++浅薄日記++


2004年4月の日記


2004年4月2日(金) pictures コーナーに絵をアップ
 pictures コーナーの、「一般の絵」のコーナーに、「早春の琵琶湖」と「花冷え」とをアップした。
 季節に応じて、ストックしている絵をアップして行きたい。
 3月の終わりは、何かと忙しかった。日記も書く材料に乏しかった。親戚の結婚式、大学のオリエンテーション合宿……。そんなことぐらい。
 季節の変わり目は、心身に応える。昨日の夜、千鳥が淵の桜を見物したが、もう車で通るだけ。それでも大渋滞でのろのろ運転なので、窓を開けて、十分堪能した。
 飛鳥山など、他にも桜の名所は、東京にもたくさんある。これから桜前線が北上するにつれて、見所も増えていく。
 昔、札幌から用事で東京へ戻るとき、朝6時くらいの特急で函館まで行き、青函トンネルで青森まで出、また特急で盛岡、そして新幹線で東京まで行く、ということをやったが、北海道ではいまだ冬景色、津軽でようやく春の兆しが見え、盛岡までの間に雪融けと芽吹き、盛岡から仙台まで来る間に桜が満開になってその色と量に酔うよう、そして東京に来るともう若葉だったということを覚えている。
 半日で一箇月を旅したという、贅沢旅行だったのだ。
No.89


2004年4月3日(土) ちょうふ新選組フェスタ・深大寺
 午後から小田急〜京王線と乗り継いで、調布へ行く。
 ずいぶん調布で下車する人が多いと思ったら、そこからまた各停に乗り換えて、隣りの西調布のスタジアムまで行くサッカーファンだった。
 こちらは新選組探訪だ。
 調布の駅前は北・南とも狭く雑然としていて、人と車の行き違いにも苦労する。おまけに自転車も多い。日曜だからかもしれないが商店街は店を閉じ、さびれた印象。30分もかからないし、みな新宿へ出てしまうのではないか。インフラ整備の必要性を、切に感じる。甲州街道のあたりには、もと農家のような広大な敷地もなお残る。
 小田急バスに乗り、「ちょうふ新選組フェスタ」を開催している神代植物公園まで。やっていることは、日野の「新選組フェスタin日野」とほとんど同じ。向うが土方中心なら、こちらの公式キャラクターは「イサミくん」だ。しかし中身は池田屋騒動ばかりが話の中心で、ここは調布なのだから、地元多摩と新選組の関わりとか、多摩の産品販売とか、もっとじっくりやれば地域にとっても有益なのにな、とつくづく思う。新選組を京都に取られっぱなしの必要はないだろう。ここで、近藤勇愛用のどくろの刺繍入り稽古着風のTシャツを買った。ただしこれも中国製。
 ところで調布では、なぜ「誠」の幟の色が赤と紺の組み合わせなのか不思議だったが、調布にフランチャイズを持つFC東京のチームカラーだということが、ここに来て初めてわかった。
 神代植物公園は、ちょうど桜が満開で、多くの散策客が訪れていた。桃の花がまた多彩で美しく、「桃源郷」ということばが残るのもかくやと思われた。深大寺にも参詣客が多く、参道の店も賑わっていた。ここも水が豊かな地で、だから名物蕎麦などもあるわけだ。建立は奈良朝に遡るが、その遠い起源はおそらく高幡不動と同じく、武蔵野台地の段丘崖に開かれた縄文時代以来の水場であり聖地であったのだろう。参道の横の池には御不動様(暴風雨神ルドラに由来)が祭られているし、深大寺の祭神である深沙大王は沙悟浄、河童なわけで水神でもある。
 しかし花木を愛で、聖地に参詣し、こういう人たちばかりなら、テロなんて起こりそうもないのに。
 年年歳歳こうした風潮が盛んになっているというのは、思えば50年代〜70年代がおかしな時代だったということかもしれない、と妻と語り合った。敗戦で価値観ゼロになり、そのまま高度経済成長・開発に突入した30年間だったということだ。
 さて戻りはバスで吉祥寺に出て軽く一杯、井の頭線で渋谷というコースで帰った。
No.90


