレはかっちゃんを大名にするために来た」「ここで帰れば負けだ」と近藤に言う。これに対して近藤は「オレたちは負けない、勝機は我等にある、勝つために帰るのだ」と説き伏せ、土方もその気になるのだが、もちろんここでの土方には、大勢の命を奪いまた失い、どの面を下げて故郷へ戻れるという後悔自責の念があるがゆえに、こんな風に悪びれて言うわけだろう。しかし土方は近藤のことを心から信じきっている/信じようとしているから、近藤が「勝てる」といえばそれを素直に受けとめ、気持ちを切り替える。むしろ自分のことばを信じられなくなるのは、近藤の方だろう。
 天保山へと向う敗残の新選組に、悪意に満ちた視線が沿道から投げかけられる。捨助だけがついに新選組の一員になれたという喜びを呑気に表わすが、島田には観衆の投げた石が当たり、沖田の乗った荷車を周平とともに押す大石は回りを睨めつける(このときの根本慎太郎の表情はいい)。京都へ入ったときとはなんという違いだろう。あのときは上手から下手へと、こんどは下手から上手へと方向が逆の描写で希望と失意とを示し、また東への退却を象徴する。ただ左之助のみは、行きも帰りも不屈の快活さだ。
 荷車の上の沖田に、男装に復した八木ひでが呼びかける。「誰?」と問うお孝に対し、沖田は「昔の友人だ」と答える。
 こうしてひでにもわざわざ思い出の出番を用意し、ついにこの場面を一期として、新選組は江戸へと戻って行くのである。

 第三幕の舞台は、江戸と富士山丸。江戸城では勝海舟が、容保兄弟の面前で慶喜を嫌味たっぷりに直諫する(慶喜「他に手はなかった」勝「そうでしょうとも、こんなマズイ手は他にございません」「京の替わりに江戸が(これから)丸焼けでございます」)。しかし、小劇場の元祖でもあり王でもある野田秀樹を前にしては、文学座中堅の今井朋彦もさぞやりにくかったことだろう。
「錦旗などこちらが手に入れればいい」と近藤と同じことを述べる勝のことばに、「まだ間に合う」「自分の家臣も残っているし、新選組がいる、近藤勇がいる」とこもごも希望を託す容保兄弟。だがすでに会津も新選組も撤退の最中なのだ。それを見透かしたように勝海舟は、「もう間に合わない、あやつらになど、もはや時代の波を止めることなどできはしない!」と言い放つ。
 夜の富士山丸の甲板では、近藤と土方が語り合う。土方「もう刀と槍の時代は終わりだ、オレたちも考え直さねえといけねえぞ」と再び述懐。土方は近代化をして、もう一戦するつもりなのだ。だが土方にそう心を決めさせた当の近藤は「そんな時代になったか」と浮かぬ顔。沖田が船室から現われて、山南、平助、源さんを回想する。これも一種のカーテンコールだろう。「まだまだこれからだ」と土方は自らを鼓舞し、周斎先生(つまり田中邦衛)の真似をして笑わせる。
 そこに、ついに話題の人物登場。自分の旗艦に「乗り遅れた」不運な榎本武揚だ。洋装で洋酒をラッパ飲みする姿に、土方は「日本人か……?」と訝しむ。「洋服……カッコいいですね」とすっかり純真さを取り戻した沖田が微笑むと、土方は負けじと「オレだったらもっと似合う」と言って榎本に「その服、どこで手に入れました」と問いかける。もちろん土方は「刀や槍の時代」から「洋服の時代」へと「考え直す」わけだし、この場面がもっぱら土方と榎本との絡みなのは、後の函館での両者の関係を考えるならば当然の設定だろう。実はここで、もしかして榎本違いの対馬守と近藤との有名な会話(「お恥ずかしいがやはり家族と再会できると思うと嬉しい」「文武に秀でていても家族の情がなければ禽獣と同じだ」)を強引にこちらに持ってきて草g剛と香取慎吾とを話させるのかと思ったりしていたのだが、さすがにSMAP同士を直接突き合わせることはしなかったわけだ。
 場面は船室に移ると、そこには瀕死の山崎が寝ており、尾関、島田、尾形と話している。「(江戸で)まだ隊士を集めるそうだ」と言う島田に、「私は新選組は解散すると踏んでいる、もう居場所はどこにもない、それは近藤さんもわかっているはず」と悲観する尾形。山南に「託された」記録者としての役割が、その記録とともに烏有に帰した空しさも手伝ってのことかもしれない。いささかざらついた気分のまま「山崎君、ひざ掛けを一枚投げてくれないか」と尾形が頼むと、山崎は「自分でやって下さい」と断る。それはもちろん負傷しているからでもあるが、他方では新選組に身を捧げた山崎として、突き放したようなものの言い方をした尾形に対する、ささやかな異議申し立てもあっただろう。なんでも「喜んで」と引き受けていた山崎が「断るのは初めてだなあ」と島田が山崎を見やると、かれはすでに事切れているのだ。
 星明かりに波が砕ける、暗い海面。水葬シーンがなくとも、十分に悲しい。
 さて江戸城では、万策尽きた慶喜のことをふたたび勝が追いつめ、寛永寺に恭順謹慎させる。「恭順という形を見せておいて待ち伏せ逆襲する」「これ以上内戦をして外国に侮られぬよう」というのが、その戦略と理由だ。
 このことを容保から聞いた近藤は怒る。「幕府はすでに朝敵の汚名を着ている、それを晴らすには戦って勝つしかない、ここで恭順しても臣下の不満は収まらず、かえって戦が長引く」から、「一丸として戦うしかない、戦って戦って戦うのです、それ以外に早く戦を終わらす手はない!」
 佐久間象山の薫陶を受けた者として、同じく内戦を避けたい勝と近藤。だがその方法は正反対になってしまっている。しかしその方向は、あるいは今後、案外一致するのかもしれない。そしてそれは、来週の三谷脚本を見るまではわからない。
 容保は近藤に言う。「もう決まったことだ、徳川の時代は、名実ともに終わったのだ」
 近藤は叫ぶ。「死んだ者の気持ちはどうなるのですか、上様と帝に心血を注がれてきた殿のお気持ちは……。殿!!!」
 松平容保は崩れるように坐りこんで袴をつかみ、無念の表情でつぶやく。「余は悔しい……」
 おそらくこれで、容保もまた、このドラマから退場するのだろう。「悔しい」という恨みの気持ちをわれわれに伝えたままに。だからここは、能で言うところの「後世弔うてたべ」なのだ。

