一般の絵

CGの他に、紙に描いた絵をスキャンして取り込んだもの、また写真を加工したものも含まれています。
オリジナルでない部分がある場合は、その旨を明記してあります。

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銀河鉄道の夜

 言わずと知れた賢治の未完の名作から。賢治作品に対しては、千人が千のイメージを持っていて、なにをどんな風に描いても、ぜったいに「違う!」と叱られるに決まっているのです。この絵もまた、そうした運命を持つのでしょう。 Art School Dabbler で作成。

光 琳

 NTTデータの『水彩』というソフトを購入し、慣れるためにいじっていて、さまざまな効果を試しているうちに、偶然できてしまった、というのが正直なところです。途中で、「あっ、これ、《かきつばた光琳》じゃん」となったわけでした。トホホ。

フラワーポット

 これはじつは、つまらない会議中に手が自然に動いたものです。ボールペン描きで、花(最初はそのつもりでもなかった)からはじめ、原寸はたしか、3×2cmくらいのものを、拡大コピーして、さらにペインターでエアブラシをかけました。

 初夏なのにどうも天候不順で肌寒い、そんな陽気にぴったりでしょう。『水彩』で描きました。そのころ、「ボブの絵画教室」というテレビ番組が大好きで(ボブさんは早く亡くなりました、残念です)、そんな風に描けないか、と試したものです。もちろん失敗に決まっていました。

古宇利島幻視

 沖縄の国頭郡今帰仁村にある小島、古宇利島では、お盆になるとウンジャミアシビという儀式を行ないます。そこに調査に行ったおり、巫女たちの衣装、髪飾り、旗の模様などを見て、思わず古代ギリシアが二重写しになりました。そのとおりのイメージをコラージュで表現しました。きぬのみち撮影。ただし背後のパルテノンは、どこかのサイトから持ってきて部分的に使い、加工したものです。Adobe PhotoDeluxe 使用。
*古宇利島についてのリファレンス。

http://www.okinawainfo.net/kourizima.htm
http://www.urban.ne.jp/home/ngsek/huijima_001.htm
*沖縄には、他にも勝連のグスクなど、まるでミケーネを思わせるような場所があります。

夏 山

 夏山という題ですが、むしろ空と雲に描写の主眼があるようです。これも『水彩』を使用し、ボブ・ロス風に描こうと試みたものです(「あなただけの世界を描けばいいのですよ」←ボブさんのセリフ)。いつも空は、けっこううまく行くのですが、この絵の場合、山の木々もそれなりに雰囲気が出ているようにも思えます。

利 尻

 これは、札幌勤務時代のある夏、夜っぴて稚内・宗谷岬まで車を飛ばし、翌日日本海側、オロロンライン沿いに南下して原生花園の傍らを通りすぎた時の印象を、記憶をもとに描いたものです。利尻と礼文が見えます。『水彩』で描こうとしたが挫折し、ペイントと Adobe PhotoDeluxe で細工。しかし御覧の通り、無残な失敗です。

グスコーブドリ

 水彩画を取り込み。四半世紀前に原稿用紙の裏に描いたものが見つからないので、記憶を頼りに新バージョンを描きました。岩手山は中学生の頃訪れた印象のままに、町並みと大学は元バージョンではもっとビル風だったのですが、ここではヨーロッパ式にしてしまいました。クーボー大博士の飛行船も忘れずあります。

 水彩画を取り込み。中国深奥のさる高地に調査に行っているときに描きました。心に抱えているさまざまな懊悩が、日本とは全く違う、激変した環境のもとで、こうした形で噴出したものだと思っています。絵というより、むしろ心理分析上の対象なのではないでしょうか。

座喜味城

 グスクと呼ばれる沖縄の山城です。グスクはどこも、山奥にありながら、かならず海が見えるように造られ、海上貿易の支配こそが沖縄の地域支配者の最大の目的だったことを物語っています。座喜味城遺跡は読谷村にいまも残りますが、ここでは東京に戻ってきてから、もっぱら思い出したイメージで描きました。水彩画を取り込み。

