++浅薄日記++


2004年8月の日記


2004年8月1日(日) 10000ヒット、今朝方の夢
☆カウンター10000ヒット
 八月に入り、サイトHPのカウンターを見ると、10000を越えている。自分で回していることも多いだろうし、それほど当てになる数字というわけでもないが、それでも自分のサイトがまさか10000ヒットするとはと思うと、感慨深いものがある。
 これみな「新選組! コーナー」設置と「大河新選組! サーチ」に登録したお蔭である。それまでは、一日平均十余名という、まことに細々としたものだったのだ。それが「大河新選組! サーチ」に登録したとたん、一日に100くらいのヒットがくるようになった。
 現在は、だいたい「新選組!」感想をアップした翌日と翌々日が100名余、それから一週間サイクルで次の感想アップ直前までに40名程度にゆるやかに減って行く、というパターンになっている。固定して訪れる方ができているのだろうと思う。やはり閲覧して戴けている、と思うと、嬉しく有難いことです。
「新選組!」が終了すればこれも再び一日十名ペースに戻るのだと思うが、まずは自分でも楽しいし、「新選組! コーナー」充実を図っていこう。

☆今朝方の夢
 おかしな夢だった。
「鈴木宗男復活パーティ」が大阪鶴橋の焼肉屋で開かれていて、それに招待されている。ムネオがいたかどうかはもう記憶にない。焼肉屋の窓から通りを見下ろすと、人が騒然と行き交っていて、向いのコンクリート建てのビルの二階は市場になっているらしく、牛肉をさばいているところが見える。
 参加者の中にはヤンキースの松井もいて、テーブルを前に座って、にっこり、悠然と笑いながら、焼肉を頬張っている。

 夢判断も何もできやしない。
No.147


2004年8月1日(日) 新選組! 第三十回感想遅延、試験答案採点
☆新選組! 第三十回
 ……の感想は、答案採点で忙しいため、明日書けるかどうか……不安。今週はゼミ合宿も入っているので、最悪の場合、土曜日再放送以後となるかもしれない。

☆某大学試験答案採点
 これほど答案が出来ていないのは由々しい事態だ。毎年、ほぼ同じレベルで教えて、しかも学生による授業評価も取り入れて、教え方の修正も施しているのに。
 何が問題かというと、AかEしか点がつけられない、ということだ。Eというのは、この場合「不可」を表わす、つまり最高点か不合格点のいずれかを取る学生しかいないわけだ。きちんとできるか、お話にならないか、の二つにはっきりと分かれてしまって、中間層(もう少しやればできる→B、ここが少し足りないな→C、なんとかできたな→Dなど)がいないのだ。
 Aがいるということは、私が授業の内容について、しっかりと話し説明もしているという事実を示す。なぜなら、話し説明した内容が、答案にはっきりと書かれているからだ。
 ところが、それ以外の答案には、授業の内容が、ほとんど反映されていない。驚いたことに、皆出席あるいはそれに近い出席率を示す学生であってもそうなのだ。ということは、1.授業を聞いていない 2.聞いていても内容を頭に入れられない 3.聞いていても入れるつもりがない のいずれかだと思われる。答案作成に当たっては「授業内容の理解度の確認なのだから、内容を反映させるように」と、そのことははっきり申し渡してあるので、自分の好きなことや主張だけを書いても、設問に正確な意味で答えたことにはならないのだ。よほど巧みに、堂々と、こちらの意図を上回るような知識と論理で書いていない限り、評点を与えることはできない。不思議なことに、出席率の低い学生の答案の中に、むしろ授業内容に即したものが多く見受けられるのは、かれらがそれなりに必死になって復習をしたことを意味すると考えられる。
 授業が、講義が、教育を授かる側の頭に、心に、魂に、なんの意味も持ち得なくなったという、教育営為のこの現実を、しかしもはや受け入れるしかないだろう。
ちょうど平安貴族の時代から鎌倉武士の時代に変わるようなものだ。エイジ・オブ・アクエリアスに入ったということだ。
 心豊かに生きて暮らす(QOL)、そこからの発想からのみ、すべてを組立て直さねばならない時代になったのだろう。

 考えてみれば、洋の東西で末法の世が過ぎてちょうど千年。そんなものかもしれない。
 吉田秀和の無力感もむべなるかなだ。
 
No.148


2004年8月2日(月) ☆新選組! 第三十回
 明日から三日間のゼミ合宿。岐阜県揖斐川の上流山奥、横蔵というところにある、小学校を改造したセミナーハウスで、『塩鉄論』をみっちり読むつもり。

☆新選組! 第三十回
 やたらと紙をやぶく回。山本土方は、かなり無理して悪人を張っているような感じがする。演じていてもきついかもしれない。
 近藤は抜け駆けして先に会津中将を手の内に入れておくのは、誠心誠意の行動のように見えて、実はアンフェアきわまりない。つまりむしろ、土方の方がナイーブなのだ。山南は正論居士のようで、しかし組織内におけるこうした政治手法は、往々にしてまったくの無力でしかない。あまつさえまっすぐな永倉が、ほんとうに間抜けな貧乏籤を引くように見えてしまう。
 要するに、こうした不愉快な力学とシチュエーションは、どの時代にもどんな組織にも必ず存在するわけで、身につまされ観ている人もさぞかし多いことだったろう。そのあたりを、ここまで露骨に分かりやすく一般化して見せてやれというのが、おそらく今回の三谷脚本の主眼だったのではないか。
 今回のような斎藤の役まわりの正統性は、もう少し回が進んでから、より明確になるのかもしれない。
 話は土方に戻るが、三味線を弾き、発句を作る姿を今回初めて描写したわけだが、これは当然、かれが純然たる冷血漢ではないことを示す設定で、やはりその一面のみに徹してドラマを構成することはしない、というか、できないようだ。しかもかれの最も気に入りの発句をここでは未だ明かさないというのは、もしかしたら例の山南を詠んだといわれる句を、山南ラウンドの最後に持って来ようという伏線なのかもしれない。
 また脇役たちは、いつものようにそれぞれ達者にメインストーリーを支え、なくてはならぬ背景を織り成していた。武田観柳斎はいつも秀逸。ひでが前川邸を訪ねてくるさいに敷石のセットが撓んだのは御愛嬌。

 さて『新選組!』が、なぜ大河ドラマの中では評判が悪いのか、今回を観てつらつら考え、あらためて分かったような気がした。
 つまり『新選組!』は、いわゆる「大河風」にはドラマチックではないのである。大時代的だったり、仰々しかったり、場面があちらからこちらへと、舞台が地方から地方へと切り替わったり、そういったことがいっさいない。主人公たちの数はあくまで限られ、しかもかれらは常連で、ゲストがそのつど絡むだけだ。言い換えれば、今日は毛利、明日は上杉というような、目を奪う状況の移動ということがないわけなのである。
 これを以ってこれを観れば、要するに『新選組!』は、またもや非常に内容と含蓄の濃い、玄人受けするシチュエーション舞台劇となってしまっているのである。
 だから、もしも『新選組!』が「大河」ではなくて、「一年間続くテレビドラマ」だとしたら、これほど理に叶った設定のものはないだろう。
No.149


