++浅薄日記++


2004年6月の日記


2004年6月2日(水) やっぱり猫が好き殺人事件
☆やっぱり猫が好き殺人事件
 三谷幸喜「やっぱり猫が好き殺人事件」のDVDを買ってきた。
 このセンスとテンポとが、そっくり「新選組!」にスライドしているわけだと、あらためて感じる。
 愚直な突貫女の長女かや乃(もたいまさこ)が近藤、ボケの次女レイ子(室井滋)が山南、ツッコミの三女きみえ(小林聡美)が土方、と考えれば、よくわかるだろう。
 ということは、この三人だけで「新選組!」の芝居は作れてしまうということになる。他の人たちは、状況に応じて出たり引っ込んだりするというだけだ。
 やっぱりシチュエーションドラマの極致ということだ。
 源さん役小林隆がチョイ役で出ていたが、ずいぶん若い。
No.118


2004年6月4日(金) 佐伯又三郎目撃、天安門事件
☆佐伯又三郎目撃
 6月3日の夜、自宅の近くの交差点で大事故発生。帰宅途中に大規模な交通規制が布かれていたので、帰宅後あらためて見物に行くと、交差点附近は交通止めとなって、凄まじい光景を呈している。最初は「ついにテロ発生か?」と思ったほどだった。
 どうやら右折乗用車と直進ダンプが衝突したらしく、乗用車は逆向きになって歩道橋手前の防護体に激突、ダンプはハンドルを切って避けようとしたはずみで歩道橋の丸橋脚に運転台がめり込み、おまけに荷台に積んでいた土が慣性で前にずれ、運転台の上にのしかかっている。路線バスもとばっちりを食ったらしく、前面ガラスの一部が割れて止まっている。
 当事者たちはすでに搬送されたらしいが、いずれ軽傷どころでは済まないに違いない。しかしさらに悲惨なことには、巻き添えになったバイクや自転車が何両かいて、その中の一人の運転者が、突っ込んだダンプの下敷きになったらしいのだ。夜更けの通りには、クレーン車まで含めた消防と警察の車両と人員、それに夜間工事の担当者たちまでもが入り乱れ、私のような野次馬も続々と集まって、騒然としている。
 そんな中に、かすかに大阪弁のアクセントが混じったのを耳ざとくとらえてそちらを見ると、夜間工事の大ぼんぼりの光に照らされて野球帽の下からちらりと覗いた顔は、佐伯又三郎こと松谷賢示ではないか。
 小柄な人だ。ジャンパーにジーンズの気楽な服装。友人と共に、手にはヘルメットを持ち、場所柄から推測するに、どうやら某放送局で録画取りでも終えた帰りにこの事故に出くわしたのだろうかとも思われる。
 場所を変えながら物見高く前に出て状況を見守り、身振り手振りを交えてのべつ幕なしに喋り続ける様子は、「新選組!」中の又三郎のキャラクターそのままである。
「こんどの日曜日に鴨に殺されますよ、気をつけてください」と、よっぽど言いたかった。
 ようやく乗用車も運び去られ、トラックも橋脚から引き剥がされて一段落つくころ、友人と共に現場に手を合せて一礼し去っていった。
 帰宅後のテレビで知ったところによれば、巻き添えになった被害者は、搬送された病院で亡くなったらしい。あるいは又三郎はそれをすでに知っていたのか。
 事故は当事者、巻き添えの人、道路交通遮断で迷惑を被る通行者も含めた周囲の人々に至るまで、大いに悲惨な結果と影響をもたらし及ぼす。くれぐれも自戒せねばと思った。死亡した方の御冥福をお祈りする。(文中敬称略)

☆天安門事件
 6/4天安門事件から、はや15年が経った。昨日のようだと思っていたが、今では遠い過去に思えはじめた。
 あまりに様々なことが、その後生起継起しすぎたのだ。東欧崩壊、湾岸戦争、ソ連消滅、オウム事件、阪神淡路大震災、イラク戦争、9.11……。
 自分の身の上も、茫然とする変化だったし。
 それはそれとして、あのころの私の気分は、
http://www.yukai.jp/~kinunomichi/wasurenu.htm
http://www.yukai.jp/~kinunomichi/prost.htm
あたりを参照していただきたいものだ。
No.119


