++浅薄日記++


2004年9月の日記


2004年9月1日(水) 会津小旅行
☆会津小旅行
 8/30、31と、妻を連れて会津へ行った。近藤勇の墓と白虎隊とを尋ねようという心積もり。妻は会津は初めて。
 台風16号来襲で西日本は大変だったようだが、こちらは曇りでときどき薄日がさすほど。
 東北道〜磐越道ルートを取り、磐梯熱海ICから母成グリーンラインへ向う。新選組古戦場、母成峠を少しでも体験したかったわけだ。ここは峠とはいえ平坦で、守るには兵が分散してなかなか困難だと大鳥圭介が述べているそうだが、たしかに車窓からみた風景は雄大でそんな感じだった。
 会津盆地に入り、喜多方へ。夕食にラーメンを食べようとの心積もりだった。駅近くのビジネスホテルにチェックインして、会津塗りの工房をちょっと訪ねて主人の自慢話をひとしきり拝聴した後、さてと思ってラーメン店を探したら、まだ7時前だというのに、ラーメン店どころか、ほとんどすべての店がすでに閉めており、通りは街灯を除いて真っ暗。レストランすらない。日曜日だからとはいえ、あまりといえばあまり。
「新選組!」の放映時間も迫っており、仕方なくここだけ開いていた大きなスーパーで簡単な惣菜を買い込み、ホテルへ戻る。
 ささやかな食事をしながら「新選組!」を観て、早めに就寝。たまに通る自動車の音以外はまったくなく、静かな夜。
 翌日は晴天。朝からじりじりと暑い。喜多方は会津塗り、蔵と蔵屋敷、醸造元で有名なので、午前中じっくり散策する。町を流れる田付川は阿賀野川水系で、水量は豊かで清冽。越後からの水運で物資が入ってきたものだろう。またここは飯豊連峰の南麓扇状地に当たっており、そのため軟質伏流水が豊富なので酒がうまいのだ。いまも会津には銘酒が多く、その醸造元のひとつである大和川酒造を見学した。山田錦の栽培から瓶詰めまで自社一貫製作であり、財力は豊かなようだ。車なので試飲はできず、嘗めただけだが、素直ないい味だ。明治〜大正〜昭和とつぎつぎに蔵を建て増しし、昭和蔵は現在ではコンサートホールに転用しているという。地方の贅沢さのひとつだ。
 こうした地方都市の知られざる経済力/隠れたるお大尽たちの名残をとどめる商店はほかにもあって、味噌醤油醸造元の若喜商店などは創業1755年、蔵は昔は十、今でも八棟あって、かつては敷地内にトロッコが走っていたそうだ。明治に入ってからは煉瓦職人を越後から家族ぐるみ呼び寄せて煉瓦を焼かせたという。また蔵座敷は全部柿の木作りで、どこから材木を集めたものやら、いまでは見当もつかないという。
 じつは喜多方の出雲神社には「自由民権発祥の地」という石碑があって、もしかしてこうした地方ブルジョワが関わっていたのかもしれないと、調べてみたくも思った。

 喜多方に別れを告げて西行し、山都町へ向う。ここは蕎麦の名所。喜多方から30分も走ると、そこはもう山里。稲が実り、蕎麦の花が咲いている。山都町のさらに奥に一の木という集落があり、ここの「やま仙」という蕎麦屋に入る。農家がそのまま蕎麦屋になっていて、客はわれわれのみ。蕎麦ももちろんうまいが、山菜の煮付と蕎麦つゆの味付けが、およそ東北の山村のイメージとは遠く離れてゆかしくて、むしろそちらの方が印象的だった。

 冬季閉鎖の狭い国道を通ってふたたび喜多方へ降りて、会津若松へ向う。ここはあまりにも有名なので詳細は省略。飯盛山の白虎隊記念館、天寧寺の近藤勇墓所、そして鶴ヶ城を見学してタイムアップ。帰りは会津田島に出て夕食、そこから台風余波の風雨をついて川治〜鬼怒川〜今市〜小山〜国道4号線というルートで帰宅したのだった。

