きぬのみち ・ 旅の記録

 

護 衛 艦 い な づ ま

J D S  I N A Z U M A

D D - 1 0 5

 


 

 2003年10月22日、相模湾沖で、海上自衛隊観艦式予行演習が行なわれました。さんからお誘いを受けて、3年に1度しかなく、見学切符は滅多と手に入らないと聞きました。
 軍艦、それも動いているものに乗るなんて、それまで考えたことも望んだこともありませんでした。トム・クランシーの描いている世界を、たとえ断片でも体験できるのです。それに、軍モノ好きの歴史学者としては、当然すぎるフィールドワークの世界でもあります。

そこで、雨混じりの早朝、小田急・JR・京急と乗り継いで、勇躍横須賀へ出かけました。
待ち合わせ時間は、京急横須賀の駅に、午前7時です。

横須賀に着くと、まるで通勤ラッシュのように大勢の人が、次々と改札を通って流れて行きます。
防弾チョッキみたいなものを着た人、紺色のキャップをかぶった人……。
いや、ミリタリーマニアだけじゃない、老若男女、とりまぜているぞ……。

これがみんな、観艦式へ行く人か……。

まず最初の驚愕でした。

 

 われわれの乗る船は、《いなづま》です。
 まずそれぞれのテントでチェックを受けて、舷側から乗り込みます。
 乗船のチェックは意外と簡単で、空港の手荷物検査ほどのこともありません。
 他にも多数の船に、それぞれ見学者が乗り込んだもようです。われわれには、われわれの船のことしかわかりません。
 出港の整列です。意外とピシッとしてないですね。当日は雨模様で、実施が危ぶまれましたが、決行されました。

 岸壁を離れ、港から出るまでは、タグボートに引かれます。すでに出港し、陣形を作るために待機している他の護衛艦が見えます。
《いなづま》は呉所属の船で、観艦式のためにやってきました。〈不朽の栄光〉作戦の一環として実施された〈魔法の絨毯〉作戦に参加して、インド洋上での補給作業経験もある船だそうです。
 船体番号はDD−105、ヘリコプター搭載の駆逐艦クラスの船です。DDの意味、私はわかりません。"Difence Destroyer"(護衛駆逐艦)とでもいうのでしょうか。

 乗船見学者たちです。切符は応募だそうですが、たぶん海自関係者には割り当てもあるのでしょう。予行でこの人気ですから、本番はまさにプラチナカードであることには疑いを容れません。
 私の見るところ、軍マニア、元ネイビー(海軍、海自)、海自関係者(家族、親戚、知り合いなど)、それに一般応募者などです。若いカップルもいるのには一驚しました。何度も来ている歴戦の勇士もいるようで、そういう人たちは、これまでに乗ったことのある船の名入りキャップをかぶっているのでわかります。写真右下の、旧海軍帽のレプリカをかぶっているおじさんに注目。
 悪天のため、多くの見学者は船体後部のヘリ格納庫に毛布を敷いて座っています。早朝から、もうピクニック気分でお弁当をぱくついている人がいて、ひそかに心配していたら、案の定、あとでみんな甲板下の士官食堂で
ダウンしていました。
 船酔いすることぐらい、予想できるだろうに……。

 船は、演習海面の相模湾に向けて、するすると進みます。速度はだいたい15ノットぐらい、ガスタービンのエンジンで、しかもスタビライザーがついているので、ほとんど揺れません。ディーゼルの不愉快な振動がないだけ、昔の明石〜岩屋の国道フェリーよりも、はるかに楽楽です。いや、かつて年末に乗ったことのある、釧路〜東京の大型フェリーよりも楽かもしれないくらいです。
 ……と思うのは私だけかもしれません。雨混じりの風は強く吹きつけるし、波しぶきを見ればわかるように、もちろん、揺れないなどということはあり得ないわけですから。
 遠くに見えるのは三浦半島。ここをペルリも来たのだな、と、あらためて感慨を催しました。思えば、あれが日本海防の始まりなのですから……。
 漁船の船団が、青い旗を立てて、すれ違っていきました。