2004年6月6日(日) 清春白樺美術館のルオーに関する随想
☆清春白樺美術館のルオーに関する随想
 土日、山梨大泉村のリルケ氏の山荘へ行く。遊び兼調査の打ち合わせ。リルケ氏はドクターストップがかかって断酒中。そのためドライ休日となったが、これもまたよし。先日できたばかりの村営温泉に入り、露天風呂から夕暮れの富士山のパノラマを楽しむ。
 日曜日、リルケ氏が車で処処案内。長坂にある「清春白樺美術館」へ行く。
http://www.cello.jp/yamanakako/kiyoharu/
 ここはパンフレットの説明によれば、
「武者小路実篤、志賀直哉など白樺派の作家たちが建設しようとしてその夢を果せなかった《幻の美術館》、武者小路、志賀の両氏を敬愛し、個人的にも親交のあった吉井長三が実現したものです」
とあり、あえて憎まれ口をたたけば、明治大正西欧自然ロマンユートピア派ブルジョワインテリの、あくまで善良なる妄執の場とでもいった感なきにしもあらず。日本人の美術観念の受容嗜好というものは、ミレー、ロダン以後、まったく変化していないのだと、こういうところへ来ると、あらためて思うわけだ。
 ここで私が、個々の努力を貶めているわけでは毛頭ないことを理解してもらわなければ困る。みんな理想と信じたものがあったわけで、それはその時代のコンテクストの中に置けば、一目瞭然だ。
 そしてかれらの審美眼と鑑識眼、そして精神的文明観が、当然ながらきわめて確かだったことは、かれらがルオーを高く買ったことからもわかる。ここに展示されている白樺派に繋がる人々のすぐれた絵画が、同じくここに収集されているルオーの数々の絵の前に立つと、なんと十把ひとからげに見えてしまうというのは、なんとも凄いことだとしか言いようがない。絵の具の塗り重ねの分厚さといい、込められたエネルギーの激しさといい、結局は、食べ物と体力の違いか? と思うほど、その差は絶望的だ。

 ところでルオーは子供の頃から好きな画家なのだが、今回あらためてルオーの絵を見ていて、突如気がついたことがあった。
 それは、ルオーの絵画表現は、中央アジア・シルクロード上の、敦煌だのクチャだのといった古代仏教千仏洞の壁画天人図に、あまりに酷似しているということだ。
 思えばルオーは、カトリックの教会を飾るステンドグラス製造職人の徒弟から身を起こした人で、その技法や表現は、遠くイコンやヘレニズムに遡る。
 一方敦煌やクチャの仏教壁画はスタインやル・コツクの探検以来広く認められているように、アフガニスタンにかつて栄えたクシャーナ朝を介したヘレニズム文化の影響が北伝仏教の形で直接に及んだものであり、じつは両者の文化的ルーツは共通なのである。
 ただし、敦煌の壁画もクチャの壁画も今ではすっかり絵の具が褪色し、筋肉や陰影などの強調表現部だけがありありと残った形となっているわけなのだが、ではそうした骨組の表現だけになった絵とルオーの絵とが酷似しているというのは、いったい何を意味しているのかと問えば、それはルオーの絵というものが、ヘレニズム以来、写本画やイコンを経てルネサンスから古典派に至る西洋絵画の正統表現というものを真正直に受け継ぎつつ、なおかつそれを、伝統的表現の根幹を成すところの骨組要素に解体してから、あらためてかれ自身の考える空間の中に再構成したところのものだ、ということなのである。
 するといったい、どうなるか。
 つまり、19世紀のサロンにおいて「正統派古典主義」と見なされ認められていた、あのエネルギーを失った作品たちよりも、むしろクールベ以後のロマン主義、印象派、表現主義の方が、絵画構成空間への視点の当然の進展と帰結という点においては、はるかに「泰西名画の正統」を継ぐものだ、ということになるのではないだろうか。