2004年4月4日(日) 新コーナーアップ、新選組!
 素材コーナーを開設した。ホームページの「material」から入る。
 これまでに作って、当サイトでも使っている背景やベースを、いくつか提供することにした。これで素材屋の仲間入り、とはおこがましいが、こうした試みも続けてみたい。

☆新選組!
 はや三分の一が経過して、ついに次回からは京都だ。
 中山道の旅を、たった一日のエピソードで済ますとはすごい。芹沢鴨の焚火事件を軸に、道中殆どの逸話の要素をぶちこんである。
 今回は山南が久しぶりに活躍したが、これも子母澤寛の新選組始末記に基いている。それから、永倉新八が珍しく軽薄なところを見せて土方が苦い顔をするシーンがあるが、これは後の、鳥羽伏見の敗走後、品川に上陸した永倉たちが宿場の遊郭で暴れ、江戸帰着後に土方に叱責される、というエピソードを踏まえての伏線だろう。
『週刊新潮』によれば視聴率低迷で、評判も悪いらしいが、ふだん大河ドラマなど観もしない人間がこうして面白がって観ているケースもあるのだ。俳優たちも楽しそうにやっているし。
 そうそうそれから思い出したので書きとめておくのだが、、何回か前、試衛館の面々が京都へ行くという話を聞いて憤然としたおみつさんが「なぜ私を連れて行かないの!」と近藤を竹刀で殴った後、「婦女子の組はないの?」と叫ぶ。
 これは明らかに、〈「腐」女子サイト〉への、三谷幸喜のサービスないしは楽屋落ちだろう。
No.91


2004年4月5日(月) ブッシュの夢
 お堀の桜は満開。
 いよいよ学部に新一年生を迎える。
 出だしが、まず大切だ。気合の問題だ。

☆今朝の夢
 キャンプ・デービッドの芝生の上をブッシュと歩きながら、戦争を止めるように懸命に説得している。「エフィシェントでない」とか何とか言いながら、喋っているうちに英語がどんどんうまくなって、話したい内容が的確に表現できるようになるのが自分でもわかり嬉しい。
「強い男が弱い男を殴って何が嬉しいか」と喩話でブッシュを追い詰めると、「オレはだんだんお前を殴りたくなってきたよ」と笑いながらブッシュが言う。
 日本人である私の夢の中で、そして英語下手で阿呆なブッシュだというのに、アメリカ人はやっぱりこんな当意即妙のユーモアを忘れないのは、不思議と言うかなんと言うか。
No.92


2004年4月8日(木) イラク人質事件
★イラク人質事件
 えらいことが起こったものだ。
 イラクはまあ、攘夷時代の日本のようなものかもしれないから、こちらもハリスだのヒュースケンだのサトウだのになっているつもりで応対した方がいいのかもしれない。
No.93


2004年4月9日(金) イラク人質事件続き
 あのなんとか旅団って、要するに水戸天狗党だろう。
 逆に言えば、今のイラクの状況から照射されて、幕末の日本の状態の実相が、ありありと見えてくるというわけだ。
 大義名分とか、攘夷とか、尽忠報国だとか、つまりつまりは今のイラクだということだ。
No.94