 あとは感じたことだけ書いておく。
 白虎隊記念館は、いわば明治の「ひめゆり」記念館にあたるものだと思った。隊士の肖像画が並んでこちらを見下ろし、かれらの事績および会津の名誉回復の願いに満ち満ちている。こうまでして、なお会津が鎮魂されていないのだとしたら、やはりかれらを靖国神社に祭るしかないのではないだろうか。この国では、勝者が敗者を鎮魂しなければだめなのだ。
 近藤勇の墓は、ずいぶん山の上にある。ここにも墓参者ノートあり。また会津では、どうやら近藤の首はこの地に運ばれ納められたことになっているようだ。
 土産物屋には、白虎隊グッズはもちろんだが、新選組グッズもまた多い。鶴ヶ城では案内係のおじさんは新選組の羽織姿、またお城では「会と誠」(これは「愛と誠」のパロディか)という展示もしている。会津地域振興をやっている「会津支援隊」のキャラクターもダンダラ羽織を着ているし、新選組と相当にタイアップしようというところがあるようだ。

会津支援隊
http://www.aiaiaizu.com

 終わりに、ここへ来て、あらためて decent ということばについて、やはり「守節殉義」というのがいちばん近いのではないか、と考えたしだいである。大江健三郎がどういうニュアンスと文脈でこのことばを使ったかはもう忘れたが、結局は「誠」ということなのではないか。
No.164


2004年9月1日(水) 「新選組!」第三十四回
☆「新選組!」第三十四回
 山南を失った悲しみから一転し、桂を含む多摩試衛館オールスターキャストの腹を抱えるドタバタ劇によって、淋しさを忘れさせてやろうという意図の回。いうなれば今回は、葬式の後に親族一同が集って悲喜劇が繰り広げられる「お斎」という見立てなのだ。
 こうした作劇は、三谷幸喜の最も得意とするところだろう。久々に「演劇」として観られるので嬉しい。
 
 さて「お斎」で追悼する見立てと仮定すると、やはりドラマの背景には、山南の姿がずっと明滅していることがわかる。
 それはかれがかつて竜馬に言った、「人と人との繋がり」というテーマだ。
 まず山南は竜馬に「託す」という二文字の手紙を遺すが、寺田屋でくすぶっていた竜馬は、これに対して「人と人との繋がり」を「託された」ものと受けとめて、薩長連合(桂−坂本−西郷の「繋がり」だ)実現に対する熱意を蘇らせる。
 また山南が明里という女性との「繋がり」を得たという事実は、京都に来てはや二年、心休まる「繋がり」を得たい、得てもいいのだ、というそれぞれの決心を後押しする(「それって罪でしょうか?」 by 源さん)。そこで永倉は小常を迎え(これは次週の松原事件のそれとない伏線かもしれない)、左之助はおまさに求婚し、ついでといってはなんだが、捨助のおりょうに対する気持も描かれる。
 そして最大のものは、今回の劇の本筋となっている、近藤による深雪太夫の身請けである。しかもその結果、深雪とつねにも一種の繋がり(とりあえずの合意)すら生まれる。
 こう考えてくると、結局「新選組!」では、新選組と幕末の動向のすべての種をまいたのは、誰あろう山南ということになるのである。
 だからやはり今回は、抱腹絶倒のコメディでありながらも、歴然として山南に対するオマージュなのである。

 ドラマそのものは、平助による山南の追憶という場面から始まり、近藤の身請け話にまつわるドタバタ→カタストロフ→将来への波乱の芽を含む一定の平衡状態という、起承転結の常道によって進行し、そこに薩長連合のサイドストーリーがからむ。つまり、オールスターで薩長連合という構成にするためには、どうしても舞台は寺田屋でなければならないというわけだ。
 山南は千葉道場を離れるさいに、「ようやく居場所を見つけた、一から出直しです」と試衛館の門人となるが、壬生でふたたび「居場所がなくなった、一から出直しだ」ということになる。つまりかれは典型的な「つねに居場所を探す」人間なのだ。
*そのかれがついに主体性を発揮したのが自決という行動なのだが、このあたりの心理学的・社会学的分析は手に余るので触れない。
 だがこのことは平助にもある程度当てはまるので、伊東道場から試衛館の寄子になり、沖田になりすまし、これからまた甲子太郎と同心することになるのだが、そうした点で平助が山南にシンパシーを持っていることは疑いないし、山南の死が将来の平助の離反になんらかの伏線となることもまた確かだろう。ただし今回の平助は、みつとつねを京都に連れてきて(これがかれが伊東一統よりさらに遅れて帰着した理由付けだろう)大混乱の原因を作った責任者として狼狽しきっており、いまだ居場所探しでふらついたり、近藤たちに反感を持ったりする暇はないだろう。
 身請けの儀式の場所として新選組に縁浅からぬ寺田屋を選んだ近藤と源さんが去った後、別室に控えたみつとつねを見た沖田の驚愕から、ドタバタ劇の幕は上がる。「落ちつけ平助」と自分が焦る沖田。
 みつが隊士に大演説をぶつ光景に辟易しながら障子を閉める沖田の姿は、もっと重大な心理機制から障子を閉ざす山南のパスティーシュ。
 伏見へ行くとはしゃぐ二人の女性に「面白いんでないの?」と焚きつけ、そこはかとない意趣返しをする永倉と左之助。
「駕篭賃が高い」と言い抜けようとする沖田。そこに義理堅くかつての脱走用立て金を返しに現われる斎藤。沖田「余計なことを……」「オレのせいだ……」と羽織のひもをまさぐり落ち込む斎藤。この責任感表出も久しぶりだ。
 密度の濃い展開。楽しき多摩時代のフラッシュバックでもある。

