++書き込み処++


2003年12月の日記


2003年12月1日(月) 師走入り、フリッツ・ヘルメット
 師走に入った。台風とともに入る師走など、聞き始めだ。
 わたしは教員だが、べつだん忙しくしたくない。というか、「明日は明日が思いわずらう」ということばを拳拳服膺したい。ひろさちや『阪神ファンと仏のこころ』(小学館文庫)というのは面白い本で、そうしたことが阪神ファンの立場にことよせて延々と書いてある。

 昨日リンクした「宮澤賢治の詩の世界」の浜垣誠司さんより返信メールを拝受した。うれしかったので、私信だが一部紹介する。

<濱田様の「きぬのみち WEB SITE」も、さっそく拝見させていただきました。ロマンチックなところと、硬派なところと、童心のようなやさしさが共存した、不思議な空間でした。……「〔雲影滑れる山のこなた〕」の絵も、私のいだいていたイメージとぴったりです。>

浜垣さん、ほんとうにありがとうございました。

 ぼうず麻酔科医白井洋一朗さんも新作を見てくださった。事務員の奥さんの姿が好評だった。どうもありがとうございます。

☆駐イラク大使館員の犠牲─これについては、参事官の郷里である宮崎県でインタビューに応じていた、年配の親戚の男性のコメントを思い起こしてもらえば足りるだろう。これが日本人のことばというものだ。

 それとは別に、イラクに派遣されるかもしれない、旭川陸自の映像を見ていて思った。
 このごろは、先進国の軍隊は、みなアメリカ軍そっくりの「フリッツ・ヘルメット」をかぶり始めている。これは鉄より固いケブラー繊維で作られたヘルメットで、そうとは言っても結構重い(沖縄、北谷のサープラス・ショップで実物をかぶってみたことがあるから嘘ではない)。耳を保護するためにヘルメットの下縁部を下げたデザインが、第一次大戦後期から第二次大戦にかけてのドイツ軍の兜によく似ているので、それで「フリッツ」という愛称がついたものだ。これをわれわれが広く目にしたのが、さきの湾岸戦争のときだ。砂漠用のチョコ・チップ迷彩のBDUと合わせて、アメリカ軍はベトナムの時と較べて、ずいぶんと格好よくなったものだなあと感心したものだった。
 このフリッツ・ヘルメットを、陸自も最近採用している(ネットで拾った話だが、あまり重いので、下士官などはこっそりサバゲー用の軽いプラスチック製を使用しているという。まったく、軍隊は要領だ)。ところが、米軍兵士が被った姿と較べると、あきらかにみっともない。まるで、旧日本軍の鉄兜のようだ。
 じつはこれには理由があって、アメリカ製のフリッツ・ヘルメットのデザインのままだと、たとえ小さいサイズのものであっても、欧米人は頭の鉢が丸く深いので、日本人が被ると目が隠れてしまう。そこで、日本人に合わせて、少し鉢が薄めの、もっと言えば皿のような形状に変えて生産しているらしい。
 だから結局、当然ながら日本人にのみ合わせてデザインされていた旧軍の鉄兜に、日本式のフリッツ・ヘルメットは、そのフォルムが似てしまったのである。
 いかに国際化とは言っても、民族形質は越えられない、という話。
 



No.42


2003年12月7日(日) 日記の途切れた言い訳とエッセーです。
 少し日記が途切れているのは、紀要論文を急ぎ執筆しているのと、発表の準備をしているのとで、あまりゆとりがないからだ。しかも学会の幹事役もやっているので、準備進行の方もやらねばならない。まあ気楽に行くさ。仏さまはみんな、「ふうん」という目をしているではないか。べつに悪意で言っているのではなくて。
 それで今日は、お題1。ピキ氏が最近、《インターナショナル》に入れ込んでいるということの報告。先週のかんじゃーやーでそんなことをわめいていた。シーサーズに歌わせようということのようだ。
 悪い歌ではないが(というより素晴らしくいい歌で、主義者に独占させる必要はない)、なんで今さらタイムカプセルの蓋を開けて取り出さねばならないのかね。ちなみに、