2004年4月14日(水) 授業本格的開始、古館、スタジオパーク
 授業本格的開始。本務校でも、W大でも、M大でも始まる。微妙に進行と展開とが異なるし、だいいち学校ごとに仕来りがぜんぶ違うので頭が混乱する。学生の気風もそれぞれなので、切り替えをうまくしないといけない。授業というのは初めの気合がほとんどすべてなので、まずここに勝負を賭けねばならない。「見せかけの自信というのは、しばしば本当の自信よりもはるかに役に立つものだ」これは不正確だが、ロバート・シェクリイの感動的長篇SF『明日を越える旅』の中で、主人公ジョーンズがひょんなことから大学講師にさせられて最初の授業に出るときの警句だ。他にも、学生より一週間だけ早く教科書を予習しておくとか、日本よりはるかに熾烈な環境だと思われるアメリカの大学でも、かつては教師/学生の関係にはこんなところがあったのだなあと、いつも私は4月の講義開始のときには、この小説のこの場面を思い起こすのだ。
 しかし結局、気楽なはずの本務校が、もっとも気を使ったりして……。

★人質事件進展なし
 2ちゃんねるその他類似スレッドやBLOGは、すでにみなさんご覧になっていると思う。また報道も、質・量ともにかなり当初とは変化してきている。いよいよ政治的切所に差しかかってきているわけだ。なにをどう語るのも憚られる、といったところだ。
 しかしさまざまな立場からはまったく別のこととして、純然たる番組づくりという観点から、古館はあらためてダメだなあと、つくづく感じる。久米には毀誉褒貶はあろうが、少なくともはるかに「華」があったし、役者として、ネタとして、あのニュース番組を作り上げていたということが、古館のお蔭で相対的によくわかり、あらためて肯かされてしまうのだ。
 それに比するならば、古館はまるで素人だ。キャスターとしての埒に定位することすらできない。先日の藤原帰一と寄り添って熱っぽく語り合うシーンなど、カメラの構図としての「絵」にすらなっていない。腐女子なら「萌え」どころか七転八倒ものだろう。早期打ち切りを予め見込んでいるのではと思うくらい、プロデューサーの熱意を疑いたくなるような番組作りになっているのだもの。
 そもそも声の張りからして、古館のプロレス仕込みのダミ声では、どだい勝負にもなにもならない。
 F1中継に参入したときから余計なことを、と思っていたのだが、その印象は、結局変わらなかった。

☆スタジオパーク見学
 月曜日のことだが、にわか「新選組!」ファンとなった母(勇および左之助贔屓)を連れ、NHK放送センタースタジオパーク見学。三十余年前の中学生の頃、通学コースだったのでしきりと寄り道したものだが、いまや時代は変わり、入場料200円徴収されるのでびっくり。
 期待はしていなかったが、幸運にも「新選組!」収録中。スタジオを上から見下ろすと、セットの屋根の向うに隊服がちらちらと見える。見学コースからは収録カメラの映像をリアルタイムでモニターできるので、沖田、島田、斉藤、藤堂、それに架空人物八木ひでのシーンだとわかる。だいぶん先のシーンなのだろう。裏方さん、アシスタント、エキストラ、その他スタッフが必要に応じて動き、俳優たちはシーン作りに余念なく、ときどきは談笑する光景がモニターに映し出される。
 オダギリジョーだけが話に加わることもなく役に没入しているようだったのが印象的。斉藤一の役どころがもともと暗いからかもしれない。
 藤堂平助役の中村勘太郎は、演技に入る前の顔はじつにハンサムできりりといい男だ。あの頼りなげな猿のようなきょとんとした表情は、まったく藤堂平助の性格を表わすために芝居で作っているということがわかって、さすが歌舞伎俳優と、あらためて感心したことだった。