 ドラマは伏見へ。太夫を迎えた源さんが振り向くと、そこには船に酔ったみつと、それを介抱するつねの姿がある。カートゥーンさながらの演出。
 ここから舞台は池田屋の密室劇へと移り、太夫の身請け、事態糊塗の企て、桂と竜馬の三つの場面が、ときには同時に進行し、ときには絡み合いながら、カタストロフへと突き進む。
 太夫の好物の大福を手に、お上り二人組の前で立ちすくむ勇。その大福を口の回りを真っ白にして詰めこむ源さん。一方みつは桂(捨助)と鉢合わせして桂を狼狽させるが、そのみつに勇の秘密を告げて江戸の仇を長崎で返し、してやったりとほくそ笑む桂。
 こうしてついに事態は露見するが、お登勢の機転で、太夫を身請けするのは源さんということになって(「この年になって初めて恋をしました、これって罪ですか?」)一件落着かと思いきや、そこに駆けつけた歳三が飛び込んで、事態は再び混沌へ。あげくは源さんと歳三が取っ組み合って、殴られた歳三が鼻血を出した(捨助、寺田屋番頭についで三人目?)ところで事態はクライマックスに至り、ついに勇の
「それまで! もういい、みんな、それなりにありがと〜う!!!」
という大音声でカタルシスがくる。ここが序破急の急で、息もつかせぬスピーディな展開。今回は笑いの涙なのだ。

 あとは静かな終局へ。深雪太夫とつねとが対話する一方では、風呂へ追いやられた(沖田と同じ)勇は竜馬と出会って友人として最後の会話を交わし、湯に濡れた手で顔を叩き、水面をじっと睨みつける。事態は根本では解決されず、なお近藤の悩みは残るのだ。
 
 そして最後に観客は、山南テーマをもう一度想起する。
「人と人との繋がり」。たしかに多くの人が繋がった。つねと深雪太夫ですら一定の繋がりを得た。
 けれども、竜馬と勇だけは「切れて」しまうのである。薩長連合と佐幕とがここではっきりと分岐し、二人の立場はもはや交わることはない(こんど会うときは、敵同士じゃ」)。
 だが竜馬と勇との繋がり、それはつまり内戦のない日本の姿の象徴だが、それこそが、山南の最も望んだ繋がりであったかも知れないのである。

 ということで、今回の劇もギリシア演劇や能の常道に従って、喜劇は幕間、本筋はやっぱり「悲劇」だったのである。
 
後は雑感。
●山南は剣道シーンも含めサービスショット。
●お登勢は鉄火女としていい役。筋としては勇を許さないが、キャラクターはしだいに気に入るというあたりをよく出していた。
●「みんな、それなりにありがと〜う!!!」という近藤のことば(源さんの「それって罪ですか?」と双璧をなす途方もない現代セリフ)は、穿って考えると、すべての種を播いた山南に対しても言っているのだろうか?
●廓の老世話役に別れを告げて近藤と源さんが頭を下げ、顔を上げたらみつとつねの二人に変わっているというのは定石ながらスピーディで面白かった。
●来週は松原忠司エピソードをやるらしい。これから先は、ずいぶん忙しくちりばめていくことになりそうだ。
●ということは、本願寺引越しのさいの、八木さんに対する土方五両謝礼エピソードも入れるのだろうか。