楚辺の空

 沖縄県中頭郡読谷村字楚辺。ここは1945年4月1日朝、米軍の上陸とともに沖縄戦が始まった土地です。地区は米軍基地や施設として接収され、移転せざるを得ませんでした。ここにある、もと米軍ハウスを改造したペンション「ゆめあ〜る」に滞在し、その空と湧き上る雲とを、色鉛筆でスケッチしました。

 ペインターで作成。霊性、スピリチュアルといわれるものごとに対しては、さまざまな態度があるでしょう。ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』シリーズの最新刊、『新しき啓示』の中で神によって語られる、「人間存在の姿」を、私なりに感得したイメージで写し出そうとしたものです。

優勝おめでとう

 きぬのみちは静かなる阪神応援派です。18年前の優勝の夜にも、ひっそり神宮球場を訪れたものですが、その時の情景は、いまも記憶に鮮やかです。すぐ後に行った関西の親戚の家の近くのスーパー、そこでも「六甲颪」が流れていたものでした。さあ、今度の優勝はいつになるのでしょうか……。ペイントで作成。

南無大師遍照金剛

 題名どおりです。「修行大師像」とでもいうのでしょうか。最近、「歩んで行く」サイトに、よく行き当たります。インターネットは、こうした「歩み」の表現には、最適のメディアだと思います。私も、心の中の「抵抗勢力」と闘いつつも、とにかく歩んで行きたいと願っているのです。ペイントで作成←きぬのみち思うに、Win随一のソフトかも。

北海道紅葉

 北海道で暮らしていたときのことです。東京発札幌行の飛行機は、新千歳空港が込んでいるとき、夕張の西の上空を大回りして、ほとんど札幌の近くまで行ってから南下して着陸します。そんなときに見た大雪山系の、見事というにはあまりに見事な全山の紅葉風景をしっかり頭に焼き付けておいてから、当時使っていた Performa 5220 (ひどいマシンでした)にインストールした Art School Dabbler で作成しました。

松前の夜 1

 出張で函館へ行ったことがありました。時間が余ったので、松前行きのバスに乗りました。白神岬を越え、松前について夕方になりました。夕食後、海岸べりに出ると、晴れた夜空に煌煌と輝く満月、沖にはイカ釣り漁船の照明灯が鮮やかです。その印象を帰札後、ただちに Art School Dabbler で描きました。

松前の夜 2

 上の絵と同じときの印象を、もう一度練り直したものです。後ろの明かり、陸地の明かりを工夫しようと思いました。しかしむしろ作為が強くなったと感じます。まとまっただけ感動が薄れ、小ぢんまりとしてしまいました。この出張旅行のときには上ノ国、江差も訪れ、北海道について得るものがたいへん多く、有意義な旅でした。

〔雲影滑れる山のこなた〕

 その短い生涯の晩年、東北砕石工場の技師となった賢治は、石灰岩抹肥料の売り込み営業活動に奔走します。そんな中で訪れた、小岩井農場での春の情景。昔からお気に入りの逍遥の地でしたが、当時の気持とは雲泥の違いです。ボールペン画を取り込み、ペインターとAdobe PhotoDeluxeで仕上げ。 

パミール先生の散歩

 シルクロードに憧れた賢治は、「パミール先生の散歩」という、すてきな詩を書いています。クチャのオアシスを舞台に、ハチミツみたいな黄金色の夕日や、チベットのタルチョ(経幡)らしいものがなびく風景や、風のさやぎに盛り上がるように波打つ地面が描かれます。しかし詩の成立をたどると、実はこれは、賢治の故郷花巻の田園風景を幻想的に描いたものであることがわかるのです。ペインターとAdobe PhotoDeluxeで作成。

冬の越後

 フリーソフト「すみえちゃん」をダウンロードし、試し描きしていたさいにできたものです。途中で雪国の風景に見えてきたので、こう題をつけました。でも実際、南魚沼郡のあたり、どこか中腹のスキー場から越後平野の方を望むと、たしかにこんなふうに見えた記憶があるのです。