 こんな感想日記でも、いつか腐女子が目にしてくれればいいのだが。
 ムリか。
No.95


2004年4月20日(火) イラク人質、国体
 イラク人質は5人とも解放された。言えるのは、この騒ぎもあと3日も経たないうちに消費され尽くしてしまうということだ。
 PTSDもなにも、天安門帰りの身としては、わかることはわかるが、あんときゃだれも構ってくれなかったぞ。それどころか、ああして難民同様に逃げ帰ってきた日本人は天安門以前にもいくらでもいるが、みんな泣きごとがましいことは言わなかった。若王子さんを考えよ。あの人は結局、救出後ほどなく癌で亡くなった。そのストレスはいかばかりだったろうか。
 マアしかし、だから逆に、自分で自分の立場を増幅するようなことはしなかったし、そんなことをやろうとする契機すらなかったとはいえよう。ナルシシズムの入る余地などなかったということだ。
 人質たちに毀誉褒貶はいくらでもあるだろうし、そのあたりはググればいやというほど読むことができる。
 私が感じたのは、最初の三人のうちの最年少の彼、そして後の二人のうちのNGOの男、この二人は、いうなればミッショナリイ的確信というものを抱いている目つき顔つきをしていたな、ということだけだ。
 ミッショナリイならばしかたない。かれらこそがジハドをやるムジャヒディンであり、マルチルであるというだけだ。
 しかして国は、たとえその国民がどんな人間であろうとも、極端にいえば、からげた尻を国に向けてぺんぺんと叩くような、パスポートだけは存分に利用してやろうというような根性の国民であってもだ、国民である限りは、その持てる全力を挙げて庇護し、擁護するのが、国の麗しい姿でなければならない。
 それをまた、法的にも、道義的にも、国は国民から期待されねばならない。
 それが「国体」というものだろう。
 蛇足を覚悟で言うならば、われわれ日本人は、そうした「国体」というものを、「天皇」をよすがとして現前させるわけだ。つまり、天皇陛下というのは、いわば「国体」を起ち顕わさせる「触媒」なのだ。
 そんな考えを抱くに至った。
 
No.96


2004年4月22日(木) ハルウララ
☆ハルウララの毛のお守り
 連敗馬ハルウララの毛を封入したお守り(「当たらない」ので交通安全に掛けた)が、「虐待だ」とのクレームで封入を中止したそうだ。
 阿呆の独善ヒステリーとしか言いようがない。
 尻尾の毛を一本一本引っこ抜いているとでも思ったのか。
 調教師の言に依れば、ブラッシングのさいの抜け毛を集めたそうで、また鬣はファッションとして形を整えることもあるという。
 けだし当然だろう。
 ブラッシングは相互の親愛信頼表現であって虐待からは正反対、他方健康衛生面からも効果的だ。抜け毛だって新陳代謝上、ない方がおかしい。クレームをつけた阿呆は、自分の髪の毛を梳かしたこともないとみえる。
 また鬣のトリミングはファッションならずとも、遊牧騎馬民族発祥以来、悍馬の性格矯正のために行なわれてきた歴史もあるという。サラブレッドは専ら競走のために生み出された馬種であり、その目的のためにコントロールされることもまったく妥当だ。それに、トリミングは馬にとっても人間様の髭剃り同様、痛くも痒くもないに違いない。
 クレームをつけた阿呆当人の心の中に、動物の毛を引き抜くようなそうした残虐性が潜んでいるからこそ、こんな頓珍漢な発想をするのに決まっている。
 だったら、爾後ウールの製品など着るな。あれこそ「虐待」の結果の最たるものだろう。
 と突っ込まれて、こんな阿呆がどう反論するか観たいものだ。
No.97