◆今回は久々に演劇を語れて嬉しいのだが、しかしこれは、断じて「大河ドラマ」ではないなあ。橋田壽賀子の「おんな太閤記」でもこんなではなかった。というのも、今回の史実は深雪太夫の身請け話のみで、あとは歴史的人物を借りているだけで、じっさいは誰が誰でもかまわないのだから。まあその理由は、上に書いたとおりなのだが。
No.165


2004年9月2日(木) ハワイへ行きます
 これから一週間ほど、ハワイへ行く。
 骨休めということもあるが、他方用事もある。
 9/4、ワイキキで沖縄フェスティバルがある。世界中に散らばった沖縄出身移民の子孫たちが一堂に会して、カラカウア大通を練り歩く。
 そのパレードにピキ氏が一枚噛んでいて、明治大学のピキゼミ生もそのパレードに参加して、沖縄踊りを披露する。わが本務校の学生も何人か参加する。
 シーサーズももちろんパレードするが、その隊列に私も加わり、歩くのだ。
 私の役は、ミルク。ニライカナイから幸福を運んでくる常世の神で、布袋和尚(ミロクの化身)の姿をしている。手には日月のついた軍配型の団扇。うちわも仮面も手作りした。着物は浅草仲見世で手に入れた。
 細工はりゅうりゅう、さてどういうことになるか、仕上げをごろうじろといったところだ。

 ということでしばらく日記も、また新選組コーナーアップも途切れることとなる。
No.166


2004年9月12日(日) 「新選組!」感想二つ
 帰国して、短い合間に書きます。明日からまた調査で離日します。帰るのは月末です。

☆「新選組!」第三十五回
 再放送を観ての感想。旅行と調査との合間なので気忙しく、短いものとなった。
 西本願寺への屯所移転という大きな動きが背景なのだが、ドラマそのものは今回もまた静かな interlude といった趣きで、さまざまなサイドストーリーを巧みに組み合わせて構成してあった。
 ドラマは引っかき回し役の捨助、変装の桂、長州藩士仙波、そして斎藤はじめ新選組隊士の絡みから始まる。捨助が自暴自棄に刀を振り回してすっぽ抜けた刀が斎藤の間近の壁に突き刺さったのを、かれが勘違いして「できる……」とつぶやくのは御愛嬌というか、ほとんど悪ふざけの域。
 悪ふざけといえば、引越し挨拶に配る手拭をめぐる一幕は、もはや新選組好事家に対して三谷幸喜が挑戦しているのではないかと思われるほどの確信犯的コントであり、あの手拭は今後、あらたな新選組土産グッズとして売り出せば商品価値を持ちそうな気がする。
 この冒頭の乱闘で松原忠司が長州藩士を斬るが、いまわの際に妻への金子を託されて、その家を訪ねる。これは松原の有名な心中エピソードを換骨奪胎して組み入れたものだろうが、なかなか巧みな設定だ。ただこれはこれ以上には発展しないようにも思われるのだが、もちろんまだわからない。
「近藤と土方の間柄にはちょっと妬ける」というお幸の科白は、腐女子へのサービスだろう。「山南が皆の心に火をつけた」と永倉が言うが、なかなか山南もまっすぐで迷惑な男だったわけだ。
 源さんはティーンエイジャー特有のコンプレックスを示す周平に、年長者らしく上手に元気をつける。左之助も含め、お決まりだが心温まる光景。結局周平はものにはならないのだが。
 こうした楽しい話に、ひでの沖田に対する悲恋の話が交錯する。沖田は必ず「散る花」とイメージ的に関連付けられるが、花は散りながらもかならず種子を留めずにはおかないだろう。ひでと総司が結ばれたか否か、それは最後の場面での二人の目配せを含めて、慎み深く観る者の想像にまかせられ、そうしてやはりストーリー全体に温かい余韻を残すのだ。
 旧五百円紙幣のオッサン岩倉具視(いかにも悪人公卿面)と西郷とが会っているところへ捨助が現れる。ところが桂から託された密書はたきはお登勢に折られており、捨助が届けたのはただの白はたき。とはいえこれが、どうやら「日本を白紙に返す大掃除」つまり倒幕の含意となって西郷に響くらしい。これは竜馬の「日本を大洗濯」をも思わせて、面白い設定だ。
 いよいよ引越しの別れも済み、八木家で近藤が感慨にふけるところに、将来の語り部たる少年為三郎が「先生のこと忘れへんから」と言って帳面を見せる。浪士組が来てよりこのかたのことが、すべて書き留めてあるのだ。走馬灯のように過去のさまざまな場面がフラッシュバックし、これでドラマは完全に新たなシリーズに入ります、という区切りをはっきりと告げる。
 そして最後に箒がまともに立っているという趣向で、少なくとも新選組は、壬生八木家には受け入れられつつ、次なる展開にむけて、今回の幕を静かに下ろすのである。
*最後に蛇足ながら、引越しの礼として土方が八木源之丞に五両差し出して、源之丞が「二年間の家賃としてはずいぶん安いなあ」と笑ってお祝いの菰樽をお返しし、後で沖田が笑いながら「土方さんが顔から火が出ると言ってましたよ」と伝える、子母澤寛の記す有名な逸話が採用されなかったのは残念だった。