2004年8月6日(金) ゼミ合宿、新作絵アップ、北京サッカー騒動
☆ゼミ合宿無事終了
 事故もなく、急性アル中もなく、無事終了。テキストを読み、卒業研究指導を行ない、渓流でヤマメを手掴みし、バーベキューをして戻ってきた。よい学生たちだ。

☆新しい絵アップ
 Pictures の Men at Arms コーナーに「カロリング朝親衛兵」をアップした。
 ちょうど「キング・アーサー」が上映中だが、伝説上のアーサー王とは、たぶん歴史上では五世紀後半、アングロ・サクソン族の侵入にさらされつつその防御に奔走していた、ローマン・ブリテンの首長に由来すると考えられているので、(ポスターでしか知らないのだが)あのコスチューム(ローマ鎧を思わせる)は、それなりに歴史考証した上でアレンジを加えたものだといえよう。
 その史上実在のアーサー首長と、フランク王国の始祖クローヴィス大王とが、まったくの同時代人だというのも面白い。ローマ文明の残滓がついに消えかかる、そんな時代の変わり目に生きたつわものたちだ。そしてそれがちょうど日本の後期古墳時代最盛期、倭の五王と呼ばれる大王たちの時代に相当するのもまた興味深い。
 ユーラシアの古代文明諸地域が、南下した北方民族の武力によって再構成される、そうした時期の一幕なのだ。

★北京サッカー騒動
 日本および日本人を憎むために日本および日本人を憎んでいる、としか言いようがない。「憎まんがために憎む」というわけだ。もしくは、どうしてもなにかを憎みたくて、というのは国力成長期のエネルギー、およびその矛盾から生ずるルサンチマンの噴出先を探しあぐねているからだが、そのため仇敵怨敵たる日本をその対象にしているということだ。
 だいたい、いまは日本は中国に租界も持っていないし、植民地化もしていない。侵略も戦争もしていないではないか。五四運動の時とは状況がまったく違うのだ。「かつて侵略したから」とか言うなら、こちらだって「元寇」のことを持ち出すぞ、ということになるではないか。それに中国は、まがりなりにも戦勝国の一員、国連(連合国)常任理事国の一角ではないか。
 まったく、大人の国らしくもない。「夜郎自大」とは、漢代雲南にあった夜郎国の王が「漢とわが国とどちらが大きいのかね」と漢の使者に尋ねたことに由来する「井の中の蛙」に相当する故事だが、その中国自身が「夜郎自大」をやってどうするというのだ。こんな感覚では中国の国際化など、絵に描いた餅だ。アメリカ帰りの中国テクノクラートたちも、自分の後輩たちがこの体たらくでは、たいがいご苦労様ですな。天安門事件の教訓が、どうやら間違った方向へ行ってしまったようだ。もしも中国が図に乗って大国らしくもなく日本を苛め立てれば、若年時に中国憎し感情を摺り込まれた若者たちが大人になったとき、「窮鼠猫を噛む」かもしれないのだ。それは中国にとって、日本にとって、アジアにとって、大きなマイナスであり、そしてアメリカの思う壺だ。なぜなら「分割して統治せよ」をそのまま図でいけるわけだから。
 それと同時に思うのは、戦後日本の歩んできた道だ。最初の講和条約締結の時、どこの国にも何にもさっぱり謝罪して、それから後は厳しく歴史を検証しつつ独立国家の尊厳を再びしっかり確立していけばよかったのに、その双方とも曖昧かつ中途半端にごまかしてきたから、こういうことになるのだ。これは戦後民主主義および平和主義の、あまり認めたがらない責任だろう。
 いずれにせよ、この光景をテレビで観た大勢の日本人、なかんずく若者が、中国に対してこれからどういう感情を抱くか、それをしっかり考えねばならないだろう。全国の大学がほぼ夏休みに入っていてよかったと思う。中国人留学生も多いので。

 しかし、このままでは「自虐」史観批判派が、勢いの然らしむるところ、より力を得ることになってしまいかねないだろう。かれらの主張だって、はたして理があるかないか、他方ではしっかりその妥当性を検証する必要があるのに、それすら素っ飛ばされかねない。
 
 
No.150


2004年8月6日(金) 広島原爆の日
 すっかり忘れていた。八月は日本人にとって、さまざま気の重い日が来る。
 嗚呼。
No.151


2004年8月7日(土) キング・アーサー
《キング・アーサー》を、ついに妻と観に行ってしまった。

 感想の結論から言うと、「結構よくできてるじゃないか」という感じ。佳作と言ってよいだろう。
 ラファエル前派やアイリッシュ・セルティック・ファンタジーなどにとっぷり浸かっている人とか、ゲーマーなどにとってみたら、おそらく不満たらたらになるのだろうが、むしろ私の印象としては、ハリウッド的脚色はあるものの、全体としては時代考証に忠実に、面白く描いていたと思う。
 つまりこの映画のスタンスは、「アーサー王伝説成立前史」なのだ。
 これは、主演のアーサー王役のクライヴ・オーウェンがプログラム中のインタビューで語っているように、脚本家のデイヴィッド・フランゾーニが「リサーチおたく」だったからこそ実現したことなのだろう。
 時代は5世紀末から6世紀初頭、侵入者アングロ・サクソン人と、ハドリアヌス長城以北に割拠するケルト系ピクト人(これが現地語で「ウォード=青く塗った者」)、そして衰退しつつあるローマン・ブリテン人が三つ巴となって苦闘する混乱の時期で、この頃の事情を同時代的に語ってくれるものは、考古学的発見による遺跡・遺物より他にはない。
 そのため映画の中では、登場人物の個々の名前などはほとんど記号としてしか扱われず、むしろかれらが無個性であるというのは、設定としては逆に当然であってうまい手法だ。じっさい、だれがガウェインやガラハッドであっても、そこに大した違いはないのである。サクソン人の首長親子も、「七人の侍」の野盗同様に典型的な性格設定をされているに過ぎず、プログラムの中でしか名前がわからない(史実を取り入れてはある)。それどころか、「アーサー」という名前自体が、ブリタニア駐屯ローマ騎兵隊司令官を示す「称号」でしかないのである。ちょうど固有名詞であった「カエサル」が後に「皇帝」の「称号」そのものになったように。
 要するにこれは群像劇なのであって、無名の者たちが歴史を作るのだという視点から作られており、それだからこそ「七人の侍」や「プライベート・ライアン」といった戦争群像劇を本歌取りしてわれわれに思い起こさせるのだろう。そのため、キャストに有名俳優を使わず、実力派舞台俳優を登用している(もちろん制作費の面もあるだろうが)というのもうなづける。そのあたりは「新選組!」とも非常に通じるところがあるのも面白い。
 そして映画の深層テーマの語り部かつ状況説明役として、ここではサルマート人ランスロットを置いているわけなのだが、これはいわば「北斗の拳」におけるレイの役どころ、「新選組!」における斎藤一の役どころに相当するといえよう(ちなみにこの脚本家は、ぜったいに「北斗」を読むなり観るなりしているに違いない)。

 なおこれは単に私の推測だが、この映画の時代考証にあたっては、下記

MEN-AT-ARMS SERIES 154
“Arthur and the Anglo-Saxon Wars : Anglo-Celtic Warfare, AD410-1066”
 Text by DAVID NICOLLE Ph.D.
 Colour plates by ANGUS McBRIDE
 Published in 1984 by Osprey Publishing Ltd
 ISBN 0-85045-548-0

