師走に入った。台風とともに入る師走など、聞き始めだ。 わたしは教員だが、べつだん忙しくしたくない。というか、「明日は明日が思いわずらう」ということばを拳拳服膺したい。ひろさちや『阪神ファンと仏のこころ』(小学館文庫)というのは面白い本で、そうしたことが阪神ファンの立場にことよせて延々と書いてある。
昨日リンクした「宮澤賢治の詩の世界」の浜垣誠司さんより返信メールを拝受した。うれしかったので、私信だが一部紹介する。
<濱田様の「きぬのみち WEB SITE」も、さっそく拝見させていただきました。ロマンチックなところと、硬派なところと、童心のようなやさしさが共存した、不思議な空間でした。……「〔雲影滑れる山のこなた〕」の絵も、私のいだいていたイメージとぴったりです。>
浜垣さん、ほんとうにありがとうございました。
ぼうず麻酔科医白井洋一朗さんも新作を見てくださった。事務員の奥さんの姿が好評だった。どうもありがとうございます。
☆駐イラク大使館員の犠牲─これについては、参事官の郷里である宮崎県でインタビューに応じていた、年配の親戚の男性のコメントを思い起こしてもらえば足りるだろう。これが日本人のことばというものだ。
それとは別に、イラクに派遣されるかもしれない、旭川陸自の映像を見ていて思った。 このごろは、先進国の軍隊は、みなアメリカ軍そっくりの「フリッツ・ヘルメット」をかぶり始めている。これは鉄より固いケブラー繊維で作られたヘルメットで、そうとは言っても結構重い(沖縄、北谷のサープラス・ショップで実物をかぶってみたことがあるから嘘ではない)。耳を保護するためにヘルメットの下縁部を下げたデザインが、第一次大戦後期から第二次大戦にかけてのドイツ軍の兜によく似ているので、それで「フリッツ」という愛称がついたものだ。これをわれわれが広く目にしたのが、さきの湾岸戦争のときだ。砂漠用のチョコ・チップ迷彩のBDUと合わせて、アメリカ軍はベトナムの時と較べて、ずいぶんと格好よくなったものだなあと感心したものだった。 このフリッツ・ヘルメットを、陸自も最近採用している(ネットで拾った話だが、あまり重いので、下士官などはこっそりサバゲー用の軽いプラスチック製を使用しているという。まったく、軍隊は要領だ)。ところが、米軍兵士が被った姿と較べると、あきらかにみっともない。まるで、旧日本軍の鉄兜のようだ。 じつはこれには理由があって、アメリカ製のフリッツ・ヘルメットのデザインのままだと、たとえ小さいサイズのものであっても、欧米人は頭の鉢が丸く深いので、日本人が被ると目が隠れてしまう。そこで、日本人に合わせて、少し鉢が薄めの、もっと言えば皿のような形状に変えて生産しているらしい。 だから結局、当然ながら日本人にのみ合わせてデザインされていた旧軍の鉄兜に、日本式のフリッツ・ヘルメットは、そのフォルムが似てしまったのである。 いかに国際化とは言っても、民族形質は越えられない、という話。
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No.42
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