☆「新選組!」第三十六回
 これも短く気忙しい中での感想。
 まずは予告編から。松原エピソードはほとんどそのままの形で生かされそうだ。
 今回も比較的静かな進行。直参旗本を振りかざす佐々木只三郎が、火事場采配をきっかけに近藤をあらためて見直すという枠組の中に、いくつもの挿話と伏線とをはさむ構成。
 ドラマは、またしても天狗こと捨助から始まる。沖田率いる新選組一番組に追われ、進退極まったところに佐々木の見廻組が横車を押す。両者が揉めている最中に逃亡を図る捨助。屋根の上で嵐寛寿郎を気取ったはいいが、沖田に頬かむりを切られて正体がばれる。ここのパロディ、頬かむりの仕方がアラカンとは逆のところも面白い。
 今日は伊東が諸処でいいところを見せる。近藤の人物評価も公平に行ない、会津容保公に情勢分析を披瀝し、隊士たちには洋式軍学を講ずる。これが古式兵法しかできずに次第に窓際に追いやられる武田観柳斎の破滅の運命を導く伏線になっているのだ。英語の手習いなどもしていたという伊東の事績を、ドラマの中でもこうしてうまく生かしていた。
 伊東についてなにかを打ち明けたい平助や、古地図を破いて慌てる左之助などの行動は、後の伏線としてとりあえず押さえておかねばならないだろう。
 ちなみに、浅野は相変わらず傍観的批評家、また周平を苛める人斬り大石はなかなか酷薄そうに演じていた。このあたり、ハイスクールドラマ的情景描写。
 寺田屋でくすぶっていた竜馬も、ついに何かをつかんだようで行動を開始する。
 一方、おりょうに振られた捨助は捨て鉢となり、座敷で大の字になって荒れるが、これが思わぬ失火を引き起こし、この火事場騒ぎが、後半のドラマのすべてを支配し動かしていく。
 松原はお初を救うため、斎藤の「これ以上関わるな」という忠告にも従わず、火の手の回った天神横丁に駆けつける。ここで斎藤がアドバイスするというのは、子母澤寛『新選組物語』中の「壬生心中」で、明治になってこの秘話を八木為三郎に語るのが斎藤一である、という設定に従ったものだろう。また河合がその傍らにいるというのも、後のことを考えると痛々しいものがある。
 火事の知らせに新選組は直ちに出陣するが、ここでまたもや横槍を入れるのが見廻組。ばらばらな行動をすると統制が取れず混乱を招くから軍議に加われ、と道理を説く近藤を頭から見下して言うことを聞かぬ佐々木から一本取って黙らせるのは、やはりというか、「先陣を切ったのは新選組、遅れを取った見廻組はその下知に従って当然」と、武士の仕来りに則ったことばを当意即妙に使った参謀甲子太郎だ。
 他方、竜馬は薩摩屋敷を訪ねて西郷を説得する。この場面、「ビジネス」という外来語をうまく使いながら、竜馬と薩長連合成立との関連を観客に呑みこませていく。さすがにこれを説明しておかないと、明治維新にまでドラマを持っていけないからだ。また現代の「国益」というものをも考えさせられる、うまい設定だ。
 ちなみに、ここで竜馬が見抜いている薩摩の食糧不足は、容保の命を受けた近藤の督促に対して西郷が煮え切らない態度を見せる原因でもある。このあたりのことについて私は詳しくないが、きっと巧みに史実を組み入れてあるのだろう。
 そして対岸の火事を眺めながら、竜馬は「どうせ日本は大火事になる、それならど真ん中で火の粉をかぶりたい」と述懐し、西郷の心を動かす。
 最後は陣幕の中で、鮮やかな統制と胸のすく采配を見せる近藤(このところ、香取慎吾はほんとうに勇の顔になってきた)を、しだいに見直していく佐々木。「ひょっとしてほんとうに御公儀の役に立つのは、あなたたちかもしれない」
 だが直参旗本から発せられたこのことばは、近藤をいっそう誇らしく奮い立たせてしまうだろうし、また旗本のプライドにかけても佐々木も踏ん張るだろう。その結果、佐々木は鳥羽伏見で討死し、近藤もまた悲運に見舞われるわけだ。
 そうした含みも持たせたこの科白で、山崎による鎮火の知らせとともに、今回の幕も静かに閉じられるのである。
蛇足:星ルイスさんは、セントさんが亡くなったせいか、ほんとうに悲しそうな顔に見えて気の毒だ。
No.167