 以上、ルオーに関する随想でした。
*なおルオーの絵画とこれらシルクロード壁画との類似については、すでに平山郁夫氏をはじめとする指摘があることを追記しておきます。当然ですよね。しかし私が上に記したような分析はいまだ成されていない、とは考えています。

参考:クチャ、敦煌、ルオーに関するサイトのリファレンス
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/hiten/
http://www4.ocn.ne.jp/~busui/silkroad.htm
http://www.suiha.co.jp/gallery/rouault/8.html
No.121


2004年6月7日(月) 新選組! 第二十二回
☆新選組! 第二十二回
 又三郎退場。長州のスパイでも、悪人でもなく、軽いトリックスターだった。
「芹澤鴨の段」も大詰めに近い。腐女子サイトにもそういう意見があったが、鴨シリーズが少し間延びしすぎているのではないかと、ちらりと思ったりもする。これだけの伏線が、三谷台本の中で、どのように後半生きてくるのか、大いに期待と注目のしどころだ。
 コミカル役は島田、悲惨な心理葛藤役は沖田、狂言回しは肥後守あたりか。捨助は伏線。
 ところで今回は、鴨問題に絡めて、解説役が三人いたと思われる。それは、土方、山南、そして斉藤だ。土方は浪士組の意向そのものを解説し、山南は浪士組と時勢の関わりを解説し、斉藤は浪士組の抱える内面を解説する。
 そこで、もし浪士組をひとりの人間、一個の人格として捉えるならば、上の分析は、つまりつぎのようなことになるだろう。
 すなわち、土方は浪士組のチャイルド的エゴ(自我)、山南はアダルト的エゴで、斉藤は象徴的にしか語らないのではあるが、内心のつぶやきを湧きあがらせる源泉としてのセルフ(自己)なのである。
 これらが統合されたりされなかったりする葛藤が、近藤を生かし動かしていく。
 ところで、斉藤はつねに傍観者の立場にいるが、近藤や浪士組の真の性質がかいま見えるような決定的な場面には、かならず斉藤の姿がある。今回の沖田の御目付け役がそうだし、近藤が黙って通夜の線香を換えている場面に出くわすのも斉藤だ。他方斉藤は、のちには御陵衛士の中に潜入して、近藤に情報を伝えもする。
 こうしたことから考えるに、三谷新選組の中では、同じ生き残り組でも永倉は表面上の、つまり事実の語り部でしかなく、真の語り部役、あるいは言い換えるならば「三谷幸喜が表現したい新選組の語り部」は、じつは斉藤に設定されていると考えられよう。
No.120


2004年6月12日(土) ☆腐女子よりの「新選組!」コーナー感想メール
 腐女子サイト作者のひとりより、望外の感想メールを戴いた。
 嬉しかったので、すぐに返事を書いた。
 その返事は巧まずして期せずして、「新選組!」あるいは三谷幸喜に対する、私のひとつの考察あるいはエッセイのようなものとなったので、ここに転記する。もちろん、私信に当たる部分は省略してあるし、文章的に必要な修正は加えてあるので、この日記をご覧になった当該作者の方におかれては、どうか御諒解と御寛恕を願います。

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 メールを有難う存じます。こうして感想をいただけると、やはり嬉しいものです。

《「腐」女子》というのは、じつに気の利いたネーミングです。自らに対する優れたreflectionがあることを示すものだからです。
 私は「新選組!」ファンサイト検索以来、その存在を知り、感心することしきりです。
 きっと平安時代にも、こうした「腐女子」たちが日記を書き、オリジナル小説を作り、写し読みし、感想を述べ合い、その最高峰に枕草子や源氏物語が出現したのだ、というふうに感じたのです。
 おそらく紀貫之もそれに感心して、「土佐日記」を書いたのでしょう。
 今後もどうか御努力ください。