2004年4月24日(土) 新選組! 第十五回
 明日日曜日になればもう第十六回になる。今日は再放送。
 この作品は純然たる舞台仕立てで、なおかつ過去の名作名画に対するオマージュから成っているので、いわゆる大河ファンとか歴史好きなどの人の評価は低いだろう。しかし観る人が観ると、可笑しいということを越えて面白いのだ。前にも書いたが、鞍馬天狗を歴史と違うと言って非難するのが的外れであるのと同様であって(しかも大仏次郎といえばビクトル・ユーゴーに比すべき大歴史家・大小説家だ)、その点ではシェークスピアやワーグナーだって同じことだろう。
 今回は芹沢・近藤一派の独立宣言を軸に、池田だの殿内だのといった狂言回しが相変わらず絡んで展開する。それぞれのキャラクターの持つ歴史的実像を過不足なく生かして取り込み、飽きさせない。しかも将来の伏線もちゃんと張ってある。たとえば近藤が清河を斬ろうとしていると早合点して「近藤さん、あなたらしくもない」と批判する永倉(かれはいつも自分だけのテーマを抱えている)、それに芹沢の刃から清河を救おうとする近藤に対して「嘘吐き野郎をやっつけるのは悪いこととは思わねえがな」と楯を突く左之助、思えば近藤に忌憚のない意見を述べるのはつねにかれらのみであって、これは勝沼敗戦の後、この二人と近藤とが、論争の結果、ついに袂を別かつということを暗示しているわけだ。
 ドラマは山南の苦悩、近藤・芹沢派の脱退、清河と近藤の対決と進んで、雨中の京の町における清河追っかけ劇のクライマックスへとなだれ込む。向うはあっちの角、こちらはこっちの角と行き違うところは、まるでマルクス兄弟やピンク・パンサーの一場面を観ているようだ。しかもそこに祐天×大村の仇討追いかけが同時進行しつつ、さらには火事騒ぎが絡んで、事態はもはや統制不可能な混沌状態に沸騰した次の瞬間、場面は一転して終局が訪れる。そこでは、山南を騙して試衛館一統を窮地に抛りこんだ悪玉トリックスター清河は、まさにそれがために近藤たちに新たな運命を切り開いてくれた「恩人」となるのだ。
 そして火事も雨も収まった(つまり動揺が去って決心がついたことの象徴)京の夜空に、沖田が「清河さ〜ん、ありがと〜う」と叫んで、浄化が来るのである。
 まさに演劇の常道ではないか。
No.98


2004年4月30日(金) 山南敬助、民権資料館他、元人質会見
 四月は後半の過ぎるのが早かった! 新学期の不適応が出て、しかも研修旅行引率だのと綿のように疲れて、日記も書けなかった。アイデアが出ても書きとめられないので、みんな宙に消えてしまった。
 
☆Pictures の Men at Arms コーナーに、「山南敬助知信」をアップ。
 土方に次ぐ新選組ものだが、同時に初の江戸武家ものなのだ。これまで長い間歴史イラストを描いてきて、中には平安・鎌倉のものまであるのに、室町以降、江戸期までのものがぽっかり抜け落ちている。興味がなかったというのが正直なところだが、新選組となればこの分野に踏み込まざるを得ない。
 堺雅人扮する山南敬助は、山本耕史演ずる土方に次いで腐女子の憧れキャラクターのようだが、じっさい美形で芝居もなかなかいいのだから、こちらもつい力が入る。懸命に時代について行こうとしてつねに裏切られ、ついには悲劇的最後を遂げる山南の雰囲気を、よく出しているといえよう。
 細かい突っ込みは腐女子サイトにまかすとして(そっちの方がずっと優れている)、通常は新選組を脱走した責めを負って切腹したとされている山南の最期についても、さまざま異説や解釈があるようだ。三谷幸喜がそのどれを取るかというのも楽しみだが、私としては、負傷や病気によって次第に活動ができなくなった山南が、自分が浪士組に引き込んだも同然の近藤を十分にサポートできないことに自責の念を持ち苦悩して自ら死を選ぶ、というやつにしてもらいたい。土方も山南を好いていたという説もあるようだし、願わくば試衛館の仲間は最後まで麗しい間柄でいてほしいものだ。
 