等、英国オスプレイ社出版の“MEN-AT-ARMS SERIES”を、相当に参照していると思う。

 映画がはねた後は、有楽町ガード下の「ホーフブロイハウス」で白ビールとヴュルストを頼み、さてまずサクソン族に対して杯を上げたのだった。なんといってもかれらはゲルマン人なのだから。
No.152


2004年8月8日(日) ★サッカー雑感
 今日は祖父の命日。高輪にある高野山東京別院に、母を連れて参る。供養の経木卒塔婆を奉納。
 新選組! 第三十一回感想は、試験の採点が終了次第書くつもり。

★サッカー雑感
 もうサッカーは終わった。
 この件に関しては、日本人は何とも思っていない、というより、本来サッカーは日本人にとって国民的行事ではない。国威発揚の場でも、道具でも、なんでもないのである。現に私は、昼間はアメ横で買い物(中国人もたくさんいる)、夜は妻とともに映画館で「キング・アーサー」の世界に浸っていたわけで、上野も銀座も有楽町も、どこもいっぱいの人出だったが、だれひとり「抗中!」などと叫んではいなかった。
 そもそもサッカー以外にも、日々を働き暮らす庶民にとって、やることは山ほどあるのだ。一つのことだけに血道を上げる国民は、まだまだ社会的政治的に未成熟だと思うのみだ。
 それにしても、昔の「人民」中国は、けっしてそんなことはなかったのだが。国家精神が卑屈になったものだ。

 中国がここまで馬鹿げた反日風潮に囚われたのは、一にも二にも、アメリカシンパの江沢民のせいだ。
 経済開放、つまり資本主義化の結果、共産党の政権独裁体制が揺らぐことを恐れた江沢民は、愛国運動すなわち反日運動キャンペーンを打って、国民の怒りや不満の矛先を逸らし、日本へて向けたわけだ。
 政治家として最低の手法だったのみならず、アメリカの手先になってしまったのであった。
 一方、中国国民は中国国民で、経済開放により生じたエネルギーの噴出場所を求めていたこともまた確かだ。
 そしてそのエネルギーは、もしもプラスに動けば中国経済を飛躍させるが、逆に社会の格差や不平等感の増大と結合すれば、行きどころのない不平不満の感情という、マイナスの奔流を生むことになる。
 とにかく不平不満をどこかへぶつけたい、憎むために憎みたい、ぶつくさ言うためにぶつくさ言いたい、そうした感情の捌け口として、最も新しい中国侵略の歴史を持つ日本は、まさに恰好の対象となった。
 そう、イギリスでもフランスでもドイツでもロシアでもない、同じ黄色人種、同文同種、そのくせ近代化にいち早く成功して中華世界秩序に後足で砂をかけた(と中国人は思ったであろう)、妬むべき憎むべき「小日本」なのだ。
 中国人の感情の奥底にはつねにこのルサンチマンが眠っていて、機会を得れば飛び出してくるのである。

 しかしながら、日中がいがみ合うことは、結局はアメリカを利するだけだ。そしてその策略にまんまと乗っている中国の庶民は、まことに気の毒ながら夜郎自大と言う外ない。
 自分たちが気づいて成熟するか、それとも未熟なままアメリカの策略に落ちて自滅するか、そこはそれこそ中国人の「民族自決」だろう。
No.153


2004年8月11日(水) ☆新選組! 第三十一回
☆新選組! 第三十一回
 今回敷石を撓めたのは山南。
 京と江戸との場面転換はそれほど混乱もなくスムースに観られた。ただしほとんど顔のアップばかりだったのは伊勢田演出の特徴だったろうか。
 
 土方と山南の葛藤。自分の尺度でしか相手を見られない(それは自分にもある程度わかっていてかれの引け目となる)、というか相手は皆自分と同等同様だとかれなりに好意的に捉える、そうした山南の限界がしだいにあらわになる。沖田ですら土方のことをナイーブに理解し、また源さんは苦労人として土方の苦悩を洞察できるのに(「心中お察しいたします」)、インテリ山南にはそれができないのだ。そうかといって近藤は山南には遠慮があって、平助や沖田に対するようにはフォローをしてくれない。
 そのあたりを、山南はかつての同門の竜馬に鋭く突かれる。「お前んのような秀才が新選組にいて何になる」「抜けない刀は木刀と同じだ」刀を遣う腕は持っていても斬れない山南。新選組は山南の考え/理想とは別の力学で、かれにはあまりに粗野に見える姿で動き始めている/いく。自分の居場所は他にあるのではないか……?。しかしこの竜馬の示唆が、山南の悲劇を招来するのだ。
 それはまた、明里天神との会話にもあらわれる。「悲惨な話なのになぜ明るいのか」とインテリ特有の愚かな質問をする山南に、「賢かったらこうはいかない、とっくに首を括っている」と答える明里。賢い秀才の山南は、人生学校新選組では生きられないのだ。
 じつは市井の苦労人である土方は、そんな山南のことは、とうからお見通しだ。土方は、山南が沖田に語ったように「近藤のため」だけには、けっして生きていない。かれがしばしばいう「新選組のため」「時代に乗る」とは、むしろ御一新後の市民社会の実現を夢見ているのだ。武士でもなく町人でもなく百姓でもない、ネーションステートのネーション、ピープル、つまり国民、人民だ。かれがいち早く断髪洋装にするところもそれを語って余りある。厳しい陣中諸法度も、あらゆる階層の人間を統一的にコントロールせねばならない近代軍隊の軍法会議では、そして近代市民法治社会では、むしろ当然のことと受けとめることも可能なのだ。
 だから土方の心中を代弁すると、下のようになるだろう。
「山南さんよ、なぜ分かってくれない……。あんたがやりたいことが実現できる、その舞台を俺は下ごしらえしてやってるんじゃないか……」
 それがわからずに勝手な理想論的善意で(たとえ「なだめる」ためとはいえ結果的には裏で)動くから犠牲者が出る。
「奴を殺したのは俺とお前だ」

 今回のドラマから私が汲み取った三谷脚本の意図は、大略以上のようなものだった。
 三谷幸喜は、山南にも土方にもなったことがあったのだろう。
 
 後は羅列。
 明里役の鈴木砂羽は芸達者。通説とは正反対のこうした人物像(山だし、無教養、賢明)に仕立てたのは、山南を際立たせるためにはじつに的確で、三谷脚本のいいところだ。
 松本良順初登場。実物によく似せてある。声がいい(by妻)。
 伊東甲子太郎は結局このドラマの中では腹黒。平助は複雑。
 「婦女子には見せられん」という竜馬のセリフは、「みなさんの感想や考察を見てますよ」という、三谷幸喜からの腐女子へのサービスだろう。
 左之助、島田、ひで、それぞれに面白い。他にも盛り沢山で、出ていないのは桂くらいのもの。
 最後に、山南が背中を見せて座っている場面で、子母澤寛が書いているところの例の有名な、ほつれた着物の袂からボロ綿を引っ張り出しているシーンが観られるか、と一瞬期待したのだが、ダメだった。あのシーン、いつかは絵に描きたいと思っているのだが……。
No.154