 さて終幕は、試衛館。近藤周斎は回想での登場となる。病床でふでに手を取られ、つねに看取られて臨終かと思いきや、しょぼしょぼと目を開けて、案外にはっきりした口調で「それから……」とふたたび話し出す。実質二度死ぬ可笑しさで、こちらの心を明るく救う。「俺の倅は誠の武士だ」と断言しておきながら「そこの所を、うまくまとめてくれ」などとまた落としたのち、「幸せもんだ!」と笑って大往生。
 位牌に線香を接ぐ健気なたまを背後に、土間の座敷で語る近藤とつね。「今思えば、父上はいちばん幸せなときに亡くなられた」「あれから三月で幕府はなくなった、朝敵となった」「わたしはあなたが帰ってきてくれたということでいいのです」つねを抱き寄せる近藤。
 そうして終わりは、軒先で空を見上げる近藤に、ふでが「おつとめ、ご苦労様でございました」と手をつく場面で、ほのぼのと悲しく閉じられるのである。

蛇足:
●品川釜屋や深川洲崎遊郭のエピソードは、とうてい織り込めないだろう。
●さて、あと三回。勝沼、流山、板橋、と、一回ずつか?
●予告編で、ちらりと後ろ姿の見えた洋装土方。
No.186


2004年11月28日(日) ジェンキンズさん釈放雑感
☆ジェンキンズさん釈放の画面を観て
 ジェンキンズさん(元軍曹? 二等兵?)の敬礼を見て、久しぶりにルバング島から帰国した小野田さんを思い出した。かたや軍務放棄、かたや任務貫徹以上と正反対の両者だが、敬礼とはこういうものか、とあらためて感じた。どちらの心にも、decent なモラルを見たように思ったのだ。
No.188