 相模湾に出て、単縦陣を組みました。さすがに勇壮なものです。司馬遼太郎『坂の上の雲』読者なら、すぐにわかるでしょう。そう、バルチック艦隊を迎え撃つ時、東郷艦隊はこれで行くのですね。それに反して、バルチック艦隊は命令伝達の不手際から、完璧な陣形を組めないまま、合戦に突入するのです。その陣形を見て、東郷さんは、「ヘンナカタチダネ」と言った、と、司馬遼太郎は書いていますね。
 太平洋戦争より、日本海海戦を思い出す。司馬遼太郎の影響力、恐るべし。
 それにしても、海自は、たくさん船を持っているのだなあ。これみな、われらの税金です。フリート・イン・ビーイング。でもそれでよし。
 右上に見えているのは、搭載ヘリの回転翼です。

 後部甲板、《いなづま》搭載の対潜ジェットヘリです。アメリカだとシーホークという機体ではないのかな。トム・クランシー『レッド・ストーム・ライジング』で、オマリー中佐が操縦するやつ。
 ヘリコプターの回転翼は、通常は、まるで鳥かバッタの羽のように、後方に長く折りたたまれています。この日は、何回か飛ぶ寸前まで準備をしたのですが、悪天を理由に、とうとう離着艦のデモンストレーションはしませんでした。その代わりといってはなんですが、何機か陸から飛来しました。あっというまに現われ、通りすぎ、消えて行きました。
 艦尾には巨大な旭日旗がはためいています。風を孕んで、ばちっ、ばちっと、すごい音で鳴るのです。

《いなづま》は、《こんごう》などのイージス艦よりは小さいらしいです。それでも、別の船を指さして、「あっちの船に乗ったら大変でしたよ、船酔いで」とか若い士官が自慢げに言っていたので、きっとアメリカのフリゲートよりは大きいのでしょう。それに船ごとの対抗意識もあるというのがわかって、面白く思いました。
 これは、甲板の写真です。前方が船首部分、上には救命ボートが吊り下げられ、舷側には魚雷の発射装置とおぼしき物があります。
 通路は白い枠の中に限られ、ここは砂を塗り固めてあり、転倒防止の滑り止めになっているということでした。
 『坂の上の雲』によれば、昔は合戦直前、じかに砂を撒いたものだそうです。なぜかはここには書きませんが。

 煙突部分です。といっても、実際には、ここにガスタービンエンジンが入っているのだと思います。甲板下の機関指令室でコンピュータ制御されて動いています。なんだか呑気そうにやっていました。
 トム・クランシー『大戦勃発』で、巡洋艦〈ゲティスバーグ〉が緊急出動する場面で、ガスタービンエンジンがビューッと音を立てて空気を吸い込み、船がバスのように発進するのが感じられたという描写があります。《いなづま》がガスタービン駆動だと知ったので、同じ音を聞いてみたいと思いました。
 実際に、その通りでした。本と現実が一致する。一種の感激でした。
 煙突の手前にあるのは、たぶん対空ないし対艦ミサイル発射筒だと思います。
 当直の下士官は、吹きさらしで寒そうです。

 では、《いなづま》搭載の装備をいくつか。
 これは、爆雷です。……と思ったら、違うのだそうです。これは救助用ゴムボートで、海面に落ちたら自動的に開くのだそうです。
 そう言えば、「爆雷」は、P3Cという対潜哨戒機から、「対潜爆弾」として落としていましたね。いまどき爆雷などというものも、ことばも、ないのでしょう。
 

10

 これは、魚雷発射管です。発射の際は、海に向きを変えるのでしょう。
 一般に、兵器は、じつに厳重に封ぜられています。トム・クランシーの小説を読んでも、なにかを発射するときは、必ず「兵器使用自由」の許可を要請します。桜田門外の変の時でも、警護の武士はみな刀の柄に袋を被せていたというし、つまり武器などというものは、よくよくのことでないと使わない、考古学で言えば「威信材」なのでしょうね。