2004年8月11日(水) パスポート、デンキブラン、ボルボ、WEB拍手
☆パスポート更新
 パスポートの更新ができたので、都庁へ取りに行く。このごろは以前に較べて、だいぶん面倒くさくなくなったが、とにかくこうしたお役所の手続きというのはいやなものだ。50年くらいたてば、生まれたての赤ん坊の手首かどこかにナノコンピュータかなにかをぽちっと産め込み、それが世界共通のIDになるような時代が来るに違いない。と、映画「ローガンズ・ラン(2300年未来への旅)」のようなことを考えた。

☆デンキブラン
 パスポート取得の後、マイシティ7Fで沖縄料理ランチを食べる。もちろん本場の定食とはだいぶん違って自動的に赤飯がついていたり汁粉がでてきたりすることはないが、それでも量も味もまあ満足できる。豆腐が本場沖縄物、つまり中国のと同様なので嬉しい。留学時代に慣れ親しんだ味なので。
 それから買物のため銀座わしたショップ、そして浅草仲見世に足を伸ばす。
 HPに緊急速報で掲げたが、島唄ユニット・シーサーズがこの9月、ハワイへ遠征をして公演する。ハワイでは去年からこの季節に「世界ウチナーンチュ(沖縄系移民の子孫の人々)フェスティバル」が開催され、ワイキキのメインストリートであるカラカウア大通りではパレード、そしてカピオラニ公園ではコンサートが開かれる。
 シーサーズはそれに本年初めて参加するのだが、そのために奔走したピキ氏とそのゼミの学生が沖縄踊りを披露し、ピキ氏に指嗾された私の本務校の学生も、フェスティバルのなにがしかの手伝いをする。そして私もそれに少々関わっていて、そのための買物をしに行ったのである。
 首尾よく買物は済み、喉が乾いたので神谷バーに入り、ビールとデンキブランを飲む。
 当然、頭痛。帰りの地下鉄の中で眠り、帰宅してから眠り、夜の11時、ようやく起きて頭痛に悩まされながらこれを書いているところだ。

☆ボルボ戻る
 オイル焼けと思われる白煙騒ぎでガレージ入りしていたボルボ戻る。結局原因は特定されず。ターボ関連のパッキングが傷み、オイルが排気管まで回るらしい。頻繁に乗ってエンジンを回してオイルを完全燃焼させるしかないらしい。少なくとも現在のところ、白煙は出るのが治まっているようだ。結局オイル交換だけで済んだのでなんとか助かる。僕思うに、発電機トラブルの後、レッカーで牽いた振動が災いしたのか。

☆WEB拍手
「新選組!」第三十一回感想にコメントあり。
 どれも鋭く厳しい指摘で反省材料。どの指摘にも応えられるようにしたいという見果てぬ夢。斎藤はここのところ、よう分からんのです。これは三谷幸喜と私の人生経験の差かも、と思っている。


No.155


2004年8月12日(木) 女子サッカー、新選組! BBS
☆女子サッカー金星
「ヤパーナーズ、ヤパーナーズ、ヤパーナーズ!」の再現。基本的に新世代の女性は前向きだ。

☆新選組! BBS
 新しい書き込みがあった。第三十一回の土方と山南は難しいのだ。しかも視聴者(というかこの劇の観客)はそれぞれのキャラに思い入れを投影しているし。私もまた一山南ファンとして、「ああ、こういう動かし方をしてしまうのだな」と思いながら観ている。しかしその一方で三谷幸喜の作劇を楽しんでもいるので、これもまた多くの視聴者と同様だろう。
 そこでその書き込みに対するご返事を、第三十一回感想を補足する意味でも書いておこう。
*********
Date: 2004/08/12/16:57:44 hokaさんの書き込みに対する返事
 お書き込みありがとうございます。
「新選組!」は観る人にさまざまなことを考えさせる点で深いものを持っていると、私は思うのです。
 まず私の感想は、「新選組!」のドラマの中での土方の役どころについてのものであるということを忘れないでください。つまり、あくまで三谷幸喜の作った土方像についての推測と考察であることを。それはまた、山南についても同じことです。
 恐らくこうした人物類型は、どこの組織にも必ずあるし、またそうした体験を、主体としても客体としても味わっている人も多いことでしょう。現に私には、山南の立場と苦衷は、ひとごととは思われません。
 そう考えると、建白書提出をドラマの中で山南が建議したことになっているのは作劇法としてまことに正当で、かれ以外にはその役どころを任せられないのです(ちなみに、「勝手な理想論的善意」というのは、もちろん土方側に立ってかれの心理を代弁したらこうなるということです)。
 とはいえ、いったんこうした力学が動き始めると、抑止力はほとんど有効たり得ません。ナチ・ドイツのヒトラーに対するハンフシュテンゲル、あるいはヘスのような例を考えても分かります。カタストロフまで行くしかないのです。
 三谷幸喜の脚本、だから深いし、かれの教養と人生経験に裏打ちされていると思うのです。
 土方の身内独裁政治手法のご指摘、まことにごもっともです。まさにその類型です。
 ただしここに、もうひとつ別の土方像が残っています。それが「水の北、山の南……」の土方です。脚本家としてはそれも入れて、なおひとひねり加えねばなりません。また、絶望の中に托す希望というものもあるはずです。つまりカタルシスですが、そこらへんが三十三回であらわになるのではないか、と、ごく演劇的に思っているのです。したがって、山南についても、当然、もうひとひねりあることでしょう。
 そしてここから先は、そうした三谷が自分の人生経験に基いて作り上げたと思しき劇中の土方・山南像に則ってふくらんだ私の希望的妄想ですが、おそらく土方は、山南のことを、すでに新選組の向うに、かなたに置いている(山南を新選組の指揮系統に入れないのは、だから当然だ)。
 土方は、そして土方の作り上げた新選組は、新しい時代に向けて真っ先駆けて突撃し、その累々たる死屍のかなたに、山南がその善意と理想と才能とを発揮できる世界が立ちあがる。山南よ、だからそれまで待ってくれ。お前は、俺たちのしかばねが作った道の上を歩め……。
 これは、60年安保のさいに、某大学の人が東大の人を後衛に置いて皇居に突っ込んでいったときの覚悟だと、聞いた記憶があります。
 海援隊、奇兵隊、赤報隊、そしてさまざまな士族の乱に身を捧げたうちの、少なくとも一部の人たちにも、そんなところはあったのではないでしょうか。そして三谷幸喜は、そのあたりまで見据えているのではないでしょうか。

 私は、今回の山南と土方の振付けの仕方に、そうしたところを感じたのです。そしてまた、多少の希望とカタルシスも忘れず実現して欲しいな、とも期待しているのです。
*********
No.156


2004年8月14日(土) 横浜、野毛山動物園
 夜テレビを点けたら、「スターシップ・トルーパーズ」をやっていた。お気楽な能天気映画。分かっていてキッチュをやるあざとさがいいのだ。