2004年11月29日(月) 「新選組!」第四十七回、DVD発売雑記
☆「新選組!」第四十七回
 悲しい回で、感想を記すのも気が重い。「再会」と題してはいるものの、じっさいには別れを描いている。
 土方の洋装にまつわる「社会の窓」ギャグから始まるものの、たとえ多摩に戻ったからといって、かれらが以前のような軽い立場に戻れるはずもない。土方の洋装が「なじまない」のと同様に、近藤と土方の新しい名前もまた、もはや多摩にはなじまないのだ。
 今回もカーテンコールなので、多摩の顔ぶれが総登場し、また懐かしい場面が引用の形で回想される。勇の祝言のときに祝辞を述べられなかった小島鹿之介は、今回の凱旋祝いの宴会でまたもや機会を失う(それにしても小島鹿之介と佐藤彦五郎というこの二人の大名主のキャラクターは、設定としては面白いけれども、実像よりははるかに軽い)し、沖田が甲州行きを志願する場面は、近藤自身が「どこかで見た場面だな」と上洛直前のエピソードを思い出しながら楽屋落ちする。
 今回のストーリーは、新選組残党が甲陽鎮撫隊として江戸を出陣し、多摩に凱旋して、勝沼で惨敗するという史実をなぞっている。違うのは、本来江戸でのことである永倉と原田の別離を、勝沼の戦場に置いているということだ。永倉が手記に残す「新選組瓦解」のエピソードをいきなり勝沼に結び付けて、筋のコンパクト化と単純化を図り、また劇の緊迫感を高めている。
 劇そのものは進行とともに苦い味が増していくが、それの前段は、近藤に別れを告げるみつが近藤に「幸せに暮らせるなら、薩長の世でどうしていけないの?」と尋ねる疑問と、傍らの林太郎が「戦争はいやだな……」とつぶやく述懐とにある。
 思えばまさに新選組は、攘夷という戦争をするため京に上り、池田屋で勤皇浪士を討ち(近藤「これは戦だ! 戦だーッ!」)、鳥羽伏見を戦い、東帰してからもなおまだ戦おうとしている。それは一面では「誠の心」のあらわれではある(近藤「不義の戦いをする薩長を許せない」)のだが、また一面では悲惨な内戦をも招くのだ。それが、いささか調子に乗ってふたたび誘惑しようとする土方に対して、冷水を浴びせるようにお琴が言い放つ、「新選組は浪士を殺し、仲間を殺し、京都でいったい何をしてきた、新選組がもっとしっかりしていればこんな体たらくにならずとすんだと、こちらではもっぱらの評判だ」という科白に表現されている。
 これにいささか鼻白み落ち込んだ土方が、縁側で近藤に「オレたちのやったことに何の意味があったんだ、ただ引っかき回しただけじゃねえか」とこぼすと、近藤は「オレたちは遠い所へ来てしまった、もう戻れない」と答える。かれらの歴史的行動とその意義の評価は、大久保剛と内藤隼人の名前同様、多摩の人には、もう理解の外にあるのだ。
 その新選組の「戦」の掉尾を飾る甲陽鎮撫隊の勝沼戦争は、このドラマでは、陸軍総裁勝海舟の命によることになっている。「幸せに暮らせるなら、薩長の世でどうしていけないの?」「戦争はいやだな……」というみつと林太郎の気持ちは、じつは欧米事情に通じ近代戦の実相を熟知する勝海舟の共有するところでもあり、「新選組は浪士を殺し、仲間を殺し、京都でいったい何をしてきた」というお琴のことばもまた、愛弟子龍馬と亀弥太を失った勝の本音でもあろう。それゆえ勝は、江戸を無血で守るためにも、佐幕のカリスマ近藤と新選組とを、体よく追い払おうとするのである。そのあたりは、「こうして、幕府の幕引きをすることになりました」などと能天気に語る旧時代の尊皇旗本である山岡(「ロマンチ[スト]……?」)には、とうてい分からない心理なのだ。ただその勝海舟も、これらすべてを了解しきった近藤の「誠」には、さすがに「あんな淋しい目をした奴ははじめて見たぜ」と気圧されざるを得ない。
 もはや昔には戻れないことを悟って死を決し、故郷多摩の人々に錦を飾って喜ばせ、今生の別れを告げるべく、宴会にあえて時を費やす近藤。それに対して「いや、まだ戻れるのだ」と試衛館の理想をいまだ漲らせようとする永倉は、ふたたび近藤は慢心しているのではないか、と宴会の席でもひとり渋い顔だ。
 そうしてついに勝沼で惨敗して立てこもる中、会津行きをめぐって永倉の不満と怒りが爆発する。「あなたのわけへだてない人柄と理想に引かれて集まった試衛館の仲間をあなたは組織で縛り、いままたそれをしようというのか。私はあなたの部下ではない。私は山南さんから新選組を託されたが、もはやここまでのようだ!」これが永倉にとっての「誠」の表わし方、「新選組瓦解」だ。
 とはいえ、会津を「助けに」行くのでなければ、近藤はなんの面目あって容保公(「会津へ来い!」のことばを最後に退場)にまみえられよう。敗戦処理係として捨石にされたのだから、援軍を求めるなどとはもっての外で、近藤はこの地でできるだけ命を高く売りつけねばならないのだ。
 表面上の語り部、永倉には、たとえ勝の悪だくみを告発することはできても、そこまでの近藤の心は、ついにわからない。
 自由な結束を愛した左之助も去り、菜っ葉隊を呼びに行った土方も戻らない中、「淋しいな」と近藤がつぶやくと、それを聞いていた斎藤が突如隊旗に駆け寄り打ち振って、我を忘れたように叫び出す。
「永倉さんは間違っている」「オレはこの旗に拾ってもらった! 新選組はなくならない! 局長 !! 」はっと自分を取り戻す斎藤。つまりかれはここで人間を、「誠」を取り戻すのだ。内面の語り部としての斎藤の役割が、この場面で明確になる。また一方では、会津新選組局長としての後の斎藤の姿も、ここで二重映しとなる。
 踊り上がる隊士たち、うなずく近藤の顔で、今回の幕は閉じられる。
「誠」のドラマは、まだ終わらないのだ。