雁の童子

 賢治の「西域三部作」のひとつ、「雁の童子」のクライマックスの場面です。育ての親の須利耶圭とともに沙車廃寺の発掘現場に来た雁の童子は、壁画に描かれた天童子が過去世の自分であることを打ち明けて天に帰ります。この絵では、発掘しているのは青木晃(わかるかな?)のつもり、須利耶さまはカルザイ(藁)のイメージで描きました。壁画のモデルは、もちろんスタイン発掘のミーラーン廃寺のものです。ペインターで作成。

山と木

 表題そのままの絵です。これも、ボブ・ロス風を目指してペインターで描いたのですが、ボブさんは乾いた刷毛をばさばさと使ったりするので、どだいペインターでシミュレートできるはずがないのです。なんとなく雰囲気が出ただけで終わりました。やっぱり、見てないものは描けない。

 ペインターで作成。小学校に入学したてのとき、幼稚園も違って、友だちが一人もいませんでした。「学校はどう?」と親に聞かれて、「僕は一匹狼なんだ」と答えました。当時「シートン動物記」を読んでいたので、こんなことばが出たのでしょう。その当時の、「自分を描こう」の課題の絵を思い出して復元しました。校庭で、腰に手を当て、一人だけでにこにこ笑っています。何の仲間にも入っていません。「淋しくはない、一匹狼なんだから」

サハリンスケッチ(3部)

 水彩画を取り込み。2003年3月、サハリン調査に行きました。賢治の足跡を辿るのも目的でしたが、あいにく季節は正反対。街中では泥濘に足をとられ、難渋しました。しかしすでにそこここに早春の気配も漂い、雪融けと芽吹きがはっきりと感じ取れました。他方では、未発表のオホーツク式土器を見学できたのも収穫です。

不忍池

 水彩画を取り込み、Adobe PhotoDeluxeで加工。心身の不調で苦しんでいた冬、不忍池で、渡り鳥やカモメを眺めました。北風が吹きつけ、尖った波がこちらに向かって伸びたり縮んだりしながら、いくつもいくつも迫ってきます。その印象をもとに描きました。塔の赤い色がちらりと見えているのが、救いといえば救いです。

早春の琵琶湖

 水彩画を取り込み。2003年4月、親戚の結婚式に出ました。式場は琵琶湖畔のホテルでした。静かな雨模様の中、湖畔を散歩していると、柳の向うには比良のお山や近江京のあたりが遠く煙って見え、手前の湖面には、競艇部の学生の練習するボートが何艘も滑るように走っていきます。その印象をもとに描きました。

花冷え

 『水彩』で作成。今年(2004年)の3月は、ほんとうに天候不順でした。開花は早かったものの、春と冬とが毎日交互に訪れて、桜もさぞ戸惑ったことでしょう。これはもうずっと以前に描いたものですが、どこかで見た風景をもとにしていることは確かです。まだ冬を残す曇り空に、描写の主眼があります。

山中湖の富士(二景)

 水彩画を取り込み、Adobe PhotoDeluxeで色調を修正。学生研修旅行の引率の合間に、手早く描きました。絵手紙用(和風)と一般用(洋風)の二種類の絵の具を持っていったのですが、洋風の方が制約が少ない分、かえっていい色が出せました。傍で見ていた学生たちには、なかなか好評でした。

新郷風景

 2001年9月(9.11直後です)、中国四川省チベット族自治州へ調査に入りました。いよいよチベット族地区へ入る直前の漢族地区のドライブインで、昼食を摂りました。そこで水彩スケッチしたものです。水の豊かな山村で、入口のポリバケツに溢れる水の清らかさと、その底の旨そうな白い豆腐が印象に残っています。

カムパネルラ

 ケンタウル祭の夜、ザネリたちと一緒のグループに混じり、ポケットに手を入れながらぼやっと突っ立ってジョバンニを見ているカムパネルラです。ボールペン画を取り込み、 Adobe PhotoDeluxeで加工。
 インテリ階級の親に、フランス風の好みの服を着せられている子、そんなイメージで描きました。


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