 今回の大河に関しては批判も数多いようです。
 しかして私が思うに、最も人口に膾炙している歌舞伎のもろもろの名作は、みんな「見立て」や「本歌取り」で成り立っていますし、その「ゆかり」や「ゆかしさ」を楽しむ人もいるわけです。
 多くの腐女子の方たちは、その楽しみを十分に享受する術を、よく分かっておられると思います。
 そして歌舞伎の中に流れる感情がいつも変わらず時代を超えて人の心を打つと同様、われわれは今回のドラマにおいて、「ああ鴨は可哀相だ」と涙するのです。

 他方、新選組はやっぱり敗者ですので、つねに思い出して語り鎮魂しなければなりません。
 歌舞伎の名作もまた多くは鎮魂劇ですが、そう考えると、新選組が芝居の赤穂義士の衣装を借り、しかもその色が死装束の浅葱色というのは、なんだか先行きを予知していたような、恐ろしいような話ですね。

 しかしわたしも、新選組に対してはありきたりの歴史的知識しかなかったので、
なんらの思い入れなしに今度のドラマを観ることになり、かえってそれが幸いしたかと存じます。
 人間はだれでも、自分のアイドルが毀誉褒貶されることには敏感です。わたしのサイトのもうひとつの柱である宮澤賢治とその作品に関しても、同じようなことがあるわけですね。

 とはいえわたしは、三谷幸喜氏は、新選組に関しては、定説異説、史料資料を徹底的に読み込んだ上で、万事飲み込んであのドラマを作っているとは思います。だから逆に変な安心感があると同時に、
「ああこの人にこんな役者を使ってこの場面でこんな風に動かしている……」
という楽しさがあります。
 これはむしろ、演劇的贅沢というものではないでしょうか。
 映画と宝塚が大好きだった手塚治虫が、自分の漫画にスターシステムを取り入れたのも、そんなところからでしょう。
 ちなみに、三谷幸喜も大ファンであるという漫画家、みなもと太郎もまた、スターシステムを使ってその抱腹絶倒の漫画を描いています。
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No.122


2004年6月13日(日) 新選組! 第二十三回、NHKスペシャル
☆新選組! 第二十三回
「歴史が動いても、蚊帳の外の厄介者で間違った愚かな」(山南と会津中将の科白より)男たちの、苦しく哀れな回となった。松平容保も近藤勇も、みなそうした存在なのだ。帝と上様がそのまま生きていればだいぶん違ったのだろうが。
 新見の副長降格をあのような形(芹澤の尻拭い)で説明し、なおかつ新見と芹澤との間の、一層大きくなっていく懸隔を強調するために使用したのは、ストーリー構成として無理がなくうまい。
 捨助は近藤の京都での位置を説明するための狂言回し。ところで前回の場面を、腐女子たちが「捨助がSPに連れ去られた」と表現していたそうだが、じつに言い得て妙だ。アメリカのカートゥーンやコメディではしょっちゅう御目にかかるギャグ。
 山南と土方がアダルトエゴとチャイルドエゴ、斉藤が真の語り部として登場するのは前回と同様(沖田との会話、また土方が心情と決意を吐露する背後にも斉藤の姿がある)。ちなみに、斉藤、沖田、八木ひで、平助、島田がからむ今回のシーンが、4月12日月曜日に、私がスタジオパークで見学したさいに収録していたものだったわけだ。
 会津武将たちが評定する場面はスピーディで短いが、画面の中で烏帽子が放射状に広がってあたかもミュージカルの群舞を観ているようで、そこにただひとり平装の近藤が疎外感を強調しつつ場違いに絡むのも、また群舞の定石だ。
 それから、御所への道すがらの松原忠司高唱の名調子は、ぜひ欲しいところだったので残念。また会津兵との睨み合いのあまりにも有名なあの場面において、相島新見と堺山南が舞台鍛えのすばらしい美声を張ったのに比して、香取近藤が相変わらずのだみ声だったのは可笑しかった。
 鴨は今回はなんとなく肩と背をすぼめたような、妙に爺むさい演出。鉄扇のシーンでも、鴨の最期の晴舞台なのだからもっと胸を張ったらいいのにと思ったが、これがやはり鴨の最期への、なんらかの性格表現的伏線となっているのかもしれない。いずれ善人として死ぬのだろうから。
 思いついたことの羅列になってしまったが、最後に、あの雨ではせっかくのダンダラ羽織もすっかり色落ちしてしまうに違いない、それでいきおい着なくなるという展開にするのだろうかと、穿って考えてみたりした。