☆横浜散歩
 昼前から思い立って、横浜へ行く。野毛山動物園が目標。
 渋谷から東横線特急に乗れば、横浜は本当に近くなった。多摩川を渡ると、もはや相模湾の領域に入るらしく、日の光が一段と明るくなる。
 横浜で京浜急行に乗り換えて日の出町で下車。暑い中、坂道を登りきると、そこが野毛山動物園。
 妻のお目当ては、「なかよし広場」のヒヨコ。野毛山動物園は起伏の多い丘陵にあり、入口のところから少し下がったところに「なかよし広場」はあり、途中からもう子供たちの歓声と、ピヨピヨうるさい声が聞こえてくる。
 広場には自由にさわって遊べる動物が何種類かいて、今日はモルモット、マウス、ヒヨコ、チャボあたり。
 広場の区画に入った妻は、物も言わずまっしぐらにヒヨコたちのもとへ行き、やにわに手づかみ。以前行こうとしてSARS騒ぎで叶わず、それ以来、ずっとヒヨコにさわりたかったのだ。
 手の中に乗せて撫でると、たちまちぐったり……というのはウソで、気持よさそうに目を閉じて首を伸ばし、すぐに寝入ってしまう。朝から子供たちに握られさわられてへとへとなのだろう。そう考えれば可哀相である。ともあれ、こちらを全面的に信頼している様子がうかがえ、ときどき目を開けては服や手をちょっちょっとつついたりする様子もまた可愛らしい。
 二羽か三羽、とっかえひっかえしばらく手に乗せて堪能したらしく、あとはマウスもつかんだし、モルモットの毛もブラッシングして、「なかよし広場」を出る。
 野毛山動物園は、学芸員がなかなか努力しているらしく、人に対してもまた動物に対しても環境清潔で、また広報も怠らずに教育的に整備されているようだ。キリン、ラクダ、ライオン、トラ、シマウマ、ダチョウ、その他珍しい猿や鳥も何種類もいて、それで入園料無料なのだから、少なくともこの点に関しては中田市長を評価できるだろう。大人も子供も楽しめる印象だ。少なくとも妻は大満足したようだった。面白かったのは、あの大きく恐ろしげなコンドルが、金網の向うからけっこうこちらにお愛想をしたことで(くちばしで何度も軽く金網を噛んで親愛の挨拶をする、文鳥と同じ仕草)、やはり鳥好きのことは分かるのかも知れないと思った。
 動物園を出た後は長い散歩となり、中華街に出て雑踏の中、そぞろ歩きを楽しむ。どの店も有卦に入り、反日サッカー騒ぎなどどこ吹く風の中国人気。日本国庶民の意識の気楽さ、あるいは余裕か成熟か。
 妻は幾許かの食材を購入、私は物産の店を覗く。いまどき毛沢東のポスターを喜んで買っている、いささか興奮気味の軽佻浮薄な東洋史専攻学生?/三国志および中国史オタク? を目撃。やれやれ。
 われわれは最後に関帝廟に詣で、それからみなとみらい線〜東横線のルートで戻ってきた。
No.157


2004年8月15日(日) 新選組! 第三十二回
☆「新選組!」第三十二回
 今回は時間の経つのが早く感じられた。つまり面白かったということだろう。とはいえ悲しい音楽ばかり、ドラマもまた来週の結末が分かっているだけに悲しい。
 思うに、「新選組!」は、一年では足りない。二年あればじっくり伏線と説明とドラマを描ききって、玄人だけではない老若男女の視聴者にも、その味わい深さを十分に堪能させることができると思われる。
 
 高台寺党集結。平助はこのときまだ江戸にいるわけだ。それから、大久保大和を見破った人間、加納鷲雄を忘れないようにしておかねばならない。
 この劇の中では、伊東甲子太郎はほんとうに腹黒く描いてある。しかし伊東の出番はこのあとまだ10回以上あるらしいから、近藤に接する人間はかならず浄化されるという当ドラマのパターンにしたがって、今後、甲子太郎のイメージも、どんどん変わっていくと思う。谷原章介というあれだけの美形をそのままに終わらせるはずはなく、山南なきあとのその部分を埋めるのは、間違いなく伊東のはずだからだ。
 その伊東は、山南をはじめから呑んでかかっているようだ。つまり、三谷脚本では、山南が伊東の尊攘思想に共鳴したという設定にはしないわけだ。ということは、伊東が山南の切腹を悼んで詠んだ詩もまた取り上げないのだろう。

 西本願寺移転の件で伊東に言い負かされた山南は、知識人としても居場所を奪われる(「山南は雄弁であるが詰めが甘い、沈着を装ってはいるが案外情に動かされる」)。いっそのこと、武田観柳斎くらいの道化者であればよいのだが、そんなわけにはとうてい行かない(ちなみに、観柳斎はここまでのところひどく嫌みでもおべっか遣いでもないが、どのような死に方をさせるつもりなのか、あるいはもう殺さないで済ますのか)。先日、ともにやろうと勧められたことにほのかな期待を寄せて訪ねた寺田屋の竜馬はこの間とは打って変わり、海軍操練所閉鎖の知らせに絶望しきっていて(「こんな国滅んだらええがじゃ」)、相変わらず頭でしかものの言えない山南を力づけるどころの話ではない。
 水溜りに自分の顔を映し、石を蹴り込んでその顔を崩す山南。竜馬に引きずられ、清河に引きずられ、近藤たちすべての運命を変える役割を担い、その責任を感じながら、ついに無力に置いていかれる山南。かれにはもはや、崩れた自分を一度作り変えるしかないのだ。
 山南を高く買っている土方(「今は山南が頼りだ、理屈で伊東と勝負できるのは山南しかいない」)は、そんなことは百も承知で、「あんたの進むべき道は俺が知ってる」からとにかくついて来い、と山南に言うのだが、いかんせん土方はカウンセラーではないので、そんな高飛車な口調では山南を癒し導くことはできない。

 人は自分と同種同等の能力を持つと、どうしても考えてしまう山南。じつはこの考え方は人に対する優しい思いやりがあるようでいて、どうして自己中心的なのだ。ところが土方は、山南とは別種の、だからこそ同等の能力を持っているのだ。そこがなかなか分からない山南は、土方が自分と同じように考え振舞わないことに納得がいかず、不本意に感じる。
 そしてそれとまったく同様の過ちを、山南は明里に対しても犯しているらしい。明里が自分と同様に日本史を理解しないと怒ってかの女のいじらしい(「センセと話がしたいから……」)努力を認めず、怒ったのは虫の居所が悪かったからだと弁解して「ウチに関わりないやないの」と理の当然の反撃を食らう。そして自分がからんだ罪滅ぼしに「欲しいものは?」「いまいちばんしたいことは?」とまた的外れな質問をして、「なんでそういうむつかしいことばっかり聞くんやろ」と、これまた図星をさされる。抽象的なことではなくて、いまこの場をどう生きるかだ。明里にとってみれば、いま山南といることが生きることなのだ。

 自分の心しかわからぬ山南、しかし優しい感受性を持つ山南が、人の心に報いるためには、どうしたらよいのか。かれは心を決める。自分の役割を見つけたのだ。「近藤さん、己の信ずるところにしたがって生きてください」これは山南の遺言だ。しかしついさっき佐々木只三郎に「私は私の信ずるところにしたがって生きてきた」と言ったばかりの近藤は、なぜ山南がいまさら同じ事を言うのか分からない。
 ところが山南の脱走が発覚した朝、「脱走すればどういうことになるのか、あの人だって……」ここではじめて近藤は気づく。「あの人」もまた自分の信ずるところに従おうとしている。すなわち山南は、今生の別れを告げていたのだと。
 左之助と永倉の協力を仰ぎ(同時に別れも告げて)、沖田にも告別し、山南は屯所を出る。斎藤も、もはや死を覚悟した人間を止めることはしない(「俺は人のことには関心は無い」)。
 あとは試衛館時代の仲間でケリをつけるのだ。