☆自由民権資料館
 昨日木曜日、連休初日だが、町田にある自由民権資料館を訪ねた。ちょうど家永三郎コレクション展の初日で、それも併せて見られたのは幸運だった。
 多摩の自由民権運動は実に広い裾野を持っていて、江戸後期の養蚕業の勃興を背景とした豪農豪商層に支えられ、かれらの政治的発言権要求とともに高まるが、新政府財閥による独占資本近代化によって没落していく中でかれらは次第に二極分解し、没落組はかつ利権にたかりかつ過激化する多摩壮士になり、最終的には武相困民党一揆の中で敗北する。また没落しなかったブルジョワ・インテリたちも、結局は徳富蘇峰のごとく、頭山満のごとく、民権から国粋へ、大陸進出へと豹変していくのである。
 これらすべては、日本に健全ジェントリー階層やブルジョワ階層が育たなかったことに原因があると私は思うのだが、トロツキーも指摘しているように、そんな「弾力的保守主義の生成」などは所詮、世界中に植民地を持ったイギリスだけに許された贅沢だったのかもしれない。
 面白いのは、近藤勇の義兄弟で天然理心流を学んだ大名主小島鹿之助もまた民権伸張になにがしかの理解を持っていたことで、また困民党一揆を解決するための融資処理を行なった地域財閥はどうやら土方の一族であったらしく、もしかれらが幕末にあのような最期を遂げずに生き残っていたとしたら、近藤は案外自由民権の活動家に、また土方は地域実業家になっていたかもしれないとも思うのである。
 しかし結局のところ、自由民権運動の失敗後、没落階層は右は国権主義となり、左は自然主義・労農主義となり、さらに下の階層は皇道派軍人としての出世に活路を求めるか、あるいは農本主義を奉じて満蒙開拓に望みを托して、みな失敗。かといって薩長藩閥・財閥の支配層も、やっぱり国の舵取りを誤まって敗戦に突き進むというわけで、要するにこの「日本近代双六」の上がりは、どのルートを通っても、所詮は「破滅」に行きつくという、なんだか絶望的な話である。
 そしてこの中に、加藤完治も、石原莞爾も、宮澤賢治も、私が興味を持った人物はみんなみんないるわけで、元民権家の徳富蘇峰、頭山満などは私の本務校の発祥に、浅からぬ縁を持っている。さらには母校の先輩である中野正剛もまた、民権家から議会主義者、そうしてリベラル全体主義者へという軌跡を辿っていく。
 そしてどうやらこのコンテクストの最初の方に、多摩と天然理心流も、しっかりと織り込まれてくるらしいのだ。
 右だの左だのと、戦後民主主義者による浅薄な分類など、この当時の理解には、何の役にも立たなかったといえよう。
 自由民権資料館で、ますますそうした構想に対する確信が持てるようになった。

★元人質会見
 元人質に関しては、以前の日記ですでに述べたところで、とくに付け加えることはないが、会見の感想だけ。
 ふたりとも、どうやら正義のヒーローのつもりらしい。
 会見の中で、演技をするように強要されたことに関しての質問に対する応答で、フリーカメラマンが、「あの状況でみなさん否定(deny=拒否の意だろう)できますか? できませんよ」とヒステリックに叫んでいたが、そこで私は、かつて日清だか日露だかの戦いの時に密偵として逮捕銃殺された二人の日本人のことを思い出した。かれらは露見した後は一言の弁解もせず、目隠しをしようとするとそれを断って、「日本人は目隠しなどしないのだ」と、従容として刑に伏したのだった。
 同じく人質に取られて殺害されたイタリア人は、「イタリア人の死に方を見せてやる」と述べたというではないか。まさにクオレの逸話を髣髴させる。
 はるか古くには、ツキノイキナという倭人は、対新羅戦役で捕虜になって、新羅の王から、故郷に尻を向けて「大和の王よ、我が尻を食らえ」と言えば助命してやると言われたが、断固それを断り、処刑された。
 つまり、できるのだ。
 
 小泉や今の日本の政府に対する意見はどうであれ、いやしくも日本人として国籍を捨てていない限り、かれの所業は国民としての矜持をなみし、国を軽んじたという謗りを免れないだろう。
 キャパや沢田の後塵を拝することすら叶わぬこんな根性で、「ジャーナリストは危地に踏み込むのが仕事だ」などと、よくも大見得を切れたものだ。
 やっぱりまだ、帰国後躁状態にあるのかもしれない。



No.99



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