★日曜夜のNHKスペシャル
 キューバのアメリカ領グアンタナモ基地に設営された、テロリスト容疑者予防拘束および訊問のための超法規的収容所のレポート。
 まあ日系人はもっとひどいことをされたわけだが、いまさらながらアーリアン至上主義みたいなナチの亡霊を見た感じがした。
 今日拘束されたアパッチヘリの民間技術者は、虐待を含めちょうど同等の扱いをされるらしき報道もあるが、憎しみの応酬は、心と身体に毒素が回るだけだ。
No.123


2004年6月27日(日) 新選組! コーナーにやっと追加、悪夢の記録
「新選組! コーナー」に、やっと追加した。第二十四話の感想も書いた。
 体調不良というか、バイオリズム低下というか、極度の疲労で、パソコンを開く気力もなかった。日記も恐ろしく飛んだ。さまざまなこともあったのだが、霧の中のようだ。不義理も諸方に重ねた。台風とか気圧の影響もあったかもしれない。
 その所為か、悪夢を立て続けに見た。ひとつはあまりにえぐいので省略。腑分けに関するといえば十分だろう。他の夢は、もっぱら架空の学校に関わる。その1は、どんなに聞いても尋ねても、担当の教室に行きつけないで迷うという話。もう授業開始から15分も過ぎてしまって焦り、足も棒のようになる。目を覚ましてからも息が切れていた。その2は、日曜日、仕事(採点?)を片づけようとして休日の学校へ行く。私は非常勤。校舎周囲には荒れた花壇に雑草が繁り、校舎も古びたコンクリート。室内には私ひとり。大きな職員室で、天井は高く、廃墟のように薄暗い中に、私の机にだけZライトが灯っている。
 資料を出そうとしていると、どこかでごそごそと音がしてびくっとする。すると知らない先生が現われて、「それでは後をよろしく頼みます」と言う。「先生、御帰りになっちゃうんですか」と心細くなるが仕方ない。「では帰りは明かりを消して、換気扇を止めておけばいいんですね」と確認する。そう、冷房もエアコンもなく、ひもスイッチの「換気扇」だけなのだ。
 あとは覚えていない。
 昔、B級特撮ホラー映画に「ミカドロイド」というのがあったが、ちょうどあんな感じの雰囲気の夢だっただろうか。
 