 山南は私に重なるところがある、と思うので、上記は自己反省も兼ねた思い入れの文章なのだ。まとまりがなくなったのはそのためで、どうか御寛恕いただきたい。
 
 あとはいつものように羅列。
 ◇近藤はいつも迷ってばかり。佐幕の立場にもこのところ迷いがあるようだ。金が無ければ動かぬ松平上総介のような旗本連中、気骨はあるが頑迷な佐々木只三郎のようなエリート旗本、そうした幕府を助けても、真に報国攘夷ができるのか。とはいえ竜馬と同じ道は歩めず、今回あたりで竜馬ははっきり倒幕へと傾斜するのだろう。
 ◇時勢の解説役は、今回は竜馬と良順。松本良順はクールでいい。いつに変わらぬ欧米のやり口を、適切に語ってくれた。
 ◇沖田は人間関係の解説役。若さゆえのナイーブさで、それができる。素早い突き、下がり気味の剣先など、天然理心流ネタも、たっぷり入っていた。
 ◇捨助の新しい仇名「天狗」は、「鞍馬天狗」のパロディか?
 ◇西郷はああして本心を見せないわけだ。
 ◇鈴木砂羽の明里はじつに達者。
 ◇佐之助・永倉がかろうじて救いではあったか。
No.158


2004年8月15日(日) 終戦記念日
 第59回目の終戦記念日。もちろん敗戦の日なわけだ。
 夜のNHKスペシャルは、ちょうど先日見学したばかりの「昭和館」のこと。昭和館に思い出の品々を寄贈した、当時「小国民」だった高齢者たちのそれぞれのケースを追った番組。とくに、自分が疎開している間に東京大空襲で深川に住んでいた家族が全滅し、父親は戦死したある婦人の場合は、ことばでは言い表せない。この婦人は最近、供養のための墓を建立し、そこにかつて自宅があった場所から拾ってきた小石とともに埋葬すべく、無くなった家族に見立てた小さな地蔵を紙粘土で拵え彩色して作ったのだが、その顔といいかたちといい、とても涙なしには見られなかった。造形などというものではない、表現などということばで語れるものでももちろんない、人間はこういうものを作れるのか、作るのか、としか言いようがない。そしてそんなときは、それはもう、昔からぜったいに地蔵でなければならないのだ。
 正午、もちろん黙祷した。そしてニュースを観て、もうそろそろ靖国参拝を踏絵のようにするのは止めたらどうかと思った。戦中は右が哀しみの表出を妨げ、戦後は左が妨げた。どちらも不健全だ。
 だがその一方で、雨天にも関わらず今年もたぶんそうだったのだろうと思うが、8月15日の靖国の、コスプレ自己満足者たちのあの狂態がなくならない限り、ごく当たり前の人間がごく当たり前に戦没者を悼むなどということは、けっしてあの場所においてはできないということも、また確かだろう。
No.159


2004年8月17日(火) 五兵衛新田探訪
☆五兵衛新田探訪
 台風の影響で、蒸して気持の悪い午前中。午後になってやや気分が持ち直したので、買物がてら、妻とともに新選組探訪に出発。
 今日は、敗軍の近藤勇たちが集結した、綾瀬の五兵衛新田を訪ねる。
 修理の済んだボルボはなんとか快調。やはりレッカーで牽かれるさいに傾けられて、マフラーの方にオイルが回って溜まったのだと、素人なりに推測する。

 首都高速6号線の小菅出口で降りて北上し、常磐線綾瀬駅の方へ向うと、今は首都高が覆い被さる綾瀬川の河岸から程ないところに、かつての五兵衛新田の地はある。現在では小さい家並が建て込んでしまっているが、幕末当時はさぞ平坦な、見晴らしのよい明るい地であったことと思われる。
 目的地の近くまで行くと、ここにも誠の旗がひるがえり、新選組ゆかりの地であることを主張している。
 近くの閑静な一角にある蛭沼公園(凄い名前で、新田開発以前のこのあたりがどんな地であったかを物語っているようだ)の脇に車を止め、綾瀬川に沿って歩いて少し南下すると、近藤はじめ甲陽鎮撫隊残党がわずか19日のあいだ屯所とした、豪農金子家の屋敷がある。
 今も大変な豪邸で、恐るべき門構え。廻りの土地は細分したと思われるが、周囲には金子の姓を持つ家も多いし、現在でも当地の大一族、大地主、お大尽様であることには疑いない。新五兵衛橋へ通じる道を挟んだ南側には「金五自工」と看板を出した自動車修理工場があり、そこも裏へ回るとやっぱり金子姓で、これも大したお屋敷だ。それにそもそも「金五」とは、ここ五兵衛新田開拓の祖である金子五兵衛の苗字と名から、それぞれ一字ずつ取って名付けたものなのだろう。また、下に触れる稲荷神社に建てられている巨大な慰霊碑は、「支那事変と大東亜戦」における当地出身の戦没者を追悼するものであり、裏側の戦死者名を見ると、ここにも何人もの金子姓の人がいて、地域有力者一族といえども少なからぬ犠牲を払っていることが窺われた。
 ちなみにそのすぐ近くにある鰻屋には「綾瀬新選組研究会」の大きな看板が出ており、きっと地元の有志が毎晩集まっては一杯やりながら、地域振興について語り合うのだろうと思われる。
 それからさらにその南に、五兵衛新田鎮守の氏神となった稲荷神社と、金子家菩提寺である稲荷山観音寺があり、金子五兵衛の墓である五輪塔がある(たぶんそうだろうと思しき磨り減った五輪塔にお参りした)。この観音寺にも近藤たちとともに幕軍残党が分宿したわけで、もちろん当時は、金子屋敷と合わせてこの一帯に広大な敷地が広がっていたからこそ可能となったものだろう。また、
 いうならばこれは、イギリスにおけるジェントリー、またフランスのブルターニュなどにあるジャンティヨムのマンスィオンに相当するもので、それにつけても、こうした豪農層がジェントリー階級に成長せず、十分な政治的発言力と権力とを持つまでに成熟しなかったことが、日本国政治経済を健全に発展させなかったという点で、返す返すも悔やまれる。やっぱり、イギリスのように七つの海に植民地を持たないと、所詮は叶わぬ夢なのか。
 ついでながら、金子邸の隣(要するに旧敷地)にも綾瀬駅の北にも、「シャンブル」という名のついたマンションが建っていて、恐らくは豪邸の持ち主たる金子様が地主兼大家であるのだが、この「シャンブル」が "Shanbulu" とベタなローマ字綴りであることには驚愕した(しかも日本式でもヘボン式でも、ローマ字ならば "l"は "r" だし、フランス語でも "chambre/chambres" だ)。

 ところでこの金子邸門前の足立区教育委員会建立の立札によれば、この地に滞在した近藤勇は新政府軍が迫ったのを知って、あえて流山に移動することで綾瀬一帯を戦火から救ったということになっているが、これは流山を戦火から救うためにあえて降伏したというその地の近藤説話とある意味で同工異曲であって、いずれにせよ近藤勇は、こうして地域守護神としての伝説化の道を歩んでいくことになるのだろう。
 そしてそれは、ごく自然なことなのだ。