蛇足:
●陣羽織を着て立ちあがる近藤の姿は、あの有名な錦絵「近藤勇驍勇之図」を髣髴。
●土方、服のボタンがもうちょっと小さめで光っていればよかったのに。
●菜っ葉隊はまったく当てにならない。
●沖田が四股を踏んで「まだまだこの通りです」と力み、土方兄の為次郎が「その調子だ!」と励ます場面、ぜひ観たかった。栗塚旭の最後の出番としても。

☆DVD発売に関する雑記
「新選組! 完全版」通信販売について知るためにアマゾンのサイトを見ると、まだ売出しもしていないのに、はやDVDのレビューが数多く載っている。つまり「念願の発売、待ってました!」という喜びの書き込みなのだ。
 ところでそれらを読んでいると、面白いことに気がついた。それというのも、どのレビューも、判で押したように「第六回からビデオに録り出した」とか「第六回までは録画していない」と書いているのだ。ここからわかるのはつまり、もちろんそれまでの回も楽しんで観ていることは確かなのだが、どの観客もみな、第六回に至ってあらためて、そして忽然とこの番組の真価に目覚めた、ということなのである。
 そして私がこのサイトの日記に「新選組!」の毎回感想を克明に記すようになるのが、またこの第六回からなのであるというのも、およそ偶然とは思えない、なにやら面白い符合である。
 ではその第六回とはどんな回か。それは「ヒュースケン逃げろ」であり、土方がヒュースケンからマントを着せかけられて「よくお似合いです」と言われる回なのだ。私はこの土方洋装の伏線に気づいてから作劇の緻密さに気づき、俄然面白くなったのだが、他の人たちは、果たしてどういう契機があったのか。ここにはまた、困窮の素浪人永倉も登場して近藤に心服するに至るのだが、あるいはこのあたりに魅かれた人もいたかもしれない。
 とにかく「新選組!」では、この第六回あたりが、なんらかのメルクマールとなっていることには疑いないようだ。
No.187


2004年11月30日(火) 秋篠宮発言、五兵衛新田再訪
☆秋篠宮発言
 壬申の乱だね、まるで。

☆五兵衛新田再訪
 授業終了後、ふと思い立って、ふらりと綾瀬の五兵衛新田へ向う。
 着いたらもう日暮れ。来週の大河は綾瀬〜流山の展開だから、少しは何かイベントでもやっているのかとも思ったが、全然そんなことはなく、通りに誠の旗がはためいているのみ。「綾瀬新選組研究会」の大看板が立つ鰻屋も、雑然とした店内に店主とおかみさんが仕度をしているだけだ。
 綾瀬川はすっかり護岸され、加えて上に高速道路の高架が通ってしまったから、土方が釣りをした光景など、およそ想像すべくもない。もし護岸も高速もなければ、流山を彷彿する、というよりも、ほとんど同一の風景だったろうに。
No.189




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