2004年9月27日(月) 帰国報告、早速「新選組!」感想
☆チベット調査より帰国
 チベット調査から帰国した。チベットといっても、四川省チベット族自治州というところだ。だがチベット本国でないからといって侮るなかれ。標高はつねに3000メートルから4000メートル、厳しい氷河地形はまさに私の専門領域、シルクロードそのものだ。高山病に苦しみ、リンゴだけで命を繋いだ日々もあったと記しておこう。

☆「新選組!」第三十八回
 チベット調査から帰って妻に聞くと、第三十七回でもう松原さんは死んでしまったというではないか。それも通説や史話とないまぜ、虚実皮膜の間をついてうまく作り上げたストーリーだったらしいではないか。残念。
 というわけで、第三十七回はビデオを観てからあらためて感想を書くこととして、第三十八回にいく。
 
 ここまで「新選組!」を観続けてきて、どうも段々に思うのだが、もう三谷幸喜にとっては、史実とか考証とかは、どうでもいいのではないか。というよりも三谷幸喜は、演劇批評家や放送評論家、それに史劇好きの従来の大河ファンやうるさ型視聴者に対して、これでもかこれでもかという風に、次から次へと挑戦状を叩きつけて来ているような、そんな気がしてならない。「私は今回はこの歴史素材を使ってこんな解釈をしました、それで今度はこんな趣向をしましたが、それでよろしゅうございますか、文句おありならどうぞ」といった感じだ。だからこそ一回一回は、ドラマトゥルギーをきっちり押さえた上で作り上げているわけなのだ。
 だれも悪者にせずに(土方、武田を含めてだ。番組の性質上できないとも思うが)、ただ運命の神の天秤次第で翻弄される人々の姿を描き出すのは三谷幸喜の得意とするところだろうが、それはまたギリシャ悲劇以来の常道でもある。
 そして今回もまた、そうした虚実皮膜の間をつく「舞台」に仕上がっていた。