 さて近藤勇率いる旧幕軍残党は、ここから江戸川を渡って松戸に出て北上し、流山へと向ったわけだが、当方は亀有から松戸〜鎌ヶ谷〜白井と道を取り、早くも梨もぎ観光と出荷とに忙しい梨園農家を沿線の両側に眺めながらドライブして、今日の目的地、千葉ニュータウンのジョイフル本田で日用品を買い込んだ。そして最後はお台場に出て、Decksの香港小吃城で食事をして帰宅したのだった。
No.160


2004年8月18日(水) 山梨往復
 秋に行くことになっている調査の打ち合わせのため、山梨のリルケ氏の大学へ行く。朝早く家を出て、甲府市内の大学まで2時間。早かった方だろう。途中休憩した初狩PA売店でも新選組グッズを売っており、メニューにも「新選そば」というものがあって苦笑。たしかにこのあたり、甲陽鎮撫隊の舞台だ。
 打ち合わせ終了後、市内に出て軽く蕎麦を食べ、リルケ氏の案内で、信玄堤の見学。当時の人にとって、釜無川は大河だったろう。しかしそれにつけても、紀元前の四川の都江堰水利工事のスケールの大きさを、あらためて考えた。
 それから登美の丘サントリーワイナリーへ行く。ワインセラーなど見学のあと、味見(嘗めるだけ、車なので)。味の甘ったるいのに驚愕。赤は加えて、コクも渋みもない。日本料理に合うと称しているようだが、バブル以来、日本人もワインの味は覚えたわけで、こんなものをテイストコーナーで出していたら、サントリーの沽券に関わると思う。現に隣で試飲していたおじさんは、白の次に「赤はいかがですか」と聞かれたが、即座に「もういい」と断っていた。
 ワイナリーは甲府盆地北の高台にあり、よく晴れて暑く、景色と空気を満喫する。
 その後、大泉のリルケ氏の家まで行き、夕食を呼ばれて、夜10時過ぎに辞す。
 帰りは一般道、つまり甲州街道で戻ることにする。笹子トンネルの手前あたりは甲陽鎮撫隊激戦の地、また街道に今も面影を残すいくつもの宿場町はかれらが通り、あるいは泊まった場所、さらに大垂水峠から降りて高尾から八王子へ入る手前の千人町、みな新選組に関わりがあってゆかしく思いながら家路を辿った。
 渋滞もなく、夜で涼しく順調に走れて、午前2時帰着。
No.161


2004年8月24日(火) ☆「新選組!」第三十三回
2004年8月22日(日)

 ようやく書けた。まとめ方に失敗して、長くなりすぎたと思う。

☆「新選組!」第三十三回
 山南追悼。NHKもスポットで、「もう、あの笑顔に会えない……」とか、便乗宣伝をやっていたな。山南にあれだけ人気が出ると、はたしてスタッフが予想していたかどうか。
 今回は三谷幸喜、役者、スタッフ入神の一回だろう。じつに哀れだった。共に観ていた妻も母も泣いた。堺雅人、鈴木砂羽、山本耕史の三人を他の出演者が過不足なく支えて、見事な出来だった。まったく、これでなんで視聴率が伸びないのか、理解に苦しむところだ。
 観終った後で、妻が一言「〈ソクラテスの死〉ね」と。確かにそのとおりだ。このごろ、妻に一本どころか、二本も三本も取られている。

 明里がぐずぐずしなかったら山南は逃げおおせたか、と考えるのは無意味だろう。いずれにせよ山南はそれによる遅延を受け入れるわけだし、所詮は天命であるという設定だ。それに、どのみち明里はもう、身請けして助けてある(まあこのあたりも山南の独善、と悪く言えないこともないが、それをも明里は許すのだ)。
 ところで前回、明里が「富士山が見たい」と言うわけだが、この「富士山」に何か象徴的な意味があるのかないのか、どうも引っ掛かっていた。三谷幸喜がそこまで調べて/知っていて使っているのか否かは分からないが、江戸時代、富士山には富士信仰があり、それはどうやら弥勒信仰と結びついていたらしく、そうすると富士山→弥勒の世→来世(あの世)という連想が成り立つ。
 他方、もっと簡単に考えると、富士=不死で、永遠の命としては死なない、という暗喩も成り立つ。
 はたして今回、山南は明里に、「必ず戻る」とか「必ず行く」とか「また会おう」とか、そうした内容のことばかり(けっしてその場しのぎの気休めというのではなく)言う。明里にもまた、「後ろの方からついて行く」という科白があり、明らかに死出の旅、しかし来世で必ず結ばれ救われるということを暗示している。
 つまり、この劇における山南(と明里)は、現象的には姿を消すが、かれらの存在意義はドラマのテーマ本流に流れ込み、また視聴者の追憶中に、つねに生き続けるのだ。これは演劇なのだから。
 ちなみに、山南が「あれは水仙です」というその水仙の花言葉は、当然「自己愛」「愛をもう一度」「報われぬ愛」などで、まさに自己の世界で完結している人間像としての山南を象徴する(「(新選組は)私の手の届かないところに行ってしまった」「私の居るべき場所はない」)。その一方で、「なにを見ても菜の花に見える」と明里が言う、その菜の花の花言葉は、「快活」「大らか」「豊かさ」で、これもまたドラマの中の明里のキャラクターにふさわしい。
 そう、かならず菜の花とともに、春は来るのだ。たとえそれが、この世のことでなくとも。三谷脚本と堺雅人の名演によって、これだけキャラクターが成長して人口にも膾炙し、永遠の命を得たということで、黄泉の山南も、以て瞑すべきではなかろうか。

 それはともかく、話をドラマ本筋に戻せば、自らを時代の祭壇の犠牲に捧げて新選組を(それが実現されてもされ得なくても)再生させんとする山南の決意は、もはや固い。大津での沖田の説得にも(「みんな疲れてますよ」というのは、山南の言わんとする文脈とは微妙にずれているわけで、このあたり沖田の人生経験の浅さを際立たせて巧みだ)耳を貸さず、結局沖田は「お湯入ってきます」という形で諦めさせられる。このあたりの運びも、じつにうまい。
 そうして山南は、近藤から「あなたの気持に耳を傾けることができなかった自分を恥じ入るばかり」ということばを引き出していささかの慰藉を得つつ、近藤がわざと障子を開けるのを再び閉めて(助命へのチャンスを自ら閉ざすということの表現)、命に汲々とせずに誠の心を貫くという態度を示す。
 逃亡を勧める永倉と原田に対しても同様に障子を閉め、それから新選組の行末を正す/糾す役割を、永倉と原田に託す(「これからの新選組は御両人にかかっている」「近藤さんを見届けてやってほしい」)。だがこれはまた、そのことが実現されない結末をすでに視聴者としては知っているだけに、いっそうつらくなるという仕掛けにもなっているわけだ。ここの画面(原田永倉遠景、正面アップに山南の二等辺三角形の構図)も、なかなかうまい。
 土方も密かにチャンスを作り、源さんもまた食事の給仕にかこつけて密かに逃亡を示唆する(握り飯)が、もちろん山南は応じない。

