《キング・アーサー》を、ついに妻と観に行ってしまった。
感想の結論から言うと、「結構よくできてるじゃないか」という感じ。佳作と言ってよいだろう。 ラファエル前派やアイリッシュ・セルティック・ファンタジーなどにとっぷり浸かっている人とか、ゲーマーなどにとってみたら、おそらく不満たらたらになるのだろうが、むしろ私の印象としては、ハリウッド的脚色はあるものの、全体としては時代考証に忠実に、面白く描いていたと思う。 つまりこの映画のスタンスは、「アーサー王伝説成立前史」なのだ。 これは、主演のアーサー王役のクライヴ・オーウェンがプログラム中のインタビューで語っているように、脚本家のデイヴィッド・フランゾーニが「リサーチおたく」だったからこそ実現したことなのだろう。 時代は5世紀末から6世紀初頭、侵入者アングロ・サクソン人と、ハドリアヌス長城以北に割拠するケルト系ピクト人(これが現地語で「ウォード=青く塗った者」)、そして衰退しつつあるローマン・ブリテン人が三つ巴となって苦闘する混乱の時期で、この頃の事情を同時代的に語ってくれるものは、考古学的発見による遺跡・遺物より他にはない。 そのため映画の中では、登場人物の個々の名前などはほとんど記号としてしか扱われず、むしろかれらが無個性であるというのは、設定としては逆に当然であってうまい手法だ。じっさい、だれがガウェインやガラハッドであっても、そこに大した違いはないのである。サクソン人の首長親子も、「七人の侍」の野盗同様に典型的な性格設定をされているに過ぎず、プログラムの中でしか名前がわからない(史実を取り入れてはある)。それどころか、「アーサー」という名前自体が、ブリタニア駐屯ローマ騎兵隊司令官を示す「称号」でしかないのである。ちょうど固有名詞であった「カエサル」が後に「皇帝」の「称号」そのものになったように。 要するにこれは群像劇なのであって、無名の者たちが歴史を作るのだという視点から作られており、それだからこそ「七人の侍」や「プライベート・ライアン」といった戦争群像劇を本歌取りしてわれわれに思い起こさせるのだろう。そのため、キャストに有名俳優を使わず、実力派舞台俳優を登用している(もちろん制作費の面もあるだろうが)というのもうなづける。そのあたりは「新選組!」とも非常に通じるところがあるのも面白い。 そして映画の深層テーマの語り部かつ状況説明役として、ここではサルマート人ランスロットを置いているわけなのだが、これはいわば「北斗の拳」におけるレイの役どころ、「新選組!」における斎藤一の役どころに相当するといえよう(ちなみにこの脚本家は、ぜったいに「北斗」を読むなり観るなりしているに違いない)。
なおこれは単に私の推測だが、この映画の時代考証にあたっては、下記
MEN-AT-ARMS SERIES 154 “Arthur and the Anglo-Saxon Wars : Anglo-Celtic Warfare, AD410-1066” Text by DAVID NICOLLE Ph.D. Colour plates by ANGUS McBRIDE Published in 1984 by Osprey Publishing Ltd ISBN 0-85045-548-0
等、英国オスプレイ社出版の“MEN-AT-ARMS SERIES”を、相当に参照していると思う。
映画がはねた後は、有楽町ガード下の「ホーフブロイハウス」で白ビールとヴュルストを頼み、さてまずサクソン族に対して杯を上げたのだった。なんといってもかれらはゲルマン人なのだから。
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No.152
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