 ドラマは、大枠として近藤と伊東の長州下りで全体を包み、そこでその間に起きた河合耆三郎の悲劇を物語り、しかもそれを河合の回想によるナラタージュ手法で仕上げるという、複雑な入れ子のような構成で、これもけっこう三谷の挑戦状だろう。しかもストーリーそのものはストレートな悲話なのに嫋嫋たる余韻もあり、なおかつ過去のさまざまな名作からの引用にも満ちているようだ。それはまた、河合役大倉孝二の名演にも依るところが大きいだろう。
 過去の人斬りの記憶に魘される斎藤一。今度も従来同様に、河合の介錯をまかされるのではないかという不安に押しつぶされている姿だ。
 また、広島へ行くなと近藤に言う土方。これはふたたび副長としての苛酷な決定を下さねばならぬ仕儀に立ち至るかもしれない、というかれの不安を表現するものだ。かくして劇中の不安な気分が、次第に高められていく。
 一方、処刑の当日に河合の教誨師役として西村兼文を持ってきたのもうまい。つまりかれは同時代の記述者・語り部として、歴史の上に名を留めているからだ。そして物語は、西村に対して河合が事情を語り遺すという形で展開して行く。
 西欧軍事学の本を買いたい武田。この本の代金貸借にまつわるトラブルが、結局公金費消の罪科となって河合の命を奪うのだが、これを入手したがっているライバルの一人が土方であるというのは、かれの柔軟性と後の洋装への転換を暗示する。他方、もう一人のライバルは、武田が敵愾心を燃やす対象である開明派伊東甲子太郎の、その腹心の加納道之介であって、せっかく河合の命を救うために本屋に返本して代金を取り返そうとした武田は、加納がこの本を入手したがっているということを聞き出したことで本を返すことをやめ、ついに河合を見殺しにするのである。
 これらはみな、人間の気持の揺らぎ、避けることのできない運命の天秤の偶然の揺れなのであって、そのあたりのドラマの流れを追うのは、観劇の醍醐味だ。
 だれもが事情を知っており、だれもが河合を救いたくとも救えない。救えるのは近藤勇ただひとりなのだが、そのかれは広島で長州との実りのない談判に忙殺され、やはり運命に翻弄されている。「近藤君には気の毒だが、そろそろ別の道を歩むときかもしれない」と伊東はつぶやき、また土方は主のいない座敷の床の間に飾られた誠の旗を睨みながら重責に耐えかね「かっちゃん……」とうめく。ほんとうの「誠」とは何か? どうやって人間は「誠」を生きるか? あの旗は、いまのわれわれに投げかけられた課題でもあるのだ。
 沖田だけが河合の助命に冷たいが、それはかれ自身が残り少ない命を(たとえ医師孝庵の助言に逆らってまでも)「誠」に生きようと懸命であるからで、その姿勢からすれば、河合の失策は、自らを大切にしなかった当然の報いであるとしか思えない。河合に止めをさすのが沖田であるというのもまた宜なるかなだ。とはいえ沖田自身とて、養生をすることと新選組組長として京の町のため力を尽くすことと、そのどちらが「誠」であるかには、当然迷いがあるはずだ。沖田のシーンは、そのあたりまでをも考えさせる。
 両手に小判を握った平助が駆け込んで来る夢を見る河合。しかし実際に来たのは、死装束の載った三宝を捧げ持った島田である。このあたりもドラマの常道。
 こうして西村にすべてを語り終え、思い残すことのないはずの河合が、いよいよ悟りきったように「人生とは……」と感懐を述べかけたその瞬間、故郷から金を齎す飛脚の鈴の音の幻聴に、ふたたび命への執着をさっと漲らせるここの演技と演出は、人間の業というものをよく表現していて哀切だ。すすり泣きながらうつ伏す裃姿の河合に上からスポットライトが当たり、対面の語り部西村は、歴史の闇の中に融け込んでいく。
 いざ切腹の場面。「飛脚は、まだですか」という河合の科白は、子母澤寛『新選組物語』そのままだが、一方では『仮名手本忠臣蔵』で大星由良之介を待ちわびる塩谷判官を思い起こさせもする。谷三十郎が介錯を仕損ずるのも『新選組物語』の「隊士絶命記」中にある話だが、その際谷が介錯をしたのは田内知という隊士、止めを刺すのは斎藤一と、「新選組!」ではこの二つの話をひとつにまとめてある。ちなみに子母澤寛によれば、河合の介錯をしたのは沼尻小文吾という隊士で、こちらもやはり斬り損なっているという。
 やがて切腹も終わり、やはりふたたび近藤不在の間に隊士を処分せざるを得なかった土方は、回廊の柱に頭をぶつけて自らを責める。ここは、かつての近藤を思い起こさせるところだ。
 最後の場面、河合の遺品の片づけをする西村の耳に、また階の上で佇む土方と源さんの耳に、こんどは幻聴ではない鈴の音が、はっきりと聞こえてくる。
 そうして、飛脚が中庭に駆け込んでくる(実際はありえないことだろうが)その後ろ姿がホワイトアウトしつつ、今回も静かに鎮魂劇の幕は閉じられるのである。

蛇足いくつか:
●実際の寺田屋騒動を話の枕に、そして竜馬を板付に使うとは思わなかった。しかもそこに、おりょうに振られた腹癒せに竜馬を売ろうとする捨助が一枚噛んでいたとは面白い。
●平助はきりりとした雰囲気をしだいに出しはじめている。
●左之助、斎藤、平助の賭場での一幕も、昔の時代劇からのよくある引用で、中盤のいいスパイスとなっている。
No.168




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