 なぜ山南は、自分の命を犠牲に差し出そうと思うのか。
 それはかれが、脱走ということ以上に、自らに責があると深く感じているからではないか(「私は罰せられるべき人間です」)。
 では、なぜかれは罰せられるべきなのか。これは私見だが、まず近藤はじめ試衛館一統をこうした幕末無間地獄へと引き込んだそもそものきっかけを作ったその咎め、それから新選組が血腥い道筋に進むのを引き戻せなかったその咎めを感じて、山南は自らを「罰せらるべき」と規定したのではないか。
 もちろんこれは山南ただひとりの思い、つまり一人相撲で、だから落とし前もまた、自分でつけねばならないと、かれは考える。とはいえ、そのさい援助を頼もうとする対象は、試衛館一統に限らず水戸派に限らず、かれらが最もいとおしくいじらしく思うナイーブな沖田なのであって(だからこそ恨みを抱かず介錯を受けられる)、それで沖田は、「私の好きな人はみんな私の刀で死んでいく」と運命をかこつ。だがじつはそれは逆で、みんなの方が沖田を好きなのだから、こればかりはどうにも仕様がないのである。

 こうしていよいよ運命も定まった山南のもとへ、明里が訪れる。ここは二段構えで、哀れさがいや増す。天真爛漫な明里の様子を見ながら近藤は、山南にもこのような一面があり、ようやく幸せが訪れかけたのに……と思うと居たたまれなくなって自室に戻り、惑乱する。元来の台本ではこの場面の直前に、山南による明里の身請けを近藤が知るというシークェンスがあったようだが、カットしても十分に問題なく、かえってそうした説明の挿入によって流れの緊張感が削がれなくてよかったかもしれない。
 それから、すでに着替えを済ませた山南がひとり刻限を待つ部屋の格子窓を、ふたたび明里が叩く。これが有名なシーン。もちろん三谷幸喜が、通説のまま、ありきたりの湿っぽい別れをさせるはずがない。それでは何のために別れを二段構えにしたのか、必然性がわからなくなってしまう。
 したがって、ここでも明里は天真爛漫のまま振舞い、菜の花を山南に示す。これが再生のメタファーであることは、すでに上に述べた。
 スローモーションで万感を込めて、山南が障子を閉める(これで三度目だが、今度ばかりは「遮断」ではない)その後に、涙のシーンが待っている。
「ウチはそれほどアホやない」(切腹することは察したが、そのことであえて山南を悲しませないために明るく元気に振舞った)「センセもすっかり信じ込んで、ああ見えて信じ易い人やな」「阿呆や」
 そう、人を信じる山南。それは「誠」の心だ。だがそれは「阿呆」なことでもある。山南はしかし、それを貫いた人間として、このドラマの中で描かれているのである(「人の道に背いたわけではない」by 山崎烝)。三谷の人間観察の、なんと深いことだろう。その類型化の、なんと巧みなことだろう。
「私が腹を切ることで、結束はより固まる。それが、総長である私の、最後の仕事」
 ところがこの後、新選組を待つのは、またもや分裂、そしてただ転落の運命なのだ。
 だから結局、真に人の気持を汲み取っているのは、明里なのである。山南の「誠」も含めて。
 マグダラのマリアに聖別されるソクラテス、ということなのだろう。

 号泣する土方の肩を近藤が抱き寄せる場面は泣かせた。ついに自分の手で、取り返しのつかない時点まで突き進んでしまって、いざそうなったときの喪失感と索漠感は、いくら「避けては通れぬ道」とはいえ、さすがの土方にも想像がつかなかったというわけで、それを優しい土方の部分が後悔する。そうした哀しみを、山本耕史がじつにうまく出していた。あの号泣が、これまでの歩みに対する、すべての別れを告げていた。
 香取慎吾もうまくやったのだが、山本耕史が本当に泣きじゃくっているので霞んでしまう。あそこまでの顔をして泣く俳優は、初めて見た。切腹の検分の場面も含め、みな本気だったのだろう。

 さらば堺山南。

 後は、「新選組!」における甲子太郎について書いておかねばならない。というのも、次回からは油小路に向って伊東・平助ラウンドになるわけで、かれが山南の代わりとしての存在感を作れるか否かが、今後のドラマ作りの勝負になると思われるからだ。
 伊東はたぶん、新選組がこれほど苛烈な面を秘めている集団だとは考えておらず、だから簡単に乗っ取れると高を括っていたに違いない。ところが山南切腹に、いささか度肝を抜かれたわけだ。
 それにしても、あの山南を悼んだ有名な歌を、ああしたシチュエーションで使うとは思わなかった。好意的に考えれば伊東なりの善意と同情の現われということなのだろうが、もちろんあの状況における近藤と土方に通用するはずもない。「あなたになにがわかるというのだ!!!」と近藤に大喝されて、伊東は驚愕に顔を歪めて引き下がる。
 つまり今回の伊東の演出(山南助命提案、山南弔歌)は、これから回を重ねるごとに、かれが腹黒い陰謀家から、じつは根は温かい、もしくは小心者であるのを温厚を装ってカバーする(どちらになるかは未だ私には分からない)、そのような才子肌の人物設定に、少しずつシフトして行く伏線なのではないかと思うのである。
 その過程の中で伊東は、近藤を自分のよき影響下に置こうと、何度か努力を重ねるだろう。だがどこかで何らかの形でついにかれの神経は耐えきれなくなって、近藤と袂を別つのだろう。

 最後に蛇足の羅列。
●八木源之丞は山南と親しかったという説を生かしていた。
●山南が尾形と河合に遺言する場面では、尾形は文学師範となるから当然、河合に金の出入りをきっちりしろと言うのは、後の河合の悲劇を暗示するためのもの。
●武田観柳斎の背丈に関する楽屋落ちギャグは、かれがいつも事件の局外でもったいぶっているだけに可笑しいが、それが今回の悲劇をさらに際立たせる。
●島田は道化役として、あの偉丈夫がおろおろと実直に子供の使いをやるという設定で、これもドラマ全体の哀れさを引き立てる。
●今回の斎藤は、ふたたび新選組の観察者、良心の語り部として登場しているようだ。
●岩木枡屋のシーンは、山南の刀が折れるところも含めてサービス。

 来週は、この山南切腹の余波で竜馬と勇が訣別し、また平助の心も離れはじめる、ということになりそうだ。つねさんは京へ上るのだろうか。
No.162


2004年8月25日(水) 「新選組!」感想サーフィン
 自分の感想を書き終えたところで、ゆるゆるとネットサーフィンに出発。
 まったく、世に「新選組!」の感想を書いている人間がどれほど多いか、まことに茫然とする。これらがすべて、ネットの大海に砂粒のようにばらまかれているのかと思うと、茫洋たる思いだ。
 とくに今日は男性ブログでも相当に取り上げられていることを知って、ますます驚く。
 とはいえ、私は男子の書きっぷりよりは、腐女子版の方が、どうも性に合うみたいだ。
 その理由についてはさまざま分析もできるが、どう書いても必ず語弊が出そうなので、ここでは止めておこう。
 まあ紀貫之みたいなものだ、ということにしておこう(不遜)。

 ああそうそう、それから、ブログというものは、あのスタイル、形式、わけのわからんふにゃふにゃした連繋具合、どれもどうも性に合わないようだ。
 食わず嫌いかもしれないな。
 
No.163




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