 
No.124


2004年6月27日(日) さらば芹澤さん
☆新選組! 第二十五回
 もし生きていれば梅夫人とともに絵と撃剣のうまい寺子屋の師匠、さらには玉造の名士として自由民権教育にも携わったかもしれない男、芹澤鴨へのオマージュの回。
 だから歴史上は切腹するはずの野口健司のことを、このドラマでは殺さずに、いわば芹澤の望み/魂を乗り移らせた形で(「道場を開き、子供たちに剣術を教えて暮らせ!」 by 平助)逃れさせるのだ。ちなみに、この場面で平助も大人になるわけだが(近藤とまるで同じ態度を取る)、それを表現する勘太郎の演技は、その美声とともに見事だった。
 とはいえ、今回のドラマの焦点は、もっぱら山南にあるといってもいいだろう。人を殺せぬ山南は、野口もあらかじめ助命しているし、平山も助け、平間も助けようとする。そのためまず左之助に足許を見られるわけだが、それがストーリーの上で後々まで響いていくことになるだろう。
 つまり、そうした山南の弱さを示すために、平山、平間の場面が設定されているわけなのだが、玉造村まで訪問してきた身としては、芹澤の従者たる平間を、最後にもう少し格好よく使って欲しかったような気もするのだ。つまり玉造側から見た解釈としては、平間は従者として主人の一部始終を郷里に報告する義務があり、しかしその前にせめて一太刀というわけで、それでこそ白刃を下げて「どこへ行った! どこへ行った!」と叫び回る(子母澤寛による)意味も、はっきりと出てくることになる。このシーンをぜひとも見てみたかったなあ。
 しかし上にも書いたように、こうした形で野口を助けることができるのなら、いっそ山南も生かして逃してほしいと、山南ファンとしては切に思う。
 お梅は当然だが最後は鴨に魂を救われて(「俺の墓に入りゃいいじゃねえか」─たとえ事実がどうであろうともそう言われただけでもはやいい─)カタルシスが来る。
 これは妻の指摘を受けて気づいたのだが、沖田はオイディプス/ハムレット(藤原はシェークスピア役者だ)として言わずもがな(沖田が芹澤に成り変って八木為三郎と竹とんぼをするシーンは、その象徴のひとつだ)。要するに近藤も沖田も、「若き獅子たち」という意味で、芹澤を越えていかざるを得ない子ライオンなのだ。
 それから、斉藤は今回は判りやすかった。
 あと細かいことを言えば、芹澤の追悼式のさいには未だ「精忠浪士組」の旗が誠の旗とともに上がっていたが、新選組改名言い渡しのときにはもはや消えていたあたりに注目。
 それにしても、芹澤筆頭局長、お梅さん、それに加えて平山さん、平間さん、野口君とも一挙にお別れとは淋しい。
 番組終了後、まず妻とともに玉造で買った焼酎「ゆかりの地」の杯を挙げて、芹澤さんを惜しみ、別れを告げた。おっと、平山さんを忘れていたな。どうか安らかにお鎮まりください。
No.125


2004年6月28日(月) 「新選組!」コーナー手直し、ブッシュその他
「新選組!」コーナー表紙を手直しした。いらずもがなの但し書きも加えて体裁を整えた。
WEB拍手ボタンを作りなおした。また感想メールもここから出せるようにした。
しかしこれらのバナーにはなお不満足。淡霞さんの作った「大河新選組! サーチ」バナーほど見事には行かないだろうが、あれに色を合わせて品よく作り直すことを考えている。また期間限定で掲示板も置くことを検討中。
 WEB拍手ボタンのコメントが、このごろいくつか入り始めた。力づけられる。最終回カーテンコール構想に賛成のコメントも戴いた。どうやったら盛り上げられるだろう。カーテンコール構想は近々アップするつもりをしている。

★ブッシュその他
 ブッシュはトルコで悪評嘖嘖。当然だろう。アメリカは頼まれもしないのに世界中でパンドラの箱を開けまくって自分が困っているのだ。
 とはいえ、トルコの市民たちのマニフェスタシオンだって、そのスタイルといい、プレゼンテーションの手法といい、ぜんぶアメリカから戴いているのではないか。
 だからよくよく考えれば、アメリカには、いいところも摂るべきところも、たくさんあるのだ。世界中の人が、アメリカのなにを、どういうところを喜んでいるのか、それを正視さえすれば、アメリカの進むべき道はおのずから明らかなはずだと思うのだが。明るく、悪びれず、ユーモアがあり、礼儀も倫理も持ち、漫画や映画で世界中を楽しくする、そんなアメリカで、なにがいけないのか。
 ウォルフォヴィッツのネズミ面よりミッキーマウスだな、やっぱり。ということだ。
 ところで小泉はなしくずしに、しかも人の眼がイラク再独立に向いている隙を盗んで自衛隊を多国籍軍に編入したようだが、自衛隊を世界平和にどう運用し役立てるかの議論はさておいて、要するに小泉の手法が姑息でいけないのだ。人口圧力下における権力奪取生存闘争しか眼中になかったベビーブーム世代の採った、最も忌むべき卑怯極まる戦法だ。
 たとえ結果がよくても、それでその手法が免罪されるわけではない。だいいち、その結果はその手法によって導かれたとは限らないし、はじめからそんな証明などできはしないのだから、なおさらではないか。
No.126



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