ボルボを駆って妻と鹿島神宮へ行き、参拝し、鹿に餌をやった後、鹿島新当流の焼銘の入った赤樫製の素振用木刀を買う。通常の木刀より素晴らしく太く重く、どこか天然理心流の木刀にも繋がるものを思わせる。これで素振りをしようと思う。 地図を見ると判るのだが、銚子、あるいは霞ヶ浦〜現利根川河口のあたりから筑波山に向かって直線を引くと、そのラインには霞ヶ浦や北浦といった内海がまず広がり、それが太平洋に向かって集約されるちょうど袋の首のところを扼するように完璧な三角形を作って、北は鹿島神宮、南は香取神宮、そして中央に息栖神社がそれぞれ頂点に位置していることがわかる。これら三社はたぶん一体となって機能し、宗教的には日出(海)と日没(山)をコントロールして、同時に政治経済的には海と山の物産と交通商業権益とを支配したのだろう。 鹿島の参拝を終えてから、北浦の湖岸沿いに一周する。鄙びた田舎で、北浦の水は澄んで青く光り美しい。 しかし何より驚いたのは、北浦の北岸の町、鉾田へ向かっているときに次第に見えて行った筑波山の姿だ。 夕日が沈む方角にほぼずっと位置しているその山影は、男岳と女岳が屹立して、まるで奈良飛鳥の二上山と見まがうばかりなのだ。 そう、筑波山は、息栖・鹿島・香取地域にとっての「二上山」、あの世とこの世との境であったに違いない。 玉造といい、鉾田といい、古い地名のようだし、この地域にはまだまだ豊かな謎が眠っているのではないだろうか。
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No.128
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