11

 これは、チャフ発射筒、つまり相手の探知電波を乱反射して混乱させるための、アルミ箔を打ち上げる装置と教えていただきましたです。その向うのお化けみたいな白いドームは、レーダーでしょう。レーダーの手前には、機銃座があります。
 

12

 これは、CIWS、最終近接兵器システムで、レーダー連動コンピュータ制御の全自動ガトリング・ガンです。船の前後にあり、「シウス」と呼んでいました。発射はしませんでしたが、動かしてくれました。「ググッ」と向きを変え、「ガチャガチャッ」と狙いをつけるところは、いかにもロボット兵器らしく恐ろしい感じでした。飛来したミサイルは、これで撃ち落すわけです。

13

 僚艦の一隻。名前もクラスも、素人の私にはわかりません。ただ、前後に砲塔を備えていたり、マストの曲線が優美だったりして、やや旧式でクラシカルなスタイルをしているな、とは思います。

14

 単縦陣で反航し合って、このときに総理大臣(最高司令官)が観閲するのだそうです。その予行。シルクハットで、モーニングで……あほらし。そんなことはしたくありません。

15

 観艦式のもう一つの見物はこれ、潜水艦でした。サイレント・フリートで、人目に触れないものだとばかり思っていたのに、大っぴらに単縦陣で傍らを追い抜いていくのですから。

16

 こちらは潜水艦隊の旗艦で、最新型のようです。艦橋の形が違うでしょう。それにしても、潜水艦は、浮上して航行するのはひときわ大変だろうな、と感じました。

17

 まるで絵のようです。煙霧の中にぼんやりと浮かぶ艨艟……。こんな古い中国の熟語も、『坂の上の雲』で学びました。

18

 対潜哨戒機が、フレアーを発射しています。こればかりは画面を部分的に拡大しました。また遠くで対潜爆弾を投下したときは、その反響が海中を伝わって、「グァン!」と、鈍くドラム缶を叩くような音がしました……というか、感じました。

写真省略

19

 甲板下の生活区、食堂外側の廊下に、神棚がしつらえてあって、船霊様をお祭りしています。しかし恐れ多いので写真は省略します。旧海軍以来の伝統なのでしょう。お札は諏訪神社のもの。いくさの神ということでしょうか。この日は、無神経な見学者が頭をぶつけないように、黄色と黒のテープを貼ってありました。
 それで、食堂では、もうみんなぐったり。何のために来たやら……。

20

 プログラムも終盤に近づき、呉軍楽隊による演奏会が、ヘリ格納庫で開かれました。手慣れたもので、曲目はスイングが中心、軍艦マーチもやったかなあ……。あまり覚えていないのです。プログラムとしては、他に手旗実演、ラッパ実演、ロープ結び体験などでした。
 みなさん、船酔いからようやく回復されて、よござんしたね……。

21

 いよいよ半日の航海も終わり、夕暮れの近い横須賀に帰港します。同型の僚艦にそろそろと近づいて横付けし、寸分の狂いもなくぴたりと並行させます。これに30分以上もかかったでしょうか。ロープでしっかりと縛り合わせ、ここに見えている名前入りのタラップを渡して僚艦に移り、そちらから岸壁に降りて、すべてが終了です。
 帰りはみんなでセルフサービスのレストランに入り、かの有名な海軍カレーをはじめ、たらふく食べて帰宅しました。 

22

 さてこれはおまけの、きぬのみち勇姿です。
 観艦式当日は打って変わった晴天で、すべてのプログラムは順調に進行したようで、偶然にもそちらに参加していた私のゼミの学生は、たいそう喜んでいました。マッタク悪運強きは小泉首相です。
 しかし負け惜しみではなく、こうした風雨が強いときの乗艦体験ができたというのも、たいへん貴重なことだったと思います。
 お誘い下さったさんに、あらためて感謝致します。