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3684/kaihou/inter.htm

というのは非常に面白いサイトで、ピキ氏にも教えておいたのだが、どうなったやら。ピキ氏のゼミ生諸君、もし私の日記を目にしたら、ピキ氏に聞いておいてください。
 また、当サイト writings のコーナーの「忘れ得ぬ歌」というのは、中国天安門事件のときのインターナショナル(国際歌)の思い出についてのエッセーである。
 忘れられないといえば、何年か前の師走、たしか前世紀末だったか、終電間近の夜更け、西新宿の地下通路の寒々とした歩道を歩いていたら、都庁の方から、すさまじい高歌放吟が響いてくる。だんだん近づくと、背広の襟首も乱れた二人の初老の給与所得者が、「い〜ざた〜たか〜わん〜いざ……おー、い〜んたなっしょ、な〜ある〜」と肩を組んで歩いてくるではないか。きっと忘年会帰りの都の職員のおじさんたちが、酒の酔いに、昔のことをつい思い出したのだったろう。おお、タイムカプセルよ。そのパンドラの函の蓋の下に、いまさら何が残っているというのだ。
 だいたい、あそこの地下通路は昔から奇妙な雰囲気の所で、清少納言がもし生きていれば、さっそく、
「すさまじきもの、冬の夜の西新宿地下通路のメガネドラッグの店先の超音波洗浄器に眼鏡つけし中年サラリーマンと、忘年会帰りに肩を組みて《インターナショナル》高き声にて歌いつつ歩き来る都庁職員どち」
などと日記に書いたことだろう。
 寝る前に妻にその話をしたら、半分寝呆けていたのか、「インターアホナル」と言う。「なんてことを言うんだっ」と叱責したら、「あくびをしながら言ったのでそう聞こえたのだろう」と抗弁した。「ピキ氏にそう伝えておいてやる」と約束した。

☆お題2。横浜F・マリノスの優勝パレードをテレビで観ながら、妻が「こんなのやってるのね」と言っているのを聞いて思う。野球が美空ひばりなら、サッカーは浜崎あゆみだと。どちらもものすごい人気と売上を誇りながら、美空ひばりは誰でも知っていたが、浜崎あゆみは限られた人しか知らない。
 
 

No.43


2003年12月31日(水) とうとう大晦日、一般描き物に追加
 picturesの一般描き物に、「パミール先生の散歩」と「冬の越後」を追加した。

「パミール先生の散歩」は、もちろん賢治の同名の詩「葱嶺先生の散歩」からのインスピレーション。これについても、単純にシルクロードへの憧れからの制作、とは言いきれないものがあるのだ。どうも、心にネガティブな引っ掛かりがあると、賢治はそれをシルクロードに投影するのではないか、という気もするのだ。
「冬の越後」は、絵の説明に書いたとおり。「すみえちゃん」というフリーペイントソフトで描いた。これもなかなか面白いソフトで、これで達磨大師が描きたいと思っているが、まだひとつだけしか描けていないし、とても満足の行くものではない。

 これまで使っていたFTPクライアントソフト、SuperFTPがいかれた。ダウンロードしなおしても同じトラブルになる。つまりこちらの方に原因がありそうだ。たとえば、いちどきに扱うファイル数が多くなりすぎているとか。シンプルでいいソフトなのだが、ガラスのように繊細なところがあるのだ。
 それで今度は、NextFTPというものにした。それぞれ使い方が微妙に異なるので、非常にやりにくい。マア慣れるしかない。

 とうとう大晦日となった。今年の12月は、論文書きにエネルギーを費やしたので、結局日記をつけるというところまでできなかった。いちおうはプロの物書きではあるのだが、多血質の量産型作家とは違うので、そこは非常に忸怩たるものがある。他に新しく立ち上げた学会の設立大会の準備などもあったし、それに忘年会や友人との食事会などもひどく重なった。目まぐるしく中旬以降が過ぎた。体力の限界を越え、とうとうピキ氏主催の忘年会には出られなかった。済みません。
 それでも、クリスマスにはさる修道会にも行ったし、アメ横で買い物もしたし、数の子の味付けもしたし、重箱も新調したし、いちおう着々と年越しの支度は整ったと思う。
 いまNHKでは、N響の第九が始まらんとしている。イラクも自衛隊もイラン地震も、そしてニュース速報で刻々と入っている伊豆諸島の地震も、…………何を考え、何を論じれば、いや何を論じなければ、ひとは非難されずにすむのだろうか。
 とげとげしくなく、いきたいものだ。
 
No.44